【注意喚起】バイク乗りが必ず
後悔するヤバすぎる真実を知っ
ていますか?【ゆっくり解説】
はっきりとした歴史的事実を
言おう。
排気量マウントをやるバカが
登場したのは、1996年以降。
つまり免許制度がアメリカの
圧力により改変されて、それ
までの自動二輪枠を小型二輪、
普通自動二輪、大型自動二輪
とに分けて、大型二輪でさえ
も教習所で簡単に取得できる
ように日本の制度が変わって
以降の事だ。
それまで超絶難しい限定解除
さえ取れなった連中が大挙し
て大喜びで大型二輪なる免許
を取得した。
そして、金に任せてハーレー
(猫も杓子もハーレー)に乗
り、また750cc縛りが解禁され
た国産ビッグバイクに乗り始め
た。ろくにまともに運転さえ
できないのに。
それから「排気量マウント」や
「免許枠マウント」が登場した。
正直言うと、新免許制度のあと
からやって来たニワカのド素人
たちが免許枠マウントや排気量
マウントをやっている。
限定解除時代の限定解除者で
そのようなたわけた事をやる
人間は見た事が無い。
理由は明白だ。
限定解除時代の自動二輪中型
限定枠で乗れる二輪車はそこら
の大型車などでも追いつかない
程の超高速高性能マシン揃いだ
ったからだ。
そして、また、それを乗りこ
なす走行者たちはゴマンと掃
いて捨てる程いた。
限定解除者にしても、自動二
輪免許枠の中型限定解除の達
成感はあっても優越感で快速
400や350や250を侮ったり見
下したりする行為は皆無だった。
それは、二輪は排気量に関係
なく、そのクラスで最高性能
を持っているマシンとそれを
十二分に引き出せる腕を持つ
運転者こそが実力として優位
にある、という極めて健全な
真実が真実として正しく認知
されていた時代だったからだ。
なので、日本人で世界史上初
マン島TT(世界GP枠)を制した
スズキの伊藤光夫選手の事を
「なんだ、たかが50ccじゃな
いか」などと見下したりコケ
にする本馬鹿のたわけは本物
の二輪乗りにはいなかった。
今の時代のように簡単お手軽
免許を取って小金持ちが大型
乗ってトロくせえ走りをして
いるようなのは蛇蝎のように
嫌われた時代が1980年代から
1990年代前半だったのだ。
新参のニワカたちに限って
排気量マウントや免許種別
マウントを取って優越感に
浸っている。
くっそダサい。
超絶どんくせえ走りしかでき
ないくせに。
そもそも、楽勝コースで楽に
免許取って金にかまけて二輪
買っただけなのに他人を見下
すという発想自体、そいつの
存在自体がくそダセえ。
旧限定解除者や現行大型免許
持ちでも250や400で鋭い隙の
無い走りでワインディングや
ロングディスタンスを走って
いる「できる」連中を私は何
人も知っている。
大型免許を持っていて大型
二輪に載りながら、全くおぼ
つかないトロくさい走りをし
ている連中が大量発生してい
るだけで既にくっそダセえが、
さらにマウントを取ってたり
したらもっとダサすぎて話に
ならない。人間のクズを自分
で極めようとしている。
なぜダセえかというと、理由
は「走り」とは無縁の外皮を
あげつらってマウントを取る
からだ。つまりバカ。
たぶん、新設免許以降の人間
でも走りが鋭い連中は、マウ
ントなどは一切取らないので
はなかろうか。
できる連中は価値観が別な所
(≒健全な本来の二輪と人間
の在り方)にあるから。
くしゃくしゃのシャツとジー
ンズ、裸足にサンダル履きで
オーディションに臨んでうた
い上げて音楽関係者の心を
射貫いた16才の尾崎豊のダサ
さと対極にある生き様などは、
そのくそダサバイククズたち
には到底理解できないだろう。
ダサい奴に限って、自分のダサ
さに気づかない。
それは、そいつが既ににその時
点で物事が見えないくそダサ
駄目人間であるからだ。駄物
の目。目の出ない目。
23年前用語で「逝ってよし」と
いうやつね。
バカほど、人の食ってる物や着
てる物等々をいちいちネチネチ
あげつらって見下してバカにし
たつもりになってる。
本物のバカはお前だっつーの。
正真馬鹿すね。
ま、5ちゃんねらーのような奴ら。
バイク載りにはバカねらが多い。
特に田舎の地方に大量発生。
これはイナカモン特有ね。
おばはんたちが井戸端会議で
どこの誰々はどうだとかいう
話が大好きなのはカッペに多
い、というのと重なる現象。
なお、399ccだろうが、マシン
の能力を引き出してやってきち
んと乗れば750や1200の車につ
いて行けるし、瞬間的に詰めた
り突き放す事もできる。
二輪は乗り方次第だ。
謎の円盤UFO HD日本語版エピソード1
1970年のイギリスTVドラマ。
日本でも放送され、高視聴率
番組だった。
1980年という10年後を描い
た近未来SFだった。
日本語吹き替えにはOPナレー
ションで地球防衛組織シャド
ーとその兵器が紹介される。
本国英国バージョンではタ
イプ打ちの文字のみ。
日本国内でも大人気だった
ドラマだ。
UFO迎撃のためのシャドーの
月面基地からのインターセプ
タ―の出撃シーンのBGMは、
サンダーバードと同じ音楽が
使われている。同じスタジオ
製作だからだ。
この1970年頃はまだ日本語
でもUFOの事をきちんと原
語で「ユーエフオー」と呼
んでいた。
ところが数年後に日本の歌手
ピンクレディーの登場により
「UFO」の事を「ユーフォ―」
と呼ぶようになってからユー
フォ―呼びが一般化してしま
った。
英米でもたまに略してユーフォ
―と呼ぶ事はあった。ストレイ
カー司令官も英語原語ではユー
フォ―と話すシーンもあったが、
ユーエフオーが正式呼称だった。
UFOは今でも海外ではユーエフ
オー読みが正式だ。
ユッフォとか言うのは日本だけ(笑
このピンクレディーの衣装は
1970年TV番組「謎の円盤UFO」
の模倣。
月面基地ムーンベースの女性
隊員のユニフォームをベース
としている。
【海外の反応】「は?え?
中国語じゃないの!?」
中国語だと思っていた漢字が
日本語だと中国人が知った結果
中国の事を「シナ、シナ」と連
呼して大日本帝国時代の呼称を
優越意識で放言していて問い質
されて逆切れしたり、在日アジ
ア人の事を「三国人」と発言し
て見下すように排外主義的にみ
なす事を憚らなかった徹底した
似非右翼保守派だった石原慎太
郎都知事が「中華人民共和国」
の言葉の成り立ちを知っていた
ら、たぶんシナではなく中華人
民共和国もしくは中国と呼称し
ていたのではなかろうか。
石原は「中国?それはどこだい。
中国は日本の中国地区の事だ。
シナをシナと呼んで何が悪い」
と公言していた。
問題は単語ではなくそこにある
意識性だ。石原は嫌悪感を以て
中国を貶す意識性の発現として
「シナ」を使っていた。シナそば
と同列ではない。
日本の似非右翼民族主義は完璧
に中華思想であるという事さえ
も石原は知らなかったのだろう。
そして、その中華思想という
唯一自己のみを文化と文明の中
心であるとする極限排外主義は、
政治を担う国際人としては壊滅
的に駄物の思想である事を石原
は死ぬまで認知できはしなかっ
た。
日本の似非右翼に多い例だ。
そもそも、他民族を賤民として
見下して排撃のみを旨とする中
華思想にこってりとハマってい
ながら、何が民族主義なものか。
真の民族主義は他国の民族主義
に対してもその気高い崇高さに
敬意を払うものだ。
横浜の住宅街をグーグルで観て
いたら、なんだか丘の上に大き
な邸宅発見。
なんだこりゃ。
ゴルフ場のクラブハウスみたい
な屋敷だ。
てか、庭にヘリ着陸できるぞ。
大阪府知事の私邸も半端ない
けどな~。まるで大使館だ。
【日本地理】地元民以外激ムズ!
意外過ぎる横浜あるある【ゆっくり解説】
横浜は行く所ではなく住む所。
横浜、日本一。
多くの日本の先進文明の発祥
は横浜発。
横浜市民は他の地方のように
どこかを対向的に捉えない。
また、よそからライバル視さ
れても「はぁ?」という感覚
は横浜市民感覚としてかなり
ある。
横浜は横浜であり、地方都市
のように他と比較してどうだ
こうだなど言わない。
横浜の先進性と優位性は突き
抜けているのは事実であるか
らだ。
そしてその事実の存在ゆえ、
他者を全く気にせず、相手に
せずの悠々自適感覚が横浜市
民には根強い。
当然、本物の横浜市民は横浜
市歌を齢とってもソラで全員
が歌える。
この事例は日本全国横浜市民
にしか見られない。
私も今でも歌える。
小学生時代に徹底的に市歌を
歌いこまされる教育を受けた
からだ。
朝ごはんに御御御付があるの
が当たり前のような感覚。
横浜市内の小学校に通った事
が無い、横浜育ちではない外
からの転入者は、住所が横浜
市であっても横浜市歌を歌え
ないかも。
それはたまたま今横浜市内住
まいであるだけで、「横浜市
民」とはいえない、てな風に
横浜育ちの横浜市民は思って
いたりもする。これほんと。
「はまっ子」とは、横浜育ち
の人たちの事を指すからだ。
大人になってから横浜に転入
したからと「はまっ子」では
ないでしょう、という感じ。
【これは想定外】中型には見
えない新型バイクを乗り回し
たらヤバすぎた【Thunder250】
これはザ・オートバイという
感じでいいなぁ。
コーナリングマシンではない
こういうのもいいもんだ。
動画最後で出て来るここさぁ、
1Fがカフェで2Fがバイク屋
ってのがいいね~。
こういう店、最高だ。
ごはんも食べられる。
これよ、これ。カフェはこれ。
レポートしてる動画投稿者も、
どう見ても美人なヤンねーち
ゃんという風味なのだが、元
保健室の先生というのがユニ
ークでいい。
この店の店内は、1980年代前
半~中期に学生のバイク仲間
とよくたむろしていた五反田
のカフェにとてもよく似てい
る。
白金台側から高速下の坂を下
って来た反対側にあった。
かなり行った。何かにつけす
ぐにカフェ。バイクでカフェ。
これが日常。
今はマンションになってし
まった。
石垣は1980年代初期のまま。
貼り直しをしているかも知
れないが、地形は全く同じ。
坂の途中のちょいとした石
垣の上にあって、雰囲気抜
群のカフェだった。