1988 国際A級500cc Rd.3
”藤原儀彦が平忠彦に初めて
勝った筑波戦 ”
TADAHIKO TAIRA vs.NORIHIKO FUJIWARA
1988年の全日本筑波は特徴
的なレースだった。
平忠彦選手が筑波1ヘア手前
のS字2つ目で「平(たいら)乗
り」を既にやめ、後輩の藤原
儀彦選手が「平乗り」の逆ハ
ングを使っているという面白
い展開が見られた。
インフィールドでの平選手
のYZRはめちゃくちゃ速か
った。
世間では逆ハングフォームを
「平乗り」と呼んではいたが、
実は最初にやったのはジンプ
ライズの斉藤仁選手だったよ
うな記憶がある。
ジンプライズはプライベーター
選手が独自の店舗とアパレル
ブランドを持つ国内初の総合
二輪レース関連商品展開をし
たケースだったようにも記憶
している。
今では当たり前の展開だが、
当時はとても珍しく、先見性
があった。
そして、ジンプライズの商品
は、色もデザインもとても洗
練されていた。仁さんのヘル
メットもジャガーを左右に配
置し、紫がかったミッドナイ
トブルーと明るいブルーを使
用した非常にハイセンスな物
だった。
プライベーターであそこまで
高級感を出す意匠はなかなか
なかった。ウエアにパステル
トーンやピンクを男性用に使
ったのもジンプライスが嚆矢
のように思える。
私の記憶が確かなら。
そのセンスのラインは、どう
言ったらいいか・・・そう、
1985年にヤマハファクトリー
が資生堂とコラボして、商品
TEC21のパールの藤色のウエ
アとマシンを発表したあのセ
ンスは衝撃的だったが、実は
それよりも何年も前に、当時
ではほぼ存在しない色調とデ
ザインをジンプライズは発祥
させていた、という感じ。
ただ、1980年代は500クラス
ではプライベーターではもう
勝てない時代になっていたし、
250もそうだった。
市販車改造(ほぼ規制無制限)
のF3クラスまでもがワークス
マシンがずらりの時代だった
から。
プライベートレーシングライ
ダーの中で一番ハイセンスな
装いと光った走りだった斉藤
仁選手。全日本ではスズキの
市販レーサーRG500を駆って
いた。