マイルス・デイビスという、トランぺッターがいました。
「ジャズの帝王」と言われた彼は、たった一人で、今のモダン・ジャズの形を創り上げてしまった人です。
(これは余談ですが、ジャズ=夜、酒、なんていうイメージも、マイルスの音楽が作った、と言われています。)
彼の偉業の、細かいジャンル分けは省きますが、要するに、
ラーメン屋さんで大成功して、その後、フランス料理に手を出したら、フランスの一流ホテルのシェフ長にまでなって、
そのあと、「これからは、だんごだ、だんご」と、だんご屋をやったら、宮内庁御用達になるだんごを作っちゃって、
それから、「こんなのどうだ」と、それまで、誰も見たことがない料理を作ったら、それが、マクドナルドや吉野家を超えて、世界のスタンダードな食べ物になって、
「さて、そろそろ、火星行きの大型ロケットでも作るかな」と言っているうちに、途中で亡くなっちゃったような方です。
でも、それでも、人工衛星は10個くらいは飛ばしたぞ、という。
こうしてまとめてみると(おいっ)、
「へー。すげいねえ」
という感じかもしれませんが、それぞれの時期では、ラーメン屋さんのファンも、グルメなパリジャンも、だんご三兄弟や天皇陛下も、その後の「モードジャズ」という食べ物にほれ込んだ人も、
みーんな、「え!?ロケット作るの?まじすか?」みたいに驚いたんですよ。
で、ロケット作ってる時に、一緒になって作ってた人に、キース・ジャレットという人がいるんですが、
このキース、当時、音楽評論家や、音楽ジャーナリストにマイルスのことを、こう訊かれたそうです。
「へい、キース!君のところのボスはどうしちゃったんだい?いったい、マイルスは、どうしてあんなに、変わってしまったんだい?」
そこで、キースは、なんて答えたかと申しますと。
キースは、平然と、
「マイルスは、昔から何も変わっちゃいないさ。君たちが、“同じ場所にとどまっている”だけさ。」
天才は、変化するもの。
その後、マイルスは逝き、キースも、67歳の現在にいたるまで、これまたビックリするほど、変化し続けてきました。
その過程で、きっと同じように
「どうしちゃったんだい、キース?昔のようには、弾かないのかい?僕たちの大好きな、あのケルン(コンサート)みたいな演奏をやってくれ。僕たちは、ケルンが聴きたいんだ。」
と、何度も訊かれたことでしょう。
キースは、
「僕は、今の僕の音楽を、やるだけさ」
先の、マイルスのことを語った時のキースは、まだ24歳とかでした。
どこまで“知って”いて、こんな言葉が言えたのでしょうか。
天才は、天才を知る、という事でしょうか。
余談ですが、
晩年、マイルスは、ある信頼できるジャーナリスト(日本人)に、
「あなたは、沢山のミュージシャンと演奏してこられましたが、最後に、もう一度演奏するとしたら、誰とやってみたいですか?」
マイルスは、
「あの、ジーニアス・ボーイ(天才坊や)だ。」
ジーニアス・ボーイ、それは、キース・ジャレットの事でした。
キースがマイルスの元にいたのは、僅か2年ほど。
その後、何十年も経っても、キース天才っぷりが、鮮明にマイルスの耳に焼き付いていたのでしょう。
キースは、今年、30年続けているトリオの、最後の日本公演を、行います。
本当に、最後なのでしょうか。
先日の、80歳を超えて、世界で初めて交響曲を書き上げた冨田先生みたく
「これが最後だって言ったんだけど。終わって二週間もしたらね、・・・またやりたくなってねえ」
なんて、言いそうでもありますが(笑)。
はい、そして、安全地帯さんのニューアルバム「安全地帯ⅩⅣ~The Saltmoderate Show~」が、今日、発売になりましたね。
マイルスやキースの事を知ると、思います。
今、ふと思いましたけど、ジョン・レノンだってそうですよね。
天才は、変化する。
とどまっている方が楽と言われても、変化する。
怖がらずに、喜んで変化するのが、天才。
しかし、天才は、どう変化しても、
・・・やはり、人を惹きつけて、やまないんですね。
世の中に、天才がいてよかった。
天才たちのお話の、かくも面白いことよ、です。
さらになお、
リアルタイムで、天才の仕事を聴き、感じれる幸せたるや、です。
ではー。