ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




今日で、ちょうど二周年。

「・・・あ、そうか」、って昨日のコメントを読ませていただいて気付きました(笑)。そして、ちょうど779回目のブログになりました。って、数は半端じゃん。まー仕方なし(笑)。

二年前の今夜、本当に思いつきで、何の考えも決め事も展望も無しに突然書き始めて、ふた月目からは、海外に行っていた時以外、なんだかんだ毎日書きましたねー

いやー、我ながらよくここまで続きましたよ。エライぞ、自分、ちょっとだけ。えぇ、略してEJCですよ。さぁ、今夜も皆さん、ご一緒に!

「EJC!EJC!」

って、またこのネタか。おととい、ちょっとウケたと思って(笑)。すみません。ご存知かも知れませんが、わりと簡単に調子に乗りやすいタイプです。これでかれこれ39年、やってます。

でも真面目な話、この二年を振り返って思うのは、「あー、とにかく、少なくともずっと健康だったってことだなー」、という事です。パソコンの前に座れないような風邪も引きませんでしたし、幸い大きな怪我もしないで過ごせていたということですものね。ほんとずーっと毎日美味しくご飯が食べれて、美味しくぷしゅ、やぶわっが楽しめて(笑)、元気で過ごしてこれました。これは嬉しいことです。そして、ありがたいことです。

でもそれも、こうして毎日続けられてることがあるから、ってのもあったんだと思いますよ。そしてそれは、いつも言ってますし、本当に思ってるんですけど、こうして今日も読んで下さってる方がいてくれるからなんですよ。ステージの時だけじゃなくて、普段からいつも励みになっている、ってことなんですよ。ほんと、ありがとうございます

でもびっくりするのは、こんなブログを最初からずっと欠かさずに読んで下さってる方もいらっしゃるってことだったり、例えずっとじゃなくてもね、時々でもね、途中からでもね、とにかく「あー、アレ?ケン坊だか、綿棒だかの?いやー、長いくて読むの疲れるしー。時々小難しかったり、ワケわかんないこと言うしー。もーいいやー」って良くもまぁ思わずに(←いやこれホントいつも思うのよ(笑))、遊びにきて下さってね。なんか、皆さん、すごいなー、嬉しいなー、って

 

・・・ありがとね。

 

まぁ、これからも年中無休で営業中ですので(・・・の予定ね(笑))、いつでもどうぞ。まぁ大したものは何もありませんけど(笑)、僕はいます

 

って、商売じゃないんだけどね(笑)。でもだからこそ・・・続けられてるってのもあるかもしれません(笑)。

 

ではー。



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「牛肉のステーキ(バターライス&パスタ添え)」。

って、メニューに書いてあったんです。

 

えー、今日は仕事がダブルヘッダーで、スタジオを終えてから、別な場所でもう一仕事。その合間に、「ご飯を食べようよ」って事になって、仲間の一人がお勧めのイタリアンのお店に。

で、出て来た料理を見て、初めて組はみんなビックリ・・・(笑)。

これ、

「バターライス&パスタ(牛肉のステーキ添え)」

ですよね(笑)。ライスもパスタも、それぞれ十分に一人前ありますので、この一つのプレートで二人前あることになります。

えぇ、勿論全部食べましたが(笑)。そして、その上、「もーむりー。、もむーりー!」と残した仲間のプレートまで手を出しましたが(笑)。とっても美味しくてね、内心では・・・「うーん、もう一人前頼んでも食べられるなぁ」、って思ってたんで、ちょうど良かった位でした

お店の名前は「タベルナ」。

イタリアとかフランスで「食堂」とか「居酒屋」っていうような意味らしいのです。なので、当然アチラでは日常語ですよね。「タベルナでご飯食べよう」って楽しいですね

フランス語で湿気のあることを「サムイ」って言うそうですが、同じような感じでしょうか。夏の暑い日なんかに雨が降った後なんか、フランス人が「サムイサムイ!」って言うそうです(笑)。

こういうの、他にもあったなぁ・・・。えーっと。うーん、食べ過ぎて眠くて頭が働かないなぁ・・・(笑)。

しかし今週は、いつにも増してよく食べてますよ~。冬眠する前のクマ並みの勢いですよ。・・・いや、冬眠は無理だな。すぐお腹減るから。クマッた、クマッた(笑)。

で、どんなのがあったかなぁ。

あ、でも、時間が(笑)。・・・バトンタッチ、どなたか(笑)!

ではー。

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・・・あ、いっこ思い出しました

ちょっとシモでアレなんですけど(笑)、オランダ(うろ覚えでイタリアって書いてたけど・・・じゃなかったですね。すみませーん。)のリゾート地に「スケベニンゲン」っていうところがあります。いや、ほんとですよー。なので、「じゃあ、来週末はスケベニンゲンで過ごそう!」なーんて誘うわけでしょうか(笑)。

 

・・・しかもね、同じ名前のレストランが、なんと銀座にあるんです。

「南イタリア料理の店 銀座スケベニンゲン」って。

 

・・・いやいや、ほんとですってばー(笑)。

 

はい、証拠。

お店のHPはこちら

ほら、美味しそうでしょー。って、行った事はないんですけど。なので、レポよろしくです。女性がチーフコックさんみたいですね。いやー、見てたらまた食べたくなってきた(笑)。

って、別に同音異議じゃないですね、これは(笑)。

まぁまぁ(笑)。

ではー。



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たまには、ものすごーくどーでもいい話でも(笑)。

・・・え?どーでもいい話多いじゃん、って?・・・まぁまぁ、確かにー(笑)。

写真を撮る時の話なんですけど。

「あなたは両目を開けて撮影しますか? それとも片眼だけを開けて撮影しますか?」

時々チェックしているカメラ関係のサイトに、こんなアンケートがありました。皆さんは、どうでしょうか?

僕は結構片目だけで撮ってしまうことが多い、というかそれが普通だと昔からずーtっと思ってたんですが(笑)、・・・実際、このアンケートでは、531人の回答者のうち、「必ず両目を開ける」 と答えた人が 91人(17.1%)、そしてさらに 25%(133人)もの人が「両目を開けることが多い 」と答えていますので、併せるとおよそ42%、・・・つまり10人に約4人の方が「両目開けたまま派」なんですね。

そして、片目派は、57%。確かに片目派は多いですが、思ったよりも両目開けたまま派が多くてビックリしました。写真の上手い人ほど、両目開けたまま撮る人が多いみたいですね。あと、スポーツみたいな動く被写体を撮る人ね。確かに、全体を見ながらじゃないと、撮れないですもんね。

 

・・・ほら、もうすでに「どーでもいいよー」、って思ったでしょ(笑)?

だって、・・・そもそもコンパクトデジカメや携帯で撮ってるから、片目瞑ったりすることはないよって。

ですよねー(笑)。

そうそう、このアンケートにしたって、正式な質問には「デジタル一眼レフカメラで撮影するとき」とありますし、「ライブビューでの撮影を除く」って書いてありますもの(笑)。「ライブビュー」ってのは、コンパクトデジカメの液晶画面にこれから撮る写真がそのまま見えている状態です。勿論、携帯での撮影もこれですよね

対して一眼カメラでは、ファインダーっていう覗き穴を見て撮るんで、こんな質問があるわけです。デジタル一眼なら必ず背面に液晶は付いてますけど、あれは「撮った写真の確認用」であって、写真を撮るときには、あそこには映像は写らないんですよ。時々「撮ってもらっていい?」って一眼を手渡すと、真っ黒な液晶見ながらポカーンとして、「・・・映らないよ」って言われますが(笑)。もっとも、最近は「ライブビュー付きのデジタル一眼」も発売されてきてますけれども。僕のD40にはライブビューは付いておりません。なので、いつもはジロジロと(笑)覗いて撮ってます。

でも、時々ファインダーを覗かずに、あてずっぽうにも撮ります。こういうのを「ノーファインダーで撮る」って言って、思いがけない構図や、普通には撮れないような写真が撮れたりするので、これはこれで結構面白いんですよ。まぁほとんどが失敗写真ですが(笑)。

 

・・・ね?どうでもいい話でしょ(笑)。

 

で、そんでね(←続くんかい(笑))、このアンケートで面白かったのが、

 

撮るときに「両目を閉じる」という人がいた事です。理由が気になります。

 

それは。

 

『「上手く撮れますように」や、「ブレないでくれ」と祈るようにシャッターを切るから。』

 

・・・最高です。気持ち、わかるもんなー(笑)。

(アンケート結果はこちらの下部)

 

つーことで、僕もスタジオで両目明け撮りに挑戦。一番簡単な、動かない被写体(自分)で練習(笑)。

 

とか言って、これでカメラ覗いてる方を閉じてたりしてね(笑)。

 

・・・さすがにそんな人はいないだろうなぁ(笑)

 

うわー、どうでもいい話に、どうでもいいようなオチだなー(笑)。

 

あ、話戻りますけど、両目を開けて撮る理由の一つに「身の危険の察知」というのがありました。うーん、なるほど。ってことは、戦場カメラマンなんかは、・・・絶対に両目開けてそうですよね。・・・僕には無理だなあ。すぐ撃たれてそう。困るなぁ。

 

あ、シャツがまた「テローン・テキヤ・シャツ」だなぁ。略してTTS!さぁご一緒に。

「TTS!TTS!」

・・・略す必要ないかぁ

ではー。



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少し前に、身近にあるものが、実は戦争があったから出来たり、発展したんですよ、なんて話を書きました。電子レンジやカーナビなんかを例に出しましたが、なんとなーく覚えていらっしゃいますでしょうか(笑)。

日本では女子中学生や、女子高生が着てるセーラー服が、元々は海軍(水兵)の軍服・制服だというのはご存知の方も多いと思います。背中に大きく垂れた布は、耳の後ろに立てて音を集める為のもの、だなんてことも。また、男子学生の制服であります詰襟も、軍服そのままのデザインだということも、おそらくご存知でしょう。

僕も中学生の時は詰襟を着ていましたし、女子はセーラー服でした。(高校は自由だったので、僕は私服で行ってましたが)。

ちょっと皮肉っぽくなりますが、つまりよく考えたら、日本という国では学生は軍服を着て学校へ行き、「世界に平和を。戦争の無い世の中を。」と教わる国なんですね。これは、他の国、例えばほとんど制服が無いアメリカなんかから見たら、もしかしたら「・・・日本ってのも、なかなか変わってるねぇ」なんて見えるかもしれませんね。僕達には、まったく自然なことなんですけどね。いつか、ずっと未来に「大昔の日本は、学生がほぼ全員、軍服を着て学校へ通っていたのです」、なーんてテレビ番組なんかで紹介されてたりね。で、見てる子供達が「エー!信じられなーい!」なんて(笑)。

さて、学生服だけではないのもご存知でしょうか?以前「トレンチコート」は第一次世界大戦の時にイギリス軍が開発した、戦地での塹壕(ざんごう=トレンチ)の中で着るためのコートです、って話を書きましたが、他にも「ダッフルコート」も、やはりイギリス国軍が第二次世界大戦でのノルマンディー上陸作戦の時に採用した軍服なんです。

もっと身近なところで、多くの企業で採用されてるよくOLさんが着ているジャケットにタイトスカートの制服も、軍服です。あれがカーキ色で、あとは軍帽を被れば・・・ほらね。

そして、「背広」。これも軍服なんです。シングルは陸軍。ダブルは海軍の制服です。ダブルの背広は右前、左前と選べますが、実は男は、とか女は、なんて関係なくて、これは元々軍艦などの甲板仕官が作業する時に、風向きによって掛け替えられる様に、ああなっているんです。

また、背広についてる襟の穴。あれは、、元々は社員章や議員バッヂを付けるための穴ではなかったんですね。先ほども言いましたが、男の制服は「詰襟」が元になっていまして、あの詰襟が大きくなって、やがて「立ち襟」そして、「折り襟」と呼ばれるようになったんですね。この折れている状態のものがジャケットなんです。実際に昔の日本ではあのジャケットのことを「折り襟」と呼んでいたそうです。なので、あの大きな襟は「詰襟の大きくなったもの」だったんですね。そしてその元となっている詰襟の襟元には、軍での階級を示すためのバッヂが付けられていたわけです(学生は学年とかクラスとか、あと委員バッヂなんかを付けてましたよね)。そういったデザインの変遷があっての、名残なんだそうです。

また、昨日の似顔絵を描いてもらってる方の写真でも分かりますが、背広(ジャケット)の脇の部分って割れてますよね。あれは、将校が馬に乗るときの為に、割れているんだそうです。

また、二つボタンや三つボタンといったボタンの数も、階級や社会的地位を表していたんですね。確かに、映画で見ましたが、例えば天皇陛下のジャケットのボタンは物凄い数でした。

ネクタイも軍服。よくある縞模様のレジメンタル・ネクタイは陸軍、水玉模様は海軍を表していました。(ネクタイは、元々食事の時のナプキンの代わり、という説も聞きましたが(笑))。

まぁ、軍服というのは、実に機能的に出来ていましたし、そうでなきゃ困るものだったのは当然ですから、こうしてずっと重宝されているのはもっともな話ではありますが。若い頃の学生服から、大人になっても僕達がずっと着て過ごしている背広(←僕は普段は着る機会がありませんが(笑))やジャケット(←これはしょっちゅう着てますねぇ)までもが、軍服のデザインだったとは・・・。知っていそうで、知らない事だったりしませんか?いわば僕達はいまだ、毎日、軍服を着て、軍服に囲まれて生活しているといも言えるわけですよ。考えてみたら、これまたシュールというか、スゴくないですか

また他にも、カーディガンも1800年代半ばの戦時下に、怪我をした兵士の身体を暖めるため、しかも間単に羽織れるように、と開発されたもの(またもやイギリス軍発祥)ですし、チノパンは第一次世界大戦時に採用されたアメリカ軍の制服でした。ちなみに、チノはCHINA(中国)が語源だそうです。製造元が中国だったからだとか。やっぱり、・・・安く作れたから、なのでしょうか。

 

そうそう、で、中国と言えば・・・例のギョーザ問題から食料輸入問題へと広がってますね。・・・僕も思うところは沢山あるのですが、って、この話すると長くなるので、またー。

さて、まだちょっと仕事が。さくさくやらねばー

ではー。



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仲間内で漫画っぽく書きあうのなら良くありますが、似顔絵のプロに書いてもらったのは今までの人生で一度きりです

祖父と初めて二人で出かけた時で(たぶんー)、まだ小学校に上がる前、5歳くらいでしたでしょうか。よくもまぁそんな頃のことを憶えているもんだと、我ながらも思いますが、・・・この時の事は結構強烈だったみたいで、記憶の断片としてグッサリと残っています(笑)。

地方の方は馴染みがないと思いますが、上野駅徒歩30秒くらいの、上野公園に上がる階段には似顔絵を書いてくれる「路上プロの」おじさん達がいるんです。ちゃんと大学で絵の勉強した人とかもいるみたいですが、とにかく昔から名物なんですよ。なんたって、僕が書いてもらったくらいですから、少なくとも35年くらいは(笑)・・・いらっしゃいますねぇ。祖父とは、おそらく上野動物園にでも行ったのでしょうかね。この記憶は無いんですけどね(笑)。

祖父は、この階段で思いついたように「似顔絵、描いておもらい」と言い、「お願いします」とおじさんに頼みました。僕は促されるままおじさんの前の小さな椅子に座りました。チラと横を見ると、テレビの中の有名人たちが。後ろを振り返ると、祖父は少し後ろでニコニコしながら、こちらを見て腕を組んで立っていました。この時の祖父の表情は、着ていた茶色い厚手の背広の柄まで一緒にとってもよく憶えています

絵描きのおじさんは、誰もが子供に言うようなお世辞の引き出しからいくつかと(「かわいいね」か、そうでなければ「利発そうだ」と、んー・・・一般的にはこの二つで足りるかな?)、後はなにやら子供の気を引くような事を言いながら、チラチラと僕の顔と画用紙を交互に見ながら筆を進めます。

これね、「何度も何度も、間近で、すっごく丹念に、知らないおじさんに見られる」、っていう状況です(笑)。これだけでも、結構強烈ですよね(笑)。

 

待つこと、数十分

 

「はい、出来ましたよー。」←おじさん。

 

「・・・。」←僕。

 

「・・・ん?わっはっは。よく書けているじゃないか」←祖父。

 

画用紙の中の子供は、正直な気持ちとして、とても・・・気色の悪い、不気味な子供でした(笑)。いや、そんなことは言いませんでしたよ、書いてくれたおじさんにだって、お金を出して頼んでくれた祖父にだって悪いじゃないですか。そのくらい、子供心にだって空気を読みますよ。ただ、「見たこともない色をした子供」が書かれていたのでビックリしたのを憶えています(笑)。

ほっぺたがやけにピンクだったのはともかく(子供の絵を描くときの、お決まりみたいなものなんでしょうね)、でもね、なんか、だってね、顔なのに、・・・肌色以外に、青とか緑とか紫とかが使われてて・・・。うーむ、なんだったんだ、あの絵は。単なるおじさんの失敗だったのか(笑)、あるいは僕は、・・・宇宙人か(笑)。祖父に絵心があったかどうかは、まったく知りません。もしかしたら、祖父なりに空気を読んだのかもしれません(笑)。

しかし漫画チックならともかく、ああいう似顔絵ってタッチが生々しいだけに、今思い出してもシュールな絵だったですよー(笑)。どこ行っちゃったかなぁ・・・まぁ、無くなっちゃったんだろうなぁ。万が一どこかから出てきたりしたら、絶対にお見せしますよ(笑)。

 

絵は、・・・中でも人物って難しいものだと思いますが、「似顔絵」って、また普通の絵とも違って、とっても特殊なものですよね。いつも見ている自分を、自分の為に書いてもらうわけですもんね。描くほうも、自分の「絵画的な作品」を描いてるのとは違うのでしょうから、色々と考えるんだろうなぁ、と思えますし。モノクロで、一枚2000円ほどから、カラーで3000円ほどから、という感じのようです。これを高いと思うか、安いと思うか、出来上がり次第でしょうが、それでも人の手で描いてもらうってのは、なんだか温もりがあるような気もしますし、めったにあることじゃないんで、記念にどうですか?

僕は・・・そうだなー、また頼むなら「あのう、宇宙人みたいには描かないで下さいね」・・・と一言、添えることにします。

 

「えっ!?そ、そりゃあ無理だよ・・・だって、あんたは・・・」って言われたりして(笑)。

 

ところで、この写真。何気なく撮ったもので、ウチに帰ってきて気づいたんですが・・・描いてもらってる人、・・・総理大臣じゃないですよねぇ(笑)

 

まぁそうでなくとも(笑)、この方は、なんで今日、自分の似顔絵を書いてもらおうって思ったのかな・・・

ではー。



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下町が好きです

僕は生まれたのは東京の渋谷区というところですが、すぐに父が亡くなったのもあって、早くに母の生家がありました北区に移り住みました。北区というのは、いわゆる「東京の下町」です。僕の通っていた保育園の先生が「最初は『あら、お坊ちゃまが入って来たわ』と思ったけど、ほんの一ヶ月ですっかり北区の子になりましたね(笑)」というようなことを、卒園文集に書いてくれています(笑)。なにせ最初の登園の日の格好が、白いシャツに、サスペンダー付きの黒の別珍の半ズボンとジャケット、白い靴下は三重に折られて、なんとエナメルの靴(!)。おいおいー、結婚式じゃないんだから(笑)まったく、どんだけ場違い君だったことか(←証拠写真あり(笑))。まぁ、それが一ヶ月で、すっかりデニムの半ズボンにジャンバーに運動靴の下町っ子になったわけです(笑)。

子供はいいですね。すぐに友達が出来て、すっかり「近所の子」になれて。古い路地がごちゃごちゃとしていて、そこに住んでいる子供達にしかわからないような抜け道がたくさんあって、ちょっと歩けば友達の家を何軒も遊び廻れるような、小さな「町」です。東京とは言っても、そんな町の集合体だったんですよね。いつもの公園に隣町から子供が遊びに来てたりすると、こちらはちょっと警戒したりしてね(笑)。隣ったって歩いて15分くらいなのに(笑)。「我が町」っていう意識が強かったですね。それだけ住んでいるところに愛情があった、ということですよね

すぐそばには学校の校庭二つ分くらいある大きな空き地がありました。整地なんてしてない、砂利や石と、夏には膝ぐらいまで伸びる草ボーボーの空き地。当然のように遊んでいたけど、今はああいう空き地はすっかり見ませんねー。よくたむろしては、野球をしたり、鬼ごっこをしたり、隣接していた崩れかけた工場の壁に向ってボールを投げたりして遊んでたんですけどね。何年か前に訪れたら、高層マンションが建ってました。

 

東京のちょっと昔~30年前の下町風景」という写真集を図書館で借りてきました刊行されたばかりですので、どのページにもまさに僕が育った頃の下町の様子が。「おーこんなだった、こんなだった」と懐かしい思いでページを捲りました。写真の中の人たちはお金持ちじゃないけれど、生活力に溢れたその姿はとても力強くて、明るくて。郷愁と、尊敬の念にかられながら、楽しいひと時を過ごせました。もう二度と戻らない、下町庶民の生活、町の、生活の風景。「・・・もう絶対に、二度と見ることができないんだ」と思うと、胸が締め付けられるような気さえしました。

 

一枚の写真に傷痍軍人さんが写っていました。傷痍軍人さんというのは、戦争で傷ついた軍人さんです。

白い装束を着て、軍の帽子を被った二人の軍人さんは、浅草のお寺に参拝に訪れる人たちに向って、四つんばいになるようにして助けを(わずかなお金の恵みを)求めている写真です。洋服をを来た人々は距離をおいて、まるで彼らの存在などそこには無いかのように無関心に歩いて参拝に向かっています。一人は軍人さんは片足が無く、一人は肩から失った腕の代わりに義手で身体を支えています。

写真を見て、さーっと記憶が蘇りました。僕が子供の頃、彼らは確かに居ました。

覚えているのは、池袋の駅前。何人もの白装束の傷痍軍人さん達が、段ボール紙やベニヤ板に何かを書いて自分の傍に置いていました。確か、「私は○○戦線から帰還しました」とか、そういう内容だったような記憶がうっすらあります。そして、彼らは、力無く座っていたり、アコーディオンを鳴らしていたりしていました。このアコーデイオンの音色は、子供心にも、物凄く寂しげで、恐ろしげで。

池袋はしょっちゅう家族で買い物に行っていた街です。そして覚えているのは、彼らのそばを通るたびに、どうしても気になってチラチラと見る僕に祖母が「ダメ!見ちゃいけないよ!」と強く言ったことです。

なんで、見ちゃいけなかったのか。足が無かったり、腕が無かったり、顔半分に包帯を巻いていたり・・・単にそんなショッキングな姿を子供に見せないようにしたかっただけなのか、それとも、なにか、彼らのことを説明することを拒むような気持ちが、あるいはもっと彼らに対して後ろめたいような気持ちがあったのか。・・・傷痍軍人になりすましたニセ者が結構いたことは知っていましたが、それでもなぜああまで彼らとの接触を拒んだのか。

戦争を体験した祖母からしたら、おそらく同年代か、せいぜい少しだけ下の世代だったはずです。あの戦争では、温度差はあれど、ともあれ国民一丸となって戦ったはず。軍人も、残った女性達も。少なくとも、上層部に対する何らかの意見ややりきれない気持ちはあったにしても、なぜ、あの軍人さん達は祖母を始めとする「世間」に、積極的に助けられなかったのか。今なら、「体験者の話を聞こう」などという風潮もありますが、当時はまだそこまで世間の戦争感が成熟していなかった、というか、まだ心に痛みが生々しくのこっていて触れられなかったのか。それとも、手足を失った彼らの体験を想像するに、話を聞くには、あるいは語ってもらうには、あまりにも悲惨すぎたのか。・・・今はまだ、整理できていません。

でも、「僕も、あの戦争で戦って酷く傷ついた軍人さんを、確かにこの目で見ているんだな」、とドキリとしました。戦争をまた一つ、身近に感じつつ。 

・・・あ。

ここまで書いて、ひとつ思い出しました。

一度、軍人さんに百円玉か五十円玉を一つ、「恵んだ」ことがあります(この場合、恵んだという言葉はなんだか嫌というか、違和感があるのですが、他に言葉が見つかりません)。母といっしょだったのか、祖母だったのか、伯母だったのか、・・・記憶はありませんが、誰かが「これ、入れてきてあげなさい」と、手渡してくれたんです。

僕が空き缶にお金を入れると、うつむいてじっと座っていた軍人さんは、僕と目を合わさないようにしたまま、ゆっくり頷きました。「どうも」とか「ありがとう」って言われたのか、あるいは黙ったままだったか、それは覚えていませんが、不精髭と、痩せて浅黒く汚れた軍人さんの横顔は、確かにすぐ間近で見た覚えがあります。「池袋駅前の、ここ」って、指差せるほどハッキリと場所まで思い出しました。

彼らの姿を見ることも、ましては話を聞く事も、もう二度と出来ないんですよね。下町生まれ、下町育ちの祖母が、何を思って「見ちゃいけない」と言ったのか、その真意を訊きたくても、それももう叶わず。

ではー。



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愛と感動と汗と涙のレコーディングは真剣な眼差しで笑いながらズンズン順調に進みまして(←どんなやねん(笑))、本日の録りは予定通り順調に終えたところで、

「ゆ、雪凄いです!大変なことになってます!」

と、外から戻ったスタッフさん達が口々に叫びました。テレビのニュースは「都心部でも5cmほどの積雪が予想されます。注意してください。」と、伝えます。

一晩で数十cm、何なら1m近く降るのが当ったり前田のクラッ・・・(笑)の、(我が憧れの)雪国にお住まいの方々には「ほぇー?たった5cm?そんなんで大変なの?」とお思いになるかもしれません。

しかし先日も書きましたが、都市部は、・・・本当に雪に弱いのです。日照りにも弱いし、台風にも、大水にも弱い。そうです、東京なんて、日本最弱のモヤシ都市なのです

スタジオも右へ左への大騒ぎです。

「だ、大丈夫か!?俺たちは今夜帰れるのか!?」

「わからん。こうなったら、クルマは置いて帰ろうか。そして明日取りに来るってのは?」

「いや、明日は明日で、もっと酷いこともなっているかも知れない!むしろ電車が止まっているかも知れん。そして駐車場も埋まっているか知れんし、このまま日本沈没かも知れん。」

「うむー、そうか、5cmの積雪で沈没か。感動的に弱いな。・・・まぁ、それはないだろうが(笑)、とにかく一刻も早く帰ろう。」

「そうだそうだ。」

「しかし、せっかくお弁当が届いたので、ご飯を食べてからにしよう」←僕(笑)。

「いや、ご飯など食べている間に積もって出れなくなるかも知れないよ!」

「そうだそうだ。」

「いや、大丈夫。2分で食べるから。」←当然、僕(笑)。

というわけで、本当に2分で食べて帰ってきました。ほらね、早食いもこういう時に役に立つでしょ(笑)お弁当なぞ、軽い飲み物ですよ

 

「・・・もって帰ればいいじゃない」という仲間の声もありましたが(笑)。

いや、少しでも暖かいうちに食べたいのですよ。・・・ってか、お腹減ってる状態で、横にお弁当積んで雪道を走るなんて、気が散ってかえって危ないでしょ(笑)?

 

しかし、実際、危なかったです。ゆっくり走ってるのに、ちょっとした雪で何度もタイヤが空回り。いやー、ほんとに弱々ですわ。あと30分経ってたら、やばかったかもしれません。必死で帰ってきたつもりですが。

 

 

この墓地の間の、長い下り坂・・・あ、そういえば、さっきここでもタイヤが・・・。

 

 

そして、なんか、すっごく大きな音がしたような。

 

 

 

あれは、・・・何だったんだろ。

 

 

 

あれ?足の感覚がないよ。

 

 

 

あ、あの時、もしかしたら僕は

 

 

 

ほんと、なんかさっきから、足元がスースーするんですよね。

 

 

 

(・・・恐る恐る、そっと見てみる)

 

 

 

 

 って、帰ってきてからそのまま、暖房付けてないで書いてるからか(笑)。

 

で、あの音はカーステね(笑)。あそこでつけたんでした。よくあるんですよねー、ボリューム上げたままスイッチ切って、次につけた時にあまりの音の大きさに「ビクーッ!」、ってするって事(笑)。

 

 

 

さってと、お風呂、お風呂ー(笑)

ではー。



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ちょっとだけ、お勉強。まぁ、一杯飲みながらどうぞ(笑)。

 

門松、初詣、お屠蘇、お年玉、書初め、鏡開き、お宮参り、七五三、節分、雛祭り、端午の節句、菖蒲湯、七夕、十五夜、地鎮祭、などなど。

これらは・・・神道の行事、すべて宗教的な、「神事」です。

「私たち日本人は無宗教ですから」なんて言って、あんまり意味合いを考えてなかったかもしれませんが、これ全部、宗教的な意味合いを持つ、儀式です。なので、例えば外国人でキリスト教徒やイスラム教徒の人には、「ソレ、何デスカー?」と、さっぱりなことでしょう。同様に、仏教「しか」知らない人にもとっても(そういう人も世界中に沢山います)、なじみの無いものです。

でも、僕達日本人の誰しも経験することですよね。しかも結構楽しみにしていたりする楽しい行事ではないでしょうか。なのでね、ザクっと言ってしまいますけど、僕達日本人の基本的な宗教は神道、と言えるんですよ(勿論、私はキリスト教です、イスラム教です、とか、モルモン教です、ヒンズー教です、って方もいらっしゃるのは承知で、あくまで一般論、多数論として申しています。失礼があったら済みません)。

そして、山の神や、川の神、巨木などを御神木と言って崇めたりするのは神道です。昨日のお米の神様の例えなんかもそうですが、全てのものに神は宿る、などという「八百万(やおよろず)の神」という考え方は、神道の基本的な考えなんですね。なので、神道は「多神教」です。神道では、鉛筆にも神、消しゴムにも神がいてOK。

 

そして、お通夜、火葬(仏陀が火葬されたことから)、供養、命日、お墓参り、お盆、お彼岸、除夜の鐘、

こちらが、仏教の行事、仏事の一般的なものです。仏教では悟りを開いた人をありがたく思うわけなんですが、元々はその拝む対象は開祖である「釈迦」だけだったのが、釈迦に教えを受けたり、「自分も悟るために」と厳しい修行している沢山のお弟子さん達もそれはそれは立派だから、ということで、これらのお弟子さん達も拝んだり、ありがたく思う対象になっていったわけですね(菩薩さまとかね)。ですが、このあたりの解釈を巡っては色々あって、仏教そのものは「多神教」と言っていいかは、議論がわかれているようです。ちなみに、仏教では人は死ぬと「仏」様になります。戒名は死後の、仏としての名前ですよね。ご存知のように、日本人はおおむね仏教で死を扱ってますね。仏様は、拝む対象ですので、一般に「死んだ人を悪く言わない」風潮に繋がっているわけです。

ただ、僕達多くの日本人は、行事を見てもお分かりのように、日常的にどっちも(さらにはクリスマスやハロウィーンなんかも)、取り入れていることから「多宗教」である、ということになるのです。「多神教」と「多宗教」、似てますが、全然違う事ですので、しっかり理解をしておきましょうね。来週のテストにでます

うそです。

あーいうテストは、・・・もう大人になったので、いいです。たまに「はうぅ、今日テストなのに、勉強してないっ」って夢を見たり、酷い時は、そういう寝起きを迎えもしますが(笑)。・・・大して勉強なんてしてなかったくせに(笑)。

「お盆」は、元々は仏教のものですが、現在では神道でも大切にされています。特に日本の仏教と神道はごっちゃになりやすいのですが、僕達人間の考えや風習だけでなく、宗教そのものもこうして色々と合わさったり、分かれたり、時代と共に変化、進化するものなんですよね

あと「仏滅」は、よくお釈迦様が死んだ(釈迦が入滅した)日だから縁起が悪い、などと言われますが・・・これはお釈迦様、ひいては仏教とはまったく関係ありません。他にご存知「大安」「友引」「赤口」「先勝」「先負」がありますよね。これらは「歴注」という、暦を元にした占いの一種の「六曜」とういう考え方なんですが、そもそもね、

仏教では占いの類はタブーです。仏教の開祖である、お釈迦様が禁じたからなのだそうです。

なので、万が一にもどこかで占い師が「これはね、私ではなく、仏様がそうおっしゃってるんだよ」などというようなことを言ったら(なんか、・・・言いそうでしょ(笑))、その人は少なくとも仏教に関しては無知、占い師としてもマユツバものだと思ってください(笑)。また、仏教では、迷信などを信じることも禁じられているそうです。

ちなみに「仏滅」は当て字で、元々は「物滅」です。物が無くなるような悪いことが起こる日だという占いに基づきます。

・・・と、ここまで書いてちょっと気になるのは、「おみくじ」ですな(笑)。

元々は、政治をする時に神様の意思を聞くためのもので、確実に神事です。引いたおみくじ、巫女さんや神官さんに手渡してもらいますよね。お坊さんじゃないのですよね(笑)。

でも・・・よくお寺にも・・・あるような気も(笑)。あれー、どうでしたっけ?ありませんでしたか?

仏教では占いがタブーなのだから、神仏習合でごっちゃになっているとういうことでしょうか。それとも「みんなおみくじを引くの好きだからね、、サービス、サービス」なのか(←サービスってこたーないか(笑))、・・・単なる収入源なのか・・・、うーむ。

面白そうなんでちょっと調べたいけど、明日は早くからレコーディングがあったりもするので、お風呂入って寝なければ。なので、これはまたの機会にしときましょう。

お寺、おみくじ、巫女さん・・・、気になるなぁ。・・・あ、巫女さんはいいのか、なんつって(笑)。

あ、昨日のは、やっぱり梅の花なんですね。うん、やっぱりそうでしたかー(←やっぱり、じゃないだろう(笑))。いやはや、ありがとうございました。スっきりしました

ではー。



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今日はこの辺り、とっても良く晴れました

「こういう日にこそ行かねばなー」と、墓参りに行くことにしました。僕が2歳の時に早々に鬼籍に入った実の父親の(家系の)墓なんですが、今年になってまだ行ってなかったな、ということで。

まー変な話ですが、なにせ2歳の時ですからね、生前の父に関してはまったく何の記憶も無いんですよね。僕が物心ついたときには、父は既にこのお墓に入っていたわけで、言い換えれば、僕にとっての実の父というのは、最初からずーっとここにいる、というわけなんです。数枚の写真はあるんですが、なんだかリアリティが無いんですね。見れば、確かに僕に似てるのは分かりますが。・・・あ、逆かー(笑)。

とにかくもはや、どちらかというとね、写真よりもこのお寺の、この墓石の前に立った時の方が、なんだか存在の実感があるんですね。それこそ子供の頃からずっと「ここにお父さんが入ってるんだよ」と言われてきた場所なわけですから。そして、父が亡くなった年齢に追いつき、それを超えてしまったということも関係するのかもしれませんが(今の僕は、父親よりも年上だということですよね(笑))、最近、確かにここに居るんだろうなぁ、というような事を考えるようになりました。

流行りの「スピリチュアル」の類(を生業にしている一部職業占い師、芸能人の言葉)などは大して信じてませんし、番組なども見ませんが、個人的実感として、やっぱり感じるところはあるんですね。そして最近色々と本を読んだりしていて感じるのが、これもひとつの、日本人としての宗教観なんだよなーということです。ちなみに、ここは古くからある、わりと一般的な禅宗系のお寺です。

 

敷地内にあるお堂です。そっと中に入ると、50人くらいの若いお坊さん達が読経をしてました。その声のかたまりが気持ちよくて、立ったままついつい最後まで聴いてしまいました。正座してなきゃ、長いお経もノーストレスです(笑)。

 

さて、お墓に着いたら、「来たよー」と声を掛けて、辺りの枯葉やらを掃き清めますよね。墓石にお水をかけてあげて、タワシで擦ってキレイにしてあげて。お水もキレイにしてあげて、お花を供えて、お線香をあげて、手を合わせる。

大人になるまで、このお寺が何宗だとかなんて全然知りませんでしたし、そもそも興味も無かったし、今でも簡単な知識としてしか知りません。・・・実は、この宗派のお経を上げることすら、これっぽっちもできません。一行も知らないってのも(笑)。でも、大多数の中年までくらいの日本人なんて、多少の差こそあれ、きっとこんな感じではないですか?仏様は敬っていても、宗教(宗派)そのものには、わりと無頓着というか。

今コレを読んでいるほとんどの皆さんと僕が、もし一緒にお墓参りに行ったとしても、きっと違和感無くお参りが出来てしまうのではないでしょうか。細かい宗教間の手順やマナーの違いはあるのかもしれませんが、外国人(ってか、他宗教)では、いきなりは多分無理でしょうね。一つ一つ説明してあげなければなりませんし、「なんでそうするの?」と訊かれても、きっとちゃんとは説明できません(笑)。そのくらい、普通に身体に入ってるんですね。十字架に、柄杓でお水かけてる姿なんて、見たことないですもんね。なんか、今日はずっとそんなことが面白く感じてました。なんで、これが自然に出来てるんだ?って(笑)。

 

帰りしなには、敷地内にある神社に寄って、今度はガラガラと鈴を鳴らし神様の気を引いて(←この理由、好きなんですよね(笑))、パンパンと手を叩いて(本当は『二拝二拍一拝』ですね)帰ってきました。お墓(仏様、ってことになりますね)の前と、まったく同じことお祈りしてね。

そうそう、前にも「僕は無宗教じゃなくて多宗教だ」って書きましたが、よく困った時に「あぁ、神様、仏様、○○様~」なんて言う時点で、ほら、多宗教(笑)。こんな宗教観を持ってる日本人って、世界的に見てもとっても特殊な民族なんですよね。

こんなの、例えばキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒など、他にも世界中の宗教を持っているほとんどの人々には、まず有り得ない発想なんです。ってか、先の三つを例にとれば、絶対に許されないですね。なんたって、彼らは、一神教ですからね。

ですから、「米粒ひとつにも七人の神様がいるんだよ」なんて、彼らにはまったくのナンセンス。米は米。神は神。キリスト、アッラー、ヤハウェ、など宗教によって信じるものの名称は色々ですけど、とにかく多数の神なんてありえなーい、神は絶対に一つ!という強固さを基本に成り立っています。←これもまた時にトラブル(ケンカ)の元なんですけどね。こればっかりは、仕方ないです。人の信仰ですから

僕達みたく、神様も仏様も、さらにはキリストさんをも、同列に「まぁ、要は全部カミサマでしょ。」って扱っちゃえる、って凄いことなんですよ。まぁ、この手の話も結構面白いのですが、まーた長くなるので(笑)、改めていつか

 

敷地内には、まだ雪がすこしばかり。これで野ネズミでも顔を出してくれたら、絵になるのでしょうけどね、そう都合よくは行かず、ただの雪の写真になりました(笑)。

 

見上げると、梅?桃?が咲いていました。えーっと、どっちでしょ。近くで確認してこなかったなー。桃かなー、・・・勘で(笑)。これで、野鳥でも現れてくれると、・・・絵になるんだけどなー。そう都合よくは行きませんね。というわけで、ただの・・・桃?梅?やっぱ桃?の(笑)、写真になりました(笑)

ってか、桃と梅の違いくらい、こうも日本人を主張するなら・・・できないと宜しくないですよねぇ(笑)。

ではー。



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また雪が降りましたねー。でも、止んじゃいましたねー。また写真、撮りそこねましたー。いや、寝ていたわけではないのですが(笑)。

 

「なんで戦争なんてするんだ!?信じられない!分からない!」

・・・多数の方が思うかもしれません。でもこれだと話が進まないので、少々長くなりますが少しだけ紐解いてみましょう。

 

あなたは、誰ともケンカしませんか?したことはありませんか

今はさすがにしないよ、とおっしゃる方も、子供の頃はきっと一度や二度は。誰かにぶたれたり、ぶったり、したことだってあるでしょう。

そこらの公園に一日座って眺めていれば、仲良く遊ぶ子供たちの声に混じって、きっと泣き声だって聞こえてくるでしょう。

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砂場でAちゃん、Bちゃんが山を作っていました。二人共ワンワン泣いている。見ると、どちらの山も崩れている。

Aちゃん「Bちゃんが、貸したシャベルを返してくれなかった」

Bちゃん「ちょっとだけ貸して、ってちゃんと言ったよ。そしたら貸してくれるって、言ったんだよ」

Aちゃんが、後から来たBちゃんにシャベルを貸したらしい。

Aちゃん「でも、もう返して、って言ったのに、『もうちょっと、もうちょっと』って全然返してくれなかったんだよ。」

Bちゃん「そんなことない。『ごめんね。もうちょっとだけ待ってね』ってちゃんと言ったのに。それなのに、Aちゃんが突然怒って、私の山を踏んづけて壊したんだよ」

Aちゃんは貸したシャベルを、何度言ってもなかなか返してくれないBちゃんに癇癪を起こして、Bちゃんの山を崩してしまったらしい。

Aちゃん「でも、そしたらBちゃんが、砂を投げてきたの。それが目に入ったの。とっても痛い。ウワーン」

Bちゃん「そしたらAちゃんが、ぶったの。ウワーン」

Bちゃんも、悔しくて、思わず砂を掴んで投げつけてしまった。そしたら、そんなつもりは無かったのに、たまたまAちゃんの目に入ってしまった。そして、Aちゃんも応戦。手を出してしまった。そして、取っ組み合いに。

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さて、どちらが悪いでしょう。あなたは、二人になんと言ってこの場を鎮めますか。そして、どちらが悪いかの判断を迫られたら、どうしますか。Aちゃんが?Bちゃん?「仲良く遊びなさい」というのは簡単ですが、こんな砂場のケンカにも、それなりに理由がありまして、この場合でも、二人はお互いに「むこうが悪い」、と言うかもしれませんね。

・・・陳腐な作り話で申し訳ないですが、こんなの、世界中どこにでもある話ではないでしょうか。でもまずは、こんな砂場トラブルの延長が「戦争」なんだと覚えておいてください。人は、砂場でも、世界を舞台にしても、争うのです

話し合いをしても(『返してと言った』『もうちょっとだけ、と言った』という段階がそれ)、解決しない場合(『でも返してくれなかった』『丁寧にお願いしたのに』)、・・・手を出してしまうことがあるのです。この例にしたって、Aちゃん、Bちゃん、どっちかが100%正しいというのは無いですよね。判断は、難しいのです。でも、大人がこんなことでケンカをしたらまずいですよね。

さて、じゃあなぜ、大人になるとなかなかケンカしないか。大人は、子供よりも理性があるから?人とは仲良くするべきだと知ってるから?半分は当たっていますが、半分は、説明不足です。大人だって、むかついたりしてるわけです。むしろ、大人のほうが、腹に据えかねることが増えてくる・・・そうでしょう?じゃあなぜ、簡単にはケンカしないか。

答えは、大人になってケンカをすると、・・・罰を受けるからです。

大人がケンカすると、警察によって罰則が与えられます。程度が酷ければ、財産(罰金)や自由が奪われます(懲役)。履歴にも前科が書き加えられますので、先々の信用も得にくくなりますし、仕事もしづらくなります。社会生活に支障をきたすことになります。へたすれば、人生崩壊です。これは怖いことなわけですよね。

ケンカに限らず、泥棒に入っても、強盗をはたらいても、詐欺を企んでも、警察はやってきます。逆に言えば、我々の生活は、これでかなりの安全が守られているわけです。夜道の一人歩きの場合などでも、パトカーや警察官がそばに居てくれたら安心でしょう(とんでもない警察官もいますが、この場合それは除きます)。

警察は人の(悪い)行動を抑止するわけですがから、これを「抑止力」と言います。そして軍隊は、警察のさらに強力版の抑止力だと考えてください。法律も抑止力です。誰も決して人を殺さないなら、「人を殺したらいけない」なんていう法律は、そもそもいらないのですから。人を抑止する為の法律は今でもそうしてどんどん増えて(発達して)います。

しかし、世界という大きな国に、警察は居ません。これが問題の一つです。戦争の原因そのものは民族対立、宗教対立、国土拡充、資源確保などなど、ようするに「気にくわない」とか「あいつのアレが欲しい」とか、実はそんなもんなんですが(昨日書いたケニアのケースは、「政治家の圧政とそれに対する民衆の反発」、と考えられますね。つまりある政治家の「欲の深さ」が原因でしょう)、・・・でもこれが複雑に絡んでしまってるから、後から原因を探リ出すのも大変で(一つではないケースも多い)・・・、しかしとにかくそれを止める抑止力が働かない、というのも理由の一つなんです。

アメリカが「我々は世界の警察だ」なんて言いますが、これは別な思惑もあってのことですし、おそらく「正しくは」機能しませんし、無理だと思います。宗教も問題もありますし、世界ではそこまでアメリカは信用されていません(大抵の日本人は別として)。そもそも、あんな建国以来常に戦争ばかりしている危険な国に、警察なんて怖くてお願いできません。「バカボンのおまわりさん」以上に発砲している危険な警察官ですよ(笑)。ただ、既に世界26ヶ国以上に基地が設置されて(しまって)います。勿論、日本もそのうちの一つです。しかもやたら沢山ありますね。

そして、国連。これも現実問題、警察の役割を担うほどの力は無い団体なのです。「国連決議」なんて、しょっちゅう無視されますしね、表向きはともかく、結局一部の力のある大国の思惑によって運営されているような状態でもありますから。残念ですが。立場は偉いんだけど、怒られてもあんまり怖くない先生、みたいな感じでしょうか(言い過ぎかな)。

 

さて、日本は軍隊を持たない、ということになっていますが、僕は自衛隊は立派な軍隊だと思っています。なぜなら、軍隊と同じことができるからです。戦車もあるし、ミサイルも打てるし、最新鋭の戦闘機も戦艦も持っています。高性能ライフルを持ったパラシュート部隊だって、いつでも出動できるように、ちゃんと訓練されています。ちなみに、日本の軍事費は世界第5位という大きなものです(つい数年間までは米、英に次ぐ第3位でしたが、現在は中と仏が上位に)。核こそ無いものの(たぶんね)、日本は、世界的に見ても、相当な軍事力を持っているのです。

さて、しかし日本の誇る憲法9条では、「国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」、ということですね。これはケンカの為には使わないけど、抑止力としての軍事力(自衛力)は持ちますよ、ということです。他の国が簡単に悪さをしてこないように。攻めないけど、いざ攻めてきたら、守る為にはキッチリやりますよ、怖いですよ、ということです。

「えー。いらないんじゃないの、そんなの。」

と「性善説」の立場で考えられる方もいらっしゃるでしょう。それはそれで素晴らしいとも思うのですけれど、ならば家の鍵を開けっ放しにして、表には「ウチは鍵を一切かけておりません」と張り紙をしてずっと生活できますか?ということなのです。

よく、「世界中の国がいっせいに武力を放棄できれば」、という話が出ますね。これも同様に、全部の家がそうしたら・・・ということなのですが、どうですか、大丈夫そうでしょうか?絶対に誰も、自分の部屋に勝手に入ってきたり、家のものを持っていかないよ、大丈夫ですよ、鍵なんて要りませんよ、と言えますでしょうか。それも、日本人だけでなく、他国から来た外国人も沢山居る中で。外から帰ってきたら、当然の様に鍵が開いている。その恐怖に、耐えられますか?

しっかり鍵を掛け、何度も確かめ、大きな財産のある人は警察の抑止力だけでは信用に足りなくて、防犯カメラを付けたり、セ○ムなどの民間警備会社とも契約しているわけですよね。これが僕達の住んでいる世界の現実です。

難しい問題です。でも、ただ「難しいので、わかりません」で止まっているということは、いざというときに「流される」ということです。人の言いなりになる、ということですから。時々一緒に勉強していきましょうね(・・・って何のブログだ?)。

現在のところ、結局は軍備、ひいては核爆弾を持つことがほぼ唯一強力な他国への抑止力になってしまっていますが、このやり方にはとても諸手を挙げてなんて賛成はできませんよね。核は、まずいです。僕達は一番それを知っていますよね。どんな国の核保有にも絶対反対していかなくてはいけないと思います。ってか、あんなもの認めては、結局僕達の将来はなくなると思います。沢山の核爆弾に守られた世界平和なんて、もはやブラックジョークですよね。

 

あと、私たち日本はこんなに平和なのに、アメリカをはじめ、何で世界中で戦争が起こってるのか、という疑問がありますね。これに対する一つの答えといいますか、もしかしたらご存知ない方もいらっしゃるのかも、と思うポイントを書きますが・・・、

日本の憲法9条のような、「武力行使を放棄」して「平和を約束」している国は、都市国家(=大きな国)では、「世界中で唯一日本だけ」なのです。あとの世界中の全ての国は、いざとなったら(話し合いで解決がつかなければ)戦争する用意がある、とはっきり言っているのです。永世中立国のスイスの軍隊なんてそれはそれは強い軍隊なわけで、だからこそ誰もスイスには手を出さないというのが事実なのです。とにかく、日本以外の国は、どこも戦争を放棄してないんです。怖いですよね。でも、これが今の世界の現実なんです。平和な国、日本で過ごしていると、分からなくなっちゃうんですが、基本的に世界はあんまり平和じゃないんだ、ということは覚えておいてください。日本はもう随分長いこと平和というぬるま湯の中に居ますから、大多数の人が忘れちゃってるんですけどね。

あと、こんな例があります。これはとっても素晴らしいことのなのですが、中米にあるコスタリカという国が1949年に軍隊を永久に廃止しました。これによって、コスタリカに攻め込む国は、なくなりました。こういうやり方も、あるのです。(注:ただ、万が一の非常時には軍隊を組織する、という項目はおりこまれています。・・・これは当たり前といえば、当たり前ですよね。)これも立派な戦争放棄です。世界で、日本とコスタリカだけなんですよ。

じゃあ、なぜ日本はコスタリカみたいにしないのか。なぜ、軍備(自衛隊)を放棄しないのか。

これはですね、日本は、コスタリカと違って・・・世界第二位の経済力を持つ大国だからです。つまり、欲しがる人が多い国なんです、色んな意味で(・・・自然も、人も、文化も、海外から見ても、素晴らしく魅力的な国なのですよ、わが国は)。そんな日本を手に入れて好きにできるなら、よし、ひとつ攻め込んでやろう、という国があっても全然おかしくはないのです。恐ろしいことですが。なので、現在、自衛隊と、あとは日米安保条約によって、「何かあったらアメリカが守ってくれる、代わりに戦ってくれる」という約束の下、我々の平和は成り立っているのです。しかしそれゆえ弊害もあって、あまりアメリカに強く出れない国になっています。なので、「これじゃアメリカの属国じゃないか」、とか、「日本はアメリカの51番目の州か」、などと揶揄する声も聞こえて来るのです。

でも本当に、アメリカがいなかったら、日本は寒空の下、裸同然で外に放り出されるのと一緒、というのも事実なのです。「アメリカの軍事力による抑止」が無かったら、お隣の北のあたりから、とっくに爆弾が落ちてきてるかもしれないのです。悲しいことですが、これも現実です(だから憲法を変えて、自分たちで自立しよう、という動きもあるわけですが、これは・・・)。日本は、独立国のような、実際はそうでないような、変なことになっているのです。

僕は、憲法9条は一度変えてしまったら、ズルズルと大変なことになると思っています。じゃあ、どうすんべよー、という話は・・・いくらでもするべきです。それこそ、徹底的に話し合いです。

そのためには、僕達一人一人が色々としっかり見て、知って、考えとかニャ-、と思うのであります。

ではー。



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朝、いつものように紅茶を飲みながらパソコンを開きました。

そして今朝、トップにしてあるロイター社のページ、「今日の写真」中の一枚を見て、背筋が凍りつくような感覚に襲われました。写真の中では、黒人が、弓矢やこん棒、そして・・・ナタを持って、今にも襲い掛からんような勢いで、大声で何かを叫んでいました。添えてある英語のコメントを読むと、「ケニアで、部族同士が弓矢やナタで武装して暴動が起きている」とありました。そして次いで検索した赤十字社の記事には、「陸路が武装集団に封鎖され、支援物資が輸送できない」とも(こちら)。

先日、こちらで「ルワンダの涙」という映画をご紹介しました。ほんの14年前に、ルワンダという国でフツ族とツチ族という民族同士が対立、大虐殺に発展し、わずかな間に80万~100万人もの民間人が殺し合ったという悲しい事件を扱った映画です。この映画をご覧になった方には、今日ご紹介した記事だけでもすぐにお分かりになると思いますが、そう・・・同じなんです。また、あれが繰り返されてしまったんです。現実に、今。

「・・・これ、『今日の写真』だよな」思わず何度も日付を確認してしまいました。間違いなく、2008年2月3日、つい2日前に撮られたものでした(配信までの数日のタイムラグがあります)。

そう、またもやアフリカで、民族間で惨い殺し合いが行われているのです。検索すると、昨年の12月末に暴動が起きてから、ニュースソースが新しいものになるたびに被害者数はどんどん増えていて、現在、既に1000人もの人(主に民間人)が、(民間人の手によって)次々に弓矢やナタで、殺されているんです。先週からでも、また70人もの人が殺されているようです(最新のニュース。現地の写真も数枚あります)。

次々に関連記事を探して読むたびに、心臓がドキンと脈打ちます。しかし、このままパソコンを閉じるわけにはいかない。一体、なんで、どうしてこんなことが今起こってる?

 

事の発端は、昨年も押し迫った12月27日の大統領選挙だったようです。まず、基礎知識として、ケニアには44ほどの民族がいて、キクユ族は全人口の22%を占める最多数民族ではあるけれど、全体からみたら大多数ではない、ということがあります。

さて、さきの選挙では、現職であるキバキ大統領(キクユ族)が再選したんですが、これに対して野党候補であったオディンガ候補が「これは不正選挙だ!」と声を上げました。

というのも、なんと開票が始まって、最終日前日まではオディンガ候補が大幅なリードをしていたにも関わらず、一夜明けてみたら、現職であるキバキ候補が大逆転勝利をしていた、という信じがたい事実があります。そしてこの最後の一夜、開票所にはまるっきり、連絡が一切つかなくなったとか(つまり何者かが不正を働いていた疑いが強い)。また、それ以前にも投票時に、オディンガ候補の強い地盤で「名簿に名前がないので、あなたは投票出来ません」などのトラブルも多数あったりしたようです(票操作の疑い)。選挙の監視の為に他国から派遣された職員からも「これはとても正式な選挙とは言えない」という声が上がっていたというくらいですから、まるっきり負けたオディンガ候補側の捏造、というわけではなさそうです。むしろ・・・やはりこれは。

そして現職キバキ大統領は、今までも、自分の出身部族であるキクユ族にばかり有利な政策を行ってきました。ほかの部族は、職業の選択や賃金でも差別されてきましたから、結果、貧富の差などがどんどん拡大してしまっているようです。そして、土地政策も、キクユ族の住む場所ばかりがどんどん整備され、他の地域は、例えば街灯が切れても放っておかれるし、道路はずっと穴だらけ、といった具合だったようです。つまり、キクユ族以外の部族の人たちはずっと不満に思っていたんですね。そこで「今度こそ国を、指導者を変えるぞ!」と選挙をしてみたら、・・・そして「よし、勝った」と思ってたら、・・・最後の最後に不正と思われるやり方で、今までの大統領がなぜか再任されてしまったんですね。

そしてここで、いよいよキクユ族以外の人々の怒りが大爆発した、というわけです。もう我慢できない、と。ここからがまた悲惨なのですが、もうこうなると、一般人でもキクユ族と分かると殺されるわけです。しかも、今まではそれなりに良き隣人であった人にさえ。想像できますか?「え?キバキ大統領が悪いわけであって、それは一般人とは関係ないんじゃ?まして隣人を殺すなんて・・・」と普通は考えます。しかし、人間の剥き出しの不満や憎しみ、そして怒りというのは、よっぽど強い理性で抑え続けないかぎり、本来はこういうものなのかもしれません。今回やルワンダの事件に限らず、今までだって多少の程度の差こそあれ、ずっとそういうものでしたよね。坊主憎けりゃ、というやつです。

そして抑止力になるべき理性というのは、教育とか知識によって培われる場合が多いと思うのですが、(これはアフリカ諸国全般にも言えることですけど)ケニアの民間の教育レベルは、残念ながら例えば日本などとは比べ物にならないくらい低いと思われます。となると、これも大きな問題だと言えますよね。うーん。これはアフリカに限らず、やっぱり世界中の問題でしょうね。教育の問題は大きいです。「ギョウザ問題」を見ていても、これを感じます。

ケニアは長く平和な国でした。アフリカの中でも進んだ国でした。豊かな自然、優しく人懐っこい人々の国。楽園、と称されることも多かったのです。国際的にもオリンピックで活躍した選手が沢山いますよね(今回、ソウルオリンピックの1600mリレーなどに出場した選手も投石に当たって命を落としたそうですが(こちら))。それは、今回の紛争で使用されている武器が弓矢やこん棒、投石やナタであることからも分かるんです。治安の悪い所には必ず銃がありますね。でも、今回ケニアの人々は銃では武装していない。つまり、これまでそんなものは必要ない、平和で安全な国だった、ということです。弓矢にしたって、そもそも狩に使うために持っていたものなんです。ナタだって、木を切ったりするための、言わば農機具です(使い方が間違ってますが)。ですからこれを「えー、今どき弓矢?前時代的な。日本も戦国時代には使ってたみたいだけど。遅れてるなぁ」なんていう見方をするのは間違っています。絶対的な銃の金額の問題もあるにはありますが、それまで平和な場所だったからそもそも銃など必要無かった、という一面を見とるのを忘れないで欲しいと思います(日本も、そこらには無いですよね)。そしてまた、このように平和はいつ突然崩れるかわからないんだ、ということも。

先ほど死者数が1000人と書きましたが(まだまだ増えそうです)、家を焼かれたりして難民化した人は25万人とも言われています(こちらも増えるでしょう)。かつて隣の国であるウガンダでアミン大統領が圧政をふるったときに(「ルワンダの涙」と同じ日にアミンを扱った「ラスト・キング・オブ・スコットランド」という映画もご紹介しましたね)、人々はケニアに沢山逃げ込みました。そして今、・・・その道を今度はケニア人が逆に辿って逃げています。ちなみにウガンダの隣には、あのルワンダがあります。

こういう民族間の争い、極端な話、「誰が憎い」ではなくて、ある民族を丸ごと、この世から一人残らず殺してしまおうという「民族浄化」までになると、宗教の対立から起こる宗教戦争と同じ様に、ほぼ単一民族で宗教観の非常に緩い我々日本人にはすぐには理解しづらいものがあるかもしれません。

しかし・・・最近の「ギョウザ問題」からも感じ取れるんですが(とても一緒に出来る話じゃないですけども、でも。)、僕達日本人にだって、かなりの民族対立意識がありますよね。マスコミも、一般人も、心の何%かにお隣の国、ひいてはかの国の民族に対する不信感が見て取れます。当然でしょう。だって、乱暴にいってしまえば「食べ物を買ったら、毒が入っていたが、これはどういうことだ」という図式ですから。まだ真相は明らかになっていませんので、これ以上は差し控えますが、もし・・・もしもですよ。まるっきり例えば、の話としてしますが、

あのギョウザを食べて、もしも日本人が沢山死んでいたとしたら。かわいい子供達を含む日本人が、もしも何十人も、何百人も、もしかしたら何千人も死んでいたら。当然大変な国際問題になるわけですが、そういう時には政治家よりも我々一般人こそが、「もう頭にきた。ふざけんな。実はずっと色々思ってたんだ」なんて、冷静さを失った気持ちになっちゃって、そして「やってはいけないことをやってしまう人」も沢山出てくるのではないでしょうか。そしてもしかしたら、僕や貴方だって、すぐそばにいる、直接的には無関係である来日してるだけの人たちに対してすら敵意をむき出しにしないとは・・・、限らないんじゃないかな、なんて思うわけです。とっても嫌なことですけど。でも、嫌がらせをしたり、お店なんかに石を投げて破壊したり、中には本当に人に対して手を出してしまったりする人も出るかもしれませんね。当然ケンカにもなるでしょうし、そうなればあちらからも報復行為だってあるでしょう。そして、もはや「ギョウザ問題」の真相が実際どうだったかなんてどうでもよくなっちゃって、しまいには相手の何もかもが頭にくるようになって、どんどんエスカレートに次ぐ、エスカレート。果ては・・・。

こんな風に暴動(から紛争、そして戦争)は、まったく意外なことが引き金でも起こったりするんじゃないでしょうか。

ケニアに戻りますが、この紛争がもしも長引くようなら「国家崩壊」の恐れもあるとも言われています。また、殺し合いは済んでも、破壊された家や建物の復旧には少なくとも数年~数十年を要するだろうとも言われていますし、そもそもこの虐殺の現実は長く人々の心に残るでしょう。観光も大きな国家的事業だっただけに、代償はあまりにも大きいと思われます。しかし日本のマスコミでは本当に扱われないんですよね。他の緊急性の無いニュース(例えば芸能とか)の時間を1分でも削ることはできないんでしょうかね。って、今さらソコを言うなよ、ですかね(涙)。

 

最後に、ちょっと余談ですが。

アメリカ大統領選、今日は大きな山場の「スーパーチューズデー」を迎えていますね。この選挙の目玉候補の一人でありますオバマ氏のお父さんが、ケニア人です。そして、先のオディンガ氏(ケニアの不正選挙で負けた人)が「私はオバマの親戚だ」と既に公に発言しています(こちら)。これに対してはオバマ氏は今のところ何のコメントも出していないようですが、どちらにせよ父親の出身国でのこの悲劇。親戚もたくさん居ることでしょうに、自身の人生も大きな局面を迎えている今、心中穏やかではないでしょうね。

 

ケニア暴動の一刻も早い解決を祈ります。

赤道直下の太陽の光豊かなこの国を訪れたある人は、空港から出た途端に「ここは天国じゃないのか?ああそうか、きっと途中で飛行機が落ちて、私は本当は死んだのだろう。だから、そう、・・・ここが天国なんだ。」と言い表しています。辺り一面に咲く色とりどりの花と、緑溢れる大いなる自然と、そして優しい人々の笑顔のとびきり美しい国・・・だったんだそうです。

ではー。



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電車に乗るときに、「何両目のどこそこのドアに乗ると、降りる時、楽。」とか、しっかりと覚えていて実践なさってる方もいらっしゃるかと思います

えー、ご存知のように、僕はかなりの方向音痴なのです。ホテルのドアから出てエレベーターホールとは逆の方向に歩き出す、なんてのは毎度の事ですが、コンビニから出ても、高打率で逆に歩けます(少しは景色、見ておけよって話ですよね(笑))。なので、電車などでは「一番前に乗ると、降りる時、楽」と思って乗って、いざ着いてみたらホームの端から端まで歩くことになった、なんてのもデフォルト(初期状態、普段の状態)です。なので大抵は、真ん中あたりに乗るようにしているんです。良く知っている電車でも、「上り、下り」の方向によっても間違うこともありますので、真ん中が傷が浅くて済むのです(笑)。

さて、本日もまた別の打ち合わせがあったのですが(最近、打ち合わせばっかりしてます(笑))、けっこうギリギリに家を出ることになってしまったので、クルマは諦めて時間の読める電車で向うことにしました。急いで駅に向かい、ホームで滑り込んできた電車に慌てて乗り込んで、ドアが閉まった瞬間、ドキッとしました。

 

ピンクベースの内装、そして「女性専用車両」の文字。

 

良くよく見れば、それは朝のラッシュアワーだけだということで、周りには普通に男性も乗っているのがわかりまして、少々安心しましたが、なんだか「女性専用」の文字が目の前にあると落ち着かないものでして。故・向田邦子さんなら「歩行者天国で、道路の真ん中を歩くような気持ち」とでも書かれるでしょうか(笑)。してよい、と言われてもなんとなーく座りが悪く、こんなことなら隣の車両に乗るんだった、と。でも、写真は撮りましたけど。車内で一眼構えてる方が、女性専用車両でなくとも、よっぽど警戒されそうですよね。あはあは(笑)。

 

この「女性専用車両」って、実はもう明治時代からあったんですよね。あの頃は「そもそも男女が一緒にいること自体が好ましくない」とされた時代だったからなんですが、そんなに長続きはしなかったそうです。

その後、戦後すぐの昭和22年、今よりも酷かった「殺人的通勤ラッシュ」(乗車率300%など)から、「子供と労働女性(OL)を守るため」に東京の中央線に導入されたんです。これは昭和48年9月15日(敬老の日)にシルバーシートが導入されるまで続きました

そして、21世紀に入り、またもや「女性専用車両」の復活です。今回は、また意味合いが違うんですね。そう、「痴漢被害、迷惑行為などの犯罪から女性を守るため」ですね。・・・僕達の、文化は、モラルは、時代は、果たしてちゃんと「進化」してるのでしょうか、と疑いたくなる理由ですが。まあとにかく、今回はラッシュに酷い都市圏を中心に、結構全国的規模で導入されてきているわけです。皆さんのお乗りになる電車にも、ありますでしょうかね。そして・・・どうですか?

そして、これはあまり知られていませんが、女性専用とは言え、小児と身体障害者は男性でも乗れるんです。女性専用車両と知らずに乗った全盲の男性(41歳)が、車内で「ここは女性しか乗れませんよ」と女性客に注意され、冷たい空気が広がったとか。でも満員で身動きもとれず、じっと耐えたそうですが、この経験以降、男性は必ずヘルパーを同伴して一般車両に乗るようにしているそうです。・・・これは、利用する女性の方にも知っておいて欲しいことですよね。

 

打ち合わせが終わり、帰る時は帰宅ラッシュの時間でした。超満員の車内。苦手だけれど、仕方ないですよね。我慢、我慢(笑)。乗り込んで「あ。」と気づくと、これまた「女性専用車両」でした(決められた時間以外は、普通に一般車両として使われてるのです)。そして、ほんの目の前とちょっと横には女性客が、男性乗客の合間に埋もれていました。僕は身長だけはそこそこあるので呼吸は大丈夫ですが、背の低い女性はやっぱりきつそうだし、辛そう。朝の設定のみって会社が多いようですが、酔っ払った乗客も多い夜の時間帯にも専用車両作ってあげたらいいのになぁ、と思いましたよ。僕は僕で(シラフでしたが)、万が一にも痴漢なんぞには間違われたくはないしな、と両手を前に小さくたたんで、じっと耐えておりました。これはいつも思うことなんですよね。ずっと前ですが、何でもないのに、突然振り返って睨まれたことがありまして。冤罪だー(笑)。

あ、なんなら逆に、「酔っ払い専用車両」とか作っちゃったりしてね。・・・乗り越し率が高そうだなぁ(笑)。

いやしかし、ラッシュは本当にきついですな。東京生まれで東京育ちの僕には、昔から当然のようにラッシュはあったので、もはやあって当たり前とすら思っていましたが、今日は久しぶりのせいか、「世界的に見ても異常」というのを実感したような気がしましたよ。解決策はないものでしょうか。マイカーはガソリンを使うし、これからますます通勤などでの電車の利用率は増えると思うのですけどねー。

ではー。



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いやぁ、降りましたな~


\(゜ロ\)(/ロ゜)/


・・・出掛けなくちゃならない日に(笑)。

 

---追記。---

帰りましたー。いやー、寒いってより、こうなると冷たいって感じですねー。

夕方から打ち合わせがあったのですが、当然クルマは控えました。

ってか、無理ー(笑)。

モヤシっ子ならぬ、モヤシタイヤを履いたモヤシ車ですし、運転手もゴールディストになったばかりの超優良ドライバーですから(笑)、ここは万が一のスリップ事故などでクルマをモヤシたり(←物騒だ)することのないよう、また、少しでも無駄な燃料もモヤシたりもしないよう(←しつこいか)、電車でGO

普段とは違う街の景色。日本の黒い瓦屋根の街並みも、今日ばかりは白く眩しく輝いて、おぉ・・・気分はまるでエーゲ海はサントリーニ島でのバカンス、ポワーン・・・なわけはないわけですけれど(笑)、まぁとにかく、とってもキレイなこと。どんなネオンやライトアップよりも、明るく、美しく感じますね。電車の中では持っていた本を広げることもなく、ずっと外の景色を眺めておりました。いや、食い入るように見ていた、と言うべきか(笑)。

 

そして、久しぶりにお会いした(10数年ぶりの方も)先輩ミュージシャン達との打ち合わせもサクサクと無事終わり、じゃあせっかくなのでと一杯飲んで、先ほど最終電車にて帰宅の途へ。それ、たぶん一杯どこじゃないんじゃない?とか言わなーい(笑)。

賑やかな街中はほとんど融けてしまっていたけれど、近所まで帰ってくると、なんだかまだ雪の匂いがするような気がして、家に入るのが惜しいので、しばらくスンスンしながら近所をグルグルと散歩してみました。・・・楽しかったなぁ。うーん、やっぱり、雪好きだなぁ

 

今日は仕方ないけど、明日も今度はこの雪が凍結して動けないなんてことになるんじゃないだろうねぇ?大丈夫かいね?と、クルマにその心配の旨、伝えておきました。

・・・落書きで(笑)。

 

さて本日、念願とはいえ、雪の降った地域にお住まいの、雪に慣れてない僕のような「雪モ○シ組」の皆さん、明日はきっと道路が滑りますので、スリップ、転倒、側転、バック転、バック宙等には、くれぐれもご注意をー

ではー。



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機材は楽しい(笑)!

機材は夢を乗せて(笑)!

って、なんのこっちゃですよね~(ノ∀`)。

まだ帰れないので、また後程ゆっくりとー(笑)。

---追記。---

今日は、ほんと丸一日中マニアックなキーボード談義をしていたというのもあって、かーなーりテンション高めなんですよ。もう夜中の三時なのに(笑)。でも、写真を載せたい。記念に残しておきたいし、見ても頂きたい・・・ので、追記をば。

でも、皆さんには難しいかもしれないので、キーボーディスト(しかも古い楽器好きのね)しか分からないようなマニアックな話は、できるだけ書かないように頑張ってみます。さらにそれを解り易く書こうとすると、とんでもなく長くなっちゃう、ってのもありますので(笑)。

 

数日前、師匠の厚見さん(こちらとか、こちらとかをご参照のこと)から電話がありました。

「土曜日、機材を修理にきてもらうんで立会いで(機材)倉庫に行くんだけど、川村くんに見せたいキーボードがあるから、良かったら来ない?」

「えぇ是非!喜んで伺います。」

師匠からのお誘いです。一も二もありません。よっぽど断れない仕事でも入ってない限り、行きますってばー(笑)。

さて、午前10時過ぎに都内某所、厚見さんが楽器を預けている某巨大倉庫に行きますと、既に機材に修理は始まっていました。厚見さんのご友人のA氏(ヴィンテージロックに魅せられた、マニアックなギタリスト。またいずれ改めてご紹介を。)と三人の集まりとなりました。

 

ハモンドオルガンです。僕もレコーディングなどではレンタルして使ったりしていますが(これをシュミレートしたオルガンは、ライブでもずっとガシガシ使用してます)、この写真のものは厚見さんが三十年以上もずーっと使われている、個人所有のものです。つまり、僕が聴いていた沢山の厚見さんのプレイには、当然このオルガンのサウンドがたっくさん、使用されているということです。あの曲のあとイントロ、あの曲のあのソロ、あの曲の・・・僕にとっては、神々しい程の機材なんですよ。とっても古いもので、多分ほとんどの皆さんが生まれる前に作られたものです。

 

トップの写真で、鍵盤に割り箸が刺さっている(笑)のがお分かりでしょうか。実は、裏側では既に修理が始まっていたんです。オルガンは基本的にはシンプルなサウンドがしますが、中には非常に複雑な、そしてデリケートな回路が詰め込まれております。ですので、修理やメンテナンスには、超専門的な技術が必要なんですが、なにせ古い楽器ですし、絶対数も減っております。なので残念ながら、これを修理出来る技術者の方の数も、減っているのです。興味深く、見守ります

 

一時間ほど検証した結果、大修理(大手術)が必要なことが解りました。もう、僕達には何が何だかさっぱりです。ちなみにこの方は、このハモンドオルガンをちゃんと修理できる、日本にはおそらく一人しかいないという技術者の方で、僕達キーボーでディストは、通称「ハモンドおじさん」と呼ばせていただいております。技術者、というよりも、職人、と言ったほうが分かりやすいでしょうか。この神業的な職人芸、誰か引き継いでくれているのでしょうか・・・。おじさんが引退なさったら、これからこういう本物の古いハモンドはどうなるのだろうか。修理が出来なくて、結果どんどん数が減るのでしょうか。あぁ、なんということ。ちょっと真剣に心配だったりします

 

厚見さんが、僕に見せたいと言ってくれていた機材のメインはこれでした。RMI300A(アール・エム・アイ・サンビャク・エー)という会社の古いキーボードで、おそらく1967年(か、68年。・・・あ、僕と同じ歳!?)に作られたものです。幻の機材といってもいいもので、おそらくもう世界にそう何台もないのではないでしょうか。厚見さんも、探しに探してやっと最近手に入れたんだそうです。とっても古いけど、とってもとっても懐かしいような、暖かい、「いい音」がしました

 

「ピアネット」、というキーボードです。ホーナーという、ハープ(ハーモニカ)やアコーディオンを作っている会社が出した鍵盤で、これまたヒッジョ~に珍しいものです。しかもコンディションも素晴らしい。まるで新品同様の美しさでした。・・・こういうのも見て「おぉ、ピアネットですか。これはこれは。いやぁ美しい一品ですなぁ」・・・なんて言っている時点で、これはまるで「お宝鑑定団」、マニアですよ(笑)。上の300A同様、おそらくたぶん、どなたもご存知ないでしょうね(笑)。

 

あぁ・・・(クラクラ)。

僕にとっては、・・・神々しいを通り越して、「神」と言っていい一品です。これは日本製で「JUPITER-8(ジュピター・エイト)」と言いまして、1981年に発表されました。当時の定価で、98万円という超高級機。しかし値段はさておき、何よりも「厚見さんのJUPITER-8」といえば、あのVOWWOW(←高校時代、僕が部屋にポスターを貼って毎日眺めていた憧れのバンド)のキーボードサウンドを構築したメインの楽器といっても過言ではありません。VOWWOWと言えば、JUPITER-8、これは知ってる人なら誰でも知っている一般常識問題です(笑)。本当に美しい機材です・・・ウットリ(←わからないでしょうねぇ(笑))。

これは僕が「あれ・・・今どうなってます?もしここにあったら、良かったら、ひと目見せてください」とリクエストして、見せてもらった一品です。「あ、見たい?いいよー」と軽くOKしてくれましたが(笑)。そしてこのJUPITER-8については、とんでもない後日談が付くんですが、それはまた近々改めて・・・

 

ハモンドの修理も無事終わり、RMIを乗っけてみたりして。上手く乗っかった瞬間、「おぉ、これだぁ。」と我々マニアは大喜びです。しばし「うーん、いい」厚見さん、A氏と並んで鑑賞(笑)。このセッティングの完成も、今日の目的の一つだったんです。でもこれがどういう意味を持つのかは、近々改めてお話しましょう。まぁ、マニアックな話には違いないのですが。隣のレズリースピーカー(オルガン用スピーカー)も含めて、この機材だけ見てたら、完全に3~40年ほど昔の時代にタイムスリップしたような気持ちになります(笑)。

 

そんな古い機材と、まぁまぁ古くなってきた人間の記念写真(笑)。

いやぁ、夕方までずっと師匠とA氏tとあれこれ機材の話をしては、音を聞き比べて。それからレストランに移動して、ハンバーグとエビフライ(玉子のせ。ライス大盛り)を食べながら、さらに機材や音楽談義は続きました。そして、その後一件仕事に行って、帰りにじゅうじゅう焼き(ラーメン付き)を食べて帰ってきました。

いやー、今日もよく食べましたー

って、結局そういう終わりかい

 

 

・・・いや、違うのです。

以下、今日、倉庫を後にするときの会話です。

厚見さん「どお?RMI、面白いでしょ。気に入った?」

僕「えぇ、いいっすねー。」

厚見さん「じゃ良かったら、持って行って弾いてよ。でさ、研究してみてよ。川村くんに、・・・あげるから。」

僕「・・・へ?」

以下、言葉にならないので、省略。

そんなわけで写真の「RMI300A」が、今、本当にウチにあるのです

ではー。



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先輩ミュージシャンの誕生日パーレーにお呼ばれしておりますよー。

韓国冷麺を頂きながら、知られざるジャパニーズロック界の歴史(の秘密)を聞いちゃったりして。

いや~楽しい(*'ー'*)。また夜が深くなりそうなよかーん(笑)。

そしてもう少ししたら熱いラーメンが食べたくなってくるよかーん(笑)。

 

---追記。---

名残惜しいけど、皆それぞれ明日早くからの予定があったりもして、そんなに深くならずに帰ってきました・・・といっても、もうすぐ5時かな(笑)。

でも、そんな風に翌日があっても「はいはーい、参加しまーす」って集まってね、ワイワイ楽しそうにしてる皆を見回して、「いいなぁ、こういうの」って思いました。・・・お人柄なんですよね。そしてそんな場所にね、呼んで頂いた僕にとっても嬉しい夜でした

僕が小学生の頃からプロの第一線で活躍している方ですから、長い長い歴史がありますよね。今日はそんな歴史が初まった瞬間の、おそらく今まで30年以上、決して外には、勿論雑誌のインタビューなんかでも話してなさそうな秘話なんかを聞けて、皆で・・・

 

・・・大爆笑したり(笑)

いやー、楽しかったです。うおー、ここで詳しくお話できないのが、もどかしいー(笑)。

 

何はともあれ、お誕生日おめでとうございます。これからも、素晴らしいプレイを、歌を、楽しみにしています。そして、また地祇に一緒にステージに立てる日も、ろくろ首のように楽しみに・・・ヒュ~ドロドロドロ・・・しています

 

・・・さて、そして。

 

僕たちは、

 

ラーメンを食べたのでしょうか。

 

あの、誘惑に

 

勝てたのでしょうか。

 

いや、

 

積極的に、

 

負けに出たのでしょうか。

 

いえいえ人生、

 

勝ち負けではないのですが(笑)。

 

まぁ、今日のところは、

 

 

・・・内緒にしておきましょう

 

 

 

さぁて、寝るか・・・○ぷっ・・・なー。

 

あ、失礼

 

ではー。



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