【11月1日 SMBC日本シリーズ2023第4戦】
球史に残る超激戦を制したのは
大山の一振り!
ドラマティック!
すげえ試合だった。
ことしの阪神は違う。
ことしの日本シリーズは熱い。
こういう名勝負がタイムリー
に観られるのは、ラッキーだ。
勝利ポイントは2対2。
次回勝利者が日本一に王手だ。
どうせなら3対3での決戦勝負
という、かつての1976年の
阪急巨人戦の歴史的名勝負の
ような激闘を見せてほしい。
それだと、フルゲームであと
3戦も白熱勝負が観られるし(笑
いやあ、ことしの日本シリーズ
は最高です。
ネトウヨのネトカスは人の着て
いる物、食べる物、使っている
物をあげつらって揶揄誹謗中傷
する。執拗に粘着して。
高度な知見を対向させて来る事
もない。それはできないから、
すべて表層のみ。
中身無しのペラペラのカスであ
るからそれしかできないのだが、
そもそもの質性がクズだし、刑
事犯罪者だ。己の行為が刑事民
事とも犯罪を構成している事の
自覚は無い。
今回はオイル交換について執拗
に粘着攻撃しているらしい。
俺が使っているオイルはこれだ
よ(笑
これはバカ過ぎて助からない。
無知蒙昧と知的レベルの極限
的低さが本質的な「不敬」を
構成する。
それがネトウヨだ。
ネトウヨとはいうが、右翼で
も国粋主義者でも愛国者でも
ない。
全くの別物。
ただのバカ。本馬鹿。
オイル交換した。
試走してみた。
フリクションセンシング、
シフトタッチ、レスポンス
シフトタッチ、レスポンス
フィール、走行テイストは、
今回のこのオイルのほうが
私はしっくり来る。
以前使っていたものに戻した
のだが、やはりこれだな。
今回、4ℓ缶で適量を使用。
今回、4ℓ缶で適量を使用。
バンドはバンマスでもつ。
カフェもカフェマスでもつ。
喫茶店には、味のあるオヤジ
=マスターがいてこそ行く。
よく昼飯食べるいきつけの
近所のカフェのマスターが、
話してるとどうもすんなり
とストンと来ていた。
とストンと来ていた。
なんだべ?なんて思ってた。
すると、東京23区生まれの
石神井育ちだってさ。
親父さんが広島県三原から
東京に進学で出て、東京で
結婚してずっと暮らしてた
らしい。
なのでマスターは生まれ育ち
が東京特別区。おいらとおん
なし境遇。
どうりで、なぁ〜んか話して
ても感覚が妙にすんなり来る
と思ってたよ。全く三原人
ぽくない。
ぽくない。
珍しいタイプもいるもんだ、
とか思っていたが、なんのこ
たぁねえ、同郷人じゃねぇ
か(笑
か(笑
二人で笑った。
日本各地、地域性ってあるよ。
人的質性を形作るような。
「日本全国どこでも同じ」て
のは、「日本全国どこでも
土地柄と地域的人柄はある」
という点で「どこでも同じ」
なんだよ。どこでも同じ企画
品のような土地柄や人性ての
は無い。
食材も産地変われば味変わる。
これは人においても。
「お国柄」てやつだね。
どこでも同じで一緒だったら、
人は旅なんざしねえだろさ。
これは違うんじゃないかなあ。
このゆとり世代の体験者こそ
視野狭窄の自己中を押し通し
ているだけの固着思考だ。
世の中には不動の常識もある。
たとえば、式典の時にジーンズ
履いていくのか?賞典や冠婚葬
祭の時に。
裁判所や官公庁や国会議事に
関する勤務でジーンズでもい
いと?
新年祝賀会でもジーンズでいい
と?
被服というのは時と場所による
のではないのかな?
自分の基準が全てであり、それ
を否定されたら「時代遅れ」と
か「柔軟さが無い」とか言って
ごねてる自分のほうがやはり
非常識な柔軟さの無い思考停止
なのではないかな。
まあ、ゆとり君たちには一生
理解不能だろうが。
この体験者談に非常に違和感
を感じたのは、TPOとか一切
勘案せず、自分が着たい物を
否定された=自分のやりたい
事を批判された事に対しての
反発がメインになっているの
が強く見えるからだ。
典型的なゆとり脳思考。
この手が中年となり、今日本
の各部門の中心になって来て
いる。
日本の産業衰退、国力減退の
根本的な原因は、主体の質の
著しい劣化に起因している。
園児がそのまま歳だけ中年に
なったようなのが圧倒的大多
数となったからだ。
どうでもいいが、職場の掃除
くらいしろよ。自主的に毎日。
毎朝出入り口を掃き清めるの
が日課の良い職場なんだから。
何だよ「させられる」てのは。
これだから、ゆとりはよお〜。
救いようがないね。
日本シリーズ第3戦。甲子園。
阪神4-オリックス5。
オリックスブァファローズ
が2勝1敗とした。
実に白熱の好試合だった。
日本一の頂上決戦らしい。
プロの技の凌ぎ合い。
こういうのがいいね、プロ
スポーツは。
11月。
オートバイ乗りたちはオーバー
パンツ、ウォームパンツの季節
だ。
レザーというのは防風性、耐
レザーというのは防風性、耐
衝撃性、耐擦過性が強いのだ
が、保温性は全く無いので、
革を着たからと暖かくはない。
レザージャケットが中綿入り
だったりインナーがあるのは
その為だ。空気が逃げないの
で革は暖かいのだが、革だけ
では温まらない。
被服は、服と体の間の空気を
体温で温めてそれを外に逃が
さないのが保温のキモ。
なのでピッタリピチピチは
保温性が著しく低くなる。
革ジャンなどの原初のフライ
トジャケットがゆったり系で
袖元と裾がピシッとしまって
いるのは中に空気を確保して
それを逃がさない設計にな
っているからだ。
それゆえ、街着の単なる見か
け上のファッションで着る革
ジャンではなく、実用性重視
の革ジャンはゆったり目の
サイズを選ぶのが大昔から
のセオリーなのだ。
ピッタリピチピチの革ジャン
で冬場はロードを走れない。
保温空気が少なすぎるから
凍りつきそうになる。
凍りつきそうになる。
これは試しにオーバーベスト
の前ボタンを全部閉めたりす
ると、締め付けられて革ジャン
の中の空気が抜けるので、そ
れで冬季走行すれば現象が分
かる。凍えきる中を走っては
いられない。
だが、綿入りのゆったり目の
革ジャンならば、胸も懐も
脇も腕も背中もかなり暖か
いというのは現実現象とし
て存在する。
脇も腕も背中もかなり暖か
いというのは現実現象とし
て存在する。
これは、物理的な事なので、
否定しようがない。
冬場のライディングウエアの
下は、専用設計のウォームパ
ンツやオーバーパンツがいい。
実際に着用して走行すると、
厳冬期でも全く寒さを感じな
い。
オートバイ用のオーバーパンツ
は動きを想定してして設計さ
れているので、釣り用よりも
機能性に富んでいる。
こういうパンツは冬季二輪用
に転用しても充分いける。
ウインタースポーツウエアが
もっこり系なのは空気を溜め
て逃がさないため。
ただし、二輪用にロードで使
うと、排ガスで汚れまくる。
私のスノボパンツがそう(笑
蕨(わらび)といえば柳剛流。
幕末に岡田惣右衛門が開いた。
スネ斬りを特徴とする。
現在の埼玉県蕨市、戸田市、
新座市周辺で隆盛をみた。
武州は剣術の盛んな土地で、
幕末には実に多くの流派が
発生している。
この歳だしさぁ、還暦過ぎて
長距離乗るのはなぁ、なんて
事を東京の友は言う。
確かにそれはあるかもね、な
んて思ってたら、横の男はマ
イク持ったらけいおんを踊り
ながら歌ってましたよ、と。
で、フツーに1日何百キロも
走るし。それを8日間ぶっ通
しとかで(笑
言葉の上辺を信じちゃいけな
いよ。クワバラクワバラ。
まあ、俺らのような高齢者で
あっても、二輪で走る訳です。
ズンドコベロンチョと。
軽やかに快速で。
どこまでも。
学生時代。1982年8月。
園児以前の幼児時代の帽子に
始まり、ずっと帽子は被って
来た。
上の画像は大学の時に峠で撮
影(撮影したカタナ乗りはバイ
クで死んだ)したが、まだ当時
はキャップを被る人は今よ
りはずっと少なかった。
キャップといえばアポロと
いう時代(笑
りはずっと少なかった。
キャップといえばアポロと
いう時代(笑
オートバイ乗りでは、コース
を走るレーシングライダーか
峠を走る走り屋くらいしか
キャップは被らなかった。
あとはゴルファーとアングラー。
それと野球選手。
今はベースボールタイプの
キャップがやたらめったら
増えた。
若い女の子から老人の男ま
で多くがキャップを被って
いる。二輪とか関係なく。
ライダーがヘルメットを脱い
だ時に着帽するのには意味が
あった。ファッションではな
い。
だ時に着帽するのには意味が
あった。ファッションではな
い。
それは、防寒防暑であり、安
全帽の意味もあった。
全帽の意味もあった。
そして、何よりも、髪の毛を
雨で濡らさない為というのが
一番の着帽の目的だった。
ヘルメットを着用した時に、
髪が濡れているとシールドが
曇るからだ。
あと、レーシングライダーは
スポンサーの広告代わりにも
帽子を被った。
今、まことしやかにライダー
がキャップを被るのは、乱れ
た髪型をフォローする為とか
ネットや雑誌で言われている
が、そうした文化は歴史的に
は日本には無い。それを言う
のは取ってつけた後付けの
創作理由だ。根付いた文化と
しては存在しない。
本質的には実用性からライダー
はキャップを被った。だが、
それは80年代末期になって
ようやく一般的に普及しは
じめた。
今は猫も杓子も帽子といえば
キャップだ。バイク関係なく。
そして、着帽・脱帽の礼儀作
法に無知だから、挨拶でも
着帽していたり、室内で着帽
のまま食事したりしている
キャップ人間がわんさかい
る。極めて見苦しく不作法
だ。ゴルフ場のクラブハウス
などでは許されない。退去
措置になる。室内や挨拶時に
は男性は脱帽。それが社会人
の礼儀作法だからだ。
今はキャップ被ったままビリ
ヤードを教えようとする礼儀
を弁えない無礼者までいる
時代だ。
芸人たちはほぼ食事中も
着帽したままだったりす
る。「うちのお父さんは」
とか他人に言う種族。
芸人たちはほぼ食事中も
着帽したままだったりす
る。「うちのお父さんは」
とか他人に言う種族。
そうした普及の歴史性を示す
ものとして、先日母が面白い
事を言った。
私が数多く持っているキャップ
(キャップのみで50着ほど)を
見て、「なんでそんなに子ども
みたいな帽子を多く持っている
のか」というような事を言った。
街中で野球帽を被っているのは
少年たちのみ、という半世紀前
からの文化の記憶がベースに
あるからだろう。
私は昔から帽子被りだった。
それは幼稚園入園前のベレー
に始まり、小学生時代には学校
指定帽以外にもキャップファン
だった。昔はキャップを被る
のは野球選手か子どもだけ。
今は誰でもキャップを被る。
それは幼稚園入園前のベレー
に始まり、小学生時代には学校
指定帽以外にもキャップファン
だった。昔はキャップを被る
のは野球選手か子どもだけ。
今は誰でもキャップを被る。
これは、もう大正末期〜昭和
初期に日本の都会の勤め人
は全員カンカン帽を被って
いた程に今は日本人の多く
がキャップを被っている。
は全員カンカン帽を被って
いた程に今は日本人の多く
がキャップを被っている。
だが、ほんの10数年程前まで
は、キャップを被るのは実
用性から被る人たちが殆ど
で(ほぼ何かのプレーヤー)、
ファッションアイテムとし
てはキャップは今ひとつ広
まってはいなかったのが
歴史的事実だった。
用性から被る人たちが殆ど
で(ほぼ何かのプレーヤー)、
ファッションアイテムとし
てはキャップは今ひとつ広
まってはいなかったのが
歴史的事実だった。
あまりにキャップがブームに
なると、皆と同じは嫌だな、
という感覚が芽生えるが、
かといって、得意のベレーを
二輪の時にかぶるのもまどろっ
こしい。
うちのクラブではバイク下り
たらベレーというメンバーが
何人かいるが、私はバイクで
はベレーはかぶっていない。
うちのクラブではバイク下り
たらベレーというメンバーが
何人かいるが、私はバイクで
はベレーはかぶっていない。
あるキーワードでネット検索
すると、私が出てくる。
それでも、キャップの便利さよ。
米軍はある高官が苦労してやっ
と英軍を真似て全軍にベレーを
採用したが、アメリカ兵はあま
り難しい事は苦手で、コツが要
るベレー帽という物をいくら
軍が教育してもまともにかぶれ
ない。(これホント)
るベレー帽という物をいくら
軍が教育してもまともにかぶれ
ない。(これホント)
なので、ベレーを全廃してし
まった。今、米兵でベレーを
かぶっているのは、特殊部隊
のエリートたちだけだ。
米軍はなんの工夫も要らずに
スポンと被れるキャップ型の
帽子を制式帽に変更したのだ。
それに倣い、日本の陸上自衛
隊もグリーンベレーを全廃し
た。
そして、米軍が放棄したブラ
ックベレーを全陸自制式略帽
と変更した。
まあ、キャップは実用性高い
ので私は今も被りますけどね。
被り易いからとかの理由では
なく。
右端はMC8C綿貫マイク。
クラブキャップ。制式帽。
街中での芸能人ですよ系の
帽子の被り方(笑
1970年代~80年代、こんな
着帽方法での街中歩きは新
左翼過激派セクトのメンバー
か芸能人しかいなかった(笑