渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ナイフの穴

2024年07月17日 | open
 


アウトドアナイフってね、グ
ローブ着用で使う時も、素手
で使う時も、ハンドルに穴が
あって紐通したほうが使い易
いですよ。いわゆるソングホ
ールがあるタイプ。昔のナイフ
は穴無しが多かったけど、あ
ったほうが何かと便利。


私は独自の結び方で、パラコ
ードが伸び縮みするノット

してある。


以前にも書いたが、ナイフを
抜く時も、紐をグッと握って
シースのテンションを抜いて
鯉口を切る
ようにしてから、
ゆっくり片手で抜く。
いきなり引っ張るようにはし
ない。
グッ⇒スーッと抜く。


肉厚がある蛤刃のタイプの
ナイフは楔作用で薪は割り
易い。薪割りは斧のほうが
良いのだけど。


アウトドアで使い勝手が
よいナイフの刃長は約11
センチ。
黄金比という言葉がある
ように、このあたりがよ
く働く。4.3インチあたり
だ。
ただし、ハードな使い方
をしない、ナイフ本来の
使用に供するならば、3.5
インチあたりが良い。
8.89センチ相当。
さらに細かく定めるならば
8.8センチがベスト。
ナイフの場合、大は小を
兼ねる事は無く、適度で
適切な大きさというもの
がある。
これは工具と同じで、使
う人間側の手の大きさ等
には左右されない道具の
一つの定理のようなもの
が存在している。
バイクのタイヤのように。
体格が大きいからと27イ
ンチの二輪タイヤなどは
無いのと同じで。
また、逆に小柄だからと
5インチのタイヤが適して
いるという事が無いよう
に。

右腰に馬手差しのように
装着している。戦国武士
のように馬手差の柄は下
に向けないが。
私はあまり刃先を真下に
向けるバーチカルポジシ
ョンにナイフを帯びる事
は少ない。ほぼ無い。




真夏の終結地

2024年07月17日 | open



ことしの夏本番の終結地は
こんなとこ。
列島各地から仲間が集まる。

メインは宿泊ではなく周辺を
サラリと共走り。

首都圏組は近いからサクッと
行ける。

1987年にこの√5エリアで1泊
た事がある。
都内・横浜からは近いので
何度も行った事あるが、宿泊
は子どもの頃の神奈川時代の
キャンプ
以来だった。
87年秋口には1泊してサバゲ
した(笑
決勝まで何ゲームも対戦する
大きなトーナメント大会だっ

た。
大会主催者が開いた前夜祭も
楽しかった。


(1987年)




野外ではナイフ

2024年07月17日 | open
 


キャンプでも野営でもブッシュ
クラフトでも野外泊ツーリング
でも、ナイフは必携だろう。



高地宿泊

2024年07月17日 | open



MC朝霧ベースでは宿泊建物は
あるが、参加者全員分の寝具
が無いとの事。
仕方ねえ。
俺はスナグパックを持って行
くか。英軍御用達の。世界50
カ国以上の軍隊で制式採用さ
れた造りのを。
まるでFALみたいなアイテムだ(笑
(FAL小銃は西側70数か国で
制式採用)

FAL。チャージングハンドル
フィールドで紛失したので、
ジュラルミンを旋盤
で削り出
して作った。


アルミ用の薬品で化学変化
させ、さらに特殊技法で色
上げ、時代着けをするとこ
のようになる。




迷彩服や革ジャンでもそう
だが、ピカピカごわごわの
新品を着ているのは初心者
の素人新兵のようでダサい。
戦闘服、革ジャン、軍用銃
(玩具銃であっても)などは、
使い
込まれたヤレた感じが
良い。

 


1980年代の中型バイク続編!何よりもバイクで走ることが楽しかった青春へタイムスリップ!

2024年07月17日 | open

1980年代の中型バイク続編!
何よりもバイクで走ることが楽
しかった青春へタイムスリップ!



ヨンフォアは、正直、超遅い
車だった。デザイン先行。
37PS。遅いのもよく分かる。
所有して実際に乗るともっと

よく判る。確実に遅い。
車体は意外と小さくコンパクト。
さらにもっと遅いCB350とい

うのもその少し前にあった。
速さだけでいったら、圧倒的

にカワサキだった。
マッハSS350は1971年時点で
45PSを
叩き出していた。
クラッチが早めに逝きやすかっ
た。これも所有して乗るとよく
実態が判る。

ホンダが中型で台頭し始める

のはヤマハへの対抗から車両
開発を進めた1980年代中半か
らだった。
VT250などは2st50や80に峠で
ぶち抜かれる程遅かったし、
遅いライダーばかりが好んで
乗っていた。
速い車はヤマハのRZで、また
RZに乗る人間も速い人が多か
った。
「軽く」「速い」車こそが正

義の時代だ。排気量マウント
や免許枠マウントを取るよう
なド間抜けは皆無だ
った時代。
「速さ」という実
力のみが注
目され、そして評
価された。
現在のような価値観の多様化
や度外れた手前勝手な個人主
義などは
認められない。
二輪車に関与する全ての人間
が「速さ」如何で二輪車を評
価していた時代。
「のんびりと景色を見ながら

走行」などというのは年寄り
臭いとして全体的に嫌悪され
た。
世の中にまだ温泉ブーム、の
んび
り旅行ブームなどは登場
して
いない。
二輪の世界だけでなく、日本
の世の人々のすべてが「駆け
抜ける」事を求めていた。
1970年代から1980年代初頭に
かけてはそういう時代だった。
日本人の価値観が多様化して

いろいろな方面で煌びやかな
欲を求め始めたのは、プラザ
合意以降だ。
それまでは、手作りバレンタ
インチョコと手作りマフラー
のプレゼントが健在の時代で、
価値観の多様性は希薄だった
が、人々の心が純粋なものを
求めるという社会世相が確実
にあった。
今の時代は、『汚れた英雄』
(1982)の主人公の資金集めの
手口を「別に何も汚くない
じゃん」とする映画を観た
若者たちのコメントが多く
見られたりする時代だ。
人々の「汚い事」への価値観
も完全に変化した。
だが、それは「価値観の多様
化」などと呼べるものではな
い。心が被曝のように汚染さ
れているから
だ。

ヤマハの80年代最高傑作は
FZ400だった。
ヤマハにやられつづけたホ
ンダはついに1986年末に世界
選手権を制したワークスレー
サーを市販車に落とし込んだ
NSR250Rを発売した。
その前シリーズのNS250はス
タイルは最高だが、ハンドリ
ングや性能に未完成部分が多
く、ホンダがヤマハ撃墜の為
に市場に投入した初の2スト
250であったが、ヤマハRZの
爆発人気には全く追いつかな
かった。
そしてホンダは、86年にチャ
タリングが発生する激悪ハン
ドリングのままMC16-NSRを
発売し、1988年にはカプラを
外すだけで68PSも発揮する
MC18-88NSRを登場させてヤ
マハを初めて市場で撃墜した。
だが、ハンドリングの悪さは
全く解消されておらず、NSR
が劇的に改良されたのは89年
のMC18-89NSRからだった。
型式は同じでも前期型88NSR
と89NSRではハンドリングが
まるで異なり、さらにMC-21
でもっとハンドリングが向上
する。
それでもヤマハに比べると曲
がらないオートバイをホンダ
が作り続けていたのは確かだ
った。

一方スズキは1983年にそれま
での認可の常識を覆すセパハン、
フルカウル、アルミフレーム、
3000rpmからのタコメーター、
中膨らみのレーシングチャン
バー等々の革命的市販車RG
250ガンマを発売した。
250で45PS。
スタイルが革命的であり、売れ
た。
しかし、このガンマ1型はハン
ドリングに大きな問題を抱えて
いた。
当時レースの世界で試されてい
たフロントフォークのアンチ
ノーズダイブシステム(レース
の世界では早々に廃止)を持つ
16インチのフロントは、接地感
に乏しく、旋回中に走行ライン
を一切変えられない危険なハン
ドリングだった。
チャタリングも発生しやすい。
だが、そのレールの上を走る
ような挙動特性は、二輪をよく
知らない素人には「自分が上手
くなった」かのような錯覚を与
える代物だった。
私はヤマハとの乗り比べにおい
て「これは危険」と感じていた。
そして、やはりヤマハのRZシリ
ーズを再び新車で買い求め、レ
ーサーを含めると3台の2スト
250を所有していた時期がある。
圧倒的にヤマハの車のほうが
完成されていた。

そして、隠れた名車として、カ
ワサキが1988年に放ったKR-1が
ある。
これは当時V型が主流になりつ
つあった時代に、あえてオーソ
ドックスなパラレルツインに
したアルミフレームのフルカウル
モデルだが、実は同年の88NSR
1型よりも確実に全部の部分が
優れていたし速かった。
だが、作り上げられた88NSR神
話により、実力の真実は世相の
中では沈み、カワサキはいよい
よ二輪が売れず、川崎重工は
二輪部門の廃止を検討するよう
になった。
それを救ったのは、オーソドッ
クスな4ストネイキッドで時代
の流れに西からそよ風を吹かそ
うとしたカワサキの二輪開発陣
だった。
もう背水の陣。これが駄目なら
カワサキというメーカーは重工
から潰される。
そして、カワサキは二輪部門廃
止が社内俎上に上がった翌年の
1989年に世の中を変えた。
それがゼファーの登場だった。
400限定オンリー。
その後あまりに海外で人気が出
て希望が多かったので、ゼファー
と銘打った大型も製造されるよ
うになったが、ゼファーは400
こそがゼファーだ。
ゼファーは日本国内でも先鋭化
されたレーサーレプリカではな
い二輪の原点を見直すオールド
ジャパニーズスタイルのオート
バイ=空冷ネイキッドを世の中
に呈示した。
空前絶後の爆発的ヒットとなり、
川崎重工内での二輪部門の廃止
検討は立ち消えになった。
カワサキはゼファーによって
行き帰ったのだった。
46PSというマイルドで非力過ぎ
たエンジン(当時400クラスは
59PSが常識)は1996年にゼファーχ
(カイ。救世主を表す)という
バージョンアップで53PSまで引
き上げられ、翌年1997年大改編
のゼファーχのG2(車体型式はZR
400Cで同一)からはさらに熟成完
成された構造となって、2008年
の排ガス規制による製造中止ま
で構造は変更されない完成され
たモデルをカワサキはリリース
していた。

だが、日本の二輪メーカーが良い
オートバイを作ったのは、1980
年代~今世紀2010年あたりまで
だ。
それ以降は、機能は進化したが、
あらゆる面で人間不在の開発方法
で人間疎外を惹起させる乗り物と
なってしまっている。
だが、二輪の歴史を俯瞰して客観
的に見られない、目先の事だけに
目が行く人たちは、「最新型が最
高最良モデル」というまるで高度
経済成長期の虚構を盲信するよう
な見方で自動車製品を見ている。
それは騙されているのだ。
歴史の真実は、時代など関係なく、
「良い物は良い。悪い物は悪い」
のである。
そして、かつての骨のある真実を
伝えたモータージャーナリスト
たちと違い、現在の自動車(二輪
含む)評論家、自称ジャーナリスト
たちは、新発売製品をベタ褒めす
る事しかしない。真実は伝えない。
太鼓持ちの幇間根性がジャーナリ
ストぶる事が可能である虚構の
時代が現代なのだ。
真の良質二輪の消滅と共に、業界
内で寄生する周辺部分のモノカキ
連中も真実の人たちは消滅しつつ
ある。
大企業への忖度おべんちゃらしか
口にしない、筆に取らない、そん
なジャーナリズムは世の中存在し
ない。
それは銭の為に報道の魂を売る売
文屋だ。