ちょっと、何の写真かおわかりにならないかもしれませんが・・・。
向かいから歩いてこられた、少し年配のご婦人が、背伸びをしてこの工事現場の壁の向こうにカメラを伸ばして、
写真を撮っておられたのです。
「何を撮ってるのかな」
お一人で歩いておられるご婦人の方が、シャベルカーやブルドーザーの写真を撮るとも思えず、
僕も気になって、覗いてみたのです。
そうしましたら、そのにあったのは、
二宮尊徳さんの銅像でした。
二宮尊徳(そんとく、本当は”たかのり”。通称、金次郎、本当は金”治”郎)さんの銅像は、
「大学の書を懐にして、途中歩みなから是を誦し、少も怠らず。」
と、働きながらも、一生懸命勉強をした人、ということで、学校で勉強する子どもたちの、いわばイメージリーダーとなっていたところがあると思います。
・大正13年、愛知県の学校に建てられたものが最も古いとのこと。
・こどもに1mという長さを実感させるため、高さ1mで作られたとされた(その後、ある程度いい加減だったことが判明)。
・国策に同調した、石材屋、石工の営業努力によって、全国に広まった。
ほほう、面白いですな。
・両親の死後、叔父の家にて暮らしていた頃、寝る間も惜しんで読書をした。
・油代がもったいないと叔父に指摘されると、荒地に菜種をまいて収穫した種を菜種油と交換し、それを燃やして勉学を続けた
・荒地を耕して田植え後の田に捨てられている余った稲を集めて植えて、米を収穫した。
やはり、このあたりが、凄いのでしょうね。
・ナスを食べたところ、夏前なのに秋茄子の味がしたことから冷夏となることを予測。村人に冷害に強いヒエを植えさせた。二宮の予言どおり冷夏で凶作(天保の大飢饉)となったが、桜町では餓死者が出なかった
これも凄い。
ナスを食べて「夏前なのに秋茄子の味がしたことから冷夏となることを予測」というのは、常人ではありません。
これ、覚えておこう・・・。
それにしても、とても働きものの尊徳さん。
働いて、働いて・・・
実は、
・子供の頃、わらじを編んで金を稼ぎ、父のために酒を買った。
なんと、お父さんのお酒を買っていたのです!
……これも覚えておこう(なんでよ)。
きっと、思い出の学校だったのでしょうね。
象と、この門の跡、
実は一か月ほど前の写真なのです。
今週には、もう、両方とも撤去されてしまっておりました。
学んだ学校がなくなるというのは、もしかしたらキレイに生まれ変わるだとしても、少し寂しいものですね。
僕のことでは、
中学校は、隣の中学校との合併で、名前も変わってしまい、校舎の無くなってしまいましたし、
高校、大学は、卒業後に、近代的な校舎に建て替えられて、通っていた頃の面影はまったく無くなっています。
小学校だけは、ちょっと遠いのですが、先日用事があってそちらに行き、通りかかってみましたら、
まったく昔のまま、二宮尊徳(金次郎さん、と言っていましたが)象も、たしか、そのままだったと思います。
そうそう、保育園も見に行ってみましたら、同じ場所に、思い出の建物そのまま、残っておりました。
できることなら、いつか、訪れてみたいものです。
園庭とか、きっと、小さく感じるのでしょうねえ・・・。
こちらが、ただただ大きくなってしまって。
まあ、まさかあの頃、お酒飲んで「ふへー」とかいう子(?)になるとは、ゆめゆめ誰も思わないというね(笑)。
ではー。