ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




だいぶ前からうっすらと考えてはいたんですけど、タイミングを失ってしまってたんです。

で、この度、いよいよすることにしました。

ふぃっこし

 

すいません、引っ越しです、引っ越し。普通に言え。・・・家だけに

いえ、マンションですけど。

親元から独立した時を含めると、今回で5回目になります。それ以前に父の仕事の都合などで6回ほどしてますので、あと一回で1ダースだ。・・・1ダースだーす。・・・どうよそれ。あー、なんか今日は(も?)テンションが変だー。

転居の理由は、言ってしまえば「気分転換」。今のところにはかれこれ6年住みましたからね。そろそろ、また違う街で暮らしてみるのも面白いかな、と思いまして。先週、JYONGRIちゃんのライブが終わってひと段落ついたところでしたし、今がちょうどいいかな、と。

ちょうど一週間前から不動産屋さんに行き始めて、物件の資料を取り寄せ始めました。物件探しって、ネットや本で探しただけじゃ、半分なんですよね。やっぱりその土地の不動産屋さんに直接行くのが一番なんですよね。僕個人の経験では、今まで、本に載ってた物件に決まったためしがないのです。条件のいい物件は、やっぱり一般に情報が流れるより先に、すぐに決まってしまうケースが多いようですし。カルタ取りみたいなものですかね(笑)。・・・で、残ってるものには、やっぱり何かがある、という(笑)。特に今は、春の引越しシーズンが終わったばかりですしね。

でも、なんだかんだでトータルで50件くらいは集めてみました。とはいえ、「全然違うじゃーん」ってのや(←必ず混じってくる(笑))、イマイチ条件に合わないもの、なぜか乗り気のしないものを外していって、ここ数日で10件ほどですが、実際に部屋を見てまわっておりました。

でも、知らない部屋を見るのって楽しいですよ。それがどんな部屋でも、こういう時でなきゃ、まず足を踏み入れないであろう部屋に入れるわけですし、「なるほど、ここだったら、まずこの部屋を仕事部屋にして、こっちをベッドルームにして・・・。あ、まてよ。」なんて、色々と想像できますしね。「へー、このマンション、前から知ってたけど中はこんなだったのか」とか。

自分が引越しをして出た部屋の近所のそばを、しばらくして通りかかったりした時には、なんとなーく行ってみたりします。で、電気とか点いてると「あの部屋で今は違う人が暮らしてるんだなあ」とかしみじみ思って、感慨にふけってみたり。やりません?やらないか(笑)。なかなか味わい深いものがありますよ。

 

・・・えっと(笑)。

そうそう。で、最終的に2件まで絞って、二日ほど前から悩みに悩んでました。どっちも、捨てがたくてねー。うわー、両方の良い所が、一つになった物件があればよかったのに!と思ったりもしたんですが、部屋探しの大鉄則であります、「100%自分の思い通りの物件などは無い」という言葉を思い出して、最終的に今日、結論を出してきました。ポイントは色々あったんですが、最終的な決め手は、・・・キッチン!・・・ってことにしておきましょう(笑)。

でもほんと今度のところね、キッチンに関しては間違いなく今まで一番の出来だと思うんですよ。なんつーか、ロの字型しててね、スポっとキッチンの中に入れる感じで(キッチン要塞って感じ)使いやすそうだし、なんと、おっきなオーブンまであるのだ。さすがにあんまり使わないだろうけど。ケーキとか、焼く?こんがり焼いちゃう(笑)?

 

まー、そんなこんなで、部屋は決まりましたが、またこれからがまたしばらく大変です。引越しは体力と集中力が要りますからね。でも、それが落ち着いたら、あとは楽しい部屋作り。毎回、引っ越す度に、部屋を見回しては「よし、ここにアレを!そっちには棚を買ってきてホニャラララ」って、ニヤニヤしながら(←いや、絶対真顔だな)飽きずにやってます。「お。これでよし。いじるとこ、なし」っていう完成までには、毎回必ず数年はかかるわけですが(笑)。

で、完成したと思ったら、いつの間にか、思ってもいなかったようなモノが増えだして、溢れ出して、なんとなーく収集が付かなくなって・・・また引越しでもするかなーって。この繰り返しですなー。いつまでやるのかなー(笑)。

でも、とにかく今は、期待と期待で、揚がってます

写真は、無事に部屋が決定したお祝いに「よし、サラダでも食べよう!」と寄った、ファミレス風ステーキ屋さんにて。でもサラダバーだけじゃアレなんで、付け合せに、

 

ステーキも食べておきました。もちろん、すでにサラダはお代わり済みね。三回目の(笑)。

ではー。



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実は、もう先月からだったのですが、

学校に行っておりまする

音楽の学校です

 

 

しかし、思ってもみませんでした。

この僕が、

音楽を、

 

 

・・・教える側にまわるとは

 

僕が、「おはよーございまーす。始めましょー。じゃ、出席取るよー」なんて言ってるの、想像できますでしょうか?・・・これが、言ってるんですよ(笑)。

知り合いの先輩ミュージシャンから「引き受けてくれたら嬉しいんだけど」ってお話を頂いて、「いやー、僕なんか役不足ですよ(←ご指摘がありましたように、思いっきり間違いね。「いやー、僕なんかには荷が重すぎますよ」に訂正しまーす)」と、何度かやんわりとご遠慮したんですが、「ライブとかレコーディングとかの無い日だけでいいんで、是非にも」と仰ってくれるので、「じゃあ、やるだけやってみます」と引き受ける事にしたんです。

週に2日。お相手は6つのクラス、2時間づつ。延べにして150人以上の学生さん達とお付き合いすることになりました。

一年生の子たちは、まだつい先々月まで全国各地の高校生だったという、初々しい子たち。二年生の子たちは少し大人びてるけど、でもまだ20歳。・・・僕の半分ですよね。ひえー(笑)。

あ、キーボードの弾き方を教えてるわけじゃないんですよ。ってか、寂しいけれど、キーボーディスト志望の子は、一年生に4人、二年生に1人しかいないのですよ。人気ないねー(笑)。ドラマー志望もベーシスト志望も少なめのようです。かっこいいのにねぇ。やっぱり多いのは、ギタリスト志望と、ボーカル志望の子たち。目立つしねー、やっぱり憧れるんでしょうね。・・・僕が最初(←25年ぼど前)、そうだったように(笑)。

で、僕の受け持ってるクラスは「作曲」って授業なんですけど、やっぱり最初は基礎理論から(←実は、長い目で見ると一番大事なところだったりもするんですよね)。それから和声学というか、コード理論をやりつつ、パソコンの「シーケンサー」という音楽製作ソフトの使い方、それに、色んなの楽器の特性や、いろんなジャンルの音楽の成り立ちを理解して、でもってアレンジ面の知識やスキルも身に着けてもらってね。最終的には、それをそれぞれ自分の作った曲をパソコンを使ったりもしながら、完成させることができるようにする、ってクラスなんですね

でも、パソコンを使う以上、みんな音楽を鍵盤で考える事になるので、興味のある学生さんには、合間を見てそのあたりもちょっと教えていけるといいなぁ、とは思ってますが。ボーカル志望の子でも、弾き語りとか出来るくらい弾けたら楽しいもんね。ギタリストやベーシストやドラマーが、何気なくピアノ弾いてたりしたら、なんかかっこいいですもんね。・・・うー、僕も何か他の楽器やろうかな(笑)。

授業ね、とっても楽しんでやってますよ。ひとくちに150人って言っても、皆一人一人それぞれ個性があって面白いですし。なんたって元々皆んな、音楽が大好きな子達だし。もう何回か会ってるし、実技の時間には一人一人と話しながら進めるんで、それぞれの学生さんの事も少しずつ解ってきましたしね。ただ、立ちっぱなしの、教室中歩きっぱなしで、帰りには足がパンパンになりますけど(笑)。

 

あんまり詳しく学生さんの事は書けないんですけど、昨日の休み時間にこんなことがありました。一人の学生さんが、「せんせー、ちょっと僕の友達がせんせーと話したいって言うんですけど、いいですか?」・・・まぁ、僕が「せんせー」と呼ばれてる事には、まだまだ違和感を感じますが(皆さんも感じるでしょ(笑)?)、これは慣れるしか仕方ありませんかね

で、「何だ何だ。いきなり呼び出しか」と思いつつ(笑)、廊下に出てみると、知らない子が立っていました。「あっ、あっ。やっぱそうだ!あの、かわむら、ケンさん、です・・・よね?」って言うんで「そーずら」と答えると、「うわ、やっぱりそうだ!ぼ、ぼく、彼女と武道館、行ったんですよ!二日とも!あと、神奈川も行きました!うわー。」って。僕も「うわー」ですよ(笑)。

学生の皆んなにアンケート書いてもらった時に、「好きなアーティスト」に柑橘系二人組や、あのディーヴァの名前を書いていた子もいました。もちろん、「清木○俊介!」っ書いていた子がいましたので、さりげなく「ライブとか行った事あるの?」って訊いたら、「ライブは行った事ないんですよー。いつも抽選で外れちゃって・・・」とのこと。「そっかー、残念だねー。じゃ、次は行けるといいねぇ。」って言ってたら、「あ、あれ?せんせー、もしかして『SA○URA』とかのプロモーション・ビデオとか出てる!?」って訊くので、

・・・「いいえ

って答えました。

ウソですよ。そんなとこで小ウソついてどーするんだ(笑)。ちゃんと「はい、出てますよ。これからも応援してあげてくださいねー」って言っておきましたよ

 

ちょっと僕のうちからは学校までが遠いのがアレですが、やっと早起きにも(←実は早起きに憧れていたのでちょっと嬉しい)、電車にも少し慣れてきました(←へたに遠いのでクルマは時間が読めないので怖い。せんせーは遅刻厳禁ー(笑))。

多感な時期、色んなことをどんどん吸収する年齢。彼らの「せんせー」として、彼らの前に立つというのは、とっても責任があるな、と思っています。何かを学ぶ上で、「せんせー」って、とっても大切な存在ですものね。大切な仕事なんですよね。

はーい、がんばりまーす

って言いつつ、僕も彼らからね、沢山音楽的な刺激をもらえちゃうのをとっても期待してるんですけどね

ではー。



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4月15日のブログを、覚えていらっしゃいますでしょうか。

とうとう昨日、相原碧(ミドリ)ちゃんの手術費用が目標額を達成いたしました、との報告がありました。渡航、そして手術費用として必要とされていたのが8500万円、そして集まった募金は、9234万6513円とのことでした。僕は、昨夜遅くに、ミドリちゃんのことを知らせてくれた友人からのメールで知りました。

・・・すごいですよね、

人の小さな善意って。集まると、ほんと、凄いですよね。

日本は、一人がポケットの一円玉を一つ募金したとして、約一億円集まる国。そしてほぼ、その金額が集まった計算ですよね。

ミドリちゃん事、知らなかったよって人や、あえて募金というカタチは取らなくとも心から祈ってくれた人も沢山いらっしゃるわけですが、その方たちの気持ちの分も、誰かが代理でね、例えば「じゃあ僕は五百人分」、「私、千人分」、あるいは「私は、一万人分受け持つよ」とか・・・、なんかそんな風にも考えられて、そしてその結果がこの数字なんだろうな、と思うわけです。

このブログを覗いて下さっている方々にも、本当に感謝です。きっと「私も」「僕も」、と行動を起こして下さった方、お友達に知らせて下さった方も沢山いらっしゃったことと思います。「そっかー、費用、集まるといいね!頑張ってね!」って、祈ってくれた方も沢山いらっしゃったことと思います。そういう全ての人々のエネルギーが、こんなにも大きな数字の一部になったんですよね。本当に、なんか、僕が言うのも変ですが、・・・ありがとうございます。昨夜、ミドリちゃんを支援するサイトのこの数字を見たときには、感激で、ちょっと涙が出ましたよ。

 

そして今日ね、電車に乗りながら、街を歩きながら、いつもの様に無表情ですれ違う人達の顔を見ながら、「きっとこの人達の中にも、ミドリちゃんの事を知ってて、『助かってほしいな』と思って、気持ちを預けた人がいるんだよな。絶対いるよな。」って思ったら、なんかね、

とっても誇らしくて、いとおしく思えました。

この国が。

そして、皆が仲間に思えました。

この国に住む人達が。

こういう繋がりを感じるっていうのは初体験でした。これもミドリちゃんが繋いでくれた、縁なんですよね。素晴らしい事だな、と思いました。変な話ですが、ミドリちゃんに、感謝したい気分です。

 

でもまだまだ、ハードルは沢山あるでしょうね。これからが本番ですものね。手術と、その術後と。ミドリちゃんにも、ご家族の皆さんにも、大変な体力と精神力が要求されてくることでしょう。

手術の成功と、ミドリちゃんの笑顔を待ちましょう。

皆で。

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感激したらお腹が減ってね(←?)。朝から仕事に行って、それが終わったあと、家を通り過ぎて逆方向まで打ち合わせに行って、やっとこささっき帰れることになったんですが、そんなわけで僕の降りる駅の一つ手前で降りて、餃子を食べることにしました。えぇ、もちろん王将ですとも(笑)。ちなみに、昨日も餃子は食べましたけどね、他のお店でしたけどね。でもやっぱ、餃子は王将だね、ということで

ニラレバ定食、待つ事、10分、飲む事、3分。(←もはや誰も驚かない(笑))

満腹幸せ気分で、ミドリちゃんの事や皆の事を考えながら道行く人々を眺め、「あー、でもニンニク臭くて悪いなぁ」と思いつつ、「でも、一駅だしね。ちょっと息を潜めておけばいいね」と、ほぼ満員だった電車にヨイショ、と乗り込みました

 

そして、走り出す電車。

 

そして、

 

僕の降りる駅を全速力で通り過ぎる電車ビューン

 

「・・・おいおい、急行ってかいっ!」

 

おそらく大分モワモワしながら、結構な駅数を行き過ぎて、階段上って降りて、戻ってまいりましたよ。車内の方、失礼しやしたー

不可抗力でしたー(笑)。

ではー。



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最近、不動産屋さんと話す機会があって、彼から「知り合いの話なんですが」として、聞いたのですけれど。

ある壮年のご夫婦がマンションを借りたいと言ってきたそうなんです。旦那さんは日本の大企業の海外支社で、長く支店長として働いていたのですが、このほど、日本へ転勤になったので、それで住むところを借りたかったんだそうです。

しかし、その知り合いの不動産屋は、彼らが中国人だと知った途端、「いや、部屋は貸せません」と、一切話も聞かなかったそうです。そして、「とにかく、もう二度と中国人にだけは絶対に家を貸さない」って言うんだそうです。「嫌な思いをしたから。だって、いつの間にか契約した人と違う人が住んでるし、ゴミ出しも守らないし、トラブルばっかりで。」ということだったそうです。

中国人、とひとくくりにする。その日本の常識を知らなかった中国人(おそらく若い出稼ぎ労働者だったのでは、とのこと)と、ご夫婦とは別な人間ですよね。これは、人種差別ですよね。でも、「中国、嫌い。中国人、なんかヤ」という日本人が、また今も増えている現実。

 

さらに踏み込んだ話を書きます。こういう話は、今でもタブーとされているんですが。

ちょっと前の話ですが、ある知人の妹さんに彼氏が出来たんです。とってもいい人で、家にも遊びにきて、その妹さんの家族とも仲良くご飯を食べたり、時には家に泊まっていったりしていたそうです。そして、やがて結婚の話になりました。

そこで、その妹さんのご両親が、彼の身元調査をしたんですね(こういう時に、興信所を使って身元調査をする習慣は、まだ結構残っているそうです)。娘を可愛いと思うからこそ、だったとは思うんですが。

しかし、調査結果を知って、ご両親は突然その結婚に猛反対をしました。彼が・・・いわゆる被差別民の出身だったから、ということです。妹さんは、勿論ご両親を説得しようととっても努力をしました。でも、ご両親は、頑なに首を縦には振らなかったんです。僕も、その妹さんのことは良く知っていましたから、とても心が痛んだものです。

 

 

現代を生きる僕達は、もう、日本にも凄い差別の歴史があったことなんて、ほとんど忘れてしまっています。

 

学校で習った、「士農工商」。これは歴然とした身分制度です。これを超えて結婚など、まず許されませんでしたし、それどころか、それぞれ職業の自由もなかった。そして、その「士農工商」の後に続く、被差別民として定められてしまった人々の呼び名をご存知の方も多いでしょう。そして、今でもこの名残は、一部で強く残っているんですよ。とても理不尽で、悲しい事ですが。

ではそもそも、なぜそのような人々が存在しなければならなかったか。

日本は「殺生を嫌う」仏教と、「血を穢(けが)れ」とする神道の影響の強い国です。しかし、動物を殺さずに生きる総ベジタリアンの国ではありませんから、誰かがこれをしなくてはならない。そこで、動物を殺す仕事、その肉を扱う仕事、皮革工業、また、人の死に関わる仕事をする人などが必要でした。人の嫌うこういう仕事をしてもらう代わりに、彼らにいくつかの特権を与え、その仕事を保護したのです。そして、・・・一般の人々は、彼らを自分たちとは違う、と「差別」したんですね。これは、「殺生」「穢れ」という、宗教上の(つまり心の)理由が深くからんできますので、理屈じゃなかったわけです。明治になって身分制度が廃止され、それから100年以上の長い年月を経た今でも残る、この差別と戦っている人々、そして団体も実際にあるんです。俳優の三國連太郎さんも養父が被差別民だったことを自ら公表し、差別に関する多数の著作・講演をしておられます。

 

わたしは(人種)差別なんてしないよ、してないよ、と思っていても、それは理性的な部分であって、無意識下では、恐ろしい事に、結構しているものではないでしょうか。僕達の一世代、ニ世代上になると、その意識を根深くもってしまっている人も多いのです。インターネットなどでグローバル化の進んだ今に生きる僕達にはその意識が薄くとも、ちょっと昔を振り返れば、お隣の国からに移民の人々に対して、今は日本になってしまいましたが、アイヌの人々、琉球の人々に対しても。差別している側は、それと気づかなくても、傷つけていることは、往々にしてあるわけです。今だって、男女差別だって、職業差別だって、あるでしょう。他にも沢山ありますよ。たとえば、本当に僕達が絶対に人を外見で判断してないとしたら・・・、世の中の色々な事は、もっと違っているはずです。

誰だって、他人と自分を区別しますよね。そして、「人よりも出世したい」とか、「人よりもお金持ちになりたい」とか「人よりもカワイイとおもわれたい」とか、人よりも・・・

これは、競争社会である以上付いてまわります。しかし、この競争意識こそが、社会を発展させてきたわけです。人より沢山働いても、別にお給料が上がるわけでもないし、みんな同じ服で、同じ仕事で。でもそういうところで差別はないよ、というのが社会主義国家ですが、日本はそうはならないでしょう。イギリス、アメリカの資本主義が世界の隅々にまで広がりつつある今、これからこういう国が増えるとも思えませんし。日本も、これからどんどん格差が広がり、色んな「差別」がまた生まれてくるかもしれません。「みんな中流」だった高度成長時代は終わってしまいましたからね。

平和の祭典とされるオリンピックだって、明らかに国と国の代表の競争ですよね。スポーツはすべからくそうだと思うのですが、一種の代理戦争ですから。わかりやすいところでは、槍投げなど元々、そのまんま、兵士の強さを競った競技だったんじゃないでしょうか。射撃もそうでしょう。勿論、今はスポーツとして定着してますけれど。

あれ、ちょっと話がずれました。

差別はね、あるんですよ。さっきの「士農工商」の話にもどりますが、その下とされた身分の人々の存在理由は、さっき挙げた職業のことと別に、もうひとつあるんです。

一番身分の低い、当時の言葉で言えば「卑しい」と位置された商人。その、商人達の精神的な不満の捌け口として、の役割があったんだ、と指摘する人もいます。「自分たちが一番卑しいんじゃない。もっと下がいるんだ」と思わせる事で、彼らの心の安定を図った、と。これは実に人間の心理を知り、そこをついた計画だったんだろうと思います。

・・・お金持ちを見ればなんだか嫉妬する、貧乏な人をみれば、ちょっと安心する。現代人にも、十分に当てはまりませんか。それが醜いことだと、知っていても。

ちなみに、商人ですが、なぜ身分が低かったのでしょう。お金を扱うからですね。このお金を扱うのが卑しいとされた感覚は、ユダヤ人が昔「金貸ししか仕事がなかった」、というのと共通するところがありますね。世界的なものなんですね。しかし、ユダヤ人は今や世界の経済を牛耳る大富豪。日本でも、銀行と商社が経済を握っていますもんね。・・・皮肉な話ですね。お金は、ありがたいけど、・・・卑しいもの。うーん、なんだか納得できるような気もしますね。

昨日のコメントで、幾人かの方も指摘されてましたが、黒人にビッグ・スターが多いのは頷けるんです。被差別は、時にものすごいハングリーさと、力を生むことがありますから。

しかし、やっぱり差別はいけません。なぜなら、もったいないことだからです。双方にとって。

ではー。



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「自分で書いて、自分で食べたくなる法則」です(笑)。

えぇ、食べましたとも、トンカツ。ヒレとロースの盛り合わせで

まず、お代わり自由のキャベツとお新香で、お腹一杯にしてから(・・・ん?)、サクサクに揚がったトンカツに、練り辛子とソースを程よく付けていただくわけです。いやー、白米が合いますねー。まぁ、二杯で止めときましたが。ってか、思ったよりも本当にキャベツでね、お腹が(笑)。

 

昨日ね、「シティ・オブ・ゴッド」という、こないだご紹介した「ナイロビの蜂」の監督の代表作とされる映画を観ました。ブラジルのスラムを舞台とした、もう、半端じゃないくらいの人間による弱肉強食の現実を描いた映画です。しかも、これが実話を元にしているという点でも衝撃的な作品だったということもあり、世界的にも評価は物凄く高いのですが、あまりにも惨たらしいというか、辛い描写が多いので、万人向けとは到底言えませんし、僕も特に声高にオススメはいたしません。でも、僕は観て良かったと思いますし、この映画は、とても大きなメッセージを発信した映画として、傑作です。

もうね、やたらめったら人が殺されるのですよ。しかも、大人ばかりか、子供が子供を、銃で。小学生みたいな子が、みんな銃を持ってるの。何にも悪びれることなく、「僕にも銃を」って自ら欲しがるのですよ。理由は様々。でも、みんな銃でのし上がろうとしてるのね。力を手にしたことになるのね。あの世界では。しかし最悪なポイントである「その銃を誰が彼らに流しているのか」ってあたりは、映画を観ていただくとして。

でも、これが本当に地球の裏側で起きている現実で、彼らからしたら、僕達が地球の裏側で。同じく「信じられん。」と思われるわけですよね。

しかし、こういうスラムや、飢餓や貧困に喘ぐアフリカの人々、それからこないだの「パラダイス・ナウ」みたいな、いつ終わるともしれぬ戦時下に生きる事を強いられている人々の映画などをみるとね、いつも思うんですよ。

「この中にだって、ピアノを弾く才能のある人とか、子供とかが、沢山いるはずなのにな。そのチャンスも与えられる事がないんだよな」って。

学校にだって行ってない、それどころか、学校すら無いような地域が世界中にまだまだ沢山あって、毎日を生きる事に精一杯で、ピアノなんて見た事も、触った事もない、って子供たちが沢山いるわけですよ。でも、実はすごい才能の持った子がいる確率はね、僕が思うに、物凄く高いと思うのです。

だって、例えばジャズの巨人なんてもう黒人(ネグロイド)ばっかりですもんね。ってか、ジャズは黒人が作った音楽ですよね。そして、ジャズの延長としてロックン・ロールがあって、その先にいわゆる「ロック」というものがあるわけですし。ただし、ジャズの対極として、白人(ヨーロッパ人)の音楽であるクラシックというのがありまして、僕達日本人なんかは、この両方をミックスした音楽を、日々作っているわけです。日本の音楽シーンにジャズとクラシックの影響は計り知れないほど大きいのですね。もっと言えば、どっちがなくても、今の日本の音楽シーンは存在しえないわけです。

彼らは奴隷としてや、そうでなくとも移民としてアメリカに渡った人々の末裔なわけで、それなりの幼少時代を過ごしたから、ああして楽器の技術を習得できたわけですよね。アフリカのスラムで育ったわけではなかった。中には巨人中の巨人になったマイルス・デイビスみたいに、大金持ちの歯医者さんの息子に生まれた人もいたわけですしね。そのチャンスが、あったわけです。

彼ら黒人には元々、民族としての素質がすごくあるんだと思うんですよ。アフリカは「躍動としてのリズム」の発祥の地ですしね。対して、クラシックにはリズムの要素は非常に薄いわけです。メロディー主体。あ、こんな話書いてると長くなるので今日はやめますが、とにかく、黒人が皆して本気で音楽に取り組むことができたら、おそらく世界の音楽シーンは劇的に変わると思います。JEROも恐ろしく上手ですしねー

オリンピックなどの陸上競技だって、ずっと黒人が強いですよね。マラソンもね。でも、水泳には、選手すらほとんどいないんですよね。プールなんて、物凄く高価な設備ですし、あっても、白人と一緒のプールに入れない、という差別がずっと続いていたがために、プールで水泳をする黒人が、まだまだ少ないというのがあるようです。でも、アレだけの身体能力を持った人達ですからね、そのうち、差別が無くなって、アフリカのあちこちの村にプールが出来た日には、これも世界がビックリすることになるかもしれませんね。ただ・・・その前に、そんな水があれば、飲み水に、そして農業用水に、というのが現実でしょうけれども。

でもね、何も彼らが皆スーパーマンってわけじゃいんですよね。中には、走るのが遅い黒人だって、勿論いるわけですよ。音痴な黒人の歌を聴いたことがありますが、ちょっと安心したりしてね(笑)。「あ、そうか。同じ人間だもんね」って。

でも、やっぱり本気を出されたら、負けそうではないですか。

しかし、人類の起源をアフリカとする説を信じれば、僕達も遠い古の昔には、あのくらいバネがあって、筋肉もピンと張ってしなやか・・・だったんですねぇ。今の日本人やメタボ天国のアメリカ人などを見ると、いかに現代人は、と思わずにはいられませんです。自分を含めてね。

・・・む、そうか。差別する側の白人は当然それを知っていて・・・、だからこそ差別を。・・・あ、これは話が長くなりそうなので、またー。

ではー。



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朝、シリアルを食べて外出して、「お昼はどこかでガッツリと、・・・トンカツでも食べよう」(←家を出るときには決意していた)と画策していたのですが、思いがけずずーっと食べるタイミングを逃してしまっておりました。オーマイガッ。

夕方、間も無くガソリン切れでエンストというか、泣きながら道端に倒れる寸前で、テロテロと電話が鳴りました。

「あ、ケン坊さ、今夜、ちょっとウチの庭で炭火でハンバーガー焼くから、良かったら来ない?」

庭で。炭火で。ハンバーガー

「はい!行きます。むしろ、行きます!」

というわけで、石坂さん宅へ。ご存知、俊くんやJYONGRIちゃんのコンサート制作をしてくれている方です。急げ、急げ。

ぶーん。

 

まずは、クラムチャウダーにシーザーサラダにソーセージ、エリンギのベーコン巻きに、そして「ちょっとアレも焼こうか」と、見事なステーキがサーブされてしまうという、豪華さ。ガーデンパーレーなんてね、マンション住まいの僕には憧れの、また憧れ。うひょー。表面上は「いやー、美味しいですねぇ」と、昭和を、あ、いや、平静を装っておりましたが(笑)、内心、揚がりまくり

ご家族と一緒に、「いただきます(内心、ゴォォー!)」

 

焼きたてのステーキを、豪快にまな板の上でザクッ、ザクッ。染み渡ります。生き返ります。ひたすら、感謝。牛さん(それトナカイ)、石坂さん(もっと若い)、ありがとうございまーす。

そして、ほどなくメインの。

 

炭火焼きの、焼きたての、ハンバーガー。バンズもうっすらと焦げが付いていて、まさに絶品。こんなに美味しいハンバーガーは、めったに食べられるものではありませんですよ、奥さん(・・・寿司(笑)?)。

「ハンバーガーを家で焼くのってなかなかないでしょ?でも、いけるでしょ?」と、ニコニコとパティを焼いてくれているのは、奥にうっすらと写り込んでいる、本日のメインコックさんの、石坂さん。空きっ腹の僕には、真剣に神様に見えました(笑)。

食べ盛りの息子さん達ですら、一つで「もうお腹いっぱーい!」になるほどのボリュームと食べ応えでしたが、「ケン坊は、ア○みたいに食べるから(笑)」と、次々に僕の前にハンバーガーが。

結局、三つほど頂いてしまいました。でも、「あれ?まだ食べれるでしょ?」、「あ、はいー」。なんと四つ目がサーブされようとしたその時。最後のパティを、弘法も筆のあやまり、名コックさんは庭に落としてしまいました(笑)。

そのパティは、お庭の隅でおとなしくして(きっと待って)いた、可愛いワンちゃんのもとへ・・・(肉)キター。

 

そして最後に、お嬢さんが作ってくれた「焼きバナナのバニラアイスクリーム添え、シナモン風味」。

これ、最高。よし、絶対に家で作ってみよう、と思いましたが、

・・・あのサンマとかスルメを焼く網でバナナを焼いている自分を想像して、「やめとこう」と。なんとなく(笑)。皆でワイワイと炭火で焼くから、きっとこんなにも美味しいんだ、と悟ったからなんですが(笑)。

いやー、明日なにも食べなくてもいい位、大量にご馳走になりました。お腹、超一杯

・・・でも、絶対にまた、明日もお腹は空くのだ。

むしろ、

 

「沢山食べた翌日は、やたらお腹が減る法則」ってのがあるしね(笑)。

 

ではー。



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また今日は映画の話を書こうかな。アイ・ラヴ・ムービー

最近観たのからいつくつかを、ちょっと簡単にご紹介しちゃいまひょう。・・・ひょうって(笑)。

軽いのから行こうかな。

・「オーシャンズ13

もうこれは、随分前のリリースなのですが、遅ればせながらやっと観ました。「オーシャンズ11」が面白すぎたってのもあって、「オーシャンズ12」で「あれっ?」って思って、今回はもう、ツッコミどころ満載になっちゃってて(笑)。いや、話は十分に面白いんですけどね。

でも、これだけのスターを同じフレームの中で見れるなんてのは、なかなか無いですからね。そこだけでも観る価値はあるのかな。大好きなマット・デイモン(←いつも上手だけど、「リプリー」での彼の演技は、最高!)、ブラピ(←代表作ばっかりですけど、「12モンキーズ」での演技が特に印象深いですなー)、そして、今回はなんと言っても、大大大好きなアル・パチーノがご出演。もー、やっぱり最高でした。アル・パチーノの映画でお気に入りは、前にもご紹介した、切なくて、でも生きる力をもらえる「セント・オブ・ウーマン~夢の香り~」、そして、「この人はこれが地なんじゃないか?」って位はまり役に思えた、超鬼気迫る演技を見せてくれる映画「ディアボロス」ですねー。しかしこの「オーシャンズ13」の制作費1億ドル(100億円)って、・・・これたぶん、ほとんどが出演者のギャラだったんじゃ(笑)。

 

・「アポカリプト

このところ、いい意味でかなりギリギリの線をいっちゃってるメル・ギブソンがあのキリストの最後を描いた問題作「パッション」に続いて撮った、ノンストップ・マヤ文明映画。こんなんじゃ、なんだかよくわかりませんね(笑)。もう、とにかく、この世界には引きずり込まれます。ってかね、引きずり込み方がとっても上手で、始まって15分で、もうタイムマシンに乗っって古代の世界に連れて行かれちゃったような感覚になれます。ある意味、ファンタジー。でも、映画は、リアリズムに溢れてて、ヘビーでしたね。テーマも、「人間」と「争い」という、現代に続く問題点の原点を見せられてるようでもあって、風刺が効いてて非常に興味深かったです。「文明化」「近代化」の罪とかね。それにしても、結局、昔から人間はずっと争ってたんだな・・・と改めて気付かされます。

古代という時代設定ですけれども、セットもとってもよく作られてて、そのあたり、一切破綻しません。音楽も最高でしたし。制作費、4千万ドル(40億円)。こっちの方が映像的にはどう考えてもお金かかってそうなのに・・・やっぱり、「13」はスターのギャラでしょう(笑)。「アポカリプト」には、有名な俳優さんは一人も出てきません。まぁ、これで出てきたら、醒めますよね(笑)。

 

・「パラダイス・ナウ

もしあなたが、いわゆる「パレスチナ問題」について、あるいは中東各国で頻発している「自爆テロ」というものについて、少しでも興味があるなら、間違いなく必見の一本だと思います。また、「自爆テロー?よくわかんないけど、信じらんなーい。だって自分も絶対死ぬんだよー。ありえないよー」なんて方にも、是非観ていただきたい映画です。何故、彼らが「自爆」するのか。自爆テロとは、どのように行われるのか。一体誰が、やらせているのか。そして、周りの人間、母、恋人たちは一体どんな思いでこの現実と向き合っているのか。

パレスチナ、イスラエル、ガザ地区、ヨルダン川西岸・・・。ニュースで名前は聞くけれど、リアルにイメージが沸かない僕達にとって、この映画は最高のテキストではないかと思います。僕にしても、今までレポート記事や写真などから想像するしかなかったので、この映画で見る事のできる生々しい街の様子に釘付けになりました。そして、映画を観終わった後では「自爆テロ」の「テロ」という部分に、違和感を持つようになりました。エンドロールが最後まで終わって、DVDが勝手にメニュー画面に戻るまで、頭が真っ白になって動く事が出来なくなった映画でした。制作費は不明。この映画がパレスチナ人によって作られ、そして存在していること、そしてまた世界中で高い評価を得ている事に、強い感動を覚えます。とはいえ、決して「自爆攻撃」そのものを推奨はできませんけれど。これは、色んな意味でね。

・「ナイロビの蜂

昨夜観た一本ですが、・・・やられました。途中まで「ほほー、よく出来たサスペンスだなぁ」と思って観ていたので、まさか最後にガツンと泣かされるとは思っていませんでしたよ。最近、アフリカをテーマにした映画に強く惹かれるんです。この映画も、舞台はケニアです。アフリカの自然、風土、生活、空気、そしてそこに住む人々。絶妙なカメラワークと、色使い、そして奇跡的なんじゃないかと思えるくらいの、完璧な編集。終わって欲しくない、と思わされ続けた2時間でした。

テーマは「命の値段」であったり、国と企業ぐるみの「不正」、そしてそれを暴こうとする「正義」との対立でもあったりするのですが、僕はラストまで観て、「これはやっぱり『恋愛ドラマ』だったんだな」と思いました。夫婦愛。人が人を心の底から尊敬し、影響を受け、必要とし、愛するということ。僕は、いわゆる恋愛映画、ラブ・ロマンスものはあまり得意じゃないんですが、でも、この映画は、本当に観て良かった。10年経って、誰かに「この『ナイロビの蜂』って、どう?」って訊かれても「うん、いい映画だよ。観てご覧。」って答えると思います。そういう一本です。レイチェル・ワイズの笑顔が、とってもとっても印象的。そして、レイフ・ファインズの背中が・・・そして、アフリカの子供の笑顔が。うぅ、また泣けてくる

制作費は25万ドル(2500万円)とか。なんでこんなに安く作れたのか、一桁二桁間違ってないか?と思うくらいちゃんと作りこまれた美しい映画だったんですが、とにかく・・・映画の良し悪しは、制作費じゃないんですよね。もちろん、音楽だって、美術だって、舞台だってそうですが。

大切なのは、物語。

そして、語り手の熱なんだな、と思いました。こちらも、その温度を感じる事ができるように、しっかり受け止められるように、日々、心を冷やさないようにしておかなきゃですよね

 

写真は、玉子たっぷり、ネギたっぷりの、ネギネギ・オムレツ。ちょっとカタチはアレですが、まあまあ美味しくできました。ってか、これはあまり失敗のしようがないか(笑)。

ではー。



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ゆさゆさゆさ、と身体を揺さぶられて、目が覚めました。

片目だけ開けてテレビを付けて、画面の中の時計を見ると、まだ7時45分。でも、昨夜は随分早めに眠った(ってか、落ちた)ので、結構眠った気もして、そのまま起きる事にしました。

確か一昨日も、同じ位の時間に、ゆさゆさと揺さぶられて目が醒めたんでした。しかも随分長く揺さぶられて。

いやー、続いてますねー、・・・地震

あの阪神淡路の大地震以来なんですが、それまで余り気にもしなかったような小さな揺れでも、「あ、どこかで、大変なことになってないか」と、気になってテレビを点けてしまうようになっています。ってか、ここら辺りでもいつ大きなのがあってもおかしくない、って言われて随分経ちますしね。

先日、神戸で訪れた「人と防災未来センター」で、年配のボランティアの方に「食器棚や本棚の下にね、何か挟んで角度を付けておくだけでも随分違いますよ」と教わったので、早速金属の板を挟んでおきましたので、ちょっとは心強いです。例え、大きな地震には気休め程度だとしてもね。「あと、値段の高い食器は下の方に入れておいたほうがいいですよ。上のものから飛び出してきますから」とも。・・・これは大丈夫かな。そんな大そうなものはお持ちじゃないので。って、値段の問題なんかじゃないですよね。危ないですもんね。ちゃんと考えておかないとですよね。

でも地震は「不可抗力の権化」みたいなもの。いつかは必ず来るもの、と知識として知ってしまっている分、怖いですねぇ・・・。せめて、角度で、どうにかこうにかー。

 

というわけで早起きしてしまった(いや、早起き「できた」(笑))ので、今日は買い物に出かける事に。まだ一度も行ってなかった、わりと近所に最近出来た、巨大ショッピング・モールへGO

GW明けの平日ということで、お店の人に聞いたら「今日は、もうあり得ないくらいお客様少ないですよ」って言ってました。どうしても人混みが苦手なので、予想通りとは言え、ラッキー

しかし、ビックリしました。話には聞いていたんですけど、ほんと大きくて(笑)。でも何だか雰囲気が海外のそれっぽくて、なんかワクワク。揚がりましたねー

しかも、僕が大好きなショップが入っていたので(←服は大抵ここで買っちゃってます)、今日はそこで春向けにシャツ系をちょっと物色・・・と思っていたのですが、ちょっと揚がりすぎてしまったようで(笑)、いつの間にかボトムの試着をしている自分に「あれっ?」(笑)。

結局、予定外に多くお買い揚げー。ま、いいのだ、たまには。ゆっくり考えて買えたし、着るものだし。食べちゃうものじゃないし。・・・「予定外」に食べてることが多いので、それに比べたら、ね(笑)。

しかしさらなる予定外なことに、「上の階に、ウチが始めたバッグ専門店があるんですよ。宜しかったら覗いてって下さいよ」と言うので、「あら、そーなの?」と、ちょっと覗いてみるだけのつもりが。

・・・ズッキュン。三つ目に見たバッグに、完全に、一目惚れ

そりゃそうだ。そこでばっかり買ってるくらい好きな服屋さんがやってるんだもの。系統が一緒なわけですよ。服とのマッチングもばっちり。大きさも、ちょうど欲しかったサイズ。普段持って歩くのにピッタシ。色もデザインも好み。しかも、完全な一点ものというわけではないにしても、色付けの行程の関係で、まったく同じのは無いとのこと。

さんざん「うわー、いいなぁ」って眺めたり、持ってみたりして、うっすらと愛着すら沸いてきはじめちゃって、ってか、もはや自分の物のように思えてきちゃって(←ありません(笑)?)。で、それからハタと気付いて、「あのー、ちなみにこれ、お幾らなんです?」って値段を聞いて、「う・・・そうきたか」と苦悶することになるわけですよ(笑)。

でも、もーだめ(笑)。だって、もう自分の財布とかカメラとかまで入れてみちゃってますし。完璧に一緒に帰る気満々になってましたから

とゆーわけで、ちょっと奮発して、こちらもお買い揚げー。うん、これはね、

・・・不可抗力でした。でも、その分、うんと大切にしますよ。もうね、なんなら、

 

 

・・・袋から出しませんっ

 

 

それ、いーみなーいじゃーん

 

あー、なんかテンションが変になってきたので(笑)、今日はここらでおいとまします。結局、今日はそのまま夜まであちこちブラブラしちゃいました。足、パンパン(笑)。

ではー。



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オフといっても、こういう仕事を続けている限り、休みはあって無いようなもの

いやいや、どんな仕事でも同じだと思います。職責として、やるべき事、考えるべき事、勉強すべき事はいくらでもあるわけですよね。

ましてや、一日オフがあったとしても、また翌日に仕事があれば、ずっとどこかにある緊張を解くことも出来ないものです。まぁこれは僕の性格かもしれませんが(笑)。やっぱりオフは数日欲しいところです。・・・あ、トシか(笑)。

 

この春も、俊くんの最高のツアーがあって、そしてそのラストを、あの武道館で、色んな意味で、とっても意味のある最高のカタチで終える事が出来て。それからすぐに、これからまさに大きく羽ばたいて行こうとするJYONGRIちゃんの音楽に携わることが出来て、ステージを共にすることが出来て。途中には、あの思い出深い柑橘系二人組と、久しぶりに音楽をすることも出来ました。

それから、その合間、合間にも、・・・また改めて詳しくお話しますが、先月からしばらく継続的にすることになった大切な(責任の重い)仕事もありまして。

それらをひっくるめて、個人的に今日ね、やっとひと段落ついたんですよね。要するに、やっとちょっとオフな気分(笑)。

 

でもね、ぜーんぶ、大好きな音楽の仕事ですから

好きな事を仕事に出来た事、そして、続けることが出来ていることには本当に感謝なんですよね。

何に感謝かって言うと、それは、自分の生きてきた、生かされてきた全ての環境であって、今まで出合った全ての人々になんですよね。

当然、全てがいつもベストな環境ばっかりだったはずはないし、出会った全ての人々の皆が皆んな心から尊敬できるような人達ばっかりだったわけじゃないわけです。

でも、全てにありがたいな、と思います

 

「人は、望むようになるし、望むようにしかならない。そして今の自分は、自分が望んだ結果なのである」

誰の言葉だったかなー。もしかしたら、僕の中でいくつかの言葉が混じってるかもしれません。でも、いつでも、ずっと残ってるんですよね。

そりゃあね、全てに満足してるってわけじゃあないけれど、よくよく自分を考えてみれば、決して納得できないわけじゃない。だって、自分の人生だもの。そしてやっぱり、ありがたいな、幸せだよなー、と思うのです。

 

いつの間にか2008年。いつの間にか、今年も5月になっています。

今日も良い天気でした。風が気持ちいい。

身体はちょっと疲れてるかもだけど、でも、こんな疲れも、気持ちいいのです

よし、明日は・・・、

 

 

 

・・・だらだらと、寝て過ごすぞ~(笑)。

 

でも、この辺り、すっごく天気がいいんですって

・・・もったいないかなぁー。

 

うひょー、どーしよー

 

ではー。



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こういう仕事をしておりますと、大阪という街へは実に数多く訪れるチャンスを貰えます。おそらく、一番多く行っている街です。

しかし仕事で行っていると、行く場所も限られてしまいますし、そもそもそれほど時間に余裕もとれないのが実際で、しかも大きな大阪、結局良く知らないままなんですよね。ツアーの行程的にも、広島でOFF!とか、札幌でOFF!は結構あっても、「大阪で丸一日OFFだよーん」なんてことは、不思議となかなか無いのですよ

なので、今回のようなイベントで行く事ができて、結構にフリーの時間が取れるなんてのは実に貴重です。僕にとっては、キャビアよりも貴重です。しかも、絶好の散歩日和でしたしね

「新世界」。

「動物園前」という駅からが町探索の出発点になるのですが、今回の仕事の現場だった「なんば」から、なんとたったの二駅。六分ほど。

トップ写真、通天閣を正面に望む商店街。GW最終日ということもあって、賑わいもすごかったです。しかし、この独特のコッテリとした雰囲気、ワクワクさせてくれるものがありますね-

(ここからの写真は、携帯からだと「フルブラウザ・モード」みたいのがあれば、見れるかもです。すみませぬー。)

 

近づいてみましょう。高さ100メートル。展望台もありますが、昨日は「待ち時間1時間30分」とのことで、断念。でも、数々の映画などで観てきた大阪のシンボルに近付く事ができただけでも、満足でした

 

通天閣の周りは、とって活気のある商店街です。家族連れや、若い人達の姿も沢山見かけました。そして、懐かしきチンドン屋さんを発見。江戸中期に端を発する、「請負広告業」ですね。もっとも、写真の方達はそのノスタルジーを再現していらっしゃる方たちのようでしたが。でも、嬉しかったな

僕が育った東京の下町でも、子供の頃はよく見かけたものです。で、面白がってずーっと後ろをくっ付いて歩くんですよね。独特のひょうきんなお囃子、そして和服を着てお化粧をした大人達。なかなかに風情のあるものでしたよ

 

スマートボール屋さん。もう日本に何軒も無いでしょうね。パチンコの原型と言われていますね。もともとはビリヤードから発生して、それがアメリカであのピンボールゲームになり、そこから日本に渡ってきたものが、スマートボールになったんだそうです。

って書いても「何?それ?」って、見た事ない方も多いんじゃないかなー

ちょっとね、写真とれるような感じじゃなかったんで、いつか機会がありましたら、どこかで見つけてみて下さいね。あー、縁日なんかで、すももやあんず飴を買うと、やらせてくれるあのゲームですよ。こちらでも、景品はポテトチップスとか、ぬいぐるみでした。でも、これももはや風情を楽しむものでしょうね。

 

謎の串焼、「ひかるホルモン」。

「お持ちがいりできます」。

お持ちがいり、・・・なんだか映画の「黄泉がえり」を思い出しましたので、買うのは止めときました(笑)。

 

串カツ、どて焼き、キンチョールにフジシバ醤油にハイアースの、ジュエリーヨネダさん。

 

「酒ただ」の看板。

「えー、まじー?」

なんでも、「お一人で酒二合お飲みのお客様に酒一合 無料サービス」とな。確かにビックリ。

・・・でも、「味見てコックリ」は、まずいので、写真だけにしてスルーであります。まだまだ未熟者の僕達には、日本酒は危ないのです(笑)。

 

先ほどから写真のあちこちに「串カツ」の文字を発見できることと思います。ほんと、串カツが美味しい街なのですよ。

そろそろ我慢の限界がやってまいりました。

 

はい、玉子丸ごと串カツー!自慢してみる。

牛肉、豚肉、タコにイカ、アスパラ、ししとう、しいたけ、玉ねぎ、じゃがいも、かぼちゃetc.圭ちゃんも、絶賛モグモグ中であります。このお店は串カツだけじゃなくて、一品料理も半端じゃなくメニューが豊富でした。お寿司も鍋もあって、なんならスッポンも食べられるという。うーむ、食文化の街であることを実感するわけです。しかもとってもお安いのですよ

しかも、なんとこちらのお店も・・・

 

生ビールの二杯目を頼んだら、小ビールがタダで付いてきました(笑)。

なんてこったい

 

もー、止まりません。いい感じで酔ってまーす(笑)。これ、赤いのは日焼けも結構あるんですけどね。天気、めちゃめちゃ良かったんで

串カツ盛り合わせを三人で、このトレー三つめの追加注文であります。ホクホクと美味しくて、いくらでも入るんですよ。そのあと、どて煮に豚平焼きにニラ玉に、あとなんか色々頼んで、最後にお寿司も頂きました(笑)。

ん、何被ってるんだ?って?

僕達を見ていたお店のおっちゃんが、「あんたら、写真撮るなら、これでも被りーや」って、ポンッて自分の被ってたのを貸してくれたんです。ちょっと白飛びしちゃって解りづらいんですがー。楽しかったー(笑)

 

日も暮れはじめ、新幹線の時間が迫ってまいりましたので、新世界を後にすることに。

実は、この辺りは、実にディープです。たまたまGWということで観光客で賑わっていましたが、普段はもっともっと人も少なくて、またぐっと違った顔を見せる町だと思います。正直、女性の一人歩きはオススメできませんし、新世界の一部以外は、苦手な方にはとことん苦手な町かもしれません。ほんの少し歩くだけで、・・・誤解を恐れずに言えば、ちょっと「アンタッチャブル」な地域をも内包しています。

でも僕は、これも日本の一つの正直な顔だとも思うんです。「あの時代」の日本の香りが、今でもそこかしこから立ちのぼってくる町です。そう、あの漫画「じゃりン子チエ」の世界ですねー。

 

三人ともちょっと食べ過ぎた感はありますが、ま、いいでしょ(笑)。

 

さよなら、新世界。

古くて、新しい発見に満ちた、世界。

さよなら、動物園前駅。

でも、また来ます。串カツ屋のおっちゃんに「あんんたたち、東京かい。そうかい。なんか、感じがちゃうもんなー。ほなまた来てやー」って言ってもらったし。

どんな風に感じが違うのか、興味がありましたが、・・・でもやっぱり土地土地の匂いってのがあって、長くいる人にはそういうのって、わかるし、感じるんでしょうね。

あと最後に「ここらに来たら、朝7時半から飲めるさかいにな。ここらなら、大手振って朝から酔っ払えるで。それでも、誰にもなーんも言われへんからな(笑)」って。

いや、それはいくらなんでも、早すぎる

・・・んー、でも、そのくらい迄飲んでることはありますから、一緒かな(笑)。

ほなー。



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青空全開、ベストデイ。

ライブ前には食いだおれ人形氏に別れを告げつつ、お約束のインデアン・カレーで一汗かいて。

ライブ後にはあの通天閣を見学しつつ、新世界で最高の串カツ食べまくりつつ、ぶわっ(笑)。

なーんか大阪の大好きなとこ、たっぷり満喫しちゃった感じ('-'*)。いや、まだまだあるんでしょうがー。

いやはや、よく歩きました。

勿論、ライブはめちゃくちゃ楽しかったですしねー。短い時間でしたが、イベントならではのスリリングさ、面白さに溢れてて。

そして今日もJYONGRIちゃんの逞しさを改めて実感。
音楽って、ほんと面白い!

 

…ご飯って、ほんと美味しい(笑)!

---追記。---

帰ってまいりました。GW最終日ですからねー。新幹線も満席でした。

・・・僕は満腹でしたがー

 

GW最終日。そして、本当にいいお天気。有名なカニ氏も元気で猛スピードでシャカシャカ動いてました。

 

・・・んなこたーない(笑)。

 

カニ氏の目の前で、くいだおれ氏は写真を撮る人に囲まれて、大人気。お店のものすごい長蛇の列でした。こんなに人気があるんだもの、閉店しなくても良かったのになぁ・・・なんて、勝手な事をちょと思ってみたり。でも、寂しくなりますね。手前は、何かとお世話になっております、スタッフのミムちゃんです(三村くん)。・・・あ、帽子のほうじゃなくて、奥のほうね(笑)

 

こちらも大阪では有名なラーメン店。昔は大阪に行くと必ずと言っていいほど、食べてました。今日、久しぶりに前を通ったんですけど、懐かしい匂いに心をわし掴みにされて・・・、ものすごく食べたくなったんですけど「今からインデアンだしなぁ」、と涙を飲みまして、我慢。あー、でも食べたかった。絶対に次回こそは。ってか、時間がもうちょっとあったら、両方行ってた可能性もあり(笑)。

 

さて、やってまいりました(笑)。

いつもカレーのアップばっかりなので、お店の様子をば。こちら、くいだおれ氏のそば、ちょっと裏手の路地ににあるインデアン・カレー。大阪にはお店が沢山あるのですが、ここの店舗には今回初めて行きました。なんかね、今まで知っていた駅構内なんかのお店の感じとは全然違って、とっても風情のある店構えに、大感激。しかし、いつ食べても美味しいなぁ

 

長くなりそうなんで、通天閣と新世界は、明日にでもまた書こうかな(あ、トップの写真は、新世界ですけれどもー)。

 

そうそう、一昨日のラクーア、そして今日のなんばパークスでは、またお手紙やおみやげを沢山頂きました。本当にありがとうございました。とっても嬉しいです・・・

 

さて、明日もちょっと早いので、寝るとしまする。

たぶん、寝まする。

・・・たぶんかいっ(笑)。

 

ではー。



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入っとらんだろう、黒豚は。

「黒豚肉入り」ならわかるけどね。

「カモシカのような足」なんて良くゆーけど、あれ、「カモシカの足のような足」じゃんかねー(笑)。

などと、屁理屈を言ってみたりしつつ、「でも美味しいな(・~・)モグリ」


と、新大阪行き最終電車にて。


なんか、楽し(笑)。

 

 

グリーンラベル、無かった~(;´Д`)。


…でも美味し(笑)。

 

---追記。---

ふむー

オ○ジっぽいのですか、こういう突っ込みは(笑)。

しかし確かに、新幹線でソーセージと発泡酒、ってのは十分オ○ジ風ですよね(笑)。

 

ぷしゅの後は、昔ながらのカンチューハイとかグイグイいっちゃって(笑)。

でも・・・なかなか楽しいものですよ

皆さんも、是非お試しあれー(笑)。

 

ではー。



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JYONGRIちゃんのイベント・ライブ、無事に終えて先ほど帰ってまいりました

僕は前回、3月2日の大阪でのイベントに引き続いて二回目だったのですが、圭ちゃんは初参加。でも、圭ちゃんですからね(笑)、もちろん何の心配もなく、昨日の一回きり(3時間くらいでした)のリハも順調に終えて、今日の本番にのぞんだわけです。

しかし、JYONGRIちゃん、素晴らしかったです。数分おきに目の前を「キャーッ!」というすごい歓声と共に轟音で走り抜けるジェットコースターにも全然動じず、とっても素敵な声で、素敵な歌を聴かせてくれました。ライブ後に圭ちゃんとも話したんです。「なんかさ、むしろ僕達が彼女の歌に乗せてもらってる感じ、するよね。で、とっても楽に弾かせてもらえちゃってる、って言うか」って。前回も思いましたが、本当にブレないし、動じないし、堂々としたもんだな、って感心しちゃうんです。僕達の演奏のテンポがちょっと速くても、あるいは遅くなっちゃっても、「あ、そうですか」って感じで、そういう唄い方に自然となるし。その適応がとっても、速くてね。すごいなー、って思うんですよね。そして、どう歌っての、聴いていてとっても気持ちがいいし

今まで僕達も、沢山の素晴らしいボーカリストさんと一緒に演奏させてもらってますが、やっぱり、一流と言われる人達は必ずと言っていいほど、こういう音楽的な適応力とか、即応力を持ってるんですよね。懐の大きさとか、ポテンシャルの高さが、一緒に演奏すると、すぐに伝わってくるんですよ。ビビビーって。

ステージ後の楽屋では、「いえいえ、全然、全然!私なんて!一人じゃ何もできませんから!皆さんのおかげですよ!」とおどけて笑っていましたが、いやいや、とんでもありません。JYONGRIちゃん、まだ、19歳。あれだけの歌を歌って、作詞も作曲もして、英語も堪能で(楽屋でお友達とはずっと英語で喋ってましたよ)、ピアノの腕前もバッチリ。これまた将来が楽しみな、すごい器を持ったアーティストだと思います。ほんと、楽しみです

今日会場に足を運んで下さった方々、どうもありがとうございました。夜は風がちょっと冷たかったですけど、大丈夫でしたか?どうかお風邪など召しませんように

 

---------以下、どーしよーも無い話を(笑)。----------

昨夜はリハの後、早めに夕食をとって、友人のライブを観に行きました(このことはまた後日書きます)。そして、飲みの誘いを「明日ライブだし、そもそもクルマだしー」と、泣く泣く断って帰ってきて、映画を一本観て、早めに就寝。って言っても、3時くらいでしたが。

でも、早くご飯を食べたせいで、夜中にお腹が空いてねー(笑)。何度も目が覚めて、しまいには、「ご飯を食べるんだけどお腹が一杯にならなくて困る夢」を見て目が醒めてしまいました。目覚ましが鳴る2時間も前に(笑)。

でも、せっかく目が覚めたことだし、お腹は減ってることだし、なら早めに出てどこかでご飯をたらふく食べて行こう、と起きてしまうことにしたんです。

軽くいつものシリアルを食べて、パソコンを立ち上げて、昨日のブログにいただいたコメントを読ませていただいて(ありがとうございました。今までずっと書きたかったテーマだったので、いきなりだとちょっとビックリもされるでしょうし、もしかしたら少し難しく思われたかもしれませんが、それでも沢山の深いコメントを頂いて、そうでない方達にもきっと知って色々と考えていただけたかのかなと、嬉しく思いました)、また色々と考えているうちにスルスルと時間は過ぎ。ザバザバとシャワーを浴びて、それから今日の曲の確認をして、持って行くものを確認して、けっこう早めに家を出たんです。

・・・でも、クルマまで行ってエンジンを掛けてから、「あ、ケーブルが足りないといけないな」と思って、一旦引き返したんですね。今日のライブで使うのはレンタル機材。初めて触る機種ですから、念のためエフェクター(←音を変化させるための道具)も用意して行く事にしていたからです。繋ぐためにはケーブルが必要です。大抵は、機材屋さんが余計に持ってきてくれていたりするんですが、スタッフさんの多い大きなツアーと違って、何分にもイベントですからね。万が一の事態に備えて、念には念を入れて、自分の事は自分で、と(←結果、正解でした)

「よし、これで大丈夫。機材関係OK。譜面も持った。地図もあるし。服も着てるし、靴も・・履いてる。携帯も、さっきバッグに入れた。準備万端。よし、行こう。うわー、お腹減ったー。」いよいよ、出発

渋谷あたりまで走ったところで、「さて、何食べようかな」と、思って信号待ちで何気なく助手席を見たんです。いつもの助手席。ジャケットと、カメラと、その日に聴きたいCDと・・・

「・・・あ。」

バッグ、が無いんです。携帯も財布も入れて、ライブ後用にサラサラ・シートまで入れて(笑)、さっき持ったのにー。

キュルキュル。記憶の巻き戻し。

「そうか、さっきケーブルを取りに戻った時だ。」

僕はクルマにバッグを置いておくのは、たとえ短時間でも無用心だよね、という頭があるのです。「うわー、さっき持って家に戻って、ケーブルを持って、バッグを置いて出てきたんだ。何やってんだー。」もう、さすがに今から引き返すには走りすぎました。・・・まぁ、でもね。しょうがない。会場に行けば、知り合いがいるわけだし、事情を話して、お金借りて、それで何か買って食べよう。我慢、我慢。しかしお腹減ったなー、とイソイソとクルマを走らせました。

会場の駐車場は一般の方と一緒でした。そして、ゴールデンウィークの遊園地&温泉施設ですから、当然のように、満車のランプ。係りの方に「すみませんが、今満車ですから、入れませーん」と言われたので「あのー、今日の出演者なんですけども」と言うと「そうですか。では青いチケットをお持ちですね?」「はい?」。残念ながら、そのようなものは、持っておりません(笑)。

・・・しまった。昨日のリハの時、「明日、会場前に着いたら電話下さい。迎えに出ますから」と言われていたんです。でも、電話・・・。

何度か係りの人に「名前、入ってるはずなんですけど。確認してもらえませんか?」とお願いしたんですが、残念ながらバイトの方だったようで「チケットが無い方は・・・」とのこと。「実は、僕、今日、携帯を忘れてしまって」と涙目で事情を説明すると「そうですかー。じゃあ、いいですよ。入れちゃいます」。・・・あはは、入れちゃいますって(笑)。面白いなー、と思いつつ、お礼を言ってどうにか無事、楽屋口にクルマを停めることができました。荷物をおろして、と。

でも、その楽屋口の鉄の扉には、鍵が掛かってたんですよ。何度ノックをしても、扉の隙間に向って「あのー」と声を掛けても、誰も出てきてくれない。うわー、どうしよー。皆、中にいるはずなのに。聞こえないんだ。勿論、誰の携帯番号も覚えていません。今は、電話番号って基本的に覚えなくなってますからねー。駐車場の方に言っても「そこは管轄が違いますから・・・」とのこと。途方に暮れる事、15分。お腹へった・・・。

ほどなく、会場を見に行っていたスタッフさんが通りがかってくれて、事なきを得ましたが、・・・携帯って、無いと不便ですねぇ(笑)。ちなみに、鉄の扉の向こうにはまだ誰もいませんでした。僕が一番乗りだったみたいです。そりゃそうだ、ご飯食べようと思って、意気揚々とかなり早く家を出たんだもの。僕の場合、携帯が無いと時計も無いことになるので、そんなことにも気付きませんでした。暗闇に向って「あのー」とか言ってる場合じゃないですよね(笑)。

俊くんのライブに引き続いて製作をして下さっている石坂さんには、「でも、カメラは持ってるんだ(笑)。一眼に携帯機能があればいいのにね。それ、耳につけて『モシモシ?』ってやってたら面白いに(笑)」と笑われ、圭ちゃんには「サザエさんかいっ(笑)」と大笑いされました。

 

・・・うん、じゃ、サザエくん、と呼んで下さい(笑)。

 

楽屋では、めでたくお弁当も用意されておりまして、3分で即完食。もう、限界でしたし(笑)。そして、食後にJYONGRIちゃんのマネージャーさんから「差し入れです、どうぞー」と頂いたクリーム入りメロンパンを頂きまして、その30分後に石坂さんに買って頂いた、会場内で売っている肉厚ジューシーなダブルチーズハンバーガー(なんと一つ千円だったとか!高~っ!でも美味しかったですー。ご馳走様でしたー。あれっ、でもご馳走するよ、とは言ってなかったかな・・・(笑))。あと、ステージの目の前で売っていたケンタッキーも頂いて、そんでもって固焼きポテチとやらをボリボリと頂いて。むー、今日はライブも合間、ずっと何食べてましたなー。何かを取り戻すかのように(笑)。

帰りしな、やっぱり俊くんツアーでも一緒だった若手スタッフの三村くんが「ケン坊さん、お弁当が余ってますよ」と言うので「あらら。じゃあせっかくだし、貰って帰ろうかな。」というと「二つはイケますよね」と、本当に二つ手渡すので(笑)、「・・・いくらなんでも、そんなには食べませんがな(・ε・ )」と、一つだけ頂いて、でもあと「あ、これも余っちゃったの?」と、テーブルにあったお握りを二つ貰って帰ってきました。勿体無いしね(笑)。これは、焼きおにぎりにしてみようと計画しております。ってことは、今夜もずっと食べるつもりか(笑)。

うん、食べるかも(笑)。昨日みたいな夢は、辛いですからー(笑)。

ではー。



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さすがに重たい話が続いたんで、今日は他の事書こうと思ってたんですけど・・・

昨日の最後のブロックで、「教科書には載っていない(載せられない)、本当の歴史があるんです。」と書きましたが、もしかして誤解されちゃうとアレだな、と思って書き足します。

 


あれは、他国(特にお隣付近)の影響・干渉で、本当の事が載せられない、という意味だったんです。

今まで、何度か書きましたがWGIPというアメリカの戦後の計画によって、「日本は戦争で、近隣諸国に謝ってもすまないような酷い事をしたんだ。敗戦したことで、アメリカに救ってもらったんだ。そして、これから私達はずっと反省していかなきゃいけないんだ」というような偏った歴史感を叩き込まれました。

今、大半の皆さんが知っている日本の歴史って、実は学校時代の教科書で勉強したものがほとんどではないしょうか(先生も、「日教組」という組合の監視と圧力がある為、この教科書に則って教えることしか出来なかったということもあります)。

でも実は、おそらく今皆さんが思ってるほど、日本はアジアで酷いことばっかりはしていなかったんだよ、というのが僕の見解です。きっとご存知の方も多いかと思いますが、戦中の日本を「良い事をしてくれた」という東アジア、東南アジアの方が沢山いらっしゃいます。ただ、それは書けないのです。「第二次世界対戦は日本の他国への侵略戦争だった。」と教えることになっていたからです。

でも、そうとばかりは言い切れない事が沢山分ってきています。両国の戦争当事者の方の証言も、近年、沢山表に出るようになってきたからです。「え?そうなの?何それ?良い事って、何したの?」という方が多いのではないでしょうか。事実は沢山あります。でも、それを、僕達は知らされてないで大人になってしまったのです。つまり、バランスが悪いのです。真実の歴史は教えられていないのです。

WGIPによって「うわー、ごめんなさいー。僕達が悪かったですー」という、この歪曲された、現在の大半の日本人の持っている歴史観を「自虐史観」と言います。

僕は、日本人は、まずこの「自虐史観」から抜け出て、正しい歴史、公平な視点からの近代史を知る事が、大切だと思うんです。それが出発点ではないかと。

前にも一度書きましたが、今でもお隣の国が「日本人に30万人も殺された」と言って憚(はばか)らない「南京大虐殺」は、まるっきりでっち上げであったことはもう証拠が沢山ありますので、現代の世界中のまともな識者で中国の言い分を信じてる人はいないでしょう。ただ、事実でなくても、言い張ることにも意味があるのが、外交問題の怖いところで、難しいところです。他にも沢山ありすぎてビックリするほど、あります。歴史のでっち上げは、古今東西、実に多いのですよね。

日本のした良い事に挙げられるのが、東アジア、東南アジア各国で施した生活インフラの整備、教育、農業、工業技術の伝達などです。これは「悪い事」に隠されてなかなか教えられるチャンスのない「良い事」の一つです。日本は無償でこれらをやりました。戦後も、一切の報酬は受け取っていません。例えば台湾に、とても親日家が多いことからもわかります。特に、当時、日本が台湾で行った灌漑工事はとても有名です。パラオなどでも、「日本人大好き」という人が多いと聞きます。他国の植民地政策では、基本的にこういうことはしません。特に、教育には莫大な時間と費用がかかります。それよりも、今すぐに搾取できるよう、どんどん働かせる方が、当時の植民地としての利用法としえは理に適っていたのです。また、乱暴な言い方ですが、へたに教育なんかして、頭が良くなってしまったら、色んなカラクリに気づいてしまうから、とも言えるでしょう。操る側というのは、そういうものです。

そして、一番重要なポイントだと思うのが、戦争当時、自国の周りを制覇しつくした欧米の植民地化の手が、いよいよ東、東南アジアに伸びてきていた、ということです(彼らからしたら、一番遠い地域です)。現に、東、東南アジアは、すでにだいぶ大国の植民地にされてしまっていました(現在でも使われている言葉を見ればわかりますね)。国力も、抗う強い軍事力も無かったこれらのアジアの国は、次々に植民地化されていってました。これに、「冗談じゃない」と立ち上がった、唯一のアジアの国が、日本だった、という点です。

それゆえ、あの戦争はアジアの解放の為の戦争だったのだよ、というのが、僕達の教えられなかった歴史の一つの見方なのです。日本が流入してくる欧米列強各国から、東、東南アジアを守り、追い返した戦いだった、ということです。実際、「大東亜共栄圏」という、今で言うヨーロッパのEUみたいな、近所の国同士を集めて、大きな防衛圏・連合組織を作ろう、というのが当時の日本のスローガンだったのです。

それを、「そんなことはさせない」と、これを阻止するため、日本を戦争せざるおえないところまで追い込んだのが、(A)アメリカを筆頭とする、(B)イギリス、(C)中国(すでに1937年から日本と戦争していました→「日中戦争」)、(D)オランダでした。各国の英語名の頭文字をとって、「ABCD包囲網」などと言われました(但しこれは、正しい「歴史用語」ではありません)。これらの国は、日本との貿易の停止を決めました。今で言う、経済制裁、というものですね。その中で、特に致命的だったのが、日本への石油の輸出を停止する、とされたことでした。当時、日本はアメリカから石油の八割を買っていました。その時点で日本の石油の備蓄量は、「持って三年、最悪、一年半」でした。今でもそうですが、石油が無くなれば、経済は終わりです。そのままでは、日本が国として、死ぬわけです。

さらに、「それが嫌なら、これらの条件をのみなさい」、として英米側から「ハル・ノート」という通達書が提出されました。これは、分りやすく言えば、持っている日本の権利を全て放棄せよ、というような内容が書かれており、「これは日本に『自殺せよ』というのに等しい」と当時の外相が語ったように、到底のめない内容が書かれていたものでした。のんでも、終わり。のまなくても、終わり。それまでも続けられてきた、交渉の限界だったわけです。


どうしましょう。


「仕方が無い。戦おう。こうなったら、武力で戦って、勝つしかない。」

 

「ハル・ノート」は、最初からのめないとわかっている条件が書かれていた、といいます。つまり、「これで彼らは戦争に踏み切るだろう」という、判断した上での、通達だったわけです。アジアの覇権が欲しかった英米その他の列強国。それを嫌がって、結果、追い込まれた日本。そして、真珠湾攻撃が行われます。


これが、あの戦争の発端です。


しかし日本は、当時のアメリカやイギリスが思っていたよりも、遥かに強かった。彼らの計画では、もっと早く戦争は終わるはずだったようです。しかし、4年にも渡って戦争は続き、その中でも日本は、次々にアジアを解放して行きました(これを僕達は、「日本がアジアを侵略した」と教わってきているわけです。この辺りは、これからも公平に調べて、もっと知っていきたいと思っています)。でも、相手の力が大きかった。日本とは戦争しない、と約束していたロシアまで、ついに英米側に加担しました。ほどなく、日本は力尽き、ボロボロになりました。そして、あの忌まわしい原爆でトドメが刺されたわけです。これを受けて、すぐに日本は「負けました」と認めました。すぐに、ちゃんと通達したんです。

しかし、長崎への8月9日の原爆投下から、8月15日の正式な「ポツダム宣言受諾」日までの間、僕の記憶が正しければ確か青森の町だっと思いますが、ここに空爆を続けた米軍部隊がありました。その前に、もう「参りました」と言ったのに、です。これはもはや、ゲームのような感覚の空爆だったと言います。戦争は人間のやることです。ルールを守る人ばかりではありません。「このやろう。さんざん抵抗しやがって。やってやれ。」みたいな人も、いたんですね。悲しいことですが。

しかし、こういう人達も、戦勝国の人間ですから、一切裁かれていません。日本は、東京裁判という「裁判」とは名ばかりのルール無視の法廷に担ぎ出され、A級戦犯として7人が絞首刑(その他終身刑など多数)、それ以外にも、命令で動いていた兵士達がBC級戦犯として、1068人、死刑になりました。その多くは、職業軍人ではなく、徴兵によって戦地に赴いた、いわゆる一般の人々でした。魚屋さんとか、靴屋さんとか(ただし相手国にしても、戦争の最前線に担ぎ出される人は、同じく一般人が多いのですが)。

こうして、戦争で亡くなった人々と一緒に、彼ら「戦犯」が祀られているのが、あの靖国神社です。戦争で亡くなった人はともかく、「戦犯」を祀っているところなのに、そこに政治家がお参りにいくとは何事だ、反省してないのか、というのが、いわゆる「靖国参拝問題」ですね。


この東京裁判は、そもそもその開廷が間違いだったと思ってます。裁判なら公平であるはずですが、戦勝国の人間は(原爆を落とした人、負けを認めた相手に空爆をした人、捕虜を虐待した人でさえ)一切裁かれることがなかったからです。そもそも、これ以前も、これ以降も、戦争後に裁判が行われたという話は一切ありません。戦争というのは、「そういうもの」だからです。これは、思いがけず激しい抵抗をした日本への「復讐」だったとさえ言われています。ひとつ付け加えますが、この東京裁判の裁判官の中に、たった一人だけ国際法、法哲学の専門家がいました。インド人のパール判事です。彼は「この裁判は儀式化された復讐だ。無効だ。よって、被告人全員無罪。」の判決を出しました。勿論、多数決で通りませんでしたが。他の判事は、いわゆる戦勝国側の軍部の圧力のかかった人間でしたから。あたりまえですが、本当の公平な裁判なら、戦勝国(ってか、戦争当事国)が判事をする、なんておかしな話はないですよね。


この開戦、終戦の経緯(あまりにもざっと書きましたが)は、今現在の僕の知識からの一つ見方であって、いや、そうではない、という考えの人もいます。皆さんも、これからの人生で色々と見知っていくことになると思いますが、ご自分で考え、判断してみて下さいね。ものの見方、捉え方は、人それぞれなのですから(また、一応断っておきますが、僕は右翼でも左翼でもありませんよ。そういう極端なのは、あまり好ましいとは思っていません。あまり極端な思想を持つと、自分の目が曇ってしまうような気がするからです。勿論、日本も日本人も好きですが、それとは別に、できるだけ公平な視点を持ち続けたいと思っています)。


ただしかし、良い事ばっかりしてたわけじゃ、勿論ありません。そもそもどんな理由があったにせよ、戦争に訴えた時点でNO!という人もいるでしょうし、実際、戦地で悪い事をした人もいたと思います。国としても、「七三一部隊」のような酷い部隊を作って、中国の人に悪魔のような科学的な人体実験をして、大勢を惨たらしい死に追いやったという事実があります。こういう負の歴史もきちんと認めなくてはいけません。(ちなみに、この悪魔ともいえる「七三一部隊」の誰一人として、戦後の東京裁判で一切裁かれませんでした。なぜなら、この部隊のデータをアメリカに無償で譲ることで(後の生物兵器の開発などに応用されました)、代わりにこの裁判にかかることから逃れたからです。いわゆる、取引が行われたのです。そして、・・・この部隊の生き残りの人間が、朝鮮戦争の時にアメリカの要請で(兵士の為の輸血用の血が欲しかった)、あの「ミドリ十字」という会社を作り、後に薬害エイズ、薬害肝炎を引き起こしたのです。)

 

まだまだ書いておきたいことはありますが、今日はこの辺でやめときましょう。うーん、分りやすく説明できたかな・・・。


長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。

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明日はイベント・ライブ!今日はリハでした。

張り切ってやってきますー

ではー。



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聖火リレーは、やっぱりすごく意味があったんですね。もっとも、本来の目的とは別な部分で、ですが。

とっても沢山の方が興味をもってチベットや中国の事を考えているんだなー、とコメントを読ませていただいて感じました。僕も、色々と考えるきっかけを頂きました。ありがとうございます。

 

チベットで今年、大きな騒乱が起こったのが3月14日でした。

さかのぼる事4日、3月10日というのが、49年前、チベットの人々が中国の侵略とダライ・ラマ14世に対するの脅迫に対して、蜂起した、「チベット民族蜂起記念日」なんです。そして、今年、その毎年行われる記念式典中に、僧侶の列に中国の装甲車が突っ込んだのです。

その後4日間、僧侶、そして民衆は考えに考えたのでしょう。「もう、このままでは」と。1950年のチベット侵攻から58年。耐えに耐えてきた怒りが、限界に達したとも言えるでしょう。ただ、この騒乱を、世界の注目が集まる北京オリンピックに合わせて、独立を目論むダライ・ラマ14世が画策した、というのは僕個人としては懐疑的です。中国はそう報道しているようですが、ガンジーに通じる平和主義者である彼が、暴力に訴えるというのは、合点がいかないのです。事実、彼はその後もチベット人の暴力的な活動を非難していますし、中国との経済的関係や、今度のチベットの事を考えたら、ここでそれは無いと思うのです。おそらく、計画したのは・・・ほかのどこか(あそこか、あそこか)の国でしょう。ただ、これは、予想に過ぎませんが。

でも、誰かに扇動されてのこと、と決め付けるのも早いと思います。鬱積するもがあったのは間違いありませんから。チベットの人々による、自発的な講義行動だったとしても、何ら不思議はありません。それだけの、理由がありますから。そして、どちらにしても僕達は、その「HELP!」というメッセージは、受け取らなくてはいけないと思います。

 

さて。

前にも書きましたが、僕はこのブログを書いていることが大きなきっかけで、戦争のことや、歴史の事に、以前よりもずっと興味を持つようになりました。なんでだろう?って思うことが日常に沢山あって、それをブログに書いてみようと思うと、必然的に調べなきゃいけないことが沢山出てきて、読みたい本が沢山出てきて。そして知れば知るほど、興味をそそられ、おかげで日常のニュースが、前よりはちょっとだけ深く理解できるようになったような気がします(まだまだ知らないことばっかりですけど)。そして、言葉はアレですが、面白いんですね。「なるほどー、だから今、こうなってるのか」ってことが解って。

そして、大嫌いだからこそ、その大嫌いな戦争にも、興味を持つわけです。敵を知る、とでも言いましょうか。

 

昨日みたいなブログの時には、「なんで戦争をするのか」「なんで争うのでしょう」というコメントを、沢山見ます。ですよね。疑問はもっともです。

じゃ、なんででしょう。そこから、一歩すすみましょう。

やっぱり、欲しいものを手に入れるため、なんですね。基本的に、いらないものの為に、人は動きません。日常では、人の役に立つため、とか、期待に応える為、という理由でも人は動きます。でも、国はそれだけでは戦争はしません。

欲しいものを手に入れるために攻撃を仕掛ける、そしてそれに反発して、応戦する。

これが基本だと思います。

 

過去、人は他国の土地を手に入れようとしてきました。いわゆる「植民地」というものです。第二次大戦後、いわゆる「植民地政策」は表向き撤廃されています(事実上残っていますが)。でも、それまではずっと、この「他国の土地を手に入れたい」という欲求が列強各国(←力を持った強い国ね)にあって、それが戦争の引き金になっていました。解りやすく言えば、人々が「今よりもうちょっと、お金持ちになりたい」と思う気持ちと同じです。ただ、訴える手段が違うだけなんです。

そのあたり、もうちょっと掘り下げてみましょうか。なんで、国は、植民地を欲しがったのか、ということです。

以下、ちょっとお勉強っぽい文章ですけどね、でも「これは解りやすいな」、と思ったので、読んでみて下さいな。

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植民地獲得の動機・要因には、主に以下のようなものがある。

・天然資源や労働力(奴隷)、市場の確保
・本国に隣接した地域への領土拡大
・本国民を移住させるための開拓地獲得
・本国や既得植民地、海上交通路の防衛のための要塞や緩衝地確保
・他国の植民地とされる前に勢力圏として確保
・宗教的使命による布教地拡大

 
植民地の統治形態には、

(ア)本国は外交権や駐軍権のみを獲得し内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領

(イ)現地の王や族長を通じて支配する間接統治

(ウ)本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治、などがある。

また(エ)本国は外交、防衛のみを担当し内政は現地住民によって構成される政府・議会に委ねる自治植民地もあるが、この場合その参政権は本国出身者に限定されたり、先住民の参加を認めても公用語(本国の言語)習得や一定額以上の納税などの条件を付けて、事実上の参政権が著しく制限されるのが通常だった。

一般的に植民地統治が継続する中で(ア)→(イ)→(ウ)→(エ)の変遷をたどるケースが多いが、植民地が本国に隣接している場合、最終的に本国領土の一部として編入され、その過程で先住民も同化が進み、固有の言語や文化、民族意識を失っていく傾向にある。

(以上、Wikipedia「植民地」から引用。)

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最後の一文など、まるでチベット問題の事を言っているようですね。

植民地化、そして、それに抵抗、あるいは、一度植民地にされても、改めて独立を求める運動。それが、今も、世界のあちこちで起きています。チベットや、ウイグル等をはじめとして、イスラエルとパレスチナの問題も、植民地の原理で説明ができます。

 

あとね、大切なこと。人々が欲しいものの中に、お金や土地だけじゃなくて、「自由」というものがあります。人は時に、自由の為にも、戦争をします。(ただ、注意して頂きたいのが、この大儀が嘘にも使われる事がある、ということです。「人々の自由のためだから!」と言って、他国へ侵略する国もあります。実は、他の目的があるのに。これがお得意な国は、・・・ご存知ですね。)

 

以下の図は、1898年の世界の植民地を表した地図です(自国地を含む)。

 

小さくて国旗がわかり辛いですかねー。

上から、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ドイツ、オスマン(現在のトルコ)、ベルギー、ロシア、日本、清(現在の中国)、ハンガリー、デンマーク、スウェーデン、アメリカ、イタリア。そして、グレーが独立国、その他です。

わかりやすいところで、インドやオーストラリア、カナダもイギリスの植民地になってますね。だから、英語が通じるんですよね。

これ、今から、110年ほど前のものです。

「えー、そんな昔のを持ち出して」と言われるかもしれませんが、・・・今の日本に、110歳のおじいちゃん、おばあちゃんって沢山いますよね。その方達が生まれた時の世界は、こんなだったのです。話を聞くチャンスが欲しいですね。きっと、興味深い話が聞けるのではないでしょうか。

僕達は日本人ですから、日本の問題も、考えなくてはいけません。僕達は、アジアで何をしたのか。本当に、アジア植民地化を狙っていたのか。また、中国、韓国、台湾その他のアジア各国で、何をしたのか。それは、良い事だったか、悪いことだったのか。諸説あります。少なくとも、教科書には載っていない(載せられない)、本当の歴史があるんです。

本当の近代史を、見直す時期に来ているとおもいます。

ではー。



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