(ナンユアン島)
タイのナンユアン島。
湘南の江の島も昔の江戸時代
はこんな感じだったのだろう
なぁと思う。
潮が満ちると浅瀬の道は消え
る。
まるで劇画『あかつき戦闘隊』
(1968)の「まぼろしの滑走路」
のように。
(相模国江之島)
スパーンスパンと入れていた
ら、友人が笑いながら「ロボ
ット」とか言っていた。
キューの動きの観察試験
多くの場面で勘違いされてい
るようだが、種目の技法の根
幹としては、ポケットビリヤ
ードは的玉を入れる競技種目
ではない。
的玉をシュートインさせると
いうのなどは当たり前の大前
提で、陸上競技に例えるなら
ば走るのには靴紐を結ぶ、と
いうのと同じ類だ。
アメリカンプールではシュー
トで的玉落としは当たり前の
大前提。
ポケットビリヤードは、穴無
し台のキャロムビリヤードと
同じく、手玉を自在にコント
ロールして任意の狙った場所
(点ではなく扇形の想定エリ
ア)に出すのが技法の要だ。
的玉を入れるだけなら、手玉
の真ん中やや下か上をチョン
と突いてさえいれば、角度を
合わせれば的玉は全て入る
(スロウやスキッドという摩
擦変化による軌道外れ以外)。
だがそれは業界用語で「入れ
一(イレイチ)」と呼ばれる
ただ玉を入れる事のみしかや
らない行き当たりばったりの
行動で、それではプレーには
ならないしプレーとも呼べな
い。
そうではなく、ありとあらゆ
る手玉の撞点とキューさばき
の撞き方で、手玉をどのよう
に制御して狙った位置に持っ
て行くかが、ポケットビリヤ
ードの要諦なのである。
シュートを決めるのなどは当
たり前。シュートを決めなが
ら手玉を自由自在に動かす。
特にナインボールなどの次番
確定ではないエニーボール系
のこの動画のようなゲームで
は、的玉を入れながら手玉を
先玉に当てて先玉を狙った場
所に動かしたり、クラスター
(塊)を手玉で割って「場を
作る」事がとても重要になる。
的玉に当ててさらに先玉に当
てる。つまり四ツ球と同じな
のだ。
そして、それらはすべて的玉
を確実にポケットインさせな
がら手玉で塊を割ったり、先
玉を動かして配置を作ってい
く。
それがポケットビリヤードの
王道であり、基本であり、高
度な技法を駆使したプレーの
展開なのである。
シュートインにもポケットの
内側の壁を的玉イングリッシュ
で有効に反射を使う等の技法
はあるにはあるが、シュート
でインさせる事などは当たり
前の大前提だ。
シュートインさせながら手玉
を自由自在の軌跡で狙った位
置に出す。そして、台全体を
計画通りに玉配置を途中で変
えたりを手玉でやりながらも
ポケットインと手玉移動を延々
と続ける。
これがポケットビリヤードだ。
別名プール(米語)。
上掲動画は手玉にいろいろな動
きをさせるために多様なキュー
の使い方をテストして、キュー
の切れ味や利き具合を確認して
いる動画。
全球、狙い通りの手玉の動きを
実現させてくれる良キューだと
判断できた。
また、キューごとに癖は必ずあ
るのだが、それも掴みやすい
よく切れるキューであるのも
認識できた。
釣り竿まで含めてどのスポーツ
の道具でもそうだが、ビリヤー
ドのキューの特性の把握は、オ
ートバイのテストと同じで、人
間が全人間力を駆使して体感を
脳で判別・識別・認知・把握す
る事により特性を特定できる。
数値的データなどは特定特化
条件を検出したい場合以外は意
味を為さない。
これはかなり大切な事だ。
理由は、使用するのは人間だ
からだ。
この人間を不在化させると、今
の日本のオートバイメーカーが
10年程前から道を誤ったように、
人間が扱えないモノヅクリをし
てしまう事になる。
それは全ては人間不在の人間疎
外によってもたらされるが、そ
の過ちを犯すのも人間だ。
人が接して人が使う物は、人間
がどう捉えるかを抜きにしては
良い物は作れない。
これは絶対事項だ。
今の日本のオートバイがダメに
なったのは、その絶対事項を捨
象してコンピュータで人の乗り
物を作ろうとし始めたからだ。
世界チャンピオンが乗っても転
ぶ車に誰が乗るの?ロボット?
というところで、日本メーカー
は大きな勘違いを始めて、車が
駄目になった。
かろうじて、ビリヤードのキュー
は、テスターを人間が実行する
事で今も開発されている。
ディフレクション等の振動係数
などは機械で計測して視覚化さ
せる事は有益でも、それをどの
方向に持って行くのがベターか
は人間が判断する。実際に玉を
撞いてみて。
ここが大切。
そして、プレーヤーは全員が
そうした感知力に長けていない
と、まるでプレーにはならない
のがビリヤードでもある。
ただの棒突き玉転がしではない
からだ。
かなりの細かい高度な技法が投
入されるのがビリヤードという
球技、キュースポーツだからだ。
ビリヤードの唯一の欠点。
それは、かなりの技法を習得し
ないとプレーが成立しない点。
これは転がせばピンが倒れる
ボウリングや投げれば刺さる
ダーツなどとは全くの別物と
なる。
どのスポーツも技法において
はどれも高度で密度の高いも
のが求められるが、俯瞰する
に、ビリヤードというスポー
ツが地球上で一番高度な技法
を得ないと成立しない種目の
ように思える。
それとゴルフ。
ゴルフも元々はビリヤード
の原型から派生発展して現在
の形に到達した。一方ビリヤ
ードは17世紀初頭に室内競技
に転じて屋外からテーブル上
で今のゴルフクラブのような
メイスという道具でプレーす
るものに変化した。棒状の
キューが登場普及するのは
1860年代の事だ。日本の幕末
頃にはゴルフクラブのような
メイスと棒状のキューの両方
を使う絵画が残されている。
アメリカ国内での1860年の
全米大会ではキューとメイス
の使用率はほぼ半々だったが、
1860年代に入るとキューが
優勢になり、以降、撞球は
種目如何にかかわらずキュー
が使用されるようになった。
現在のゴルフと現在のビリヤ
ードはルーツを辿ると先祖は
同じだ。
このビリヤードとゴルフの両
者は、道具を使う種目の中で
双璧を成す難易度の高い(高
過ぎる)スポーツだと断定で
きる。
だが、狭き門より入る者のみ
が救われる、という真理を体
現しているのもビリヤードと
いう種目だ。
人に道を示す。そんな種目が
撞球なのである。
道外す人も多いけどね(笑
撞球上級者には。
業界関係者でもろくでもない
のが極めて多い。
でもそれは撞球のせいではな
く、ダークサイドと対峙する
自分の心の問題。
邪な心を持つ者は簡単に暗黒
の闇の世界に絡めとられる。
それはもう、救われない。
赦すのは神のみで、人の社会
では許されない。
撞球業界に「すごく嫌な野郎」
が多いのは、そこらあたりの
暗黒面の闇に元々の邪な心根
の波長が合う奴が多いからだよ。
撞球のせいではない。
人の心の問題。
スポーツの種目は関係ない。