妻と二人で実写映画版の『美
味しんぼ』(1996)を観ている。
世間では評価の低い作品だが、
私は好きな作だ。
学生の頃、後輩の実家が持つ
六本木のビルの屋上のペント
ハウスに住まないかと勧めら
れた。
立地条件も物件も場所からし
たら格安賃料も最高だったが、
六本木の街のど真ん中のビル
なのでバイクを駐車する場所
が無いのでやむなく諦めた。
もろにこの映画で山岡士郎が
住んでいるペントハウスのよ
うな物件だった。
妻と二人で実写映画版の『美
味しんぼ』(1996)を観ている。
世間では評価の低い作品だが、
私は好きな作だ。
学生の頃、後輩の実家が持つ
六本木のビルの屋上のペント
ハウスに住まないかと勧めら
れた。
立地条件も物件も場所からし
たら格安賃料も最高だったが、
六本木の街のど真ん中のビル
なのでバイクを駐車する場所
が無いのでやむなく諦めた。
もろにこの映画で山岡士郎が
住んでいるペントハウスのよ
うな物件だった。
オートバイのスロットルグリ
ップはギュッと握り締めない。
日本刀の手の内と同じく、し
なやかに柔らかく保持する。
ただし、ダートなどではある
程度ハンドル保持をしっかり
しないと手が離れたらすっ飛
ぶ。
だが、ギューッと5指で力任
せにふん掴む事はしない。
締める所は締めて、緩める所
は緩める。
モーターサイクルのハンドル
保持操作法と真剣日本刀刀術
における手の内はかなり共通
する部分がある。
1976年頃には少年たちの間
では「とっつぁんバイク」
とか「トロバイ」と呼ばれ
ていたが、私はこのモデル
は味のある二輪だと思って
いた。
速度だけを求めるのではな
い、という点で。
私は74年製を持っていた。
大学進学の為に手放すという
千歳烏山の2才年上の人から
譲ってもらった。商談交渉の
際にはご自宅に訪問してお父
様も交えて商談をした。有名
な進学校に在籍する人で、家
も厳格な風だった。有名私立
大学附属に通っていたが、別
な大学を受験すると言ってた。
やはりマッハSS350と比べる
と比べ物にならない程遅かっ
た。ヨンフォアも正直いって
遅い二輪だったが。
しかし、25Tは吸排気を弄っ
て、TT100を履かせて、乗り
方次第ではそこそこに走らせ
る事もできる車だった。
ただし、最高速はまるで出な
い。吸排気をいじって出ても
たかが知れていた。
当然、その10数年後の2スト
250のように200km/hオーバ
ーなどは到底不可能。時代な
りの二輪だった。なんせ原初
は1973年設計だから。
それでも、パワーバンドを使
えば峠でも充分2スト程では
ないにせよ、よく走った。
(高校1年)
この個体は気に入っていて、
高校時代は他の車を手放し
ても、これは大学時代に後
輩に請われて譲るまで所有
していた。
なので一時期RZ350とこの
CBと2台持っていた。この
CBの後にはチョイノリ通学
用にセカンドバイクとして
カワサキAR50を新車で購入
した。自分にとって初めて
の新車は発売当年のRZ350
だった。
バイクを買うのは16才の時
からすべて自分の金でまか
なっている。
カフェレーサーというスタイ
ルがまだ国内では殆ど知られ
ていない(ほぼ皆知らない)
時代に、私は英国ロッカーズ
スタイル(タイムリーに英国
で隆盛衰退の数年後)に一つの
憧憬に似た個性の突出性の輝
きを見ていた。
それは、決して「ブーム」や
「流行」という概念とは別次
元の二輪乗りの魂の表現、在
り様として。「抵抗者」とし
てのレジスタンス性に惹かれ
た。
16才の時には英国ロッカーズ
にそれを感じていた。
バイク雑誌で報道さえされな
い時代、洋書で英国ロッカー
ズの存在を知った。
私は馬とピースメーカー以外
は、アメリカンスタイルには
あまり興味は無かった。
オラオラジャイアンみたいな
のは今でも好きではない。
これは個体だけでなく、集団
的地域性においても。
基本、ホンダの25Tはブリテ
ィッシュ・トラディショナル
なスタイルのオートバイだっ
た事だろう。
この英国車のような。
後年、後継機種のホークCB
250Tがバブと称されて珍走
団に愛好されてチンドン屋
仕様に改造されたのは、か
なりマシンの方向性と指向
性が違うと私個人は思える。
CB25Tをここまで改造する所
さんには脱帽だ。
(1970年代当時はニーゴー
ティーと呼ばれていた)
世田谷ベース CB250T
ロードのシチュエーション
によっては、スクーターで
もこういう乗り方はごく普
通。
コーナー手前のフルブレー
キング直前から倒し込みの
体勢を取っておく。