ある事が原因でブチギレて
おかしくなりました。
トドにはトドのやり方がある。
ごちゃごちゃいちゃもんを
わざわざつけてくるほうが
お門違い。
さすがに普段はスルーのアッ
キー社長も、今回はカッチー
ン!と来たようだ。
ネット愚民というのは本当に
クズだよなぁ。
良市民ぶってる似非人間たち
とか、何かにつけ文句つけて
くるネットカスハラ野郎とか、
グジグジとナメクジみたいに
粘着していつまでも過去記事
探して揶揄中傷してくるよう
な性根が腐った連中とか。
そんなのばっかが跋扈してい
る。
そいつらこそ、まじうぜえ。
アッキーがとさかにきてる
の初めて観た。
で、世の中、かわいいトド
っているんだなーと思った(笑
もっと、切れる時には切れた
ほうがいいよ。
不当な事は不当なのだから。
大阪だと「うっさいわ、ハゲ」
で全て片付けるみたいだけど
さ。小学生だろうと(笑
大阪エグいす・・・。
ドギツイなぁ(笑
お椀が左右逆なのはご愛敬。
土用丑の日なので家にて鰻
ちなみに土用は土いじり
や草むしり、家の庭いじ
り、建物いじりや建設は
避けただよな、昔の日本
人は。土公神という土の
神さんが活動する時期だ
から。
でも、これは風習だけで
なく、季節柄結構意味が
あったりもする。
るので武士が嫌った。
火蓋を切れ=鉄砲での射
撃準備で鉄砲の火蓋を開け
る事から=に通じるので、
それは武士らしき事と武士
は沢庵はふたきれを定番
とした。
鰻は江戸では当然腹からは
開かない。腹切りに通じる
からだ。
武士の本場江戸では、武家
が嫌う事は庶民の食生活に
まで浸透していた。それは
もう隅々まで。
ただし、武士が食さなかった
「目刺し」は庶民は食した。
武士が食さなかったのは、
目刺しは目落ちで「落ち目」
に繋がるから。
常に瞬間的な生死を念頭に
置いて生きなければならな
かった武士たちは、語呂に
も非常に神経質だった。
さらに、庶民よりも異様に
武士たちはゲン担ぎをした。
特に数字等へのこだわりが
強い。
一二三四五六七八九十
ひふみよいむなやこと
(日文よ忌むなや事)
などに特にこだわるのが
武士だった。
それゆえ、武士は言霊も大
切にした。
臨兵闘者皆陣列在前
の九字を切るのは武士だが、
その九字は呪文でもなく、
また呪術でもない。一字
一句が複合的に合体した
思想性を体現しているのだ。
九字を訓読みではなく読み
下しすると「兵(つわもの)
として闘いに臨む者は皆
陣列の前に在れ」である。
それを訓読みで九字を切る
のだが、武士の中でも誰で
も九字を切ってよい訳では
ない。「言葉」を「言霊」
として深化できた武士のみ
が九字を切る事を暗黙の
うちに許されたのだった。
そうした思想性を持つ武士
という種族は、独特の文化
と精神世界を構築した。
人の名を実名で口頭で呼ぶ
事は武士には無い。
徳川家康を「家康様」とは
絶対に口が裂けても武士は
言わない。実名=諱(いみな)
は忌名でもあるからだ。
なので通称の「〇之介」等
の通り名を通常は呼んだ。
自分でも髙橋誠之進などと
通常では呼称する。
実名=諱を使うのは公式
文書においてのみであった。
そのあたりの武士の思想は、
武士を知らないと理解でき
ない。
武家文化を知らない者は尊
敬の念を込めたつもりで
「徳川家光公が」などと口
にするが、大変無礼な事だ。
武家文化に無知ゆえ、かよ
うな仕儀に至る。
だが、この実名=諱で人を
呼ぶ事が大変失礼無礼であ
り忌避されたという武家の
文化は、現代でもその思想
性が残されている。「人を
名指しで呼ぶ」事が失礼に
あたるという不思議な日本
の現代でも存在する概念は、
この武士の諱を直には呼ば
ない、という江戸期の慣習
が継続しているものだ。
物だが、ふっくらとしていて
なかなかいけた。
農家から直に販売しても
らっている。
都度、適宜精米して炊く。
私個人は八分が好きなの
だが、家人たちの希望で
上精米にしている。
栄養価低くなるんだけど
なぁ(笑
米を炊くのは電子炊飯器
ではなく、土鍋。
これが殊の外うまい。
明治初期に外国人土産用に
現代でいうならばSPだ。
警護官である幕臣旗本たちは
絽の夏羽織を着ている。
として羽織を着た。扇子は冬
でも必携だ。
化は、奇しくもヨーロッパの
紳士の文化と共通していて、
文化史の面から見ると面白い。
現代でも日本人の食事作法や
行儀作法、社会的儀礼、季節
の礼節等、ありとあらゆる日
本人としての礼儀は武家作法
が継承されている。
いくら民主主義で主権在民の
世となっても、江戸期の町人
の様式が現代日本の基準とは
なっていない。
標準語という国語の言葉をは
じめ、国民の生活全般の礼節
は武士の文化を規範としてい
るのが日本人だ。
室内において被り物を取るの
は、日本人の常識なのである。
これは西欧においても同。
家屋内や店内で帽子を被った
まま食事するというのは、そ
れは土足をテーブルの上に上
げたまま食事をするのに等し
い。
だが、そうした日本人らしか
らぬ、また西欧文明からして
も極めて非礼な事をする日本
人が今の時代やたらめったら
増えている。
特に芸能人、芸人、バイク乗り
たちに多い。
これは食事の際に手で手皿を
する非礼失礼不作法が現在
テレビでもネットでも蔓延
しているのと等しく多く見ら
れる。躾も作法も礼儀もあっ
たもんじゃない。
そのような振舞の者たち、特
に着帽無頓着の者らは当然に
してゴルフ場のクラブハウス
には入れない。非礼無礼失礼
非常識だからだ。係の者に注
意を受けるか退場させられる。
芸能人、お笑い芸人にきちん
とした正しい日本の礼節を求
めるのも無理があるが、バイ
ク乗りが脱帽礼儀を弁えぬ
無知な者が異常に多いのには
情けなくなる。
本当に日本人なのか?と。
バイクユーチューバーなどに
は異様に多い。
根本が、社会の礼節とは無縁
の者たちなのだろう。
人として恥ずかしい話だ。
日本が誇れる女子プロ
ランキングトップ4!【ゴルフ解説】
吉田選手いいね~。
「戦った相手に対する敬意を
忘れない」
これ、日本人の魂。
海外の選手は、騎士がいた西
欧の一部を除いて、あまりこ
うした精神は人類は持ってい
ない。
特にアジアにあっては、唯一
日本を除き皆無。ゼロ。
またアフリカや中東、南米
などにもこのような精神性
は見られない。
北米もアメリカなどはほぼ
無い。敵を打ちのめして倒
した後でも足蹴にしてナン
ボみたいなところがある。
日本においてはそれは絶対
事項として忌避される。
剣道などでガッツポーズを
取ったら失格だ。
つまり人間性において剣を
交える資格無し、と断定さ
れる。それが日本の剣の心
だ。
剣は心なり。
心正しからずんば、剣また
正しからず、なのである。
基本的に日本人は卑怯を嫌
う。
だが、日本の古代史は卑怯
千万な手練手管で暗殺と傀
儡征圧を繰り広げて古代天
皇制を確立させてきた。権
謀術数による騙し討ちや掌
返しの裏切りなどはごく普
通に実行されていた。大量
殺戮も。
日本人の卑怯な事を毛嫌い
する清冽な魂は、日本の皇
室や貴族たちの精神性とは
異なる部分から発生してい
る。これは歴史事実から明
らかだ。
そこにこそ「日本」がある。
日本の悪しき面を指摘して
良性に改善しようとすると
「反日」であるとわめく馬
鹿が昨今(ここ四半世紀程か
ら)多すぎるが、日本人であ
るのに「反日」は論理的に
成立しない。
身体が病んだり怪我をした
ら治癒を目指すように、国
に悪しき面があるならば、
それを改善しようとするの
は愛国者であるならば当り
り前の事だ。
それさえもせずに、レイシ
ストぶりを発揮するのが
愛国者ではない。
そもそも「反日」とは外国
人からみて日本をどう捉え
るかの概念だ。
同国人に反日を叫ぶ埒も無
い連中たちには、ならば君
らは「親日」なのかい?と
問いたい。
根本的に概念識別ができて
いない。
母国語を解していないのに
愛国者ぶるとは臍が茶を沸
かす。
ニッポンとはそんな贋物ども
によって存立しているのでは
ない。
リチウムポリマーバッテリ
ー全部は、セルトリートメ
ントさせながら適正値まで
放電させて保管する。
かなりの時間がかかるが、満
充電の個体すべてを適正値
まで下げて放電させる。
う。
スト40年。
をタイムリーに経験して
来た。
進化は著しいものがある。
韓国の歴史 明治時代の日本人
が見た110年前の朝鮮半島
庶民の生活 「最近朝鮮事情【完全版】」
朝鮮が起源であると朝鮮人が
主張する武士や忍者(笑)や剣道
はどこにあるのだろう。
なぜ、世界中のほとんどの技術
や文化が朝鮮が発明したとか
言い出すのだろう。
どうして朝鮮人は嘘を平気で
つくのだろう。
ただいえるのは、朝鮮は南北に
分断される前も、分断以降も、
「朝鮮は世界の中で特異な国と
国民」である事は確実だろう。
どうしてこういう事が平気で
できる国民なのだろう。
北も南も同じ朝鮮人だ。
朝鮮人は、どうしてこういう
事をやるのだろう。
そして、こうした事をやって
なぜ国がこうした選手の行為
を褒めるのだろう。
世界中でそんな民族はいない。
朝鮮だけが特殊地球人だ。
武士が毛鉤釣りをしたという
のは本当の話。良渓相のある
藩には記録が残されている。
藩によっては釣りは武士の
武芸のたしなみの一種として
推奨していた藩もある。
日本の毛鉤釣りは、戦国期に
西欧人が日本にもたらした釣
法が日本で定着発達した。
だが、本場西欧では中国から
太鼓式リールが導入されてバ
スの先にハリスを結んで遠投
する方法に発達した。
その後、木材の竿ではなく、
東南アジアからトンキンケーン
を輸入して割竹接着のロッド
が西欧では発達し現在に至る。
一方日本では、日本に渡来した
当時の様式のまま、布袋竹等
を使用した毛鉤釣りがそのま
まの形で残存した。
ポルトガル語からテンカラと
呼ばれて、その和式毛鉤釣り
は現在も存在する。
リールを使わず、定尺の糸で
毛鉤を投げてマス族を山岳渓
流で釣る。
日本のテンカラはタイムカプ
セルのように世界の歴史の中
で最初の西欧式毛鉤釣りが残
された形になった。ガラパゴス
的なものとして。
現代西欧式毛鉤釣り=フライ
フィッシングにおいても、テン
カラのようなアクションで源流
域は釣り上がる。ドライフライ
や半沈めのフライでは水面(みな
も)を叩くように釣るのだ。
ウハウハ釣れる。
かといって、毛鉤を浮かせて
流す釣法でもウハウハ喰いつく。
アマゴやヤマメは非常にセンシ
ティブだが、イワナあたりは
猛烈にアタックしてくる。
日本式の毛鉤はかなり和風の
細かい造り込みで発達した。
日本で洋式フライフィッシン
グが一般化したのは1960年代
だがその当時の日本製フライ
フィッシング用の毛鉤は稚拙
な造りだった。私は父から貰
った往時の毛鉤をサンプルと
して持っているが、実物を見
ると本物の英米フライフィッ
シング用毛鉤を模して何とか
日本人が稚拙ながらも模倣し
ていたのが1960年代だったと
判る。戦後黎明期の国産自動
車みたいなものか。
日本で本当に本格的に西洋式
フライフィッシングの技法や
毛鉤の製作方法が広まるのは
1980年代末期~1990年代の
初頭だった。
こういうところをガンガンと
遡上して行く。淵があったら
山を藪こぎして巻く。
渓流釣りはほぼ沢登りだ。
基本的にフライフィッシングは
川の中に入る釣りだ。
中流域の水の汚れた里川には
よほどの田舎でないと鱒族は
棲息しない。
当然、上流域の渓流への釣行
となる。
中国地区では熊さんコンニチハ
も多いエリア。
私も4度熊と遭遇している。
適正対処で事なきを得ている。
ツキノワだからと舐めてはいけ
ない。
九州の山岳渓流にフライフィッ
シングで行った時には、熊が
不在なのでそのストレスは全
く無いので気楽にフライがで
きた。
逆に九州人は本州や北海道での
クマの脅威に疎いから、クマを
舐めているフシも多く見受けら
れる。
死ぬよ、大自然を舐めてると。
クマが一頭も山にいない安全地
帯のお花畑感覚でいたら。
あと、渓流では不用意に岩に
手を触れてはならない。
マムシが岩にいるケースが多い
からだ。
それは田んぼなどは遥か下流の
渓流の源流域においても。
山中でマムシに噛まれたら血清
投与が間に合わない事も多いの
で致命的となる。
下手すればそれでも死ぬ。
また、山岳渓流で足を骨折など
したら下山できなくなる。
一人での釣行は非常に危険が伴
う。
計画的に釣りを実行しないと、
かなり危ない釣りが渓流釣りだ。
しかも、のんびり竿を垂らして
待つような釣りではなく、ガン
ガン攻め上がるのが毛鉤釣りな
ので、アクティブな行動には
慎重さと繊細な感性も必要に
なってくる。
山を読み、渓(たに)を読み、川
を読み、魚を読む。
適正判断がピタリと周囲の状況
に合った時、釣果は抜群になる。
その時、正の成果と同時に負の
危険が待ち受けているケースも
多いので、気を緩めず兜の緒を
引き締めてさらに釣り上がる。
それが渓流の毛鉤釣り。
【RZ350】ナニコレ!2スト
新車が出る!
2025年 YAMAHA RZ350(RD350
LC YPVS)復活か?!【RD350LC】
新車は発売されないでしょ(笑
ところで、2ストオートバイが
ロケット加速といわれていた
のは歴史的事実だ。
それを知らない簡易大型免許
で大排気量車に乗るニワカは、
2ストロケットモデルの事を
「井の中の蛙が」とか匿名ネッ
ト掲示板に書いて中傷してた。
2ストの加速特性を指摘する者
への個人攻撃として。
本物の馬鹿丸出し。
2ストに乗った事など無いのだ
ろう。
それと、そもそも排気量考えろ
っての。
4ストで同排気量でどうなのか。
てんで勝負にならないのは歴
史が証明している。
勝負にならないから、国内F3
では2スト250ccまで、4スト
400ccまでの制限がかけられた。
あれが250対250ならば全車2
ストマシンでの戦いになって
カテゴリーが成立しなかった。
2stは250にさせて、4stを400
にしないとレースにならなか
ったのだ。
2st500と4ストの混走のMoto
GPも4ストは2ストの2倍近い
排気量でないと勝負にならな
かったので4ストのみ大排気量
のレギュレーションに変更した。
同排気量で4ストのほうが加速
も最高速も速かったならば、
1970年代初頭から2000年まで
の「同一排気量規則」の世界
グランプリは全部4ストマシン
で戦われていた。
現実は、世の中、同排気量なら
ば4ストよりも2ストのほうが
圧倒的に速いから、すべての
スプリントレーシングマシン
は2ストオンリーだった。
それが現実の世界の歴史。
そういう地球の歴史を知らな
いバカが2ストのあの爆発加速
を知らずに、頓珍漢な、しかも
ダダ滑りの上から目線で2スト
を見下してふんぞり返る。
頭の天辺から足の爪先までド素
人のニワカであり、モーターサ
イクルの歴史に無知なバカ丸出
し。
てか、オートバイを知らなすぎ。
2ストであろうと、排気量の実際
について。
1981年発売のヤマハRZ350は
45馬力。
1983年発売のスズキRG250
ガンマ1型も45馬力。
だが、RZのほうが速い。
これはスペックだけでなく実際
に両車を保有して乗ったのでよ
く判る。現実のリアルな事象と
して。
排気量の違いにより、トルクが
RZ350とガンマではまるで違う
のだ。トルク数値で0.3違うと
かなり体感も異なる。(差異を
感知できないとしたらバカか
ド素人)
そして、ガンマは250なので最
高出力域もRZ350よりもカタロ
グ数値よりも500rpm程高い域
まで回さないと実際には出ない。
実際は。カタログ数値とは別に。
下がスカスカ、上が高回転域ま
で回さないとガンマはRZ350と
同じ程度のパワーが出ないのだ。
そのくせ、エンジン回転の伸び
はRZ350のほうが断然上だった。
RZ250を先行発売させたが、実
際のRZの開発は350主軸で実行
されてきたという背景の成果が
如実に表れていた。
フロントフォークのよじれとい
う脆弱性以外はRZ350は当時と
して最高峰に完成されきった
マシンだった。
ただ、速さとは別項目だが、前
輪ブレーキは圧倒的にガンマの
ほうが利いた。
これはブレーキ構造よりも、前
輪16インチによる物理的影響の
ほうが強いだろう。
また、さらに違う別項目である
が、ハンドリングは圧倒的に
RZのほうが上だった。
これも、実際に実走させてみれ
ば即座に判別がつく。
知りもしないで、排気量含め車
両の根本的差異を前提とせず、
単純比較して大排気量車を前提
に小排気量車を見下すような
侮蔑的言動を為すのは、車を知
らないド素人丸出しなので、上
から目線で語ると尚更恥の上塗
りになる。
が、それさえも自覚も無いだろ
う。
素人だから。
匿名の陰に隠れて他人を誹謗
中傷している時点で、バイク
乗り以前に社会人として人間
性がド素人。厨2か?
逝ってよし。
RZ(RD)350がもし万一発売され
たら・・・。
だが、カワサキも2ストマッハ
を開発計画していたが実現して
いない。
ヤマハも発売しないだろう。
ただ、ヤマハのみが世界の全
メーカーの中で唯一2ストエン
ジンの開発はストップさせて
いない。
理由は、「ヤマハは2スト屋
だから」とのヤマハの言。
実際に、オフロードレーサー
では2ストエンジンを作り続け
ている。
2025年発売のモデルがこの
ままだとしたら、実にカッコ
よい。
センスのヤマハ。
ヤマハの二輪車でダサいと
いえるデザインは無い。
小排気量SR-B以外は(笑
仮に発売されるとして、パーツ
供給が10年単位で供給されるな
らば、私はこの車両を求めるか
も。
しかし、ステップが上だね~。
良い。クリップオンと共に。
私の人生のラストマシンは、
私の存在が開発に関与したと
開発総責任者本人が言うXSR
700ではなく、このRZ(RD350)
になるかも知れない。
RZは1型も扱い易かったよ。
何が「走る棺桶」なものか。
公道で全シフトフルパワーま
で使い切って走らせていた。
操作操縦に何の問題もなし。
オモチャみたいなバイクだった。
横浜-広島間を何度も往復した
し、短距離スパルタン走行も
ロングランも楽々こなした。
本当に良い二輪車だった。
横浜で丸ごと盗まれたけどさ~。
国際犯罪都市横浜。
そういう事もあるだろ。
その後のRZRの時にチャンバー
を盗みに来た奴らは、3度目
の窃盗現行犯の時に2人を完
全成敗したけど。現行犯逮捕
ではなく現行犯成敗。
脳天のみは打撃しなかった。
即死になっちゃうから。
ノーマルチャンバーが盗まれ
て、着けたばかりのYUZOク
ロスが1週間でまた盗まれて、
気の毒がったYUZOさんが私に
タダでシリアルナンバーでは
ない私の名前刻印入りのYUZO
クロスを作ってくれた。
3度目はそれさえも盗みに来た
窃盗犯を実力で征圧成敗した
ので、現在でもそのYUZOクロ
スチャンバーは手元にある。
世界で1セットしかない私の
名前刻印入りのYUZOクロス
チャンバー。
成敗にあたっては、何日も
夜半から向かいの施設の茂み
でじっとアンブッシュしてい
た。夜明けまで。
仕事はいつもは23時まで勤務
していたのを定時に連日上が
らせてもらって。
この時の様子を以前詳細に
書いていたら、その状況が
まるごと小説『傭兵代理店』
に盗用された。
私が犯人に最後に告げた台詞
までそのまんまで。
(現在はその記事は非公開)