この鱒焼き丸太ストーブを作る
のもかなり遣り手だが、それよ
りも驚き。
鱒を素手で捕まえるぅ?
これは凄い事。
できそうで?なかなかできない。
というか、普通まずできない。
ナイフがかっちょいい。
自作ナイフだろう。
この鱒焼き丸太ストーブを作る
のもかなり遣り手だが、それよ
りも驚き。
鱒を素手で捕まえるぅ?
これは凄い事。
できそうで?なかなかできない。
というか、普通まずできない。
ナイフがかっちょいい。
自作ナイフだろう。
バイク女子カーブ曲がり切れずに大破
ケガは少なそうだがバイクは
廃車コースのように思える。
旧車のゼファーかZあたりか。
例によって後ろブレーキ踏ん
でますね。後輪がブリブリと
左右にスリップしてる。
死ななかったのがほんとに幸
いで、単なる偶然のラッキー
でしかない。
バイクは廃車となっても次を
買えるが、自分の命や他人の
命を消滅させたら取り戻せな
い。
これも後輪ブレーキ踏みすぎで
曲がれずにリアが暴れてガード
レール直撃、谷底へ転落だ。
今の時代この後輪ブレーキ踏み
での転倒パターンが非常に多い。
嘘を嘘と見抜けないから身を
滅ぼす結果を自分で呼び込んで
いる。
動画サイトには非常に多くの
二輪の単独転倒動画がアップ
されている。
それらの転倒者は、自分で
転倒する方法を選んだ人たち
だ。
認識改善がない限り、今後も
同様の転倒を繰り返す。
これは間違いなく。
そして、いつかそのうち死んで
しまう。
今でこそオートバイ用の防寒
インナーパンツの品ぞろえが
多いが、昔はそんな気の利い
た物は存在しなかった。
何を真冬に履いたかというと
モモヒキだ。じいさまたち御
用達のやつ。白やラクダ色が
多かった。カトちゃんがドリ
フで履いていたようなやつ。
あと「わしじゃ」の木の葉
のこちゃんとか。
1977年の冬、レーシング
チームの人たちと食事会の
後に連れだって新宿のサウ
ナに行った。
俺とS特進のクラスメート
の奴(後年全日本でポイン
トを重ね国際A級となって
マン島を走った)は真冬だ
ったので下にモモヒキを履
いていた。
するとそれを見たヨシモト
の三原嗣厚さんに、
「おまえら、なんだそれ。
高校生とは思えねえな。
じじいかよ」と言われた(笑
うちらの周囲ではふつ~に
アンダーウエアを履いてい
た。ちょい前の世代の人たち
のほうがむしろ我慢のハード
ボイルド路線だったようだ(笑
そして、1976年のオリンピッ
クで史上初の10点満点を取っ
たコマネチから取って、白い
モモヒキの事を「コマネチ」
とうちらの高校生仲間たちは
呼んでいた。
「寒い?あれ?コマネチ履い
てねえの?」
「きょうは履いてねえんだ」
という会話が同級生たちの
間で交わされていた。バイク
乗るとき限定で。
なお、ビートたけしが漫才で
コマネチとやったのは1980年
のオリンピック直後だが、
あの三角形を作って両手で
上に上げるギャグは東京都内
の一部男子高校生の間では既
に1977年時点では存在した。
なので、たけしは完全にパク
りだと断定できる。
どこかで見知ったのだろう。
綿布のモモヒキ自体は江戸期
からあり、料理人や岡っ引き
や百姓たちが常用していたが、
武士は絶対に履かなかった。
なので、現代で真剣を用いる
武道において、寒いからと
袴の下にモモヒキを履いて
いる人たちがたまにいるが、
それはかなりみっともない。
しかも、抜刀業によっては
それが袴の裾から見えたり
する。
それは全く以て武士らしく
なく、無様な事この上ない。
袴の下は素であるべきだ。
本来ならば洋式パンツでは
なく褌、下帯が正しいが、
それまでは無しとしても、
モモヒキは果てしなくいた
だけない。
なお白足袋なども最幕末まで
武士は履かなかった。裸足で
ある。
足袋着用は老人か病人のみが
許可を得て履くイレギュラー
物であり(総髪の許可と同じ
扱い)、武家様式だからと
白足袋を着用する現代の武道
界の風潮は時代劇の誤った影
響を受け過ぎている。
武士は裸足である。老人と
病人と旅支度以外では。
戦場では革足袋を着用した。
これは軍用ブーツの代わりだ。
白足袋はしかも「役者足袋」
と呼ばれて、江戸期の武士に
は忌避されていた。
このあたり、よく歴史考証を
しないと、武士だから白足袋
という誤った認識のまま現代
武道を行おうとしてしまう事
になりかねない。
それらは識者からすると中途
半端な珍妙な事をしていると
映るものになってしまう。
袴の下にモモヒキなどは論外。
なお、江戸期には着装の自由
などは存在しない。
武士以外では袴の常用は厳禁
だった。町人でも冠婚葬祭の
特殊な時のみ袴の着用が許可
されたが、武士のようなマチ
のある馬乗り袴ではなく、
行燈袴であった。
武士の象徴は刀の二刀差しで
はなく、袴こそが武士の象徴
だった。子どもにしても武家
の子息以外は袴は履けない。
道で町人が武士に敬意を払う
礼を為すのは、刀よりも袴を
見てからだった。袴=武士で
あったから。
それゆえ、着流しなどは自堕
落で武士として違反行為だっ
た。今でいうとステテコの
まま上だけスーツ着ている
ようなもの。
町同心のみが「着流御免」と
して袴の着用の省略が特例と
して許された。
旗本奴の水野十郎左衛門が
切腹を仰せつかったのは、
町での無頼の所業が咎めら
れた事よりも、詮議の為に
江戸城出頭の際に袴を履かず
に着流しのままで出向いた
からだ。幕臣たる武士として
不届き至極とし即切腹の沙汰
となった。
江戸期は袴こそが武士の着装
の象徴だったのである。
バイクに乗るときに綿製の
モモヒキは支障があった。
それは厚手のために動きが
非常に悪くなるからだ。
私の周囲はそこでその後は
どうしたか。
女性用の大きめのパンティ
ストッキングを履いた。
特に革パンツや革製ツナギ
の下に。
後に擦過の際に火傷の原因に
なるのでインナーパンツの可
燃ナイロン製は競技では禁止
されたが、それ以前の期間に
おいては私たちはパンストを
革ツナギの下に履いていた。
着替えの時には「なんか変態
みたいだな(笑」とか言い合
いながら野郎どもがインナー
としてパンストを履いていた。
バイクブームが盛り上がって
以降だ。
二輪専用に開発された防寒
インナーレギンスパンツ等
が開発されたのは。
それまではライダーたちは
各々でいろいろ工夫していた。
白バイ隊員たちも各人で防寒
対策を練っていたようで、当
時の1970代にはやはりコマ
ネチ愛用のようだった(笑
これは白バイ隊員から直接
聞いた。
現代ではヒートテックのアン
ダーウエアが薄手で滑りも
良く、非常に優れている。
劇画『新ワイルド7』では、メン
バーのクロスは第一シリーズの
八百と重なる部分もあるキャラ
だ。色男の悪徳刑事くずれ。
だが、オートバイの運転技術は
八百よりはかなり落ちるようだ。
ヘリから敵の要塞にバイクで
空中降下した飛葉とクロス。
要塞の高所通路を疾走して
敵を蹴散らして人質救出に向か
う。
だが、クロスはフロントブレーキ
の一気握りとリアブレーキの一気
踏みを同時に強く行なってしまい、
滑って転倒転落してしまう。
旧ワイルド7は全員が飛葉なみの
人並外れた二輪操縦能力を持って
いた。それは、入隊直後に徹底的
に訓練された事により更に磨きを
かけていた。
だが、『新~』では、バイクでの
疾走シーンは第一作に比べると
やたらめったら少ない。飛葉さえ
も。
他のメンバーに至ってはほとんど
二輪走行シーンが無いような物語
の展開だ。
そして、実際のところ、飛葉以外
はバイクの運転は死んだ旧ワイル
ドメンバーには遥かに及ばない。
170km/hあたりの(コースなら)
中速域の速度でも、フロント
ブレーキとリアブレーキを一気
に強くかけたらロック→滑り
転倒するのは必至だ。
まして、通常速度の制限速度や
法定速度以内の速度でブレーキ
を一気に強くかけたら更にロック
転倒の発生度は高まる。
かといって、ブレーキはフルブ
レーキの必要性もあるので、
思い切り圧をかける場合もある。
その際には一気にはかけない。
どんなに短時間で制動を利かす
時であっても、じわりとかけて
どんどんプログレッシブに圧力
を増すのだ。短時間で。
一気にガツンとやると現代の
ディスクブレーキではまず確
実にロックしてしまう。
結果スリップ。スライドでも
ドリフトでもない。スリップ。
時にはジャックナイフにまで
なってしまい、制御できずに
転倒するケースもある。下手
ならば横滑りで車両や人や壁
にドガシャンだ。
(急制動で停止できたまでは
よいが、自車両がジャック
ナイフしてしまい峠で巴投げ
で転倒した例。かなり巧い人
でもこのように前走車の動き
を予測して読まない為に事故
を起こすケースもある)
免許取り立てで慣れない大型
二輪に乗ってるからとかでは
ない。二輪の運転そのものが
できない人の多くが公道を走
っているのだ。操作と走行状
況の読みの甘い人たちが。
免許証取得は免許皆伝のよう
な到達点ではなく、出発点で
あるのに、何の努力工夫も精
進もしない。
まるで、結婚はゴールでは
なくスタートなのにゴールか
と勘違いして離婚危機を迎え
るようなものだ。
スタート地点と到達点のゴール
を見誤ると大きな道外れの不幸
しか待っていない。
そこが分かっていない若者や
年寄りが現代は多すぎる。
21世紀の現代。
このロック転びが非常に多い。
要するに、端的に言えば、「バ
イクの運転がまともにできない
人」がやたらと増えすぎたのだ。
それゆえ、段発的に制動を解除
する危険なABS装置などが二輪
に装着されるようになり、それ
は安全確保という誤認から行政
指導で新車には装着必須とされ
るようになってしまった。
ロック寸前の体感を得ての人間
による操縦というものができな
い人間だらけになったからだ。
現代の20代の若者は、信じがた
いだろうが、手先の細かい運動
が全くできない。グーパーしか
できないのだ。
なので、日本刀の操刀などは
一切できない。ただ丸棒を握っ
て腕で振るだけ。これは日本全
国どこでもそうだ。
それゆえ「手の内」などは全く
使えない。当然試斬でもまるで
おぼつかない。連盟段位などは
関係ない。「出来ない」のだ。
最近の若い人がやたらと二輪
事故を起こすのは、それは昔
のように無謀な運転とかから
ではなく、そうした人間的な
身体運動能力の極限低下によ
るものではなかろうか。
そして、中高年以降の初心者
たちは、乗れもしないのに大
型二輪に乗りたがり、案の定
制御不能で転びまくっている。
ちなみに、現代若者は走れな
い。
二輪ではなく、陸上競技のよ
うに生身で。
走れるのはごく一部の専門の
選手のみだ。
これは中学生の50m走、100m
走の平均タイムの年度ごとの
40年ほどの変化を見ると即分
かる。
とんでもなく現代若者たちは
鈍足なのだ。極端に言うと、
今の男子は昔の女子程の走力
しか持っていない。
運動音痴勢ぞろいというのが
残念ながら現代の日本人若年
層の現状だ。
家に引きこもってゲームばかり
しているのが当たり前の世代
だからだろう。
昔は運動できない人には勉強
ができる人が多かったが、
今は勉強さえせずにゲームし
かやらないので、頭の発達も
おぼつかない。ゆえに行く末
は勉強もできない、運動も
できないで他人を陰で隠れて
誹謗中傷するのが大好きな
ネトウヨなどに転落して行く。
頭がよくないから、社会規範
意識も著しく乏しく(=社会
性の欠如)、他人を蔑んだり
攻撃したりする事を平気でや
る。
かつては存在しなかった「い
じめ」が登場したあたりとゲ
ーム普及世代はピタリと一致
し、それはネット普及時代に
なってさらに増殖群生した。
さしあたり、全体的な運動身体
能力の世代層的低下は著し過ぎ
て目を覆うのが現状であるが、
確かな事として、「バイクに
乗る人間の技量が著しく低い」
という現実現象が現代には存在
している。
それが証拠にはあちこちで二輪
運転者が転びまくっている。
考えられない。
「運転できない人」だらけなの
だ。
さらに考えられない社会現象と
して、「立ちゴケなどは誰でも
当たり前」とする風潮まである
事だ。
そのうち死にますよ。
「転倒による事故死は誰でも
通る当たり前の事」とでも言い
出すのだろうか。
クロスはたまたま城壁のツルに
絡まって助かった。
敵を蹴散らして人質を救出した
後に敵に包囲された飛葉を中吊
り状態から射撃で助けた。
だが、この部分は漫画だからだ。
現実に転倒したらただでは済ま
ない。それは立ちゴケでさえも
だ。状況によっては公道では轢
死になるだろう。
立ちゴケは、ホームに入ってく
る電車に飛び込むのと同じで
ある、と考えたほうがよい。
まず、悪しき風潮には自分は
与しない、というように己の
考え方を改める事をしないと
始まらない。
技術論などはそのあとの事だ。