川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

どうしたらいいのか?「大間原発建設再開」とか。

2012-09-15 16:33:44 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

昨夕(14日・金)は久しぶりに首相官邸前の道路に立って「人事案撤回!」「原発反対!」の声を挙げました。長くは立っていられないので途中からは警察官の「お願い」を無視して、対岸の衆院南通用門脇に座って時々、声をあげました。同輩が一人居られました。

福島・沖縄から来た女性のほか、社共党首などのアッピールが間に入るほかはシュプレッヒコールが続くだけです。体力等を考えて7時半ごろに永田町駅から帰路に着きました。

 空しいといえば空しい行動かも知れません。

 政府はまさにこの日、大間原発の建設再開など「新方針」を決めたというのです。

 

経産相、大間原発・島根3号機の建設を容認

読売新聞 9月15日(土)12時50分配信

 枝野経済産業相は15日、青森県の三村申吾知事や原子力施設のある市町村の首長らと青森市で会談し、東日本大震災後に工事を中断した電源開発大間(おおま)原子力発電所(青森県大間町)と中国電力島根原発3号機(松江市)の建設再開・稼働を事実上、容認する考えを伝えた。

 両原発の建設が再開されれば、震災後初めての原発建設となる。

 政府は14日に決めた「革新的エネルギー・環境戦略」に、2030年代に原発の稼働をゼロにする目標を明記した。運転期間を40年とする政府の原則に従えば、建設を再開した原発は50年代まで稼働できることになり、新たなエネルギー戦略の矛盾を早くも露呈する形となった。

 枝野氏は会談で「原子炉の設置と工事計画許可が与えられている原発について、経産省の立場として変更は考えていない」と述べ、19日に発足する原子力規制委員会が安全を確認すれば、建設再開・稼働を認める方針を示した。

 建設中の原発は、大間、島根3号機のほか、東京電力東通(ひがしどおり)原発1号機(青森県東通村)がある。ただ、東通1号機について、枝野氏は「東電が原子力について議論できる段階ではまだない」と述べており、建設再開の対象にはならないとみられる。


民主党政権のいう「決断の政治」?とはこういうものなのです。響き渡る「再稼動反対!」の声をはっきりと無視する「決断」をしたつもりなのでしょう。官邸からは黒塗りの乗用車が時々急発進して国会正門方面に消えていくのが見えました。

さてどういうことになるのか?どうしたらいいのか?

僕には何の名案も思い浮かばないけれど、政府の決定どおりにことが進むとも思えません。

福島第一の事故がもたらした災厄は青森や島根の人々にもいかに生きたらよいかを深いところで問いかけているはずです。あいも変わらず「原発推進」で地域振興の旗を振る首長たちの政治生命が永続するとは思えません。

僕が一番不安なのは若い人たちがどう考えているのかがわからないことです。日ごろほとんど付き合う機会がなくなったので話を聞くことも議論をすることもありません。

出会いのあった人々が積極的に意見を表明することを期待します。

昨夕、帰りに隣に座っておられた方から「福島原発告訴団・関東」の資料をもらいました。

電車の中で読ましてもらって、告訴・告発団の一員に加えてもらおうかと考え始めました。

危険なことを知りながら、原発を許してしまった自己をせめて心身症になりかけている方もいます。僕はいい加減なところがあるのでそんなことはありませんが、許してしまった責任は自覚しています。自分にできることを見つけてやっていきたいと思っています。

 東電をはじめとする原発利権集団(原子力むら)の悪あがきに止めを刺してやろうじゃないか。気分だけは負けてはいません。

 

 


「狂ったか」野田首相 

2012-09-14 10:39:38 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

今日は夕方の日和と体調がよければ首相官邸前抗議行動に参加しようかと思っています。

国会で承認を得られない原子力規制委員会の人事を首相の権限で一方的に任命しようというのですから政府の役人も野田首相も民主党の幹部も「狂っている」としか考えられません。冷静な判断ができなくなっています。

危険極まりない普天間飛行場の閉鎖・撤去が求められているのにオスプレイを配備するというアメリカ軍の感覚と同じような気がします。

ここはわたしたち国民の出番です。東京に出るのが「大仕事」になって、抗議行動の参加も久しぶりです。

 

9.14大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議


 

【重要なおしらせ】
・首都圏反原発連合は、9/30発足を狙っている原子力規制委員会と、次の衆議院選挙を視野に入れ、9月中も引き続き毎週金曜の抗議を実施します。
9月を強化月間として、人事案の撤回を求め、政党、政治家の脱原発についての動向を見極め、さらに抗議の声を拡大していきましょう!
・ 合同庁舎第4号館前に原子力規制庁準備室に対する人事案反対抗議エリアを設置します。

野田首相は7日の記者会見で、田中俊一氏をはじめとする原子力ムラの人間を候補に入れた、原子力規制委員会の人事案について、首相権限で任命して規制委員会を発足させる考えを正式に表明しました。
本来、この人事案は、国会同意人事であり、衆参両院の本会議での採決が必要なものですが、野田首相に対する問責決議案が参議院で可決され、全面的に審議がストップしたまま国会が閉会したため、採決はできない状況でした。

そのため、野田内閣は、原子力規制委員会設置法の例外規定により、民主主義を踏みにじる、非常識な首相権限での規制委人事任命にふみきろうとしています。
このままでは、野田首相が委員を任命し、次の国会での事後承認で委員が決定してしまいます。

毎週金曜の首相官邸前抗議においても、喫緊の問題として、この人事案について撤回を強く訴え、首都圏反原発連合による8月22日の「野田首相に対しての要求・勧告行動」の中でも、改めて撤回を強く求めましたが、野田政権はその声を聞き入れないまま、首相自らによる委員の任命に突き進もうとしています。
そのため、先週に引き続き、14日の抗議でも、合同庁舎第4号館前に、「原子力安全規制組織等改革準備室」「細野大臣の執務室」に対して人事案撤回を求める抗議エリアを設置します。

出来る限り多くの方々のご参加をお願いします。

【日時】9/14(金)18:00~20:00 予定
【場所】首相官邸前および永田町・霞が関一帯
(霞ヶ関駅、虎ノ門駅、桜田門駅をご利用ください)
※千代田線・丸ノ内線の国会議事堂前駅は大混雑が予想されます。
【呼びかけ】首都圏反原発連合


「全体的破滅を避ける」という目標こそ

2012-09-13 10:38:31 | 政治・社会

9月12日(水)晴れ

 午後、NHKのラジオ放送で民主党代表選挙の候補者の討論?の様子を聞きました。自民党も近く党首選挙を行うようです。日本維新の会も立党宣言とか。衆議院選挙が近づいて政党のお化粧直し、離合集散がしばらくの間話題になるのでしょう。

 僕は今日本の政治に求められる緊急で最大の課題は「原発の廃止」「エネルギー政策の転換」だと考えます。

1962年のキューバ危機のあと、学生運動の世界でも「ラッセル・アインシュタイン宣言」が注目されました。

「全体的破滅を避けるという目標は他のあらゆる目標に優位せねばならぬ」という言葉が説得力を持ち、わたしたちも朝永振一郎教授らのパグウオッシュ運動に全面的に賛同しました。

核戦争を避け、核兵器の全廃を実現することが人類的課題として浮かび上がってきたのです。米ソの冷戦が人類の滅亡につながりかねないという緊迫感が現実のものとなったからです。

福島第一原子力発電所の事故は僕にとってはキューバ危機に匹敵する、大事件です。キューバ危機はともかくも回避され、核戦争の脅威は遠のいたのですが、福一の撒き散らす放射能の危害は現実のものです。これがどんな災厄をもたらすか、今のところ誰にもわかりません。

福一と同じような核施設がこの地震列島に50余もあるというのですから、考えてみれば大変なことです。各地に蓄積されている使用済み核燃料をどう始末したらよいのか?これを考えるだけでも気がめいってしまいそうです。どう考えても始末のしようがありません。

今こそ、あらためてラッセル・アインシュタイン宣言に立ち返るべきです。

「全体的破滅を避けるという目標は他のあらゆる目標に優位せねばならぬ」

原発は核兵器と同じく人類と生きとしいけるものを破滅に追いやる可能性がある。福一の事故はそれを教えてくれました。もう一回日本のどこかで原発事故があったら「日本はおしまい」ではありませんか。

60年代には「原子力の平和利用」に表立った反対は少なく、「原子の火」の可能性に科学者も子どもも心を躍らせていたのかもしれません。しかし、チェルノブイリ、フクシマと相次ぐ事故は人類に原子力を統御する力はない、と教えてくれたのです。

それでも経団連や経済同友会の幹部たちは原発に反対する人たちを衆愚と決め付けています。あまり使いたくはないが「悪魔」とでもいうほかはありません。

さまざまな課題でさまざまな意見がありますが「原発の即時停止」という一点で力を合わせる政治勢力が国会でも多数を占めることが大切です。どの政党が、誰が、原則的な主張をしているか、しっかり見極めたいものです。

この夏を原発なしでも乗り切れたという事実はもはや否定できません。「原発の廃止」「エネルギー政策の転換」は実現可能だと考える国民が多数派になりつつあると思われます。

僕は左右を問わず、政治的リーダーたらん人は勇気を奮って脱原発の道筋を語ってほしいと思います。そういう人と政党に投票します。

 

 


山田の案山子(かかし)

2012-09-12 06:58:20 | 川越・近郊

9月11日(火)晴れ

 暑さに負けじと久しぶりに野に出てみた。小畔川の土手の上の道を御伊勢塚公園に向かう。土手の木陰で読書をしている方を見かけた。

公園ではアコーデオンに合わせて歌を歌っている人々がいた。毎日10時から13時までやっているという。顔見知りの方がいすをすすめてくれたのでよらせてもらった。アコーデオン引きの人が3人もいた。月末の「歌おう会」も続いているようだ。今日はあまり声が出ない。

 昼近くに西図書館で新聞を読んだあと付設の食堂?で昼食。コーヒー付きのうどんが500円。

帰りにお目当ての「なぐわし公園」の温浴施設に寄った。川越温泉に比べたら露天風呂が小規模だが青空を見ながら寝転がることもできる。休憩所の畳の部屋では読書中の人も見かけた。その気になれば200円で半日過ごすこともできそうだ。

 山田の田んぼでは恒例の案山子祭りが行われていた。

  

黒い雲がソラを覆ってきたので帰りをいそいだ。

あちこちで同世代の人々がそれぞれの方法で一日を過ごしていた。僕はちょっと調子に乗れない一日だった。

 

 


洗脳

2012-09-11 08:47:21 | 政治・社会

9月10日(月)はれ

 暑い、室温が35度になった。午後、勝久さんが来てくれた。賀明さんが送ってくれた鮎を美味しいと食してくれたので妻もうれしそう。

「文鮮明の死去」から「洗脳」が話題となった。僕にはあまり切実感がなかったが統一教会による「集団結婚」は洗脳による大規模な誘拐事件ではなかったのか。何も知らない日本人に「侵略」の贖罪意識を植え付け、韓国人と集団結婚させた。奴隷のように扱われても脱出できない人もいるらしい。洗脳で身も心もカネも巻き上げる。恐ろしいことである。

北朝鮮の王朝に盲従する朝鮮総連の「民族教育」の洗脳もすさまじい。「地上の楽園」にだまされて10万人近くが北朝鮮に行った。朝鮮大学生が百名も首領の還暦の貢物にもされた。収容所半島に閉じ込められたばかりか日本に残った親族はカネをまきあげられ続けている。

 「洗脳」は他人事ではない。スターリンの蛮行が明らかになった後もその弟分の毛沢東や金日成を批判できず、文化大革命を「社会主義の再生」などと心を躍らせた罪は僕にもある。文革初期に岩波映画が作った「夜明けの国」を社会科の授業で見せたことを思い出す。

「大躍進」「人民公社」の時期に何千万という中国人が餓死していた。知ったのはつい最近のことである。「社会主義」の洗脳は並大抵なものではなかった。「左翼」の大半は今も洗脳から解けず、ために人々の信頼を失ってしまった。

川越だより「恐ろしいこと」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/ef7dbcedd7e712df7f1c59f1bd693158

何らかの洗脳から完全に自由であることは誰にもできない。僕らが従事してきた「学校教育」をはじめ、マスコミ、映画、宗教団体などなどそれを仕事とする人々も少なくない。

青少年時に理想や希望を持つことは本当に大切だ。しかし、そういう人ほど洗脳の被害に会う割合が高いのも事実だろう。

どうしたら洗脳の被害を小さくできるか?

「原発安全」神話に洗脳されて壊滅的打撃を受けたいま、すべての人々がわがこととして考えてみなくてはならない。

 


常磐炭鉱を知る

2012-09-10 05:49:59 | 出会いの旅

いわき市といえば「小名浜港」と「常磐炭鉱」というイメージがありますが、僕は今回のたびで初めて少し「常磐炭鉱」について知ることになりました。僕が知ったことを箇条書きにしてみます。

●「常磐炭田」 筑豊炭田・石狩炭田などと並んで近代日本のエネルギーを支えた常磐炭田というのは茨城県(常陸)の北部から福島県(磐城)の浜どおりにかけて南北に細長く点在した炭鉱地帯のこと。石炭の質はよくなかったけれど、京浜工業地帯に近かったため日本の近代化に大きく貢献した。1960年代以降はほとんどが閉山となったが、この地方には火力・原子力発電所が作られ、高度成長期の日本経済の原動力となった。今も昔も首都圏のエネルギー供給源であったということだ。

●「常磐炭鉱」 いわき市の湯本地区や内郷地区に炭鉱を持っていた石炭会社の名前。石炭から撤退したあと「常磐興産」と社名を変え、観光産業に転換した。

●常磐炭鉱(湯本地区)の跡に作られたのが「いわき石炭・化石館」(「ほるる」)。ここに行けば常磐炭田のヤマ・ヤマのことがよく理解できるようになっている。模擬坑道は体験するに値する。実際の坑口の一部が見られる。

  ほるる●http://www.sekitankasekikan.or.jp/

●近年常磐炭田の炭鉱遺産は「近代化産業遺産」(ヘリテージ)に指定され、研究・保存が進むとともに、これらを巡るツアーも気軽にできるようになった。次のHPが役立つ。

Photo

   常磐炭田近代化産業遺産●http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kindai/page_03.html

   いわきヘリテージツーリズム協議会●http://www.i-heritage.com/heritage.html

●「炭鉱節」といえば九州の三池炭鉱だが、ここには「常磐炭鉱節」がある。そういえばあちこちの盆踊りで三橋美智也の歌声が響いていたなあ。

  三橋美智也・「常磐炭坑節」●http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=JlBx7PpJw6s

11月の移動教室では常磐炭鉱の炭住跡に建つ「いわきゆったり館」に泊まって温泉でゆったりします。二日目の午前中には近くの「ほるる」を訪ねる予定です。


PIKOA開業 風呂は200円

2012-09-09 06:25:45 | 川越・近郊

9月8日(土)晴れ

 午前中に扇風機3台の水洗いをしました。炎熱の日々フル稼働、お疲れ様というところです。

僕は冷房は苦手です。片肺になり、抗がん剤の副作用で下肢が冷えやすくなってからは迷惑至極です。

室温が36度になった日もありました。一日中、扇風機の世話になりました。日中はなるべく外に出て自転車をこいだり、森の散歩をしたり、プールで遊んだりしてやり過ごしました。

旅先のホテルでは妻に気の毒ですから室温を29度くらいに設定しますが僕は布団をかぶって早々と寝てしまいます。妻も心得ていて朝方になると窓を開けてくれます。

朝夕は涼しくなってきました。扇風機の世話になるのもあとわずかです。

 土手の散歩のときに「なぐわし公園」に行ってみました。資源化センターの余熱を利用する温水プールなどが8月に開業したとのことです。

「ぴこあ」。覚えられそうもないなあ。

温水プールなどの体育施設は僕には縁がありません。風呂があるというので見学させてもらいました。露天風呂もあるようです。休憩室もついています。これで200円ですから散歩帰りに一風呂浴びるのもよいかな。

PIKOA●http://www.ksc-mobile.info/pikoa/facilities/index.html

 

 


いわき七浜 大津波から一年半

2012-09-08 03:35:02 | 出会いの旅

いわき市の海岸60Kmに連なる浦々をいわき七浜というそうです。勿来(なこそ)・小名浜・永崎・豊間・薄磯・四倉(よつくら)・久之浜(ひさのはま)。南から北へと走ってみました。美しい海岸風景が続きます。大津波による被害は「豊間」「薄磯」が特に甚大で村そのものが壊滅した感じです。

「薄磯」 震災前に塩屋崎灯台から北側を眺めた景観です。薄磯の集落が見えます。この村が忽然として消えてしまった感じです。

ファイル:Shioya kitagawa.jpg

 廃墟の様子です。家々の礎石だけが残っています。七浜で400人以上の方が犠牲になったということです。

 

 

塩屋崎の美空ひばりの歌碑は健在で「みだれ髪」を聞くことができます。灯台への道が損傷をしたそうで登ることはできません。土産店の主人が震災の写真展をやっています。丁寧に説明してくれます。

小名浜港のアクアマリン(水族館)、らら・ミュウ(観光物産センター)は復旧・営業中です。三崎公園の潮見台は復旧工事中で11月には海の景観を楽しめるということです。四倉の道の駅も再開しました。

 

 


白水阿弥陀堂

2012-09-07 08:15:25 | 出会いの旅

9月6日(木)曇りのち雨

常磐炭鉱発祥の地のすぐ近くに白水阿弥陀堂がありました。

 

宇治平等院や金色堂を思い起こさせる雰囲気です。岩城氏に嫁いだ清衡の娘が夫の死後出家してその菩提を弔ったところとか。

炭田のど真ん中に極楽浄土が出現した感じです。

下見の旅の終わりは弥勒沢石炭資料館。渡辺さんという方が個人で作った資料館です。石炭層の露頭が 見られます。炭鉱跡をいくつか見学したことがありますが実際に炭層を見たのは初めてです。近くに常磐炭田を発見した片寄平蔵の碑があります。

矢郷 磐城神奈川炭鉱 山神坑

暑くなってきたので 阿武隈山地を縦断して棚倉に出ました。白河からの東北道は驟雨、前が見えなくなるぐらいです。


草野心平の生家

2012-09-06 04:51:40 | 出会いの旅

9月5日(水)晴れ

性源寺で常磐炭鉱朝鮮人犠牲者慰霊碑を見学したあと郊外の小川町に行く。

草野心平の記念文学館や生家がある。僕には馴染みのない人だが生活のために居酒屋「火の車」やバー「学校」をやっていたという。

文学館に居酒屋が再現されていて面白い。

生家が印象ふかい。故郷を心から誇りにおもった人で「小川の歌」は今もこのあたりの人の愛唱歌らしい。

校歌を沢山つくったが西日本の学校は少ない。高知県室戸高校と中村高校の名があった。どういう縁があったのかな。

 


ゆったり館

2012-09-05 05:59:50 | 出会いの旅

いわき市のゆったり館という宿でゆったりしています。なかなか良い施設です。洋室は車椅子で利用できるように広々としています。

http://www.yuttarikan.ecnet.jp/stay-yo-guestroom.html

65歳以上は5000円で泊まれます。一泊二食付きはもちろんのこと温泉プールなども自由に利用出来ます。

来春までの復興キャンペーンが始まったばかりで利用者も少なく、淋しいくらいです。常磐炭鉱の跡地に建つ温泉施設で近くに石炭化石館があります。巨大な恐竜に迎えられます。一日遊べます。

湯本温泉街も近くにあります。今日はこちらを歩いてみます。


東(あがり)崎

2012-09-03 07:19:41 | 出会いの旅

9月3日(月)はれ

Facebookで柴田さんの八重山紀行の写真を見ていると、2000年7月に訪ねた与那国島の東崎(あがりざき)を思い出しました。この島で映画祭があって連れて行ってもらったのですが東崎ではおすぎさんと一緒になりました。映画「老人と海」の解説者として来島されていたのです。

八重山列島 与那国島の東崎(あがりざき)の写真

東崎(上がり)崎といえば喜納昌吉ですね。02年10月、退職の年、はじめて沖縄本島を訪ねて喜納さんの歌を聞きました。

東崎●http://www.youtube.com/watch?v=2RnJw8pY_wQ

今日はこれから福島県いわき市に行きます。移動教室の下見を兼ねて震災のあとや常盤炭田の旧跡を見てきます。


『喜びも悲しみも幾歳月』  塩屋崎灯台

2012-09-02 09:12:57 | 映画  音楽 美術など

9月2日(日)晴れ

昨夜雨が降ったので涼しくてさわやかな朝です。

きいちご移動教室が「いわき」と決まったので近く下見を兼ねてこのあたりを訪ねてみようと思っています。地図を見ると波立寺のあたりに<06・4・4>とメモがあります。最初の抗がん剤治療終了後、無性に海が見たくなってつれていってもらったのです。6年ぶりです。

移動教室は11月17日です。例によってそれまでこの地域にかかわる記事を書きます。行ってみたいなあと思う方が出てくるといいのですが。

ファイル:Shioya kitagawa.jpg

(塩屋崎灯台からの眺め・震災以前)

塩屋崎灯台。「喜びも悲しみも幾歳月」という映画やその主題歌とともに思い出す灯台です。

若山彰「喜びも悲しみも幾歳月」●http://www.youtube.com/watch?v=xJjWPfmoF78&feature=related

 

「喜びも悲しみも幾歳月」       

「喜びも悲しみも幾歳月」
  作詞・作曲:木下忠司

1)俺ら岬の灯台守は
 妻と二人で 沖行く船の
 無事を祈って 灯をかざす
          灯をかざす

2)冬が来たぞと 海鳥啼けば
 北は雪国 吹雪の夜の
 沖に霧笛が 呼びかける
         呼びかける

3)離れ小島に 南の風が
 吹けば春来る 花の香便り
 遠い故里 思い出す
        思い出す

4)星を数えて 波の音きいて
 共に過ごした 幾歳月の
 よろこび 悲しみ 目に浮かぶ
            目に浮かぶ

 

僕がこの映画を見たのは高一のときですが「おいら岬」はいまや人生の応援歌のようなものです。移動教室でも妻と二人で声を張り上げることがあります。そんなときには自分もまた燈台守になっています。「沖行く船」はもちろん出会うことができた生徒たち。私たちは「二人で一人前」。無事を祈る気持ちだけは燈台守と一緒です。

映画に塩屋崎が出てくるわけではありません。この灯台の台長だった方の奥さんの手記が映画化されたという縁で記念碑がここに建っているのです。

僕は室戸岬で育ったので灯台とは縁があります。台長の息子だった子安麟吉くんとは仲良しだったので時々遊びに行っては灯台に登りました。子安くんのお父さんの前任地は伊豆大島、最終任地は観音崎。大学で再び一緒になって観音崎灯台を訪ねたのが懐かしく思い出されます。父上が案内してくれました。

僕はやがて伊豆大島の高校に就職します。岡田の乳ヶ崎灯台にも行きました。この頃から子安くんの消息が途絶えてしまいました。近年、室戸岬小学校の同窓会を開くにあたって八方手を尽くしてみましたがわかりません。

昨年の3・11で塩屋崎灯台は点灯できなくなったと聞きました。近くの集落は大打撃を受けたに違いありません。一年半がたって再生への歩みが着実なものとなっているのでしょうか。

ちなみに現在では塩屋崎といえばむしろ「美空ひばり」です。碑の前に立つと「みだれ髪」がかかります。ひばり音楽歌碑

みだれ髪●http://www.youtube.com/watch?v=9g0TT96DrPc

参考資料●http://srkanemaru.at.webry.info/200901/article_16.html

 

   

 


鎮魂と再生を願って きいちご移動教室はいわきへ

2012-09-01 10:32:09 | 中国残留日本人孤児

8月31日(金)晴一時雨

中学時代のクラスメートが資金協力してくれたので15回目の移動教室ができます。ありがたいことです。

行き先は福島県いわき市と決めています。東日本大震災の被災地を訪ねる旅です。

宿探しに取り組みました。目を付けていたところに一発で決まりました。

「いわき市健康福祉プラザ・いわきゆったり館」。旧常磐炭鉱に近い湯本温泉にあるようです。

ただいまキャンペーン中で65歳以上の方は5000円で宿泊(一泊2食)でき、温水プールなども無料で利用できるとのことです。

日程もドンぴしゃり、11月17日(土)宿泊施設は全館(定員48)を貸切にしてもらうことにしました。

 ゆったり館●http://www.yuttarikan.ecnet.jp/

こんなに見事に決められるとは、夏休みの宿題が一気に終わったような感じです。

岩手・宮城と福島原発に隠れて知られにくくなっていますが、いわき市だけでも400人を上回るかたがたが東日本大震災の犠牲になっています。小名浜港だけではなく美空ひばりの歌碑で知られた塩屋崎周辺の集落の被害も大きかったようです。

テーマは「鎮魂と再生を願って」でどうだろうか。

近く下見を兼ねてこのあたりを訪ねて移動教室の内容を考えます。どなたか、ここを観ておいてね、などということを教えてください。

中国残留日本人孤児とその家族、脱北家族などが中心のたびです。(もちろん、趣旨に賛同する方ならどなたでも参加できますよ)

いわきといえば「常磐炭鉱」。こちらにかかわる勉強もできるかな。

 午後、久しぶりに雨が降り、夕方の土手の散歩は気持ちよかったなあ。満月を眺めながら家路につきました。