力作の良作映画『初恋』(2006年)。
極めて細密に時代考証がされている。
あの1968年の東京の圧縮空気。
陽炎のような若者の波。
そして慟哭と悲痛な願いの結集。
「1968年」を実に見事に描いた
良作だった。
唯一、ひとつだけ残念な事がある。
1968年時点のオートバイ屋を描い
たシーン。
作品の中でこの店舗は重要だ。
主人公のみすずが二輪と出会う。
「単車が好きか」と大学生岸に訊か
れた女子高生のみすずはコクンと
頷く。
そして、西大久保のバイク屋で二輪
の乗り方を覚えて行く。
(下手だったのに段々上手くなる宮﨑
あおいさんの演技が特筆物。撮影以
前からプライベートでも自動二輪免
許を持つ人だった事は監督さえ知ら
なかった。郵便カブに始まりCP77
-あるいはCB72改-シートカスタム
のカフェレーサー仕様まで乗りこな
していた。徐々に上達するという、
細かい演技をしながら)
宮﨑あおいさんはプロの役者だ。
本当に「乗れる人」を表現している。
これ、実際にただの免許持ちでは
無理。この乗り屋のような乗り方は。
大抵、「バイク女子」と自称してい
る今の人たちは背骨を硬直直立させ
て、腰回りは後ろにソックリ返っ
ている。顎を前に出して肩を怒ら
せて肘を張り、腕をつっかえ棒
のように突っ張っている。
ている。顎を前に出して肩を怒ら
せて肘を張り、腕をつっかえ棒
のように突っ張っている。
足はこの宮﨑さんのようにステップ
でマシンホールドをしてきちんと
加重させておらず、ただ丸棒に足
を載せて置いているだけだ。
を載せて置いているだけだ。
それは、何一つ取っても「二輪車
に乗れる人」のフォームでは
ない。
に乗れる人」のフォームでは
ない。
というか、宮﨑さんは上手いから、
「下手な段階から上手に乗りこなす
までのみすずの成長を演じる」と
いう難しい演技ができたのだろう。
実力が無い下手な人は巧者の真似は
できない。未知の世界の事だから
だ。
だ。
このバイク屋は九州に実在する自転
車店舗の看板のみ作り替えてロケを
した。
いかにも1960年代のオートバイ店だ。
だが落とし穴がある。
看板住所の新宿区西大久保に五丁目
は無いのだが、それは物語の架空
場所なのでまだよい。
看板住所の新宿区西大久保に五丁目
は無いのだが、それは物語の架空
場所なのでまだよい。
郵便カブは万博後からでは、とかも
カルトクイズになるので置いておく。
多摩ナンバーは68年にはあったかと
いうとあった。東京オリンピックの
直後あたりには都内を走っていた。
問題は、1968年の二輪車の呼び方は
「単車」、「二輪車」、「オートバ
イ」であるのが歴史事実という事だ。
これ、小道具でなく、大道具の店の
看板での表記なので結構重要。
存在しない社会情勢や存在しない
存在しない社会情勢や存在しない
単語を使うのは時代物では厳禁だ
からだ。将軍綱吉の時代に犬追物で
武士が武芸鍛錬してたらおかしい、
てな類。
特に和製語の「オートバイ」が1970
年代末期までは日本では一般的だっ
たという絶対に外せない国内現実
が存在する。
単車はサイドカー付きの側車付に
対する二輪車単体の呼び名だ。
年代末期までは日本では一般的だっ
たという絶対に外せない国内現実
が存在する。
単車はサイドカー付きの側車付に
対する二輪車単体の呼び名だ。
「バイク」という語(これも和製語。
英語でバイクは自転車の事)が日本
で一般化するのは1970年代中期以
降なのである。
最初、暴走族や不良少年たちが
バイクと呼び始めた。
バイクと呼び始めた。
そして、雑誌がその新しい呼び名を
普及させ、メーカーが50cc原付の
普及を狙って「ミニバイク」「ファ
ミリーバイク」という呼称を作って
販売キャンペーンで広めた。
それが1975年から1978年の間。
バイクという新単語は1970年直後
あたりから発生していたが、普及
販売キャンペーンで広めた。
それが1975年から1978年の間。
バイクという新単語は1970年直後
あたりから発生していたが、普及
はしていなかった。
最初に印刷物で広めたのは漫画家の
望月三起也先生で、作品『ワイルド
7』(1969-1979)の「バイク騎士
(ナイト)事件」あたりからではなか
ろうか。
その新造語の情宣をして国内に
「バイク」という新語が完全普及
定着したのは70年代中期以降だ。
「バイク」という新語が完全普及
定着したのは70年代中期以降だ。
1980年代中期にはバイクという
呼び名が完全に定着した。
だが、レーシングライダーなどは
「オートバイ」と呼ぶ人が多い。
特に80年代に活躍したモーター
サイクルロードレースの選手たち
は、今でも「オートバイ」という
日本語造語の単語を好んで用いて
いる傾向がみられる。
私も一番好きな響きは「オート
バイ」だ。さらりと会話で使う
口語では「バイク」を用いたり
もするのだが、構えて論じる時
や特別な思いを込めて二輪を
指す時には、やはりなぜか私
は「オートバイ」という日本語
になる。
もするのだが、構えて論じる時
や特別な思いを込めて二輪を
指す時には、やはりなぜか私
は「オートバイ」という日本語
になる。
1960年代、1970年代の広島県の
親戚の叔父や大叔父たちの二輪
乗りは全員もれなく「単車」と
呼んでいた。東京では死滅しかけ
ていた単語だった。
「単車、よう乗るんか?(オート
バイ、上手く運転できるのか?)」
と親戚のおっちゃんたちに1970年
代によく訊かれた。
ちなみに「オートバイ」も「バイ
ク」も外国人には全く通じない。
だが、1980年代の日本の世界的モ
ータサイクルレースの牽引により、
英語圏の選手たちも「バイク」とい
う短い単語で自動二輪を表現する
事が始まった。今でも何人かの
日本贔屓の外国人選手は「バイク」
という単語を使って話したりする。
日本贔屓の外国人選手は「バイク」
という単語を使って話したりする。
英語では「モータサイクル」であり
「バイク」も「オートバイ」も無い。
バイクとは英語では自転車の事で
あり、オートバイは完全に日本語
だ。
この映画の時代設定である1968年
時点で、まだ未知の単語である
「バイク」をオートバイ屋が看板
に掲げる事はまず無い。
バイクとは英語では自転車の事で
あり、オートバイは完全に日本語
だ。
この映画の時代設定である1968年
時点で、まだ未知の単語である
「バイク」をオートバイ屋が看板
に掲げる事はまず無い。
1968年に「チョベリグ!(2021年で
既に死語)」と言うようなものだ。
『初恋』(2006)のバイク屋のセット
表現は、実に惜しい。
作品は最高だ。
作品は最高だ。
物語では、三億円強奪事件首謀者
の大学生岸と共にバイク屋の
おやじさんも国家秘密組織に
よって消されてしまう。
おやじさんも国家秘密組織に
よって消されてしまう。
みすずだけがノーマークで「抹消」
を免れて生き延びた。
そして、大学生になった後も、
みすずは岸が密かに用意していた
アパートに住み、岸の帰りをずっと
ひとり待つのだった。
この物語はフィクションだ、ろう。
中原みすずのそれ以前の二つのペン
ネームの原本作品での時代言葉使用
の齟齬が、もしかしたらこの映画
作品でのバイク屋の「バイク」の
言語使用の看板表現の伏線になって
いるとしたら、仮にそうだとしたら、
舌を巻く。
巧妙な作品のトラップに感心する。
もしそうであるならば、だが。
そして、それは、現実の1968年12月
の三億円事件の実行犯と捜査当局の
互いのいくつかのミスを極限に陳腐
にさせてしまう力を有している。
「もしそうであるならば」だが。
みすずは岸が密かに用意していた
アパートに住み、岸の帰りをずっと
ひとり待つのだった。
この物語はフィクションだ、ろう。
中原みすずのそれ以前の二つのペン
ネームの原本作品での時代言葉使用
の齟齬が、もしかしたらこの映画
作品でのバイク屋の「バイク」の
言語使用の看板表現の伏線になって
いるとしたら、仮にそうだとしたら、
舌を巻く。
巧妙な作品のトラップに感心する。
もしそうであるならば、だが。
そして、それは、現実の1968年12月
の三億円事件の実行犯と捜査当局の
互いのいくつかのミスを極限に陳腐
にさせてしまう力を有している。
「もしそうであるならば」だが。