「男」の刻印がくっきり。
最近お気に入りの豆腐、「日本列島改造豆腐 冷奴」。
男前豆腐店さんの(・・・このサイトの曲がやたら耳に残るので・・・要注意(笑))商品です。
ネーミングが凄いですけどね、でも、美味しいんですよ。
まさに「そうそう、この固さ」という、ちょうどよい固さ。そして、なんといっても、このボリューム。
たっぷりの、400グラム。しかして、カロリーは60キロカロリーを下回るという。なんと、お煎餅一枚程度。
そして、お値段、100円(スーパーでは98円とかで売ってます))。
長ネギ、子ネギ、みょうがをたーっぷりと刻んで、
こちらの写真のものでは、ザーサイも刻みました。
ザーサイ、美味しいですよね。冷奴に乗せると、またこの程よい塩っ気とシャキシャキの歯ごたえが実に良いのです。
カツオ節も、たっぷり、シャーカシャーカ、削りまして、
こちらは、これからのっけます。
写真的に、全てを覆い隠してしまうので。。
ほんっと、冷奴、美味しい。
どうしよう。
今年の夏は、ステージドリンク、冷奴でもいいくらい。
・・・ほんとだな。
うっそぴょーん。
・・・なんか、頭がちょっと(笑)。
今日は、打ち合わせなどがあり、
現在、目の前には、譜面の山であります。がんがります。
とにかく、全部、・・・食べねば。
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陸前高田の薪と京都の送り火の問題。
胸が痛みます。
妙なことになってしまいましたが、「なぜこんなことに」という思いがします。
陸前高田、そして、京都。
よくよく、自分が、どちらかの街の人間だったら・・・と考えてみました。
何度考えても、どちらの気持ちも、わかるのように思うのです。
ちなみに、ニュースなどを見ているだけでは、
僕たちは、どうやら今回の件の真相に近づくことはできそうにありません。
ネットでは、色々と情報が流れています。まとめWikiなども作られているようですが、
僕は、以下のリンクの文章が、偏りが少なくて判り易いかな、と思いました。
『桜井政成研究室「陸前高田被災松を京都の送り火で拒否、は「風評被害」』
風評被害という言葉そのものには、ちょっと敏感にならざるを得ないですが・・・、
(実害被害の危険性があることまで、全て「風評被害」といってしまう人やニュースがあまりに多いので)、
内容は、まっとうな意見に思えました。
今回のこと、放射性物質は検出されなかったとのこと。
しかし、きっと、「ほんとうなのか」という気持ちが、苦情を寄せた方の中にあったのでは、と推察します。
なぜなら、これまでの行政の放射性物質に対する対処のし方、検査方法、報告のあいまいさなどに、疑問を持たざるを得ないものが、多々あったからだと思います。
何より、暫定基準値という、震災後に引き上げられた、どうにも“設定の根拠が見えない数値”のせいではないか、思います。
そして、色々なものに、「基準が無い」というのも事実。
例えば、売っている鉛筆の放射性物質の基準は?噛んでも大丈夫か?、などという問いには、答えようがないわけです。
そして、「検出せず」は、ゼロなのか、1なのか、3なのか、9なのか。それでも、それは設定された基準値以内だから、気にしなくても大丈夫、なのか。
要するに、行政が、国が、それを訝しがる立場の人からしたら、信用されていないわけです。
特に、今現在、小さな子どもがいたり、妊娠している方からしたら、切実な疑問なわけです。
科学的には「安心できる数値」であって、実際に、汗や尿などでの排出などを考えると、「これはもう、何の危険性も無し」だとしても、気持ちは、割り切れません。
もしも、少しでも人の気持ちに「危険じゃないか」というものがあるなら、
やはり、
恐れがあるなら(ましてや、原発か、自然のものか、その由来はわからないとしても、ストロンチウムまで検出されているのですから、特定できない以上、今は時期としても)、
ここは、とにかく大事をとって、移動や拡散はすべきではないと思うのです。
これは、「そんなもの、もってくるな」というような乱暴な話ではなく、
日本全体の為に、思うからです。
現に、稲わらの移動と拡散によって、日本の牛は、畜産は、今、大変なことになってしまいました。
移動と拡散。
無理にそれをすることのメリットは何でしょうか。それは、取り返しの付かないことに繋がる恐れと、天秤にかけても、やるべきことなのでしょうか。
そして、それこそ、近い将来的に、本当の風評被害を生むことになりかねないからです(・・・わかりやすく言えば、「京都のものは安全なのか?」と、今回のことをきっかけに、新たに疑問を持ち始めてしまう人がでることです)。
京都の為にも、今、京都産のものを「安心できる」と買っている人たちの為にも、あえてすべきことなのでしょうか。
今、一転して、薪を燃やすことになった、というニュースになっています。
まさに、二転三転しています。
大変な被災をした地の、人々の想いのこもった薪、
そして、先祖の御霊を敬う送り火、
どちらも、とても敬虔で、神聖なものだと思います。
ならば、この状況は。
これを考えた人や、実行しようとした方たちは、実際に実行に移す前に、もっともっと、下調べや、調査や、検査などをすべきだったと思います。
そもそも、この話は陸前高田の方の発案ではなかった。京都の方の発案でもなかった。
なのに、なんだか、・・・もう、どちらの側にたっても、あちらが立たず、みたいなこじれた話になってしまっています。
そもそも、陸前高田の方たちも、京都の方たちも、どちらも、傷つく必要なんて無かったのに、と思います。
僕は、個人的には、京都の御霊は京都で、そして、陸前高田の魂は、陸前高田の地でお送りする、で良いのではないかと思います。
そのほうが、良いのではないかと思います。
自分の家のお盆は、自分の家でやる、でいいのではないでしょうか。
故人や先祖を思う気持ちは、皆一緒です。
儀式の規模の大きさは、まったく関係ないと思います。
僕は、自分が送られるなら、地元で(引越しばかりの僕には、今、「ココが地元です」、という場所が無いのですが・・・)送られたいと思うような気がします。
そして、いずれ・・・「陸前高田の火送り」などとして、将来的には観光(というか、全国的に名前の知れる、京都の送り火のようなセレモニー)にしていくのはどうだろうか、という声がありましたが、これにも賛同できる思いがしています。
僕の田舎でもある岩手の、あの陸前高田の地を、ほんのわずかな時間ですが、見、その匂いをかいだ人間として、京都が大好きな(王将だけではなくね)、多くの日本人の一人として、
僕は、この話は、本当に切なかったです。
死者の魂は、そっと、静かに、お送りしたいものです。
ではー。