川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

井戸川・双葉町長の大切なメッセージ

2013-01-17 20:23:26 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 1月17日(木)癌研でCT検査。行きに佃島でKくんに会う。豊洲では林さん宅により交流。留学生の李さんも来ていた。 癌研の通知簿は月曜日。


 

「東京新聞」の「特報」欄で福島第一原発が立地する双葉町の井戸川町長の記事が大きく出ていた。「除染」だの「帰町」だのと民心をかく乱して責任をごまかす東電や政府・マスコミに命がけの抵抗をしているように受け止める。

大事なのは未来に生きる人びとの健康だ。原則的な立場を堅持して報道を続ける「東京新聞」を支持する。

 

「帰還は30年後」 双葉町の井戸川克隆町長に聞く

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013011702000148.html
2013年1月17日 東京新聞[こちら特報部]


福島原発事故で全町避難した福島県双葉町の井戸川克隆町長(66)が今月4日、町の仕事始めの訓示で故郷への帰還目標を「暫定的に30年後とする」と発言、帰郷を望む町民の間に波紋を広げている。先月には「双葉地方町村会」の会長職を任期途中で辞任。その後、町長の不信任決議案を可決した町議会を解散するなど、大荒れの渦中にある。井戸川町長に発言やこの間の動きの真意を聞いた。(小倉貞俊)


◆「将来の健康被害 懸念」

「除染で少なくとも10年、下水道などインフラ整備や住居の建設に10年ずつ。現状では住めるまでに30年はかかる」

避難中の埼玉県加須市の同町役場で、井戸川町長はこう切り出した。

町長が期間目標に言及したのは「30年発言」が初めてで、数字の根拠は放射性セシウム137の半減期が約30年であること。町長は「国や県、東電と協力して除染に取り組みつつ、その間に町民の仕事や住居、医療など生活環境を整えていく」と語った。

最大の懸念は、内部被ばくによる将来的な健康被害だという。国は帰還の目安として年間被ばく量を20ミリシーベルト未満としているが「チェルノブイリ原発事故の5ミリシーベルトと比べても格段に高い。町は国際放射線防護委員会(ICRP)の示す1ミリシーベルトを目指したい」と話す。

町長自身、1号機の爆発時に放射性物質を浴びたという。「健康被害が発症したら、誰が責任を取るのか。一時的に住む場所がばらばらになっても、家系は継承しなければ。未来の子どもたちの健康は死守したい」

しかし、今回の発言で動揺した町民も少なくない。「仮設住宅の高齢者から『町長、こんな所で死にたくないよ』と言われた。本当につらい」

なぜ、このタイミングで発言を、と尋ねると「避難先で自立のめどがついた町民は自宅をどうするかを考えている。そのために『町の方針を決めて』という要望が増えている」と説明した。

「仮の町」構想などを計画する自治会長や一部の議員、外部有識者らでつくる町の「復興まちづくり委員会」の答申が、3月末までに出されることも踏まえたという。

ただ、理由はそれだけではない。もっと差し迫った状況があったという。損害賠償の問題だ。

国と東電が昨年7月に示した新賠償基準では、自治体の避難区域を再編することが請求の条件となっている。区域は「帰還困難区域」(年間50ミリシーベルト以上)、帰宅や通行を認める「居住制限区域」(20ミリシーベルト以上~50ミリシーベルト未満)、除染やインフラ整備をして早期帰還を目指す「避難指示解除準備区域」(20ミリシーベルト未満)の3つ。双葉町の場合、人口の約75%が帰還困難区域に当てはまる。

◆「中途半端な賠償 生きていけない」

井戸川町長は「(新賠償)基準は健康面からみて甘すぎる」と判断。区域分けに伴う町の分断も危ぶんでいるという。

このため、現時点では区域見直しに応じていない。その結果、賠償交渉は停滞しているが「国の狙いは早めに住民を帰還させて賠償を安上がりにすること。だが、双葉町は中途半端な賠償では生きていけない。(発言は)『町民が納得のいくまで、国はじっくり賠償問題に取り組んでほしい』というシグナルだ」。

町長は次々とこうした“善意”を説明するが、他町村との関係や町政は混乱を極めている。

先月10日には、双葉郡8町村でつくる「双葉地方町村会」の会長職を任期途中で辞任した。国の中間貯蔵施設の調査受け入れを決めた県と町村会の協議に欠席し、7首長から「無責任だ」と批判された後だった。

町長は欠席理由を「国の進め方は説明不足」とし、町村会での温度差については「町村ごとに被ばく線量がばらばらで、帰還までの計画も違う。賠償内容も異なる。『双葉郡で一つになろう」というのは無理。むしろ、会長職を降りることで町独自の主張を貫きやすくなった』と説明する。

町議会(8人)との対立も深刻化している。先月20日、町議会が「生活再建を望む町民の声を聞く努力をしていない」として、全会一致で町長の不信任決議案を可決。これを受け、町長は議会を解散。一昨年11月にあったばかりの町議選が繰り返される事態(2月3日投開票)になった。

「独断専行」という批判に対し、町長は「全部の人に分かってもらうのは至難の業。町と町民を一身に愛してきた。主張は分かってもらえるはずだ」と言葉少なだ。

原発事故前は推進の立場だった。「安全神話を信じ、国策に協力しているという自負すらあった」と話す。だが、それも過去のことになった。

「『ただちに健康に影響はない』という国のウソから苦しみが始まった。だが、未来の町民の命と健康を守るためにも、希望は決して捨てない」


◆前町議ら「無責任」「独善的」

「軽すぎる」 「無責任だ」─。「帰還は30年後」と発言した井戸川町長の発言に、解散した町議会の前職たちからは批判が噴き出している。

その一人、菅野博紀前町議(42)は「つらい避難生活のストレスに耐えつつ、帰還を待ちわびる高齢者は多い。発言がどれだけ町民を動揺させたかを分かっていない。確たる根拠のない軽い発言。公人としてふさわしくない」と強く批判する。

町議会では昨年6月と9月にも、埼玉県から福島県への役場移転を要求する複数の町議から不信任案が提出された。菅野氏は「町長のやり方は独善的。帰還の時期は個人が決めること。まず、町民の避難生活を何とかするべきだ」と訴える。

伊沢史朗前町議(54)も「まちづくりの具体的な構想や生活再建を示していない。30年をどう過ごせというのか。無責任だ」と語気を強める。

双葉町は被災自治体の中でも、避難区域再編や復興計画の策定について著しく遅れており、双葉郡8町村の中でも次第に孤立しつつある。

「町民は疲労困憊している。いまのままでは町の存続も危うい。町長がどれだけ強硬姿勢をとっても、賠償が双葉町だけ優遇されることは考えられない。協調して賠償交渉をまとめることこそ急務だ」(伊沢氏)

復興の方向性の違いもあり、町長と町議会の溝は深い。町議選後、再び町長選に突入する事態も予想され、町民の困惑は深まりそうな気配だ。


[双葉町]
東京電力福島第一原発の5、6号機がある。原発事故で町全体が警戒区域になり、被災自治体で唯一、町ごと県外に避難した。役場機能は2011年3月末から埼玉県加須市の旧騎西高校に置き、12年度内に福島県いわき市の旧福島地方法務局勿来出張所跡地に再移転する予定。8日現在、町民の避難先は福島県内が3,704人、県外が3,250人(うち旧騎西高校は146人)。


[デスクメモ]
かつて井戸川町長は「騙(だま)された」と言った。騙された側にも責任があると思った。だが、同時に「二度と騙されない」という決意を感じた。それには騙した相手に責任を取らせることが早道だ。しかし、東電や政権の座を奪還した政治家らはいまだに責任を取っていない。騙されない闘いは続く。(牧)


井戸川町長は双葉町のHPでも大事なメッセージを発し続けておられる。読者が時間を取って読まれることをお勧めする。 

双葉町長「メッセージ」●http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20130101.html/


『鎮魂と抗い 3・11後の人びと』 山本宗補

2013-01-17 07:59:39 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

3月のはじめに上福岡の公民館で写真展を開催する準備を整えている方から『鎮魂と抗い』(山本宗補・彩流社)という「フォトルポルタージュ」をいただいた。

 福島第一原発事故直後から「原発事故」を伝えようとしてきたフォトジャーナリストの「経過報告」だという。

浪江町にとどまって牛たちと生きる吉沢正己という人の写真が飛び込んできた。「冬を越せず死んでいく子牛」たちの姿、僕にはとても正視できない現実の一端。

http://asama888.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/311-d8b6.html

写真展の日程が決まったら「川越だより」でもお知らせします。

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