1997年製TAD
上:吉村シャフト/下:TADシャフト
ビリヤードキューのクリア塗料
の質については慎重さを必要と
する。
オイルアップのみという手も
あるが、この方法は意外とイケ
るかもしれない。試した事は
まだないが。
ビリヤード・キューのクリア
塗装の方向性には世界的に二つ
の傾向が見られる。
ショーンのように、カッチカチ
の塗膜で木材を塗り固める
方向と、TADのように木を
殺さずに、木に呼吸させる
「ニス」の薄塗りの方向性だ。
ショーン系は木材を活かしな
がら殺していくような塗り固
めで、TADなどは弦楽器など
の塗膜と同じく、木の振動を
最大限に引き出す方式を採っ
ている。
昔、東京のあるチェーン店の
ビリヤード場の知り合いの店
長が、キューの表面クリア塗装
を取ったらなぜか凄く良い打球
性能のキューに変身して驚い
た、と自身のブログで書い
ていた。
玉を撞いた時の振動とその
収縮性がクリア塗装によって
阻害されていたのが除去され
たからだろう。
実は私は逆の方向で同じ経験
がある。
自分のTADを自分で完全
クリア塗装してみたのだ。
TADオリジナルのニスは経年
変化で黄色化が激しく、真っ
黄色のキューになってしまう
からだ。
塗装は非常に上手く行き、
ツルツルピカピカのTAD
キューに生まれ変った。
資産価値などはハナから勘案
しない。自分のキューなので
自分でリペアしてみた。
だがしかし!
打球性能が従前のTADの
オリジナルとは全く異なる
キューになってしまったの
だった。異様にトビとズレ
が大きくなったのだ。
トビが大きくとも見越しを
取れば補正できるので構わ
ないのだが、そのトビの
出方の出現曲線が急激に
ある一点から変化するので、
非常に扱いにくいキューに
なってしまったのである。
本来のオリジナルニスの
TADの場合は、トビはあっ
ても、それを感知して制御
しやすく、それゆえにTAD
ならではの手玉の変化を
出すことができたのだが、
どこで滑ったり飛んだり
するか判らないような性質
になったらそれはかなり
扱いづらい物となる。
TADのTADらしい秘密は
塗膜にもあったのか、
だからいつまでも楽器の
ようなニスを薄く塗ること
にTADはこだわり続けていた
のか、と深く分かった次第。
その私のTADは専門職人
さんに超極薄塗りでリペア
してもらった。
性能は元来のTADに戻った
(完全ではない)。戻った
というよりも、元来の能力
に接近した、という表現が
厳密には正しい。
TADの本来の能力を知る
ためには、出荷時の標準
の楽器のようなニス塗り
の個体がTADらしさを出し
ているので、そのTADで
撞かなければTADとはどう
であるのかを判断できない、
ということは断定できる。
それらを考えると、ラック
カイガラムシの分泌物を
精製して造られたセラック
ニスというものは、木を
完璧に生かしたまま木材
の特性を最大に活かせる
性質の、特別であり唯一
無二の表面保護材である
ということがよく分かる。
なぜストラディバリが
あの音を出せるのか、
現代においてもまったく
の謎であるのだが、木材
の河川利用による運搬
方法とセラック等の表面
処理が大きく影響している
のではなかろうか。
少なくとも、プール・
キュー職人のTADコハラ
さんは、楽器系のニスに
非常にこだわっていた。
これは彼が家具職人で
あったこととも関係して
いるかも知れない。木を
どのように扱うかという
ことについて、TADは他の
一般的キューメーカーとは
異なる視点でのアプローチ
があったと思われる。
セラックニス。
これをアルコールで溶かして
薄い溶液を作り、それを
木材表面に漆塗りのような
高度な技術で塗って行く。
高級ギターやバイオリンには
セラックが欠かせない。
私は結局、自分のストレート
キューでは二液性ウレタン塗り
ではなく、ニトロセルロース系
ラッカー仕上げにした。アクリル
よりも光沢は無いがしっとりと
仕上がり、木の動きも妨げない。
極薄塗りにした。塗って乾いて
は磨いてを繰り返しての完成時
極薄状態。
結果、撞球性能は想像以上に
殊の外良い。
やっと既存キューの改造や
コンバージョンではない、
自分自身の自作のキューが
完成した。2017年完成。
爾来5年使い続けているが、今
のところ、自分にとっては性能
は最良だ。
私はファンシーリングは現時点
では作れないので、ジョイント
リングは素材削りの接着のみだ。
だが、プレーンな坊主にはそれ
が似合う。
二液性ウレタンでの厚塗りとは
異なる仕上げ。光沢の輝度は
低いが、撞球性能は頗る良い。
目指していたのはこれだ。
私の良音奏でる古い京都茶木
のアーチトップJAZZギターの
ような仕上がり。木の動きを
阻害しない。これ、撞球杖の
性能としては最良。木製箱型
撥弦楽器と同じ方向性の採択
は正解だった。
ブランクは30年以上物で、寝
かしては削りの熟成物。形に
するのだけで30年の年月を要
した。長い道のりだった。
シャフトの先角は象牙以外では
LBM(リネンベースメラミン)が
一番好きだが、やはり象牙が
好き。これはどうしようもない。
このフェラルの材というものは
動体能力としてシャフトのテー
パーと密接な関係があるので、
単純に先角の素材だけを特性
や好みで選択するのは危険だ。
ただ、最近はハイテクシャフト
にみられるように、先角の硬度
と重量と全体容積を下げて、
キュー先のディフレクション
低下によるトビの減少を狙う
傾向性が強いようだ。シャフト
設計の方向性として。
しかし、これも一概にそれが
万事において良とは言い難い。
ある程度のトビが無いと別な
要素で悪影響がプレーに出る
からだ。ファクターの細部の
問題として。
それでも「見越し少=正義」と
いうような歪んだ表面的視点
が蔓延していた時期があり、
メーカーもそれに沿ったハイ
テクシャフトを盲目的に作っ
ていた。
ヒネリ順入れの際の微細なトビ
による、歯車効果での先玉の
薄くズレることの自然補正=
トビからくる見越し+歯車効果
ズレの相殺、という事を無視
している。
逆入れなどは見越せばよい。
いくら手玉が直進しようとも、
ヒネリを使えば先玉=的玉が
横にずれるのでそれに対する
見越しは必要になる。
手玉さえ直進すれば「トビ
無し=見越し要らず」という
のは明らかに誤った解釈で
現実の現象を無視している。
ハイテクシャフトとソリッド
シャフトの最大の違いは、手玉
の直進性ゆえ、ハイテクシャフト
は手玉分離角度が狭くなり、
ソリッドシャフトは分離角度
は大きいが、分離後のスピンで
さらにカーブを描いて進行する
という現象が存在するその差異
だ。
使い分ければどちらのシャフト
でも有効利用できる。
どちらでも使いこなせるとなる
と、その後の選択肢は打感や
音や、手玉軌跡の好みの問題
となってくる。
私は、圧倒的に抽斗の多い
幅広い玉筋を撞けるノーマル
ソリッドシャフトのほうが
自分の感性に合致している。
だが、大手メーカーは大量
消費商品として、手玉直進性
のみを追求したハイテクと称
した消耗品の商品シャフトを
作り続ける。
なんだろうなぁと思っていたら、
プレーヤーからも「ノーマルに
近いハイテクシャフト」を求め
る声もかなり多かったようで、
メーカーはすぐに「ある程度
トビが出るシャフト」をハイ
テク構造で作り出して販売し
始めた。さすがに抜け目ない。
それが2008年前後。メッヅの
WD700などは典型だ。
だが、最近の傾向は、再びもっと
トビを押さえる性能要件を掲げ
て開発されている方向性も見える。
そしてついに、木材ではない
カーボン使用のシャフトが登場
した。個人的には一切興味無い
が。完全に木を離れた化学素材
なので。チタンヘッド最高!
の世界とは私は撞球道具は別物
だと思っているので。
そして、2020年あたりからまた
別な一つの潮流が出始めた。
それはノーマルソリッドシャフト
の復活だ。
但し、昔のように良材が枯渇
しつつあるので、高級品のみの
ノーマルシャフトとなっている
ようだ。
となると、それは俯瞰するに、
結局は、カスタムメーカーが
手塩にかけて育てたハードロック
メイプルの材によるシャフト
製作という視点に回帰していく。
結局、最良物というのは、どん
なに一面的に見かけの表面の
「科学的」な開発製品であろう
とも、実は1960年代に既に我々
人類は解答を得ていたのでは
なかろうか。
自動車では四輪車と二輪車で
史上最高の開発の健全性が
存在したのが1980年代末期
だった。
ビリヤードのキューにおいて
は、1960年代~70年代末期
に一つの公式のような正解を
我々の先達たちは獲得して
いたと思える。
ごく最近の傾向としては、今世紀
初頭あたりに蔓延した「ハイテク
=最新式の素晴らしい優れた物。
ノーマルシャフト=時代遅れの
能力の低い古いシャフト」という
くそ馬鹿げた拙劣で単細胞の
おバカな見解が希釈されてきて
いる事を業界の流れからは感じる。
ノーマルソリッドシャフトの
見直しという知見などはそれの
一つだろう。
しかし日本人、流行・ブームが
大好きだね。今世紀初頭は猫も
杓子もハイテクハイテクハイテク
だったから。
ハイテクシャフトを着ければ
玉が入るかと思い込んで。
そして、新しいものが何でも素晴
らしくて、古い物はローテクだ、
とかいう極めて質の低い感覚で
しか撞球道具を見ることができ
ない些末性、矮小な視野狭窄
による思考停止が蔓延していた。
その頃思っていた。
「ああ、こういう人たちは絶対
に日本刀の良さとか理解でき
ないだろうなぁ」と。
古い物の良質性を超越できない
最新物の限界性というものが
ある事実現実が見えないと
いう事は、真の未来の良質性
は作れない。
ハイテクシャフト自体は良い。
それの捉え方が「最新=最良、
古い物=駄目な物」とする
視野狭窄が思考の錯誤なのだ。
そしてそれは矛盾する。
最新物がすべて良いならば、
旧型になった自分のハイテク
シャフトはもう「時代遅れで
古いローテク物」になるのか、
という絶対矛盾を自分で言う
事になる。
おかしな事は言わないほうが
いい。
産業構造や製造物だけでなく、
文化にしろ文芸にしろ良質性
というものは圧倒的な不朽性
を厳然と有しているのだ。
上:吉村シャフト/下:TADシャフト
ビリヤードキューのクリア塗料
の質については慎重さを必要と
する。
オイルアップのみという手も
あるが、この方法は意外とイケ
るかもしれない。試した事は
まだないが。
ビリヤード・キューのクリア
塗装の方向性には世界的に二つ
の傾向が見られる。
ショーンのように、カッチカチ
の塗膜で木材を塗り固める
方向と、TADのように木を
殺さずに、木に呼吸させる
「ニス」の薄塗りの方向性だ。
ショーン系は木材を活かしな
がら殺していくような塗り固
めで、TADなどは弦楽器など
の塗膜と同じく、木の振動を
最大限に引き出す方式を採っ
ている。
昔、東京のあるチェーン店の
ビリヤード場の知り合いの店
長が、キューの表面クリア塗装
を取ったらなぜか凄く良い打球
性能のキューに変身して驚い
た、と自身のブログで書い
ていた。
玉を撞いた時の振動とその
収縮性がクリア塗装によって
阻害されていたのが除去され
たからだろう。
実は私は逆の方向で同じ経験
がある。
自分のTADを自分で完全
クリア塗装してみたのだ。
TADオリジナルのニスは経年
変化で黄色化が激しく、真っ
黄色のキューになってしまう
からだ。
塗装は非常に上手く行き、
ツルツルピカピカのTAD
キューに生まれ変った。
資産価値などはハナから勘案
しない。自分のキューなので
自分でリペアしてみた。
だがしかし!
打球性能が従前のTADの
オリジナルとは全く異なる
キューになってしまったの
だった。異様にトビとズレ
が大きくなったのだ。
トビが大きくとも見越しを
取れば補正できるので構わ
ないのだが、そのトビの
出方の出現曲線が急激に
ある一点から変化するので、
非常に扱いにくいキューに
なってしまったのである。
本来のオリジナルニスの
TADの場合は、トビはあっ
ても、それを感知して制御
しやすく、それゆえにTAD
ならではの手玉の変化を
出すことができたのだが、
どこで滑ったり飛んだり
するか判らないような性質
になったらそれはかなり
扱いづらい物となる。
TADのTADらしい秘密は
塗膜にもあったのか、
だからいつまでも楽器の
ようなニスを薄く塗ること
にTADはこだわり続けていた
のか、と深く分かった次第。
その私のTADは専門職人
さんに超極薄塗りでリペア
してもらった。
性能は元来のTADに戻った
(完全ではない)。戻った
というよりも、元来の能力
に接近した、という表現が
厳密には正しい。
TADの本来の能力を知る
ためには、出荷時の標準
の楽器のようなニス塗り
の個体がTADらしさを出し
ているので、そのTADで
撞かなければTADとはどう
であるのかを判断できない、
ということは断定できる。
それらを考えると、ラック
カイガラムシの分泌物を
精製して造られたセラック
ニスというものは、木を
完璧に生かしたまま木材
の特性を最大に活かせる
性質の、特別であり唯一
無二の表面保護材である
ということがよく分かる。
なぜストラディバリが
あの音を出せるのか、
現代においてもまったく
の謎であるのだが、木材
の河川利用による運搬
方法とセラック等の表面
処理が大きく影響している
のではなかろうか。
少なくとも、プール・
キュー職人のTADコハラ
さんは、楽器系のニスに
非常にこだわっていた。
これは彼が家具職人で
あったこととも関係して
いるかも知れない。木を
どのように扱うかという
ことについて、TADは他の
一般的キューメーカーとは
異なる視点でのアプローチ
があったと思われる。
セラックニス。
これをアルコールで溶かして
薄い溶液を作り、それを
木材表面に漆塗りのような
高度な技術で塗って行く。
高級ギターやバイオリンには
セラックが欠かせない。
私は結局、自分のストレート
キューでは二液性ウレタン塗り
ではなく、ニトロセルロース系
ラッカー仕上げにした。アクリル
よりも光沢は無いがしっとりと
仕上がり、木の動きも妨げない。
極薄塗りにした。塗って乾いて
は磨いてを繰り返しての完成時
極薄状態。
結果、撞球性能は想像以上に
殊の外良い。
やっと既存キューの改造や
コンバージョンではない、
自分自身の自作のキューが
完成した。2017年完成。
爾来5年使い続けているが、今
のところ、自分にとっては性能
は最良だ。
私はファンシーリングは現時点
では作れないので、ジョイント
リングは素材削りの接着のみだ。
だが、プレーンな坊主にはそれ
が似合う。
二液性ウレタンでの厚塗りとは
異なる仕上げ。光沢の輝度は
低いが、撞球性能は頗る良い。
目指していたのはこれだ。
私の良音奏でる古い京都茶木
のアーチトップJAZZギターの
ような仕上がり。木の動きを
阻害しない。これ、撞球杖の
性能としては最良。木製箱型
撥弦楽器と同じ方向性の採択
は正解だった。
ブランクは30年以上物で、寝
かしては削りの熟成物。形に
するのだけで30年の年月を要
した。長い道のりだった。
シャフトの先角は象牙以外では
LBM(リネンベースメラミン)が
一番好きだが、やはり象牙が
好き。これはどうしようもない。
このフェラルの材というものは
動体能力としてシャフトのテー
パーと密接な関係があるので、
単純に先角の素材だけを特性
や好みで選択するのは危険だ。
ただ、最近はハイテクシャフト
にみられるように、先角の硬度
と重量と全体容積を下げて、
キュー先のディフレクション
低下によるトビの減少を狙う
傾向性が強いようだ。シャフト
設計の方向性として。
しかし、これも一概にそれが
万事において良とは言い難い。
ある程度のトビが無いと別な
要素で悪影響がプレーに出る
からだ。ファクターの細部の
問題として。
それでも「見越し少=正義」と
いうような歪んだ表面的視点
が蔓延していた時期があり、
メーカーもそれに沿ったハイ
テクシャフトを盲目的に作っ
ていた。
ヒネリ順入れの際の微細なトビ
による、歯車効果での先玉の
薄くズレることの自然補正=
トビからくる見越し+歯車効果
ズレの相殺、という事を無視
している。
逆入れなどは見越せばよい。
いくら手玉が直進しようとも、
ヒネリを使えば先玉=的玉が
横にずれるのでそれに対する
見越しは必要になる。
手玉さえ直進すれば「トビ
無し=見越し要らず」という
のは明らかに誤った解釈で
現実の現象を無視している。
ハイテクシャフトとソリッド
シャフトの最大の違いは、手玉
の直進性ゆえ、ハイテクシャフト
は手玉分離角度が狭くなり、
ソリッドシャフトは分離角度
は大きいが、分離後のスピンで
さらにカーブを描いて進行する
という現象が存在するその差異
だ。
使い分ければどちらのシャフト
でも有効利用できる。
どちらでも使いこなせるとなる
と、その後の選択肢は打感や
音や、手玉軌跡の好みの問題
となってくる。
私は、圧倒的に抽斗の多い
幅広い玉筋を撞けるノーマル
ソリッドシャフトのほうが
自分の感性に合致している。
だが、大手メーカーは大量
消費商品として、手玉直進性
のみを追求したハイテクと称
した消耗品の商品シャフトを
作り続ける。
なんだろうなぁと思っていたら、
プレーヤーからも「ノーマルに
近いハイテクシャフト」を求め
る声もかなり多かったようで、
メーカーはすぐに「ある程度
トビが出るシャフト」をハイ
テク構造で作り出して販売し
始めた。さすがに抜け目ない。
それが2008年前後。メッヅの
WD700などは典型だ。
だが、最近の傾向は、再びもっと
トビを押さえる性能要件を掲げ
て開発されている方向性も見える。
そしてついに、木材ではない
カーボン使用のシャフトが登場
した。個人的には一切興味無い
が。完全に木を離れた化学素材
なので。チタンヘッド最高!
の世界とは私は撞球道具は別物
だと思っているので。
そして、2020年あたりからまた
別な一つの潮流が出始めた。
それはノーマルソリッドシャフト
の復活だ。
但し、昔のように良材が枯渇
しつつあるので、高級品のみの
ノーマルシャフトとなっている
ようだ。
となると、それは俯瞰するに、
結局は、カスタムメーカーが
手塩にかけて育てたハードロック
メイプルの材によるシャフト
製作という視点に回帰していく。
結局、最良物というのは、どん
なに一面的に見かけの表面の
「科学的」な開発製品であろう
とも、実は1960年代に既に我々
人類は解答を得ていたのでは
なかろうか。
自動車では四輪車と二輪車で
史上最高の開発の健全性が
存在したのが1980年代末期
だった。
ビリヤードのキューにおいて
は、1960年代~70年代末期
に一つの公式のような正解を
我々の先達たちは獲得して
いたと思える。
ごく最近の傾向としては、今世紀
初頭あたりに蔓延した「ハイテク
=最新式の素晴らしい優れた物。
ノーマルシャフト=時代遅れの
能力の低い古いシャフト」という
くそ馬鹿げた拙劣で単細胞の
おバカな見解が希釈されてきて
いる事を業界の流れからは感じる。
ノーマルソリッドシャフトの
見直しという知見などはそれの
一つだろう。
しかし日本人、流行・ブームが
大好きだね。今世紀初頭は猫も
杓子もハイテクハイテクハイテク
だったから。
ハイテクシャフトを着ければ
玉が入るかと思い込んで。
そして、新しいものが何でも素晴
らしくて、古い物はローテクだ、
とかいう極めて質の低い感覚で
しか撞球道具を見ることができ
ない些末性、矮小な視野狭窄
による思考停止が蔓延していた。
その頃思っていた。
「ああ、こういう人たちは絶対
に日本刀の良さとか理解でき
ないだろうなぁ」と。
古い物の良質性を超越できない
最新物の限界性というものが
ある事実現実が見えないと
いう事は、真の未来の良質性
は作れない。
ハイテクシャフト自体は良い。
それの捉え方が「最新=最良、
古い物=駄目な物」とする
視野狭窄が思考の錯誤なのだ。
そしてそれは矛盾する。
最新物がすべて良いならば、
旧型になった自分のハイテク
シャフトはもう「時代遅れで
古いローテク物」になるのか、
という絶対矛盾を自分で言う
事になる。
おかしな事は言わないほうが
いい。
産業構造や製造物だけでなく、
文化にしろ文芸にしろ良質性
というものは圧倒的な不朽性
を厳然と有しているのだ。