聖火リレーは、やっぱりすごく意味があったんですね。もっとも、本来の目的とは別な部分で、ですが。
とっても沢山の方が興味をもってチベットや中国の事を考えているんだなー、とコメントを読ませていただいて感じました。僕も、色々と考えるきっかけを頂きました。ありがとうございます。
チベットで今年、大きな騒乱が起こったのが3月14日でした。
さかのぼる事4日、3月10日というのが、49年前、チベットの人々が中国の侵略とダライ・ラマ14世に対するの脅迫に対して、蜂起した、「チベット民族蜂起記念日」なんです。そして、今年、その毎年行われる記念式典中に、僧侶の列に中国の装甲車が突っ込んだのです。
その後4日間、僧侶、そして民衆は考えに考えたのでしょう。「もう、このままでは」と。1950年のチベット侵攻から58年。耐えに耐えてきた怒りが、限界に達したとも言えるでしょう。ただ、この騒乱を、世界の注目が集まる北京オリンピックに合わせて、独立を目論むダライ・ラマ14世が画策した、というのは僕個人としては懐疑的です。中国はそう報道しているようですが、ガンジーに通じる平和主義者である彼が、暴力に訴えるというのは、合点がいかないのです。事実、彼はその後もチベット人の暴力的な活動を非難していますし、中国との経済的関係や、今度のチベットの事を考えたら、ここでそれは無いと思うのです。おそらく、計画したのは・・・ほかのどこか(あそこか、あそこか)の国でしょう。ただ、これは、予想に過ぎませんが。
でも、誰かに扇動されてのこと、と決め付けるのも早いと思います。鬱積するもがあったのは間違いありませんから。チベットの人々による、自発的な講義行動だったとしても、何ら不思議はありません。それだけの、理由がありますから。そして、どちらにしても僕達は、その「HELP!」というメッセージは、受け取らなくてはいけないと思います。
さて。
前にも書きましたが、僕はこのブログを書いていることが大きなきっかけで、戦争のことや、歴史の事に、以前よりもずっと興味を持つようになりました。なんでだろう?って思うことが日常に沢山あって、それをブログに書いてみようと思うと、必然的に調べなきゃいけないことが沢山出てきて、読みたい本が沢山出てきて。そして知れば知るほど、興味をそそられ、おかげで日常のニュースが、前よりはちょっとだけ深く理解できるようになったような気がします(まだまだ知らないことばっかりですけど)。そして、言葉はアレですが、面白いんですね。「なるほどー、だから今、こうなってるのか」ってことが解って。
そして、大嫌いだからこそ、その大嫌いな戦争にも、興味を持つわけです。敵を知る、とでも言いましょうか。
昨日みたいなブログの時には、「なんで戦争をするのか」「なんで争うのでしょう」というコメントを、沢山見ます。ですよね。疑問はもっともです。
じゃ、なんででしょう。そこから、一歩すすみましょう。
やっぱり、欲しいものを手に入れるため、なんですね。基本的に、いらないものの為に、人は動きません。日常では、人の役に立つため、とか、期待に応える為、という理由でも人は動きます。でも、国はそれだけでは戦争はしません。
欲しいものを手に入れるために攻撃を仕掛ける、そしてそれに反発して、応戦する。
これが基本だと思います。
過去、人は他国の土地を手に入れようとしてきました。いわゆる「植民地」というものです。第二次大戦後、いわゆる「植民地政策」は表向き撤廃されています(事実上残っていますが)。でも、それまではずっと、この「他国の土地を手に入れたい」という欲求が列強各国(←力を持った強い国ね)にあって、それが戦争の引き金になっていました。解りやすく言えば、人々が「今よりもうちょっと、お金持ちになりたい」と思う気持ちと同じです。ただ、訴える手段が違うだけなんです。
そのあたり、もうちょっと掘り下げてみましょうか。なんで、国は、植民地を欲しがったのか、ということです。
以下、ちょっとお勉強っぽい文章ですけどね、でも「これは解りやすいな」、と思ったので、読んでみて下さいな。
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植民地獲得の動機・要因には、主に以下のようなものがある。
・天然資源や労働力(奴隷)、市場の確保
・本国に隣接した地域への領土拡大
・本国民を移住させるための開拓地獲得
・本国や既得植民地、海上交通路の防衛のための要塞や緩衝地確保
・他国の植民地とされる前に勢力圏として確保
・宗教的使命による布教地拡大
植民地の統治形態には、
(ア)本国は外交権や駐軍権のみを獲得し内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領
(イ)現地の王や族長を通じて支配する間接統治
(ウ)本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治、などがある。
また(エ)本国は外交、防衛のみを担当し内政は現地住民によって構成される政府・議会に委ねる自治植民地もあるが、この場合その参政権は本国出身者に限定されたり、先住民の参加を認めても公用語(本国の言語)習得や一定額以上の納税などの条件を付けて、事実上の参政権が著しく制限されるのが通常だった。
一般的に植民地統治が継続する中で(ア)→(イ)→(ウ)→(エ)の変遷をたどるケースが多いが、植民地が本国に隣接している場合、最終的に本国領土の一部として編入され、その過程で先住民も同化が進み、固有の言語や文化、民族意識を失っていく傾向にある。
(以上、Wikipedia「植民地」から引用。)
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最後の一文など、まるでチベット問題の事を言っているようですね。
植民地化、そして、それに抵抗、あるいは、一度植民地にされても、改めて独立を求める運動。それが、今も、世界のあちこちで起きています。チベットや、ウイグル等をはじめとして、イスラエルとパレスチナの問題も、植民地の原理で説明ができます。
あとね、大切なこと。人々が欲しいものの中に、お金や土地だけじゃなくて、「自由」というものがあります。人は時に、自由の為にも、戦争をします。(ただ、注意して頂きたいのが、この大儀が嘘にも使われる事がある、ということです。「人々の自由のためだから!」と言って、他国へ侵略する国もあります。実は、他の目的があるのに。これがお得意な国は、・・・ご存知ですね。)
以下の図は、1898年の世界の植民地を表した地図です(自国地を含む)。
小さくて国旗がわかり辛いですかねー。
上から、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ドイツ、オスマン(現在のトルコ)、ベルギー、ロシア、日本、清(現在の中国)、ハンガリー、デンマーク、スウェーデン、アメリカ、イタリア。そして、グレーが独立国、その他です。
わかりやすいところで、インドやオーストラリア、カナダもイギリスの植民地になってますね。だから、英語が通じるんですよね。
これ、今から、110年ほど前のものです。
「えー、そんな昔のを持ち出して」と言われるかもしれませんが、・・・今の日本に、110歳のおじいちゃん、おばあちゃんって沢山いますよね。その方達が生まれた時の世界は、こんなだったのです。話を聞くチャンスが欲しいですね。きっと、興味深い話が聞けるのではないでしょうか。
僕達は日本人ですから、日本の問題も、考えなくてはいけません。僕達は、アジアで何をしたのか。本当に、アジア植民地化を狙っていたのか。また、中国、韓国、台湾その他のアジア各国で、何をしたのか。それは、良い事だったか、悪いことだったのか。諸説あります。少なくとも、教科書には載っていない(載せられない)、本当の歴史があるんです。
本当の近代史を、見直す時期に来ているとおもいます。
ではー。