昨夕(14日・金)は久しぶりに首相官邸前の道路に立って「人事案撤回!」「原発反対!」の声を挙げました。長くは立っていられないので途中からは警察官の「お願い」を無視して、対岸の衆院南通用門脇に座って時々、声をあげました。同輩が一人居られました。
福島・沖縄から来た女性のほか、社共党首などのアッピールが間に入るほかはシュプレッヒコールが続くだけです。体力等を考えて7時半ごろに永田町駅から帰路に着きました。
空しいといえば空しい行動かも知れません。
政府はまさにこの日、大間原発の建設再開など「新方針」を決めたというのです。
枝野経済産業相は15日、青森県の三村申吾知事や原子力施設のある市町村の首長らと青森市で会談し、東日本大震災後に工事を中断した電源開発大間(おおま)原子力発電所(青森県大間町)と中国電力島根原発3号機(松江市)の建設再開・稼働を事実上、容認する考えを伝えた。
両原発の建設が再開されれば、震災後初めての原発建設となる。
政府は14日に決めた「革新的エネルギー・環境戦略」に、2030年代に原発の稼働をゼロにする目標を明記した。運転期間を40年とする政府の原則に従えば、建設を再開した原発は50年代まで稼働できることになり、新たなエネルギー戦略の矛盾を早くも露呈する形となった。
枝野氏は会談で「原子炉の設置と工事計画許可が与えられている原発について、経産省の立場として変更は考えていない」と述べ、19日に発足する原子力規制委員会が安全を確認すれば、建設再開・稼働を認める方針を示した。
建設中の原発は、大間、島根3号機のほか、東京電力東通(ひがしどおり)原発1号機(青森県東通村)がある。ただ、東通1号機について、枝野氏は「東電が原子力について議論できる段階ではまだない」と述べており、建設再開の対象にはならないとみられる。
民主党政権のいう「決断の政治」?とはこういうものなのです。響き渡る「再稼動反対!」の声をはっきりと無視する「決断」をしたつもりなのでしょう。官邸からは黒塗りの乗用車が時々急発進して国会正門方面に消えていくのが見えました。
さてどういうことになるのか?どうしたらいいのか?
僕には何の名案も思い浮かばないけれど、政府の決定どおりにことが進むとも思えません。
福島第一の事故がもたらした災厄は青森や島根の人々にもいかに生きたらよいかを深いところで問いかけているはずです。あいも変わらず「原発推進」で地域振興の旗を振る首長たちの政治生命が永続するとは思えません。
僕が一番不安なのは若い人たちがどう考えているのかがわからないことです。日ごろほとんど付き合う機会がなくなったので話を聞くことも議論をすることもありません。
出会いのあった人々が積極的に意見を表明することを期待します。
昨夕、帰りに隣に座っておられた方から「福島原発告訴団・関東」の資料をもらいました。
電車の中で読ましてもらって、告訴・告発団の一員に加えてもらおうかと考え始めました。
危険なことを知りながら、原発を許してしまった自己をせめて心身症になりかけている方もいます。僕はいい加減なところがあるのでそんなことはありませんが、許してしまった責任は自覚しています。自分にできることを見つけてやっていきたいと思っています。
東電をはじめとする原発利権集団(原子力むら)の悪あがきに止めを刺してやろうじゃないか。気分だけは負けてはいません。