江ノ島電鉄線(江ノ電)
藤沢→鎌倉 全区間 2020年秋
めちゃくちゃ懐かしい。
50数年ぶりに始発藤沢駅から
終点鎌倉駅までの風景を見た。
私の思い出深い育った土地が
湘南だ。
まったく60年前と線路の様子
は変わっていない。
江ノ電。単線。
湘南地区の住宅街の中をゆっくり
と走る。
建物は新しくはなったが、景色の
空気は全く半世紀以上前と変わら
ない。
湘南電車か江ノ電が「赤いスイー
トピー」の海に連れて行っての
春色の汽車。
物心ついた頃から幼稚園終わり
まで毎週日曜に父と行っていた
江の島での磯釣りには藤沢から
江ノ電を使っていた。
私が生まれて初めて自分一人の
力で釣った魚は、江ノ電江ノ島
ではなく小田急片瀬江ノ島駅前
から境川にかかる弁天橋から
釣ったハゼだ。(陸から江の島
に繋がる江の島弁天橋とは違う
ので注意)
父愛用のハゼ用竹竿で釣った。
結構周囲に釣り人が多かったが
当時、橋からの釣りは禁止されて
おらず、河口域でのハゼ釣りは
人気だった。
私が釣り上げた時、群衆から歓声
が上がったのをよく覚えている。
56年前は弁天橋は赤い欄干の橋
だった記憶がある。
間違いない。1929年に小田急片瀬
江ノ島駅が開通したときの写真に
ある「大橋」というのが今の弁天橋
だ。戦後の1960年代にもこの擬宝珠
(ぎぼし)がある赤い橋の欄干だっ
た。
釣ったのは東側寄りの境川左岸
寄り。
境川は私が入学した小学校のすぐ
横を流れていた。もろに江の島が
河口地点。
5歳の時にハゼを釣ったのはここ。
生まれて初めて自分一人で釣り
上げた時の事なので克明に覚え
ている。1965年の事だが、再現
フィルムのように情景は記憶の
中に鮮明だ。布袋竹の竿だった。
この橋のドンつきが小田急片瀬
江ノ島駅。
フルサトってのはいいもんだ。
湘南地方はとても明るい。
人も土地も。
そして、なぜか横浜に比肩する
ほどに土地柄が開明的だ。
横浜などよりもずっと昔から
開かれていて、多くの観光客
が江戸時代もそれ以前も江の島
の神社に詣でた。
そして、近代以降の湘南エリアは
田舎(東京都特別区に比べたら)
であるのに、なぜかオサレ感が
大昔からある。これはもう昭和
戦後からずっと。
多くの青春ドラマで湘南が舞台
になったのはよく知られている
が、湘南はほんとに良い土地だ。
古くは裕次郎も慎太郎も加山雄三
もサザンも湘南(笑)。
江戸時代の江の島。大名などの
武家はじめ多くの庶民もお参り
で訪れた。潮が引いたら浅瀬の
砂浜の道が片瀬海岸から江の島
まで通る。潮が満ちると海に
沈む。まるで1960年代の劇画
『あかつき戦闘隊』の「幻の
滑走路」みたいに。
明治ごく初期の江の島。満潮時。
七里ヶ浜から小動岬を見て
向こうには江の島(明治初期)。
今でいう国道134の海岸線の
道は存在していた。
これは鎌倉時代から既に存在
していたのではなかろうか。
同地点の現在。
ドラマにもよく出てくる江ノ電の
踏切。坂を駆け下りて海に向かう
景色が江ノ電の海岸沿線には多い。
マイフェイバリット神奈川。
そして湘南。
らマイウージェラートみたいに
なるのではなかろうか。
ふとおらは思いついた。
アイスクリームのフライってある
じゃん。天ぷらだったか?
バニラアイスを揚げるやつ。
そのアイスの中におにぎりの
梅干しのように、この熟した柿
の実を入れたら、もしかすっと
すんげウマいのができそうな気が
する。
そのうちやってみんべ。
やってみて大失敗だったら、
ワハハハで笑って流す(笑)。
作って食ってみないとわからんす
よ。料理というツクリモノは。
締めるくそ握りはしない、という事
が共通している。
やはり左手は切り手となります。
誰でも乗り初めの早い段階で
気づくのではないでしょうか。
アクセルは右にあるのだから。
見た方向でスリークォーターの
ようにやや開きます。
保持するのか。
順手
やや切り手
切り手
この画像で、同じコーナーなのに
上の画像と下の画像でフォームが
違うのには理由がある。
それは、上の画像は登り、下の
画像は下りであるという事による。
登り坂は、進入直後は前輪荷重
が増すが、やがてすぐに前輪荷重
から極度の後輪荷重に前後輪の
荷重バランスが変化する。
まして、片側4,500mで最大勾配
12%の急勾配の峠のロードなど
では、早い段階で前輪荷重から
後輪荷重に配分が物理的に変化
する。(1-2コーナー目あたり)
すると登り坂では前輪トラクション
が不足し、また逆に下りでは前輪
に必要以上の荷重がかかってしま
う。
そのために、人的操作で前後の
荷重配分を適切に取ってトラク
ションを得るようにするには、
上掲の画像のような登り坂と下り
坂でのフォームの違いとなって
表れてくるのである。
比較的フラットな区間のコーナー
ではまた別のファクターに気を
使う。それはフレームとスイング
アームの「しなり」に起因する
旋回適正の問題として。
登り坂と下り坂でもその問題は
発生するのだが、そのシャシの
ジオメトリー変化による現出
現象よりも、むしろ前後の荷重
配分の平地との違うファクター
による挙動変化の発生に登りと
下りでは気を使う。
(ロードのレイアウトによっては
路面断面に起因するものや急な
ターンエリアでの結果的逆バンク
状態到来等、別な要因もそこに
加味されるので、ここで述べて
いる事よりも更にもっと細分化
させた分析とそれの適正回答を
抽斗に持っていないと、パブ
リックロードは安全には快速
走行はできない)
超高速ではなく峠を快速で軽く
流していても、そのトラクション
不足や過剰荷重による微細な前後
の接地感の変化は感知できるので、
ごく自然に走行状況に適切に応じ
て的確な処理をしているのが上掲
の二葉の目に見える走行フォーム
の態様の差異として示されている
のである。
すべては、前後の荷重配分の変化
に伴うトラクション変化状態を
接地感を通して最適化の人的操作
を行なっている事の現出として
ある。
これは路面からの面圧としての
トラクション変化に起因する現象
への対処行動の事を指している。
なお、この現象は超高速、高速、
超速、快速、低速、鈍足に拘わら
ず現象としては大なり小なり
発生する。
峠道では登りはフロント荷重が
減少する状況ではフロント寄り
に加重させ、下りでフロント
荷重が増すエリアではリヤ荷重
が増すように加重させて乗る
のが安全に繋がる。
これは、下りでフルブレーキ
ングに近い突込みをする場面
でもだ。
そのために「抜重」の技術が
二輪には状況に応じて必要に
なってくる。
どんな状況下でもシートの上に
座っているだけというのは二輪
の運転の場合は適切性の観点
からは論外。
乗り方は人それぞれ自由。
ただ、上述の内実は、物理的な
事実についての事を説明して
ます。
上の画像は、見ただけで、その
二輪走行の物理的な定理を知る
人、また二輪走行の理論と理屈
を知る人は、上掲二葉のフォーム
の差異の理由と意味がすぐに解る
ことだろう。
また、見えないと、見ている先が
違うのでいつまでも事実は見え
ない。
日本人の7割が扁平足なのだそうだ。
出した。実物新品在庫の輸入物。
同然に出回っていた日本軍の将校
パンツだった。
型=将校用ヒレ付き乗馬パンツ
系の形状となった。
ぽりのパンツであるのはそうし
た歴史があるから。
定番構造となった。
の将校パンツ独特の脛までの長
さと、ロングブーツ専用の先の
締め込みのデザインが流用され
た。
(世の中、裾をブーツの中に入
れる事を「ブーツイン」と言うか
「ブーツアウト」と言うか両方
存在するようですので、あえて
錯綜している外来語は避けます)
戦闘仕様は、下はこれに脚絆巻きと
は舗装路面が無い場所では存外
使い勝手が良い。爪先は地面に
接触するので足袋は必須。