けさ7時時点。
昨日よりもかなり寒いと感じ
たら、予報と同じく実際にそ
の通りだった。
腹時計と似て、体感てのは結
構正確(笑
自律神経が正常に機能してい
ると、そうした身体感覚は正
確に物事を捉える。
朝の寒暖ひとつとっても、自
己の体調診断の材料が神から
与えられている。
宗教行事であり、お騒ぎイベ
ントではない。
だが、七面鳥は食わないが、
ケーキは食う。
1980年代末期。
バブルという浮かれた時代、
あの都民の若者たちのパリピ
ぶりは一体なんだったのか。
てか、俺がもろにその世代だ
けどさ(笑
なぜ、定番が赤プリ泊だった
のか謎。予約なんて取れない
けどね、激戦で。
皆さん、おめかししてさ。
クリスチャンではないから、
降誕を祝いもせず、礼拝にも
参加せず、宴会騒ぎで若者は。
世の中のあれは何だったのか。
【アニメ】マッハGoGoGo_OP Speed Racer japan
♪風もふるえるヘアピンカーブ
ヘアピンってサーキットでは
シケインを除けば一番速度が
落ちる所なんだよね(笑
時代と共に最高速度は上がっ
ても、ヘアピンは殆ど変化無
し。大体60km/h~70km/h程
でクリップするコーナーが殆
どだ。凡そ30R前後。
「マッハGoGoGo」(1967~1968)
は大好きだった。
私が小学校に入学すると同時
に放送が開始された。
タツノコプロの「パイロット
A(エース)」と「マッハ三四郎」
が合わさって「マッハGoGoGo」
が誕生した。
Go!という英単語が1960年代
末期に流行ったのもこのアニメ
の影響だったろうと思う。
タツノコプロのアニメでは私は
1965年~1966年まで放送されて
いた「宇宙エース」が大好きだ
った。宇宙物が目白押しだった
のが1960年代中期アニメシーン
だった。
・宇宙エース(65~66/フジ=8ch)
・宇宙少年ソラン(65~67/TBS=6ch)
・遊星少年パピイ(65~66/フジ=8ch)
・レインボー戦隊ロビン(66~67/
NET=テレ朝=10ch)
・遊星仮面(66~67/フジ=8ch)
「宇宙エース」(1965)は私が
幼稚園時代の作品(笑
今でもソラで主題歌歌えるのだ
から、刷り込みは恐ろしい。
横浜市歌のようなもんだ(笑
宇宙エース オープニングタイトル
それにしても、アニメは子ども
の脳を刺激した。
1963年正月から放送開始された
虫プロTVアニメ第一作目の名作
「鉄腕アトム」は正月放送を楽
しみに観たのをよく覚えている。
私の年齢は満2才だ。
鉄腕アトム(1963)
2才児だろうと、記憶は鮮明に
残っている。再放送などではな
い。タイムリー記憶だ。かなり
衝撃的な第一話だった。
その頃のバイク初乗りの記憶も、
親戚の淑祖父の会話の言葉その
もの全てやバイクの音までよく
覚えている。YDS1のその音は
後年知るRDよりもRZの音のほ
うが近かった。おっちゃんの
バイクは、今思うとプラグが
被り気味だったかも(笑
電車以外では経験した事が無い
身体むき出しでの速度にぶった
まげた。世界観が一変した。
まだ2才だが。
私はバイクが走っていると面
白すぎてケラケラ笑い、エン
ジンを切ると悲しくて泣きだ
した。
淑祖父は言った。「ほれ、見
てみぃ。おかしな子じゃのう」
と。で、エンジンかけたり切
ったりしている。俺を実験台
のようにして笑いながら。
こちとら、その都度ケラケラ
とウゥ・・・ェーンとなった。
母が母の実家から飛び出て来て
「こんな小さな子どもをオート
バイなんかに乗せて!」と怒っ
ていた。淑祖父は悪びれもせず
に「ええから見てみぃ」と言っ
て何度かエンジンのキック始動
とエンジン切りを繰り返す。
私はミラーつけ根を握ってタン
ク前部に跨ったまま。
そのバイクに乗った時の話を話
すと母が「よく覚えてるねぇ」
と驚いたが、こちらは鮮明に覚
えている。
鮮烈な出来事は記憶に視覚的な
部分は映像化によって、また音
と具体的内容は記憶の抽斗に正
確にしまわれる。
なんせ1才の頃の中目黒の隣り
のおばちゃんの顔も覚えてる
くらいで(笑
まだおしめ時代の頃の事だが。
記憶ってそんなもん。
私は自分が生まれて初めて二
足歩行した時の記憶(0才児)
も鮮明にある。覚えている事
を話すと世間では嘘っぽがら
れるのであまりそれとは言わ
ないが。「記憶にございませ
ん」てな対応で(笑
直立初歩行の時は「あ!歩い
た!」と母が叫んだ。同行者
の女性のとこまで歩いた。
写真を見ると同行者は3名の
ようだが、もう少し員数は
いた記憶がある。
ただ、二度目にまた歩こうと
したら転んだ。生後10ヵ月の
時だった。言葉は片言を喋っ
ていた。初めて二足歩行した
のは新宿御苑の芝生の上だっ
た。
私はハイハイをせず、いきな
り直立歩行したらしい。
実は私の娘もそうだった。
私の娘は新宿の家の中でいき
なり自分で立った。風呂場の
バスタブの縁につかまって
スッと立ってキャッキャと
笑いながらはしゃいでいた。
ピョンピョンとジャンプしよ
うとしたので、危ない危ない
と押えた。
娘が初めて単語を喋ったの
は生後8ヵ月の時で、それは
犬の名前だった(笑
たまたま私の母が広島から新
宿の家に出て来ていて、その
人生初言葉の場にいた。
犬の名前を発したので大笑い
した。
娘は1才2ヵ月で齢を訊かれた
ら指を1本立てて相手に示し
ていた。数勘定は教えたが、
こう訊かれたらこう答えろ、
などとは一切教えていない。
1才半の時には、ごく普通に
大人と普通の会話をしてい
た。
とにかく、絵本の読み聴か
せを早くからずっとやって
いた。
教育関係者によると、読み
聴かせはあまり表現を豊か
にせず、淡々と朗読するのが
よい、とされていたが無視し
た。
まるで、深夜版ラジオドラマ
「あすは帰ろうオデッセイ」
のように、私一人で一人芝居
のように擬音も擬態も言葉も
リアルにやった。馬が鳴く時
などはまるで形態模写のよう
に。
気づくと、海綿が水を吸うよ
うに脳が発達してきた0~1才
児は、目を皿のようにして
集中してこちらの読み聴かせ
にいつも食い入るようになっ
た。時々、視覚作用ではない
想像力を育てる為に、絵本な
しで話をする事も多くやった。
とにかく、いろんな事を話し
て自分で考えさせる事をごく
早期からやった。
すると、2才あたりから「なん
で、なんで?」現象が起きる。
それの答えも、すぐに答えを
教えるのではなく、自分で考
えさせる事をさせた。
5才の時には城郭の濠の役目に
ついて、私の見解を批判して
そうではなく防備上の意味が
ある水の透明度の管理措置を
している事を濠を見ながら指
摘していたりもした。私を諭
すように「いい?よく聞いて」
と(笑
一理ある説だったので、私は
思わず、「君はなかなかやる
ね~」と言いつつ車の中で噴
き出した。
人は「考える事」はとても大
切だ。
人から「考える事」を外圧で
奪う行為は、虐待以外の何も
のでもない。人間疎外などの
レベルではなく、それは人間
を破壊する。
なお、私の子は、幼い時に駄々
をこねて地団太踏んだりする
ような事は一切無かった。
母から聞くと私も一切、全く
無かったようだ。
子どもの発達育成には添加剤
がある。加速添加剤。
それは「幼児言葉」を親が子
に対して使わない事だ。
幼児言葉から通常言葉への変
換過程を省いてやるのだ。
靴はクツでありクックとは呼
ばない。その手の類の教育方
法。自分で考えさせる事のフ
ィルターとなる言葉を大人が
使う単語とできるだけ同じく
するのだ。漢字熟語とかでは
なく。車はクルマであり、ブ
ッブではない、というように。
すると、人間の脳の発達が幼
少時から抜群に加速する。
これ、ほんと。それは中学あ
たりまで脳の飛躍的発達とし
て持続する。幼稚園児の時に
IQ160、中2時点での検査でも
IQ150台後半というのも事実、
発現したりする。
なお、それらIQは学力とは厳
密に連動はしない。
学校の勉学には好みが発生す
るので学科により学力偏向が
生じるからだ。
IQテストは複数の方式がある
が、個人の好みなど関係なく
脳の活性具合と発達度合いが
計れる。
日本人の平均値はIQ108で、
これは全世界の中でもトップ
クラスに類別されている。
あたしゃ思うに、テレビによ
る「一億総白痴化」と言った
政治家や学者は実はバカで、
日本のTVアニメによって「次
の展開を想像し、考えさせる」
という児童への脳の活性化が
1960年代に大幅に躍進したの
ではと思う。
そして、1960年代のアニメは
現代のように人を叩きのめし
てドヤるパターンではなく、
常に社会正義を子どもに考え
させる作り込みだった。
これは、戦後の日本再建の為
には、絶対に必要な教育的措
置でもあった。みんなで考え
みんなで社会をよりよいもの
にしていく、という。
面白い事例があった。
中学の時、修学旅行ではなく
謝恩会での遠足?があった。
中学生という事で、ガイドの
かわいいおねーさんがいろい
ろ観光バスの中で喋ったり
笑わせようとしたりする。
バスの中の我がクラスの男女
一切笑わない。はしゃぎもし
ない。全員シーンとなってガ
イドさんを見ているだけ。
ガイドのおねーさんは何度も
声に出して言ってしまった。
「何なの?この子たち。これ
って何?気持ち悪い~」と。
何度も「なにこれ?」と言う。
だって、言ってる事が幼稚す
ぎるのだもの。誰も笑ったり
それでウケたりするかっつー
の。小学1年生じゃないんだ
から。当時の連続企業爆破
事件について時事問題の観点
から議論してたり、部落問題
や反戦平和問題を真剣に議論
したり討議するような中学生
たちだったのだから。
それにね、おねーさん、人を
笑わせたりするのを舐めてる。
古典落語とか見たり聴いたり
して見聞ひろめろ、とかその
時思っただよな、俺は。
「うんこちんちん(とは言わな
かったが)」みたいなネタで
子どもが喜ぶのは幼稚園まで
だっつーの。人がバナナで転
んだりパンツずり落ちて笑っ
たりするのも園児や小学校低
学年までだっての。
特に1960年代の激動の社会を
目の当たりにして育った世代
は。抜き差しならぬ現実を見
て育った世代は。
おねーさん、わかってねぇよ
なぁ。
牧歌的なとこの生徒さんばか
りをそれまではガイドしてき
たのかもしれない。
彼女にとってもカルチャーシ
ョックだったろうが、そうい
う幼稚なトークで今どきの中
学生が一瞬たりとも笑うと思
ってか、てなのはあったな。
それは中3の1975年の秋の話。
中3だが、男はみんな高校生
みたいだし、女の子なんても
っと発達していて女子大生み
たいな感じだった。
そういう傾向は1980年代あた
りまで継続していた。
だから、1980年代初期のアイ
ドルたちは、かなり大人びて
いたでしょ?どんなにぶりっ
子していても、それはあざと
い演技であって。
時代的な若者の世相状態はそ
んなもん。
なんだか、今の時代は幼稚す
ぎる。大学生などは小学生み
たいな非自立性だし、女性も
まるで小学生みたいなの多い
しさ。
大人でもいい齢こいたおっさ
ん世代が食事中に着帽のまま
飯食ってたりする。
根本的に戦後~1960年代生ま
れとは人間が異なる。
ねじれた個人主義、野放図な
個人主義は個人の想像力や思
考力、俯瞰的客観性を自己に
向ける能力さえも排除するバ
カ生産主義だと思うよ、俺は。
俺だけでなく「近頃なぜかバ
カばっか」とか思ってる高齢
者も多いのではないか。
で、ゆとり以降の世代(現45才
程から下世代)の大多数は「年
寄りおっさんのボヤキ」では
ない深刻な日本社会の日本人
バカ化の社会現象として現出
している事に気づこうとしな
い。社会的意識性に乏しいか
ら。
大好きなのはネットSNSでの
他者排撃誹謗中傷と似非コン
プラ警察ニセ良市民ぶりのみ。
基本的にネット愚民はレイシ
ストと同類の種族だ。
それ、本物のバカ中のバカだ
から。
でもね、娘に言われた事があ
るよ。
「人の事をバカと言う人が
本当はバカなのよ」と。
娘が3才の時だ(笑
言語表現の地域性について。
東日本首都圏の場合、二輪の
良質走行内容の走りを実際に
見たり、映像で観たりした場
合、それを評して「乗れてい
る」と表現する。二輪の業界
用語だ。
一方、西日本中国地区広島エ
リアでは独特の言い方をする。
それは「走っとる」と言う。
首都圏でいう「よく乗れてる」
の場合は「よう走っとる」と
表現する。
それを首都圏語で「よく走っ
てる」と訳すとニュアンスを
外す。「よう走る」は「よく
走る」ではなく、「とても上
手に走らせている」という意
味が広島エリア方言での表現
においては主軸となるからだ。
首都圏語の「乗れてる」と同
義語が「走っとる」なのであ
る。
つまり、両者は同義であると
同時に、それは内実としては
can とdo と execution が極
めて色濃く反映されている状
態を指す表現なのだ。
そもそも「乗れてる」という
表現自体は二輪業界の専門的
な表現なので、二輪に接しな
い人たちにはピンと来ないだ
ろうが(笑
最近、首都圏人以外の西日本
出身者たちが非常に動画配信
者には多いゆえ普及?蔓延し
始めた二輪界の表現が一つあ
る。
それは「散る」という表現。
現行で動画配信などで多用さ
れるその表現は東日本には存
在しなかった。
二輪業界用語では「飛ぶ」と
表現した。
これはレース界から発生した
転倒を表す表現だが、かつて
は東日本だけでなく西日本で
も二輪走行時の転倒は「飛ぶ」
と表現していた。
この現象は、ロードレースが
全国的に隆盛をみた1980年代
には顕著で、関西人も広島人
も転倒の事を「飛ぶ」と表現
していた。(1970年代に私が
高校時代に在籍した都内のレ
ーシングチームには広島方言
しか話さない広島県出身者が
いたが、やはり「飛ぶ」表現
を使用していた)
スピードを出す事の「飛ばす」
とは別な意味の独自表現だ。
だが、いつの間にか二輪での
転倒の事を「散る」と呼ぶ人
たち(とりわけレースに関与
しない人たち)から表現が発
生しはじめ、西日本側からそ
の表現が燎原の炎のように広
まっている。
最近ではサーキット走行での
転倒の事さえも「散る」と表
現する傾向がみられる。主と
してやはり西日本勢力側がそ
の表現を使う。
ただ、古くからロードレース
に関わって来た人たちは、今
も転倒の事は「飛ぶ」と呼ぶ。
二輪業界の最先鋒ロードレー
ス界が表現をも発信して斯界
を牽引して来たのがこれまで
の日本国内の二輪界における
趨勢だったが、ここ何年かで
レースとは無縁の一般走行者
の側から新たな二輪限定表現
が登場した事は社会学的に非
常に面白い。
ただ、私自身は古い人間なの
で「散る」は使わない。
「飛ぶ」は再起可能だが「散
る」は神風特攻隊のように片
道切符のような印象があり、
二輪走行の思想性として不撓
不屈の性根とはマッチしない
ように強く思えるからだ。
二輪とは「立て。立つんだ!
ジョー!」のような不滅の
立ち上がる根性が無いと乗っ
てはいけない乗り物だと私は
思っている。
なので、私自身は、言葉の流
行などに流されて「散る」は
二輪の走行時転倒表現として
は使わない。
散ったらサヨウナラなのだ。
地雷を踏んだらサヨウナラで
あるように。
(地雷は遅延性起爆は殆ど存
在せず、踏んだ瞬間に爆発す
る。よく映画やドラマで地雷
を踏んで足を離したら爆発、
というのは大嘘。現実世界で
は地雷は踏んだら助からない。
戦地で歩兵にとって一番の恐
怖は狙撃手であり、それと同
列に地雷と空爆・砲撃がある)
表現は人間の思想性を代弁す
る。
てめえのかかあの事を他人様
に対して「奥さん」とか言っ
てる間抜けにはその真実が解
るまい。
君よ、漢ならば表現者たれ。
「どっちでもええやん」では
ない。
巻藁と畳表巻は別物なのだ。