貰ったメールの中に「桜が咲いている」との一文を見た途端、「一時間くらい」と自分に言い訳をして、作業を放っぽりだし、カメラを手に家を出ておりました。
クルマのシートに座ってから、「さて、とはいえ、何処へ行ったものか」。
ふと、ある小さなお寺を思い出しました。クルマで15分ほど走ったところに、門も塀も無い、狭い境内と、お堂だけの小さなお寺があるんです。「たしかあそこに、一本桜の樹が。」
実は僕の住むマンション脇にも一本あるのですが、まださっぱりでした。街中の樹よりも、なぜかお寺などでは早く咲く桜が多いような気がしますが、気のせいでしょうか。
「ビンゴ!」。
お寺の桜は、しっかりと花をつけておりました。平日の夕方、場所も場所だけに、辺りを見回しても人っ子一人おりません。桜、独り占め。ひゅうひゅうと夕暮れ間近の風が樹々を揺らす音しかしない中、一人桜に向かってシャッターを切りました。そんな中の一枚です。
「桜の樹の下には、屍体が埋まっている!」
代表作「檸檬」で有名な大正期の小説家、梶井基次郎の作品「桜の樹の下には」の最初の一文です。小節そのものは読んだことなくても、桜のあの色、あの美しさは根元に屍体が埋まっているからだ、としたこのプロットは、よくドラマや漫画などでも引用されるので、どこかで聞かれたことがあるかもしれません。
今日、一人で桜の写真を撮りながら、なんとなくこの話を思い出しておりました。
「そんなー、怖いよー」と思われるかもしれませんが、このお話は怪談などでは決してなく、桜のその信じられぬほどの美しさを讃える、梶井ならではの独特の表現方法だったのです。表現の巧みさ、美しさには思わず息を飲みます。しかし彼は、・・・肺の病気で31歳という若さで亡くなっております。
ネット上で、お読みになれます。短いですから、もしご興味をもたれた方はこちらでどうぞ。→「桜の樹の下には」
皆でワイワイとお花見も悪くはないと思うのですが、こと桜に関しては、僕はこうして静かに眺める方が、どっちかと言うと好きだったりします。
・・・西洋人は薔薇を好み、日本人は桜を好む、なんていいますが。
桜はドライフラワーには決してならないんですよね。
いや本当に、美しいですね。
では。