ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




まず、昨日の記事の中に「原爆」と「原発」を書き間違えていた箇所がありました。訂正して、お詫びいたします。

大事なことですのに、本当に申し訳ありませんでした。

 

今日も、原爆や戦争に関する番組がありました。

でも、年々、わずかなのかもしれませんが、減っていっているようにも思います。

知ることを面倒くさがる世の中なのでしょうか。

視聴率競争のプライオリティの中では、戦争や原爆などというキーワードは、年々下位のものになってしまってきているのでしょうか。

残念です。

というより、恐怖すら感じます。

 

歴史は、最高の教師です。

歴史から学ぶことを忘れた人には、民族には、国家には、未来はないと断言できるでしょう。

 

歴史、という言葉の認識には人それぞれかとは思いますので、過去、と言い換えてもいいでしょうね。

 

過去から学ばねば、だと思います。

そして、いつか来た道へ、とならぬことを願います。

 

 

話は変わりますが、音楽にも、歴史があります。

今、僕たちの身の回りに、当然のようにある音楽は、それなりの必然をもって、存在しています。

(・・・必然というより、今は、必然を失った、カオスの時代ではあるわけですが)

ともあれ、それらは、突然現れたものではありません。

数百年にわたる歴史の流れがあり、その結果、今、こうなっているのです。

 

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

クラシックには挫折の思い出しかなく、大まかな音楽史の知識しか持ち合わせていなかったのですが、

ふと手にとって、読み始めてみたところ、これが、

・・・実に面白い本でした。

今までもっていた音楽観を変えてくれるくらい、というより、音楽に関わる人間として、人生観にも影響するほどの内容でした。

 

ただ、本を広げている時は、まったく夢中になって読みましたが、

物凄い情報量ゆえ、1ページ進んでは、CDやYoutubeなどで音をチェックして、またネットサーフィンが始まってしまい・・・と、

なかなか進めず、毎日持ち歩いているうちに、まるで古書のようにボロボロになってしまいました。

数日前、ようやく、読み終えました。

そして、最後のページを読み終えた時には、しばらく呆然としてしまうほどの、衝撃を受けていました。

それは、感動でもあるのですが、ある種の猛烈な危機感を伴ったものでもありました。

(この内容に関しては、これは本書を読んでいただくしかないと思います。最初のページから、一緒に旅をして、辿り着く道のりを含めて、凄いのです。西洋音楽史と銘打たれていますが、最終的に、今僕たちの身の回りの音楽のことまで、言及されていると思います。まだ“歴史”になっていなので、扱いは少ないですが、僕にとっては十分すぎるほど、感銘、感嘆に値するものでした。)

 

音楽に限らず、

歴史(過去)は知るべきだと改めて思いました。

歴史(過去)を知ることで、今現在、自分が立っている場所が確認できるのです。

自分をとりまく環境が、わかるのです。

 

そして、進むべき道も、その中に見出していけるのだと思います。

勿論これは、後戻りする、という意味ではなく、経験と記録に裏打ちされた“結果”が、未来への大きな道標となり、また、沢山の教訓を伴った指針になる、という意味です。

 

明日は週末の仙台、そして来週の東京のライブへ向けた、へきるちゃんのリハーサルです。

いわゆる「思い出しリハ」というものですが、あのメンバーと音が出せるかと思うと、いまからワクワクです。

 

同時に、トミちゃん、ICHIROさん、そして安全地帯さん。

毎日、物凄い量の譜面書きや資料の確認、準備に追われておりますが、

これもまた、楽しいものです。

 

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さて、青ピンクちゃんの沢山のご予約、どうもありがとうございました。

予約は、昨日一杯で締め切りとさせていただきまして、本日、ご予約いただきました皆さまの分、韓国の出版社へオーダーを出しました。

また本日、ご予約いただいた皆さまに、確認のメールをお送りさせていただきました。

もしも、万が一、「予約メールをしたのに、まだ確認メールが届いてないよ」、

という方がおられましたら、お手数ですが、改めてお知らせいただけますでしょうか。

どうぞよろしくお願い致します

 

ではー。



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