渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

造りの甘さ

2024年12月25日 | open
 


AVIREXのツーリングブーツ
は非常に良いのだが、唯一
足首回りにPU使っているの

が欠点。
長年履いているとズタボロ
になる(笑
なんとかしちくり、AVIREX。



夫婦岩 ~岡山県~

2024年12月25日 | open

【険道★/恐怖?今にも崩れそう
な絶壁と今にも倒れそうな巨岩】
岡山県道435号 宇治長屋線
【高梁市・夫婦岩・カルスト地形】


暖かくなったら、ここに原付
で行ってみっかな。
三原城からは往復で約200km。
原付散歩には丁度よい距離だ。


ティーセット持って行って、

展望台でポットから熱い茶を
飲むってのもいいかも。
火気厳禁だろうからバーナー
沸かしではなく保温ポットか
ら茶。
ペットボトルよりはいいぜ。
手製のサンドイッチとかここ

で景色見ながら腹に詰め込ん
でさ。




 


今は無いメーカー ~プロショップ高井~

2024年12月25日 | open
 

ヤマハファクトリーライダー
の高井幾次郎さんがプロデュ
ースする「プロショップ高井」
の製品は質がとてもよかった。
1980年代にはヤマハ系ライダ
ーの多くが使用していた。
ケニー・ロバーツでさえ。

そのプロショップ高井の製品
は私も何点か使用していたが、
ブーツとグローブは国内最高
の出来だった。特にグローブ。
これ至高究極。ケニーも高井
のグローブを使っていた。
ブーツはロングブーツ(当時
のレーシングブーツ)とショ
ートを私は使っていたが、シ
ョートブーツが、これまたか
なり良い造りの製品だった。
プロショップ高井が消滅した
のはとても残念だ。
平忠彦さんが引き継いで製品
をリリースしていたが、今は
それも消滅した。
当然、1982年の角川映画『汚
れた英雄』で草刈正雄の吹き
替えで平さんが走るシーンの
レザーウエアは、上から下ま
でプロショップ高井製。

高井ショートブーツ。これ最
高。ヒールはケニー・ロバー
ツが考案したケニーカットに
造られている。直立型ヒール
で、底の内と外の直立部のラ
インが斜めに造られているコ
ーナリング用。

 

高校時代のブーツ

2024年12月25日 | open



1970年代中期~後半の高校
時代は、この1973年ドラマ
「ワイルド7」のような
茶色
のブーツを「走り」の
時には
履いていた。

ただ、将校ブーツのような
ではなく、
ファスナー付の乗
馬用だった。メーカーは不明。


こんな感じ。


それを走行の時にはブーツイ
(パンツをブーツの中に入れ
る)
だが、マシンから降りて街
歩いたり店に入る時にはブ
ーツ
アウト(パンツが外)にし
ていた。

当時、ロングブーツでブーツ
アウトにする履き方は珍しく、
他にはあまり見なかった。

ただ、ロッカーズはショート
ブーツをブーツアウトでパン
ツの中に履いて
いた。それが
ごく普通の当たり前。
私は高1時はマドラスのブーツ
をよく履いていた。新宿東口
ワシントン靴店で購入した物。
それでバイクに乗ると左側が
疵つくのであまりバイク乗車
時には履かなかったが、土曜
の夜の都内大集団走行では履
いていた(笑
上は当然革ジャン。

こんな感じのマドラス。


最近はレザーウエアメーカー

もバイク用ブーツを作ってい
る。
特に東京大田区のペアスロー
プのブーツが気に入っている。


ペアスロープのリーガルとの
コラボブーツの茶色も持って
いるが、こちらもなかなか良
製品。ただ、茶色のほうは少
し革が硬い。
ペアスロープは細かい部分ま
で作り込みが非常に良い。
おすすめ。

東京大田区夫婦坂ペアスロープ。
一推し。

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ホンダと日産、三菱自が経営統合

2024年12月25日 | open



3社の経営統合は2026年から。
とてつもない業界再編だ。
合体しないと外圧に耐えき
ない。

まさにやばい、いつか辿った
「戦前」の気配。



 


1988 国際A級500cc Rd.3 ”藤原儀彦が平忠彦に初めて勝った筑波戦

2024年12月25日 | open

1988 国際A級500cc Rd.3
”藤原儀彦が平忠彦に初めて
勝った筑波戦 ”
TADAHIKO TAIRA vs.NORIHIKO FUJIWARA


1988年の全日本筑波は特徴
的なレースだった。

平忠彦選手が筑波1ヘア手前
のS字2つ目で「平(たいら)乗
り」を既に
やめ、後輩の藤原
儀彦選手
が「平乗り」の逆ハ
ングを
使っているという面白
い展開が見
られた。
インフィールドでの平選手

のYZRはめちゃくちゃ速か
った。

世間では逆ハングフォームを
「平乗り」
と呼んではいたが、
実は最
初にやったのはジンプ
ライズの斉藤仁選手だったよ
うな記憶がある。
ジンプライズはプライベーター

選手が独自の店舗とアパレル
ブランドを持つ国内初の総合
二輪レース関連商品展開をし
たケースだったようにも記憶
している。
今では当たり前の展開だが、
当時はとても珍しく、先見性
があった。
そして、ジンプライズの商品
は、色もデザインもとても洗
練されていた。仁さんのヘル
メットもジャガーを左右に配
置し、紫がかったミッドナイ
トブルーと明るいブルーを使
用した非常にハイセンスな物
だった。
プライベーターであそこまで
高級感を出す意匠はなかなか
なかった。ウエアにパステル
トーンやピンクを男性用に使
ったのもジンプライスが嚆矢
のように思える。
私の記憶が確かなら。
そのセンスのラインは、どう
言ったらいいか・・・そう、
1985年にヤマハファクトリー
が資生堂とコラボして、商品
TEC21のパールの藤色のウエ
アとマシンを発表したあのセ
ンスは衝撃的だったが、実は
それよりも何年も前に、当時
ではほぼ存在しない色調とデ
ザインをジンプライズは発祥
させていた、という感じ。
ただ、1980年代は500クラス
ではプライベーターではもう
勝てない時代になっていたし、
250もそうだった。
市販車改造(ほぼ規制無制限)
のF3クラスまでもがワークス
マシンがずらりの時代だった
から。

プライベートレーシングライ
ダーの中で一番ハイセンスな
装いと光った走りだった斉藤
仁選手。全日本ではスズキの
市販レーサーRG500を駆って
いた。



 


2024.12.24-25

2024年12月25日 | open