昨日のNHKスペシャル、録画しておいたものを、深夜に見ました。
正直、・・・「たまげ」ました。
まさか、でした。
「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報 」
明日8日(月曜)の深夜に、再放送があります。
2011年8月9日(火) 午前1時05分~2時03分 総合 (8日深夜)
是非ともご覧になっていただきたい番組です。録画してでも結構です。
お忙しいとは思いますが、一時間、是非、時間を作っていただきたいと思います。
原爆投下は、・・・実は防げていた、という、
戦後66年にして明らかにされた、実に衝撃的な内容です。
日本の諜報部は、「このB29は、今まで空爆をしてきた部隊とは違う。変だ。」と、異変に気付いていたのです。
これは、ちゃんとした根拠に基づいたものでした(詳しくは番組をご覧下さい)。
そして、その報告を受けていた日本の軍部(当時の日本の最高司令部。今でいう、政府)は、
それを聞いて、見過ごしてたという、告発です。
個人的にね、
自分の中にあった「原爆を落とされた国、日本」、の感覚が、少し変わってしまいました。
あれは、「どうしたって防ぎようの無い悲劇」だった、はずなのに。
何も知らず、知らされず、突然、一機のB29が空に現われ、
何の前触れもなく、原爆が投下されたのだと。
そして、続く長崎へも、まさかの原爆投下だったのだと。
市民はもとより、軍部(政府)も、誰一人として、何も知らされず、
いわば、アメリカの突然の奇襲にやられたのだと、そう思っていました。
それが・・・。
実は、気付いていた人がいて、報告もしたのに、日本の上層部が、「そんなはずはない」と、何の手も打たず、みすみす見逃していたのだとすると。
長崎への投下では、5時間も前に、報告をしていたというのに。
番組内で、当時の航空兵の方が、この事実を知り、絶句されていました。
「これが日本の(本当の)姿ですか・・・」と。
知っていれば、体当たりでもなんでもして、食い止めることができたはず。
「B29は、難しいけど、決して落とせない飛行機じゃないんだ・・・」
何度も、そう仰られていたのが印象的でした。
自分が知っていたら、B29撃墜の命令を受けていたら、長崎の罪無き人々を救えたのかもしれない・・・。
そんな思いだったに違いありません。
しかし現実は、そんな情報は無かったことのように扱われ、空襲警報すら鳴らされることはなかったのです。
この番組をご覧になっている間、きっと何度も、「これ、今と一緒じゃないか」と、今の日本を、政府を、鑑みることになろうかと思います。
あまりにも、だぶって見えることが、本当に、多かったです。
番組では、この「資料の完全なる破棄」を命ぜられた方も出演されて、証言をされておられました。
出演され、証言をされた皆さんは、八十歳代後半~九十歳代の方たちです。
日本は終戦と同時に、この原爆投下を知っていたことに関する資料を、全て焼き尽くすように指示していたそうです。
もう一つ、衝撃的な事実が、資料を提示した上で、語られていました。
当時、日本も、原爆を作っていた、のです。
実際に、原爆の開発に当たっていた方が、出演されて証言されておりました。
しかし、費用や人材不足の関係で完成にはいたらず、
そこで軍部は、
「日本にできないのだから、アメリカにもできるはずがない。原爆の開発は、不可能だ」
と、アメリカが原爆を開発していることへの危機の想定を、途中でやめていたのです。
最悪の事態の想定を、していなかった。
「ま、大丈夫でしょう」という、希望的観測しか、していなかった。
その上、広島に原発を落とされてもなお、
「あれは原子力爆弾ではなくて、威力の大きい、普通の爆弾の可能性がある」
などという記録を残しているのです。
あれだけの被害が出ていながら、いや、原爆でない、つまり、“放射能の被害の出る核爆弾などではない”、としたのです。
となれば、その後の対応は・・・ということです。
後になって、放射能の被害を認識することになりますが、
初期段階で、もっと適切な手を打っていたら、と、思わざるをえません。
・・・色々と、似てますよね、実に。
これは、日本の残した暗黒史の、ひとつだと思います。
・・・もしかしたら、そのほんのひとつなのかもしれません。
焼かれてしまった資料には、何が書いてあったのでしょう。
口をつぐんだまま、故人となられてしまわれた兵隊さん、心ある関係者の方たちは、何を見、何を知っていたのでしょう。
そして、世界中で、今までがずっとそうであったように、
歴史は繰り返す、
ものなのだとしたら。
ともかく、明日の深夜、是非ともご覧になっていただければと思います。
ではー。