渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ブーツの爪先防寒について

2024年12月25日 | open
 


この北欧軍用ブーツは極寒時
には日本であっても爪先が激
冷になる。まじで。
ことしの3月は寒い春で、ベ
スパを神戸から広島まで陸送
する時にこの軍用長靴を履い
た。3月なのに雪が降る峠越
えで他の身体部分は防寒対策
バッチリで何ともなかったが、
爪先だけは凍傷になるのでは
という程に冷たくかじかんだ。
この軍用レザーブーツはWW2
のドイツ軍と同じ物の北欧軍
実物だが、往時の寒冷地の戦
地では兵たちは何かインナー
の工夫をしていたのだろう。
でないと、ぜってー兵士たち
戦闘以前に凍傷でやられちゃ
うよ。
表示サイズよりもブカブカな
のは、ドイツ軍やソ連軍や北
欧諸国軍はブーツの中にいろ
んなグルグル巻きの防寒をす
る事を前提としていたのでは
なかろうか。
私は軍事戦局研究はしていて
も、詳細備品に及ぶまでの軍
事研究家でも何でもないので、
そこらの細かいところには詳
しくはない。
ただ、普通に革パンの下にヒ
ートテックアンダーウエアを
着て、普通の厚手の綿ソック
スを履いていただけだと、極
寒時の二輪走行でこの軍用革
ブーツは爪先を流氷の海に浸
けたように凍える。流氷の海
に浸けた事はないが。
これね、正直な話、強靭な爪
先防護パットが仕込まれた安
全靴を履いていたほうが防寒
にも役立つのではと思える。
いや、ほんとに。
それと、今ではツーリングブ
ーツとされる1980年代のレー
シングブーツは、爪先が厚手
の皮革で防護のために十二分
に覆われていて、その80sレー
シングブーツでは極寒の中を
走破しても冷たさは感じない。
今のレーシングブーツはまる
でスキーのビンディングシュ
ーズのような造りなのでなお
さら寒さにさえも強いのでは
なかろうか。
スキーやスノボの靴が寒いと
感じる事は皆無だ。
また、スケートの靴も本革だ
が非常に厚く、50年以上前か
ら冷たさは一切感じさせない
造り込みになっている。
北欧の軍用ブーツ、ドイツ、
ソ連の第二次大戦時のブーツ
は、ただの革靴だ。そら冷た
い。
サイズ表示よりもブカブカ仕
様であるのは、ソックスの上
にゲートル類をぐるぐる巻き
で足を包んだとか、何かそう
した仕様になっていたのでは
なかろうか。
ま、とりあえず、北欧軍ブー
ツ、ドイツ軍兵式ブーツ(よく
ドイツ軍装代用品としてサバ
ゲやコスプレで代用される北
欧軍の旧式軍用ブーツ実物)
は、爪先がつめてえぇえ~!
これ、ホント。
何か対策しないと、凍傷にな
るで、ほんま。

大昔の対策としては、唐辛子
でも入れとけ、てやつなんだ
けど、それ、血流活性化とし
ては結構合ってたりする(笑
今は、いろいろ良い爪先防寒
製品が出ているので、対策で
きる。
というか、極寒時には旧式革
ブーツではなく、爪先バッチ
リのブーツがおすすめ。
廉価シリーズとしては安全靴
がいいのではなかろうか。
靴の中の足の指上あたりにサ
ーモシートを貼って。

 
 

 


造りの甘さ

2024年12月25日 | open
 


AVIREXのツーリングブーツ
は非常に良いのだが、唯一
足首回りにPU使っているの

が欠点。
長年履いているとズタボロ
になる(笑
なんとかしちくり、AVIREX。



夫婦岩 ~岡山県~

2024年12月25日 | open

【険道★/恐怖?今にも崩れそう
な絶壁と今にも倒れそうな巨岩】
岡山県道435号 宇治長屋線
【高梁市・夫婦岩・カルスト地形】


暖かくなったら、ここに原付
で行ってみっかな。
三原城からは往復で約200km。
原付散歩には丁度よい距離だ。


ティーセット持って行って、

展望台でポットから熱い茶を
飲むってのもいいかも。
火気厳禁だろうからバーナー
沸かしではなく保温ポットか
ら茶。
ペットボトルよりはいいぜ。
手製のサンドイッチとかここ

で景色見ながら腹に詰め込ん
でさ。




 


今は無いメーカー ~プロショップ高井~

2024年12月25日 | open
 

ヤマハファクトリーライダー
の高井幾次郎さんがプロデュ
ースする「プロショップ高井」
の製品は質がとてもよかった。
1980年代にはヤマハ系ライダ
ーの多くが使用していた。
ケニー・ロバーツでさえ。

そのプロショップ高井の製品
は私も何点か使用していたが、
ブーツとグローブは国内最高
の出来だった。特にグローブ。
これ至高究極。ケニーも高井
のグローブを使っていた。
ブーツはロングブーツ(当時
のレーシングブーツ)とショ
ートを私は使っていたが、シ
ョートブーツが、これまたか
なり良い造りの製品だった。
プロショップ高井が消滅した
のはとても残念だ。
平忠彦さんが引き継いで製品
をリリースしていたが、今は
それも消滅した。
当然、1982年の角川映画『汚
れた英雄』で草刈正雄の吹き
替えで平さんが走るシーンの
レザーウエアは、上から下ま
でプロショップ高井製。

高井ショートブーツ。これ最
高。ヒールはケニー・ロバー
ツが考案したケニーカットに
造られている。直立型ヒール
で、底の内と外の直立部のラ
インが斜めに造られているコ
ーナリング用。

 

高校時代のブーツ

2024年12月25日 | open



1970年代中期~後半の高校
時代は、この1973年ドラマ
「ワイルド7」のような
茶色
のブーツを公道での「走り」
時には履いていた。
ただ、将校ブーツのような
ではなく、
ファスナー付の乗
馬用だった。メーカーは不明。


こんな感じ。


それを走行の時にはブーツイ
(パンツをブーツの中に入れ
る)
だが、マシンから降りて街
歩いたり店に入る時にはブ
ーツ
アウト(パンツが外)にし
ていた。

当時、ロングブーツでブーツ
アウトにする履き方は珍しく、
他にはあまり見なかった。
ワイルドウエスト時代のアメ
リカではごく普通だったが、
日本では二輪乗車ではブーツ
アウトは一般的ではなく、殆
どがブーツインだった。

ブーツアウトのクリント・
イーストウッド
とブーツイン
のリー・ヴァン・クリーフ。


ブーツアウト。

ブーツイン。
ブーツはいずれもプロショップ
高井のレーシングブーツ。
(MFJ公認)

ただ、日本のストリートロッ
カーズはショート
ブーツをブ
ーツ
アウトでパンツの中に履
いて
いた。それがごく普通の
当たり前。

私は高1時はマドラスのブーツ
をよく履いていた。新宿東口
ワシントン靴店で購入した物。
それでバイクに乗ると左側が
疵つくのであまりバイク乗車
時には履かなかったが、土曜
の夜の都内大集団走行では履
いていた(笑
上は当然革ジャン。

こんな感じのマドラス。


最近はレザーウエアメーカー

もバイク用ブーツを作ってい
る。
特に東京大田区のペアスロー
プのブーツが気に入っている。


ペアスロープのリーガルとの
コラボブーツの茶色も持って
いるが、こちらもなかなか良
製品。ただ、茶色のほうは少
し革が硬い。
ペアスロープは細かい部分ま
で作り込みが非常に良い。
おすすめ。
東京大田区夫婦坂ペアスロープ。
一推し。

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ホンダと日産、三菱自が経営統合

2024年12月25日 | open



3社の経営統合は2026年から。
とてつもない業界再編だ。
合体しないと外圧に耐えき
ない。

まさにやばい、いつか辿った
「戦前」の気配。



 


1988 国際A級500cc Rd.3 ”藤原儀彦が平忠彦に初めて勝った筑波戦

2024年12月25日 | open

1988 国際A級500cc Rd.3
”藤原儀彦が平忠彦に初めて
勝った筑波戦 ”
TADAHIKO TAIRA vs.NORIHIKO FUJIWARA


1988年の全日本筑波は特徴
的なレースだった。

平忠彦選手が筑波1ヘア手前
のS字2つ目で「平(たいら)乗
り」を既に
やめ、後輩の藤原
儀彦選手
が「平乗り」の逆ハ
ングを
使っているという面白
い展開が見
られた。
インフィールドでの平選手

のYZRはめちゃくちゃ速か
った。

世間では逆ハングフォームを
「平乗り」
と呼んではいたが、
実は最
初にやったのはジンプ
ライズの斉藤仁選手だったよ
うな記憶がある。
ジンプライズはプライベーター

選手が独自の店舗とアパレル
ブランドを持つ国内初の総合
二輪レース関連商品展開をし
たケースだったようにも記憶
している。
今では当たり前の展開だが、
当時はとても珍しく、先見性
があった。
そして、ジンプライズの商品
は、色もデザインもとても洗
練されていた。仁さんのヘル
メットもジャガーを左右に配
置し、紫がかったミッドナイ
トブルーと明るいブルーを使
用した非常にハイセンスな物
だった。
プライベーターであそこまで
高級感を出す意匠はなかなか
なかった。ウエアにパステル
トーンやピンクを男性用に使
ったのもジンプライスが嚆矢
のように思える。
私の記憶が確かなら。
そのセンスのラインは、どう
言ったらいいか・・・そう、
1985年にヤマハファクトリー
が資生堂とコラボして、商品
TEC21のパールの藤色のウエ
アとマシンを発表したあのセ
ンスは衝撃的だったが、実は
それよりも何年も前に、当時
ではほぼ存在しない色調とデ
ザインをジンプライズは発祥
させていた、という感じ。
ただ、1980年代は500クラス
ではプライベーターではもう
勝てない時代になっていたし、
250もそうだった。
市販車改造(ほぼ規制無制限)
のF3クラスまでもがワークス
マシンがずらりの時代だった
から。

プライベートレーシングライ
ダーの中で一番ハイセンスな
装いと光った走りだった斉藤
仁選手。全日本ではスズキの
市販レーサーRG500を駆って
いた。



 


2024.12.24-25

2024年12月25日 | open