川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

治療方針

2008-01-19 07:13:16 | 父・家族・自分
 ガン研有明病院に出向くのは今年4回目です。今日から僕の主治医になるのは呼吸器内科の西尾医師です。2年前の今頃、術後の抗ガン剤投与を受けた際のお医者さんです。抗ガン剤治療を受けるに当たって、患者に病状に対する認識がきちんとあるかどうかを厳しく問われた印象があります。甘い認識では治療に伴う副作用や危険性に対応できないからだろうと思いました。
 一昔前にはガンについて患者に告知するかどうかを廻ってずいぶん悩んだり、議論があったりしたものですが、今、僕が体験している医療現場ではそのような悩みはあり得ないように見えます。患者に対し、コンピューター画面で病状を丁寧に説明し、治療方法を提案し説明し、同意を得た上で治療が始まるのです。患者が病気と向き合うことが医療の前提になっています。僕の友だちでもある中川医師は病状を淡々と説明するのですが、医者個人としてはつらいことも少なくないと言って居られました。
 さて西尾医師の説明で解ったことです。僕の病状は肺に2、3カ所転移が確認されるが、ガンは全身にあると推測される、進行は今のところ緩慢だが、急に進行することもある。前回と違ってこれからの抗ガン剤治療の目的は、進行を遅らせること。ガンが一時的に小さくなることが期待されるがそれは、10人に2~3人の確率である。
 抗ガン剤の副作用などを考えるとこのまま治療をせず、身を天に任すことも一つの選択です。結局のところ、少し様子を見ながら、治療を始める時期を見定めることにしました。月に一回程度外来で間接撮影、3ヶ月ごとにCT検査。様子見が長く続くことを期待するばかりです。
 再発した以上「治る」という希望はなくなりました。然し、希望がまったくなくなったわけではありません。ガンとつきあいながら社会的活動を続けている先輩も居られます。昨日書いたように、今のところ僕は元気です。一日一日を大事に生きていきたいと思います。かわらぬ交誼をお願いします。

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2 コメント

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チャイコフスキー (カツヨシ)
2008-01-23 20:55:07
 昨夜(22日)は東京オペラシティコンサートホールで東京フィルハーモニー交響楽団の演奏を楽しみました。正月には映画と音楽会が我が家の定番になって数年、その一環です。
 一番安い席(2000円)を取ったのが成功(?)
して、ステージ下手の真上の3階席、指揮者・演奏者を眼下に一望できる、得がたいアングルでした。お蔭で指揮者のボディアクション、キビキビとして魔術師のような手の動き、繊細で華麗で躍動的な表情と肉体の全て、飛び散る汗までも見ることができました。そして、指揮棒に誘われるように高揚して行く演奏者たちが紡ぎ出す“音の世界”、その両者の交歓を間近に見る愉しさ! 良いときを過ごしました。
 曲はエルガーの「威風堂々第1番ニ長調 作品39」
(タイトルどおりの勇壮で華やかで力強い行進曲のド迫力!)、ショパンの「ピアノ協奏曲第1番ホ短調
作品11」(ショパン20歳の作品で、ロマンティックで
甘美で懐かしい詩情が溢れる。女性ピアニストの、人間ワザとは思えない精緻で高度なテクニックの見事さ!)、そしてチャイコフスキーの「交響曲第4番ヘ短調 作品36」(ベートーヴェンの「運命」同様、“運命との闘いと勝利”を描いた作品。暗く重い絶望の波が激しく押し寄せ、それらとのうねるような闘いの日々を経て、やがて圧倒的な高揚感に包まれる終幕が圧巻!)。
 チャイコフスキーの言葉が印象的です。「自身に幸福が見出せないならば、人々の中へ入って行くがいい。民衆の祭りの日、人々の素朴な幸福を喜べば、なお生きていけるのだ」
 年の始めにいいものを聴きました。
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楽しい時間をありがとうございました (小池正春)
2008-02-12 02:53:13
2月2日、六十路の会にお招きいただき、ありがとうございました。僕は、1982年に学校を退職しましたから、おそらく、それからJanJanに勤めるようになった2003年の3月(日暮里に取材にいく)までずいぶんとごぶさたでした。それでも、20代の一時期、池商によく出かけて広い教室で、会議や打ち合わせや作戦を練ったり、デモやビラ撒きや糾弾闘争にあけくれていましたから、脳にしっかり、記憶が刻み込まれたとみえて、20年のブランクもあまり感じなかったのが不思議です。
 この20年ほどの間、様々なことがあったはずなのに、スッポリぬけて、懐かしい人々に再会し、違和感もなく話ができることは幸せなことですね。
 鈴木さんからみると、50代半ばはまだまだ青二才でがんばりどころというふうに思われるところでしょうけど、まあ、いろいろなことが起きてきてへこたれそうになることもしばしばです。
 2005年から実家の新潟(おふくろと息子)にも目をくばり、少ないですが田んぼを作り、地元集落との面倒くさい付き合いもするようになりました。そこで、田んぼの土というものの恐さを知りました。田植の後の美しい田園風景や黄金色の稲穂の風景の裏には、たとえば、耕作機械をのみこむ湿田の恐さがあります。いってみれば平和の裏側には、克服すべき現実がありました。父や母はこの恐さを何十年もの経験と知恵で平気で乗り越えることができたのでしょうが、素人の僕には、高いハードルとして、今もあります。ただ、去年より、知恵を絞りましょう。
 いつまでたっても次から次へと課題や宿題が押し寄せてきますが、田植の後の田園や黄金色の稲穂の果てしない広がりもまた、現実です。
 鈴木さんのガンとの向き合い方、普通に自分の病気の現実を話す、その自然なあり方がいかにも鈴木さんらしいと思いました。糾弾闘争の時も、鈴木さんが本気で怒っているときは、文句なしに、理屈なしに相手が悪い、っていうふうに思えました(笑)。そのなんていうか、生きることの構えにゆらぎがない、ブレがない、というふうなことだろうと思います。つまり、信念ということでしょう。
 僕は迷ったり、悩んでばかりですが、どこかで信念の片鱗でもみせてみたいものです。
 ブログの更新、毎日、楽しみにしています。
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