ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




昨夜は会合が楽しすぎて、で、そのあとのマックカフェ(笑)も楽しすぎて

帰ってきたら深夜4時を過ぎておりました。

でもやることはやらねば、と、それから校正作業の続きを。「金曜日中にはここまでやるぞ」と思っていたところまで終わったのが、今日のお昼1時でした(笑)。

でも、会合に参加するために家を離れていた9時間を差し引きますと、午前4時には終わっていた

・・・ということは絶対になく、

会合があったからこそ、お昼過ぎまででもできた、という感じです。パワーをもらう、というのはこういうことだな、と思いながら、まるで眠くなんてならないままの、今回の本書き作業、3度目の完徹でした

 

とにかーく。

 

食べねばいけません。

 

できるだけ、野菜を。ということで、もりもりと食欲の沸きそうな野菜をゲットしまして、とりあえずマヨネーズつけて慌てて食べました。

 

で、今夜は、本当は昨夜のことを書きたい。たくさん書きたい。アックスの奇蹟の番外編もかきたい。でも、今夜もまだまだ・・・校正作業が(←ある意味、書くときよりも大変だということがわかりました)。

あーもどかしい。

 

 

どのくらいもどかしいかと申しますと。

 

↑この金色のを外すときくらい、もどかしいです(笑)。

 

 

でも、せめて一枚だけ。

 

せめて、写真だけ。

 

こういう写真で、どれだけ、どこまで揚がるかで、マニアック(エージさんの言葉をおかりすれば『ビョーキ』であるか)がわかります(笑))。さて、僕のミニモグはどれでしょう?今日までのブログをよく読んでいただけていれば、一目で看破できるはずです(笑)。

 

しかし、この写真に完全に無反応の方もいらっしゃるわけですよね(笑)

 

世の中には、消しゴムの写真や、プランクトンの写真でも同じくらい揚がる人だっているのです。

 

人って、面白いですね

 

さて、やろう

 

ではー。



コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )




早速、会合二回目が('-'*)。

終わりなき校正作業の中のオアシスなりー(笑)。


---追記。---


むふふ、どうですか、これ(笑)。

なかなか壮観な眺めではないでしょうか。


しかも、


「V」の字になっているのが、お分かりいただけるでしょうか?


・・・むふふふ



と、ニヤニヤしている楽しい時間は、涙をのんで、終了(といっても、かなりの時間、マニアな世界に没頭できました。超楽しかったー)。


会合の続きは、またです


今は、鉢巻まいて校正に戻ります


ではー。


コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )




今は無くなってしまいましたが、これは新宿にあった「日清パワーステーション」といライブハウスで、1991年6月14日に撮られた一枚です。

リハーサルが終わっての、本番までの照明などの直しの時間ではないでしょうか(ステージに脚立がありますので)。

僕が座っているセットは、僕が組んだセットです。でも、僕のセットではありません。

 

上から、ミニムーグ、世界に100台しかないDX7llセンテニアル、そしてSG-1DNew、そしてS-550のエディット画面が映し出されたディスプレイとSDE-2000などが詰め込まれたラック、そして、その横にはレズリー・スピーカー・・・そうです、もうお分かりですよね。

これは、この日の斉藤光浩さんのファースト・ソロライブをサポートされた、厚見さんのセットです。僕は厚見さんの個人的なローディーとして、厚見さんのセットを運び、組み、最後に恐れ多くもそのセットに座らせて頂いての、一枚なのです。

撮影してくれたのは、当日一緒に厚見さんのお手伝いをした、京都出身の長髪金髪の、あのだったと思います。

「川村くん、厚見さんのセットに座らせてもろたら?おれ、写真撮るよ(←京都弁ね)」って言ってくれたんだと思います。

ピースをする余裕もなく、なんとも余裕なさげに座っている僕は、大学を出たばかりの23歳。厚見さんの紹介でオーディションを受け、「SHADY DOLLS」というバンドに加入する半年ほど前になります。このあたりのいきさつは、またもやこの日のブログに。僕が

 

おなじみ、厚見さんのご友人であります(勿論、僕にとっても大切な厚見さんファン仲間の)エージさんが、先日の「アックスの奇蹟」の素晴らしいレビューを書かれました。

“アックスの奇蹟~Veritas ! One-night Wonder”

 

渾身の、本当に貴重なレビューとなっていますが、書き出し部分だけちょっと転載させていただきます。

------------------------

「明日、約束の場所で会いましょう!」クリスマス・イヴの夜。ボクは20数年前からずっとVOWWOWに憧れ続けた“少年・川村ケン” と約束を交わし、そして自分もまた久々に童心に還り、ベッドの中で“虹色の”サンタさんに真剣に祈りながら、まったく眠れぬイヴの夜を過ごしました。」

------------------------

そうなのです。このレビューには僕も登場するのです。

このレポートをアップされたたエージさんから、こんなメールを頂きました。

「今晩!グランドファンク・マニアックに、アックスの奇蹟のレポートをアップさせて頂きます!写真、いっぱい拝借しました。ほんとうにありがとうございました!随所に川村さんの承諾なく、“登場”して頂いてしまっています。川村ケンに触れずに、どうしても書けなかったんです。すみません。VOWWOWファンのみなさん、とくに川村さんの強烈な想いには、全然足りてない文章なのですが、精一杯の想いを込めて書きましたので、容赦してやってください。楽しんで頂ければ幸いです。」

そして、涙ながらにこのレポートを読ませていただきながら、僕はこの写真のことを思い出したのです。

思い出した、と言っても、実はリビングの写真たてに入れていたものです。ただし、いくら厚見さんの機材が一緒だとて、僕なんかの写っている写真を部屋に飾っておく趣味はありませんので、やはりこの頃、厚見さんに憧れて、「清水の舞台を素足で駆け上がるような気持ちで」買ったミニムーグの写真の裏に入れてありました。ずっとね。

その後ろにぼんやり移っているのは、昨年2009年2月21日、「サンフォニックスの奇蹟」の時の一枚を載せたこの日のブログの画面です。

同様に厚見さんの機材に座らせていただいて、なんと一丁前にピースなぞしているという、・・・だいぶ可愛げを失った僕です(笑)。

ちなみに、エージさんは、この「サンフォニックスの奇蹟」の詳細なレポートも書いておられます。こちらも本当に素晴らしいレポートです。あわせて、是非とも(こちら)。

 

こうして、この写真を見ていますが、僕には、これがとても19年も前の出来事とは思えないのです。

本当に、まだまだ、昨日の出来事のようなのです。

19年前に体を折りたたんで座っていた「キーボードセットの陰」というのは、この写真のレズリーの裏でした。「僕の目の前、ほんの1メートルのトコロで」と厚見さんの覗いていたのは、そのレズリーとラックの、この5センチくらいの隙間からでした。

厚見さんの黒いTAMAのパイプスタンドをレギュラーと逆に組んだのは「鍵盤が被っちゃうなぁ。どうにかならないかな?」という厚見さんの要望に、一晩考えて出した僕のアイデアでした(マニアックすぎ(笑))。

この翌年から数年、SHADY DOLLSに入った僕は、よくこのライブハウスに出演させて頂きました。僕はこのライブハウスステージに上がるたび、必ず、この日のことを思い出していました(一番上のこのライブハウスのリンクの中に、僕のいたバンドの名前もありました)。

そうそう、このTシャツも覚えています。なんか変な絵のプリントがあるんです。よく着てました(袖をまくっている。ジーンズに入れている。・・・恥ずかしい(笑))。

 

でも、

 

・・・なぜ靴を脱いでいるのかが、どうしても思い出せません(笑)。

 

それにしてもあっという間の19年間でした

多分、この先もあっという間なんでしょうね。

 

『少年老い易く、学成り難し』

「若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて年をとり、何も学べないで終わってしまう、だから若いうちから勉学に励まなければならない、という意味のことわざ(Wikipediaより)」

 

 

・・・ああ、もはや少年ですらない(笑)。 

 

 

ではー。 



コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )




我が国では、日本の高度成長時代の繁栄と栄華を象徴していたような大きな会社が大変なことになっており、外を見れば前代未聞の寒波が世界中を襲っている今、今度は、

ハイチという中央アメリカの、世界でも最貧国といわれる国を巨大な地震が襲いました。

お昼頃のAFPのニュースでは、死者数100人か、と報道されていましたが、新しいニュースでは、「300万人が被災」と言われています。

地球の裏側の、あまり馴染みの無い国かも知れません。

でも、それゆえ、

2004年にNHKで放送された「エリックとエリクソン・ハイチ・ストリートチルドレンの10年」という番組のレビューを書いていらっしゃる方のブログ記事をご紹介させていただきます。

 

被害が最小限で済みますように、などというありきたりの言葉を、僕はどこへ向けて言うのか、という気持ちにさせられます。

 

こんな時ですから、少しでも多くの方に、ハイチのニュースに少しでも関心を持っていただけるきっかけになれば、と思い、転載させていただきたいと思います。

---------------

【エリックとエリクソン・ハイチ・ストリートチルドレンの10年】

製作年 :2004年
製作 :ドキュメンタリージャパン
構成 :五十嵐 久美子
カメラマン :山崎 裕
放送 :NHK
再々放送 :2007  5/14  BS-hi
────────────────────
ハイチはカリブ海にある世界で2番目に貧しいと
云われている国です。この国は黒人が全体の9割を
占めていて、フランスから独立する前の三角貿易
(ラム酒、奴隷、砂糖)の影響で奴隷制度の中心となった
歴史を持っています。
1804年に独立しますが、多額の負債を強いられ、結果
その借財の一部をアメリカが担う反面、近年まで良い様
に支配され続けた不幸な国なのです。
貧困層に深い理解があるアリスティドが大統領を勤めて
いましたが、外国と貿易している上流階層の者達は、自
分達の利権を奪われる事を防ぐため、アリスティドの
退陣を要求するデモを連日行っていました。

以前のブログで、(第3回・世界がもし100人の村だった
ら/フジテレビ)の視聴感想を書きました。
フィリピンのごみ山で働くマニカちゃん(12歳)の事を似
ている境遇から再び想い起させました。

長い間占領された熱帯地方の国は、有効な資源や卓越
した生産・流通能力が無い限り、独立した後も悲劇は続
きます。

ハイチも同じでした。失業率75%で路上で生活している
子供たち(ストリートチルドレン)も10万人を超えます。
上流階層は全人口の1%ほどにも関わらず、有り余る財
を持ち、国の資産の半分を所有していた。一方、貧困層
は年収1万円にも満たない者が全体の2/3も居るのです。

国連軍が大型トラックでゴミを捨てに到着すると、貧しい
者達が群がります。潰れた空き缶に残ったジュースを飲
む子供。

その中の双子の兄弟、エリックとエリクソンの10年間の
記録。
────────────────────
※この兄弟は早くに母親を亡くし父親に育てられていた
が、食事もろくに与えてもらえず、虐待に耐えかねて9歳
で家を出て路上生活を始める。
二人は、洗車の仕事で小銭を稼ぎ、毎日を暮らしていた。
そこにはライバルの子供達も多く、たくさん稼ぐことは容易
ではない。エリックは言った。『僕はあきらめない』
エリクソンは言った。『僕は何も信じない。誰が指導者に
なっても変わらない。金持ちは貧乏人を放っておきたい
んだ』
 

その後二人は、小さな長屋に住める程度になったのだ
が、さらに数年経つと、『あきらめない』と話していたエリッ
クは銃弾を受けて片脚が不自由になり、重い物を持てな
い体になっていた。
仕事は無く、毎日の食事も1回ありつけるか否かの生活。

『何も信じない』と言っていたエリクソンは、19歳の妻と
の間に赤ん坊が生まれ、空港の近くの狭いボロ小屋に
移り住み、妻と妻の兄2人(失業中)の5人で暮らしていた。
 

屋台の傍に立って皆が食事するのを見ていたエリックに
売り子は冷たく言う 『おまえにやるものはないぞ』
エリックはその場を去り、金物修理の仕事をしている
友人の所へ行って、何か手伝うことがないかじっと見る。
手伝う事は殆ど無く、部品が入ったビニール袋を手渡す
くらい。
夕方、彼はもう一度屋台を訪ねていた。
『皿を洗ったら、残り物をやってもいいぞ』
食器を洗い終えたエリックは残り物のチャーハンのよう
な物をもらい一人黙々と食べる。 この日、最初で最後
の食事。
 

一方、エリクソンは空港近くの路上で相変わらず洗車の
仕事をしてた。溝の水をバケツに汲み、お客の車を水洗
いして手ぬぐいで拭き取る。車内も掃除して2時間で100
円~200円程度。
この地帯はライバルの少年達もたくさんいて大きく稼ぐ
ことは難しい。
 

小屋に帰ったエリクソンは、妻に聞く『今日、何食べた?』
『バナナを煮た物だけよ』答える妻。
『まだ2ドルくらい残っていただろう?』
『兄さんが欲しいって言ったからあげたのよ』
エリクソンは、稼いだお金の大半を妻に、そして義兄
にも小遣いを渡して言った。『そして、俺の財布には明日
のバス代だけだ』
 

エリックとエリクソンの父親は、木工芸の工房で働きなが
ら、新しい妻と妻との間に出来た子供達と暮らしていた。
エリックは父親の工房に毎日のように顔を出した。
『おまえは、本当に鬱陶しい。母親と一緒に死ねば良かっ
たな』そう言われてもエリックは黙っていた。
長屋に帰ってきたエリックは、僅かな食べ物を持っていた。
食事をしながら、そこに住み着いた犬にも分け与える。
 

12歳のエリックが話す映像。
『僕にとってのデモクラシーは、一つの皿の食事を皆で分
けることなんだ。持っている人が持っていない人に分け与
える。皆がそんな気持ちになったらこの国は良くなると思
うんだけどな』
 

22歳のエリックが話す。
『デモの暴動(アリスティド反対派)に加わって石を投げれ
ば、お金を貰える。でも生きる道がそれしかないのなら、
僕は何も要らない』
 

空港の近くにバラックがあるのを政府は対面的な理由で
フェンスを廻らせて締め出しを図る。(フィリピンもサミット
開催地になった時にマニラ空港から市内へと伸びる道に
目隠しをしたことがありましたね。)
エリクソン達は洗車の職を失い、しばらく行きかう人々に
物乞いするが、稼ぎは少ない。
ある日、仲間と協同で安いハンドバッグを仕入れてそれを
数ドルで売る臨時の仕事をした。物乞いよりはマシだった。
エリクソンは、最後の1個を愛する妻にプレゼントしようと
売らなかった。『今日は、売り切れだよ』と言って最後の
1個を大事そうに持って照れ笑いした。帰宅してすぐに
妻にバッグを差し出す。
妻はそれを受け取り、中を見て
『お金が入ってないわ』とつぶやいた。
エリクソンは黙っていたが、やがてわが子を腕に抱き上げ
て愛情いっぱいのキスをした。
 

エリクソンが久しぶりにエリックの長屋に訪ねてきた。
『妻に今日は帰ってくるの?と聞かれたから、金が作れた
ら帰ると言った・・・文無しじゃ帰れないよ』と苦笑いする。
ベッドに寝ているエリックを揺さぶる。
『ははは。エリック、起きろよ。何で知らない夫婦を一緒に
この家に住まわせてるんだ?勝手なことしないでくれよ』
『おまえは、あの辛い路上生活の頃を忘れたのか?あの
生活から抜け出せたから他の奴は知らないってわけに
はいかないだろう?助け合う事を忘れるなよ。この世に
完全なものは神以外ないのだから』
エリクソンは納得したように陽気に歌いだす。
それを聞いて笑うエリック・・・
 

エリクソンが赤ん坊の洗礼儀式に招待をする為に知り
合いや友人の所を回る。ゴッドファーザー(両親以外で、
この子供を一生見守る役目の人)を引き受けてくれる友
人も決まり、最後に二度と顔を見たくないと言っていた
父親の工房を訪れた。

『子供の洗礼をするから、来て欲しい・・・』
『・・・いつだ?』
『今週の土曜日にあそこの教会で』
はっきりと参加するとは言わなかった父親。
 

合同洗礼式の当日、ゴッドファーザーを引き受けると
約束した友人も昔の路上生活仲間も来ない。
その時、エリック兄弟の父親が現れた。
赤ん坊を覗き込む父親は、急遽、代わりにゴッドファー
ザーを引き受けることになった。
 

エリクソンが言う。
『親父は、俺のことを認めてくれた。俺も親父を認めな
いとな』
 

 

~エンディング~
晴れた青空。綺麗な浜辺で22歳のエリックとエリクソン
は腰まで海水に浸かって何度も飛び跳ねて遊んでいる。
木造のボートに上がってうつ伏せに寝そべるエリック。
ボートの先端に腰掛けたエリクソンが言う
『マイアミまで行くぞ!』
『ははは、そうだなマイアミ行きたいな』
ボートの先端にロープが結わえてあり、それを手繰り寄
せてボートをゆっくりと動かすエリクソン。

映像が段々遠くなり、画面いっぱいに青い空と海が映る。

エリックが弟に聞く。『なぁ、どこまで行く気だ?』
『船出しようぜ!エリック』



2006年1月、エリクソンは国連兵によって射殺された。
 
──────────────────── 
番組の構成と編集をされた五十嵐久美子さんの言葉。
“ハイチはね、悲しい島ですよ。行ってみられたらいかが
ですか。
悲しい島ですけど、やっぱりすごく楽しい島でもあるんです。
何か生きるエネルギーがあるというような”


---------------

以上、「National Geographic Blog」様より転載させていただきました。

---------------

では。


---追記。---

日本のメディアがどれだけ取り上げるのかはわかりませんが、ネットで「Haiti  Earthquake」などと検索すると、少なくとも、今のテレビよりは情報が得られます。

本当に悲惨な出来事ですが、地震大国日本に住む僕たちにとっては、少しも他人事でないニュースだと思います。

では。



コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )




僕のブログの左下の「SEARCH」というボックスに「厚見さん」と入れると、数ページに渡ってかなりの数の記事が検索されます。

僕と厚見さんが、実際にお会いできた時の事は、そのうち最初のものに書きました。それはもう二十年も前のことですが、今でも、昨日のことのように思い出されます。それゆえ、この日のものも随分長い記事ですが、あっという間に書き上げたような覚えがあります。

その出会いから、さらに6年ほど遡ります。高校に入ってバンドを始めたばかりだった僕は、たまたま、当時から有名なキーボーディストだった難波弘之さんが司会だった(アシスタントはデビューしたばかりの中村あゆみさんでした)という理由で、NHKの「ベストサウンド」という番組を毎週見ていました。 そして確か、この1985年5月29日の「ポリシンセで曲に厚みを」の回のゲストが、厚見さんだったのです。あのJUPITER-8を使って、「BABY IT'S ALRIGHT」(『BEAT OF METAL MOTION』収録)のイントロや、「ROCK YOUR CREADLE」(『CYCLONE』収録)のBsus4のアルペジオの間奏部分(オルガンソロの前の部分とこですね)などを弾かれていました。

その「BABY~」のギターリフの間を埋めるJUPITER-8の速いパッセージを弾かれた時のことです。スタジオはアマチュアのミュージシャンの方も居て、とても和やかな空気でした。「じゃあ厚見クン、お願いしまーす」と笑顔の難波さんに促されて弾き始めた厚見さんは、最後の長い連続フレーズのところで「あっ、間違っちった(笑)」と、パッと椅子から立ち上がり、くるっと一回転して椅子に戻り、ちょっと照れ笑いをしたように指を一本出して「すいません!」と、一言謝られたのです。そして、「では、もう一回」と言って、次は華麗に決められたのです。といって、一回目の演奏のどこが間違いだったかは、当時の僕にはよくわかりませんでしたが(とにかく、運指の複雑な速いパッセージなのです)。

実はこれが、それからの僕の人生を決める大きな出来事だったのです。

それまでは、テレビに出ているような人というのは、完全に自分とは区別していましたし、ある意味”虚飾”の中の人というイメージもありました。レコード中やステージの上の人も自分とは絶対に別な何かだと、どこかで思っていたのです。

でも、この厚見さんという人は、今、ほんのちょっとの弾き間違いをして「すいません!」って謝った。普通の人はどう思うかわかりませんが、僕にはむしろ、ある意味嬉しいカルチャーショック(うわ、同じ人間なんだ!ってね)でもありましたし、そして、その潔さがとってもとってもカッコよかったのです。一気に”厚見玲衣”というミュージシャンの魅力に吸い込まれた瞬間でした。

今になってみても、よくよく思います。

プロのミュージシャンだって人間。(今の僕自身がそうであるように)当たり前ですが、時には(僕はいつも)間違うことがあって、いや、あるからこそ、でも本当に大切な時には間違わないように、だからこそ徹底的に練習して、きちんと決める。それが、プロのミュージシャンなんだよ、って、僕はあの数十秒で教わったのです。

それから長く厚見さんのプレイを見せていただいていますが、いつだって、全身全霊で鍵盤に向かい、いつも真剣極まりない、鬼気迫るプレイを見せてくれます。それが、どれだけ集中力のいることか。どれだけの思いで、あの小さな鍵盤たちに指を置いていることか。しかも、あの速さで。

(ちなみに「BABY IT'S ALRIGHT」のA(11)崩しのあの速いパッセージ、厚見さんのように正確にタイトに弾ききるのはかなり難しいです。僕も当時、真似したくて毎日何度も練習しましたが、成功率は・・・内緒です(笑))

そして、その後のコーナーで、VOWWOW全員で「LOVE WALKS」が演奏され、僕は皆さんの演奏と予想を10mほど超えたあの元基さんのシャウトで3mほど後ろにぶっ飛んで(立体的に大変でした(笑))、翌日、慌ててレコード屋さんに走り「CYCLONE」を購入したのです。高校二年生、16歳の時でした。

そして、約6年の年月が流れ、1991年の春、僕は斉藤光浩さんのソロライブに出演する直前の厚見さんに出会うことが出来たのです(そのあたりの流れは、冒頭ご紹介した過去の記事の通りです)。

・・・すみませんっ、また長々と書いてしまいました

ではいよいよ、「アックスの奇蹟」における厚見さんの写真をどうぞ。もし写真から音が出るなら、リハーサルとは思えない、素晴らしい演奏もお聞かせできるところなのですが

当日、僕が会場に着くと、すでにリハーサルは始まっておりました。そそくさと荷物を置いた僕は、すぐに厚見さんのセットの裏へ走り、スピーカーの隙間でカメラを構えました。ファインダーの中には、じっとピアノに向かう厚見さんの姿。

音に聴き入りながら、僕はシャッターを切り続けました。トップの写真も、その一枚です。

厚見さんはトレードマークのような音を沢山お持ちです。ミニ、ハモンド、JUPITER-8、メロトロン、あるいは他のどんなキーボードやシンセを使われても、いつも「厚見さんの音」がします。厚見さんから、厚見さん以外の音が出てくるのを、僕は一度も聴いたことがありません。

そして僕は、厚見さんのピアノが本当に大好きなんです。世界中の誰とも違う、あのダイナミックで、繊細で、なんといっても強烈にドラマティックなピアノが。

スッと立ち上がりますが、右手はピアノに置いたまま。そして、

 

左手をDX-7へと伸ばします。

DX-7はJUPITERと繋がっています。あの日も、JUPITERの音の特徴でもあります、協力なPWM(PULSE WIDTH MODULATION)で心地よく滲む、太い”あの”音色に、さらにDX独特の立ち上がりの速いアタック音などを重ねた、気持ちのいいサウンドを聴かせてくれました。

 

正面を開けたセッティング、なんといっても、この機材たちの中で両手を広げてて立つ厚見さん。・・・ううん、カッコいいです。

セットのカタチ自体は普遍的なものですし、思えばどこかでも見れた姿でもあるようですが、この機材たちと一緒となると・・・実は、この20年間一度も無かったこと。皆が待ち望んでいたお姿でしたね。

 

VOWWOWの厚見さんと言えばJUPITER-8、JUPITER-8と言えばVOWWOWの厚見さん。 

 

二台のミニのチューニングする厚見さんです。ミニムーグを普通にピアノの仲間だと思われている方にはビックリかもしれませんが、鍵盤楽器とはいえ、ミニはチューニングが不安定で、激しく弾けば勿論、ただ放っておくだけでもすぐに弾けなくなってしまうのです(そこがまた可愛いのですが)。ですから、弾く前には必ずチューニングをしなければなりません。その為、ミニにはチューナーが必需品なのです。僕のミニにも付いています(僕は、20年前の厚見さんに憧れて買った、同じBOSSの旧型のモデルをまだ使っています)。

TRITON Extremeを弾かれる厚見さん。これは単体でも鳴らされますが、MKS-80にも接続されていて、あのピュンピューン!という「87番の音」と一緒に鳴らすと(←マニアックすぎてわからないかもですが)、中野サンプラザのオープニングがほとんど再現できるのです(当時はMKS-80+DX7で出していたそうですが、今はTRITON Extremeの方がお気に入りだということです)。

 

そして、誰もがお待ちかねの厚見さんのミニムーグソロです。「きたあっ」って思いますよね。それにしても、どうして厚見さんが弾くとあんなにいい音がするんでしょう。

厚見さんは最近は「ミニモグ」、と仰います。

 

渾身のビブラートが掛かります。

厚見さんのミニムーグのビブラートの美しさは、間違いなく世界一だと思います。・・・というか、他に同じアプローチでミニムーグを弾いている(弾ける)人がそもそもいない、という話でもありますが(僕の知る限りにおいては)。

 

一度でも実際にミニムーグを弾かれたことのある方ならお分かりかと思いますが、不思議なほどに弾いているこちらの感情を昂ぶらせてくれる楽器なのです。

こんな僕ですらそうなのですから、あんなに官能的なフレーズを自ら弾いている厚見さんは、ご自分の音をどんな気持ちで聴きながらプレイされているのでしょうか。変な話ですが、・・・うらやましいなあ、なんて思ってしまったりします。

 

ソロが、最高潮に達します。聴いているこちらも、一緒にドンドン盛り上がります。足に震えが走ります。全身に鳥肌が立ちます。ああ、音で、こんなにも気持ちよくなれるなんて。厚見さんのミニムーグは、本当に最高です。

 

ドンッ(写真ではこれが限界、精一杯)。

 

大きく身を翻して、愛器ハモンドC-3に向き直る厚見さん。

最高に気持ちいいサウンドの次にも、常にまた最高に気持ちいいサウンドが次々に繰り出されます。それが、厚見さんのキーボードの魅力ですよね。全部が、最高なんです。

 

200kgもあるハモンドを、グワングワンと揺らすようにプレイされます。

実は、揺らしているのは、カスタムでレズリー147RVから移植された(←おそらく)スプリング・リバーブ・ユニットを揺らして「ガッシャーン!」という、あの、ジョン・ロードなどでもおなじみのクラッシュ音を出すためなのです。あれがまた、本当にいい音なんですよね。スプリング(要するにバネ)がビヨンビヨン!ってクラッシュする音が気持ちいいって・・・(笑)。音楽って面白いですね。

 

厚見さんのハモンド・プレイは、20数年前のVOWWOW時代から今日まで、どんどんどんどん進化しているように思います。VOW時代は勿論、厚見さんファンなら外せないCASINO DRIVEの名盤「FEVER VISIONS」「エデンの裏口から」でのハモンド・プレイも凄まじいものがありますが、それからも清志郎さんのサポートでもずっとメインとして使われていまたし、なんといいますか・・・、先日のアックスでのオープニングのソロで度肝を抜かれた方も多いかと思いますが、本当に今、凄いことになっていると僕は思っています。うーん、やっぱりハモンド、欲しくなります(←独り言)。

 

おなじみ、左手を大きく旋回させての、あの奏法。これまた「きたーっ」って会場が沸く瞬間ですよね。

 

そして、また突然向き直っての、

 

この片足を上げての、決めポーズです。このポーズを見るだけで、あのゴージャスな音が聴こえてくるようです。

そして、

 

厚見さんは、ご存知「MOONDANCER」そして、残念ながら今では手に入りづらい「TACHYON」ではメインボーカルをとっていらっしゃいました(MOONDANCERの前身バンドであります「SIREN」でもです)。

この日は、Roland VariOSにボコーダーカードVC-2を挿してのクリスマスならではプレイも聴かせてくださいました。お電話で確認しましたら、VOW当時はKORG DVP-1をお使いになられていたとのこと。「DVPの方が好きなんだけど、音が元々こもってるからエキサイターをかまして使ってたんだ。でも、そうするとノイズがオニのようでさ(笑)。今回は1Uだっていうこともあって使ったVariOSだったけど、音がハイファイだから、『DON'T LEAVE ME NOW』の間奏部でハウらないで使えたのが良かった点かな。」とのことでした。

 

僕は厚見さんの歌も大好きです。

そして、こればっかりはどんな天才が一日50時間練習したとしても、どんなお金持ちが大金を払っても、絶対に手に入れることが出来ないもの。

まさに、厚見さんだけが持っている、ワン・アンド・オンリーの宝物。

 

レパートリーの多い厚見さんですが、ご参考までに、今日は最後にこちらの代表曲をご紹介した記事を。

 

僕は厚見玲衣さんという、”本物のロックキーボーディスト”と同時代に生まれ、育ち、ずっとこの背中を見続けてこられて、本当に幸せだと思います。

あまりに沢山のものを頂いています。心から、厚見さんに、感謝です

次回は、番外編としまして、この「アックス奇蹟」を厚見さんと共に起こした方々を(可能な範囲でですが)ご紹介させていただきたいと思います。

ではー。



コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )




絶賛、ドーナツ中・・・じゃない(笑)、校正中です。

 

ちょっと、あと少し、キリのいいところまで、

 

・・・食べて

 

じゃなくて(笑)、

 

やってしまおうかとー。

 

 

「本の校正って、どうやるのですか」って訊いたんですが、

 

 

・・・実際にこうやって赤ペンでやるものなのね(笑)。

 

 

岩狩りまーす

 

ではー。

 

---追記。---

ひとまず、今日の分の作業を終えて、お風呂に一時間ほど漬かりました(お新香か)。いやぁ、本を片手に入る、冬のお風呂は最高です。尋常ではない気持さでした

 

今日は成人日でしたね。昔は1月15日でしたが、ハッピーマンデーの影響で、変わったんですよね。しかしなんか、僕はハッピーマンデーと聞くと、毎回、ハッピーアワーを連想するです。すみません

 

成人の日のイベントは、新たに20歳になって選挙権を持った国民(新・選挙民)に対する、現役の政治家にとっては堂々と公費を使ってできる宣伝・選挙活動の大きなイベントという側面もあるんだよね、とかいうことはここでは置いておきまして、やっぱり、大人の仲間入りする記念日、という日ではあるわけですよね。

YAHOO!の企画で、「自分が大人になったと思う瞬間」というものがありました。

タクシーに乗ったとき、とか、お酒を飲んだ、とか、色々ありますよね。

 

20歳とはちょっと違いますが、僕、初めて350mlの缶コーラを一人で飲み干せた時に、「ああ、子どもではなくなったぞ」と、しげしげと思いました。・・・まぁ、あれは中学2年生くらいの時でしたが(笑)。

いわゆる大人になったのを感じるのって、どんな時でしょう。うーん、もはや大人というか、そのもう一段階上になっちゃっていますからなぁ(笑)。

でも、タクシーもそうですが、一人で喫茶店に入って本を読んでいる時とか、一人でバーに入ってボーっとお酒を飲んでいる時とかは、「昔はこんなことできなかったなぁ」とは思います。

あ、あと、近所ですれ違う子どもに「こんにちはー」とか言われる時ですかね。で、僕も「こんにちは」とか、返してる時。

ほら、子どもって、同世代は過剰に意識しますから、いくら近所の住民だとわかっていても、知らない子ども同士ではすれ違いざまに挨拶なんてしないじゃないですか。

それを自然にされるってことは・・・ね。

 

んー、

 

まあ、これこそ、大人ってより、もはや彼らにとっては「近所のお○さん」、ってことなのでしょうか

 

はい、皆さんは、「兄」、と入れてくださいよ、お願いですから(笑)。

 

 

でも、今年成人の皆さんが今の僕の年齢になる時、僕は、還暦を越えているわけですね。ひゃあ、面白い(笑)。

ともあれ、あんな彼らにも、あんな彼女たちにも、皆それぞれに、これから何十年という未来があるのですよね。一人一人に、楽しいねぇ、という人生であって欲しいです。そして、素敵な世界を作っていって欲しいです。勿論、僕たちだってまだまだがんばりますけれどもー

 

ではー。



コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )




今夜はもう十数年のお付き合いになる、とある仲間のバースデーパーレー&新年会がありました。

気のおけないメンバーが集まっての、とっても楽しい会でした。

今夜も寒い夜でしたが、お腹を抱えて笑って、「じゃ、今年もよろしくね。」と別れました。

こんな何気ない、当たり前のことが、とてもいとおしい時間なのです。

 

---追記。---

「ケーキって美味しいんだなぁ」ということに改めて気づきましたよ

 

結構、お酒にも合いますしね。

 

ビールとケーキ

 

・・・変ですかねぇ(笑)。

 

今日の集まりには、京都出身の餃子大好き、そして、アックスの奇蹟では恭司さんのテックを務めていた、金髪長髪のMも。(女の子じゃないですよ。僕と同じ歳のお○さんです。はい、いつも通り”兄”と入れてくださいね(笑))。

今年も、素敵な一年になりますように、と、沢山ビールとワインを頂きました。一緒に、キャンディーもいただきました。

 

え?やっぱり変(笑)?

 

ではー。



コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )




このVマークを見ると、胸が締め付けられる思いがする人が、きっと沢山おられるはずです。

20年前、あの90年5月28日の武道館公演の時。「MOUNTAIN TOP」というアルバムを発表したばかりのVOWWOW。新しいべーシストも加入しての凱旋公演。これからまだまだ、いつまでもこうしてVOWWOWのコンサートに来れるものだとばかり思って、僕もアリーナに立っていました。

「ああ、また今日、あの人たちの音が聴けるんだなぁ」

目の前にいた人が、この公演の前にどこかで見たのか「厚見のキーボードソロが見ものだぜ。凄えんだよ。」と興奮気味に話していたのが耳にはいり、それだけで僕はもう、じっとり手に汗をかいていました。

(今日まで、てっきりツアーになっていたのだと勘違いしていましたが、この武道館公演はただの一度きりでした。ですので、なぜ僕の目の前のお客さんはこの日のキーボードソロのことを知っていたのでしょうか。この件について厚見さんに、今直接伺いましたところ、この88年のツアーでこの日と同じキーボードソロをやっていたよ、ということでした。とはいえ、二年前のソロと同じものをその日にやるとは、まさか知りえないはず。ちょっと不思議な話ですが、厚見さんも「なんでだろうねえ」と仰ってました。当日のリハを見たスタッフさんだったのでしょうか・・・。僕がその話を耳にしたのは間違いないのですが・・・謎です。んー。本当に不思議です。もしや、・・・幻?そう、その日の厚見さんのソロは、きっと覚えてらっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、左手で、KORG M1にベースとドラムをアサインしての、あの厚見さんご本人ですら当時のインタビュイーで「調子が良くないと完璧には弾けない」と仰っていた、超絶技巧の、まさに驚愕のソロでした。)

そして、恭司さんのギターが武道館のそこかしこから聴こえてきたと思ったら、あっという間に公演は終わっていました。断片的に景色は覚えていますが、ただただ、圧倒されて終わったように思います。ハリケーンのミニムーグソロの事とかは、鮮明に覚えています(←これで「あれね」とわかる人は、けっこうなマニアさんです)。

そして、びっくりするくらい突然に、それきりVOWWOWは僕たちの前から姿を消しました。また絶対に見れると思って、あの日、武道館を後にした沢山のファンの人たちは、なんだか悪い夢を見たような気分のまま、いつしか「・・・ほんとうに、終わっちゃったのかなぁ。残念だなぁ」と、まさに狐につままれたままのような気分で、それまでリリースされた音源たちを、ただただ繰り返し聴き続けてきたのだと思います。それしか、VOWWOWに触れることは、もう出来ないと、うっすらと諦めも混じった気持ちで。

それが、まさかの、昨年のクリスマスです。ファンにとっては、本当に奇蹟が起こった夜でした。

 

僕のおセンチな能書きは、もういいですよね

では、早速写真をご覧下さい。

 

これは、これまでには無かった光景です。二台のミニムーグ。

左が厚見さんのもの、右は、この日の為に用意されたサブではありますが「SIREN SONG」のあのサビのフレーズで使用されていました。ソロではないので、少しボリュームを押さえたセッティングになっていたのだそうです。

 

数々の名ソロを生んだ、このミニ。絶対に、このミニ。

 

そして、ギザホイール。

 

・・・この写真を見て、「ああ・・・このギザホイールで、あのビブラートが」と思って腰砕けになるのは、きっと僕だけではないと思います。

 

VOWWOWのキーボードサウンドと言えば、上のミニは勿論ですが、こちらのROLAND JUPITER-8が絶対に欠かせませんよね。

僕は今まで、いったい何台のシンセで、これを真似した音を作ったことか。僕が25年前に買ったDX7にも、当時真似して作った音が入っていました。そして、今使っている新旧二台のTRITONにも入っています。勿論、何度作っても本物にはなりえないのですが、それでも。そう、欲しくて欲しくてたまらなかったあの音は、ここから出てるんです。これが、その本物です。

 

厚見さんの手書きのパッチメモです。あのイントロの音は、38番です。あのソロの音は34番です。そしてそして・・・。ああ、眩暈がするです。憧れの、・・・このボタン。

 

これも、厚見さんのサウンドには欠かせない、メロトロン(ブラック・カラー)です。厚見さんは、 ピッチやその上の音色切り替えスイッチ、トーンなどを自在に操りながら弾くのです。厚見さんのサウンドが、同じ機材を使っている他の人と一味も二味も違うのは、たったこれだけのスイッチでも、世界中の誰もやっていないような奏法を編み出してしまうところだと思います。

 

当時のVOWWOWのライブサウンドを支えていたのピアノは最初がYAMAHA CP-80、そしてその後はKORG SG-1DNewだったと記憶しています。SG-1Dの”立ち”の良さは今でも厚見さんはお気に入りだということで、清志郎さんのライブなどでもよく見ることが出来ました。

この日は、数ヶ月前に購入されたYAMAHAのCP300を使用。色々とピアノの候補は上がっていたそうですが、オケの中でのヤマハらしい音の速い”立ち”もそうですが、「最後のフォルテッシモがちゃんと出るから」という理由でこのCP300が選ばれたそうです。僕も弾かせていただきましたが、確かに、強く弾いた後に、そこから、さらにもう一息強い音が出せるのです。「fff(フォルテッシシモ)」が出せるということですね。確かに、凄い迫力でした。

 

逆側から。ちょうどこのあたりから、あの誰もが息を飲む、「SHOCK WAVES」のイントロのラストのB♭のアルペジオが弾かれるんですね。当日は、オリジナルよりもかなりタメの効いた、ヘヴィーな演奏をされてましたね。素晴らしい低音でした。カッコよかった・・・。

 

厚見さんのサウンドの特徴でもあります、カスタマイズされたハモンド C-3です。僕もいままで何度か弾かせていただきましたが(こちらこちらなど)、本当に、他のハモンドとは一線を画す音がします。

ちなみに、・・・例えこのハモンドだとしても、僕が弾いたのでは、あの音はしません。厚見さんだからこその、あの音なのは言うまでもありません。

 

C-3からトップにVマークが君臨するタワーを望みます。たまりませんね。

 

C-3の上、JUPITER-8の下に挟まれるようにセットされた DX7ll Centennial(センテニアル)。限定100台しか製造されなかった、ヤマハの100周年記念モデルです。金箔でメッキされたボタンやホイール、夜光の鍵盤。誰しも憧れたものですよね。

当時のライブでは(必ずではないですが)ハモンドではなく、このDX7のオルガンをレズリーに通して使っておられましたね。ベンドを使ったりもして。しかし、やはりこれも当時誰もやらなかったことでした。ですから、あの音も厚見さんの一つのトレードマークになっていましたよね。

 

そしてその反対側。CP300の上、ミニムーグの下にセットされたTRITON Extreme。そうです、これが、僕の・・・

 

その奥手にそびえ立つ、レズリータワーです。この写真では判りませんが、このレズリーの下にもレズリーがあり、一番上のミニレズリーと合せて三段積みになっています。照明で工夫され、ホーンの回転がライトアップされていました。こういうところが、また、カッコいいんですよね。「レズリーが回ってるのがカッコいい」と思う感覚、無い人にはきっと無い感覚だと思いますが、ある人には「そうそう!それそれ!」なんですよね(笑)。

 

その逆サイドが、こちらのVタワー。トップのビジョンには、かつてはROLAND S-50(S-550)のエディット画面が表示されていましたね。暗闇で光るブルーの画面の、なんともカッコよかったこと。

今回は、特別仕様のVマーク。僕も最初見たときには「え?これ、どうやってるの!?」と思いました。勿論、このアックスの奇蹟の為の特別仕様です。この秘密は、近々明かされるでしょう。

 

タワー中段にあるミキサー部です。ROLANDのM-160は当時から変りません。手書きのメモも興味深いですが、フルテンまで上げられたミニムーグのフェーダーにロックを感じます。ミニは出力が十分に大きいので、本体側のアウトプットを上げれば、大抵はミキサー側では抑えるくらいでも十分なのです。また、ミキサーの使用法としても、普通は「音が割れたりしたら」と0db(や赤い線)までにとどめておく人が多いと思います。そこを、厚見さんは、

あえて、フルテンなのです。

また、FURMANの電源の下のSONYのデジタルリバーブSDR1000も、そしてその下のデジタルディレイ、ROLAND SDE-2000も、当時にも使われていたものです。

SDE-2000はミニムーグ用で、本当にこれに通すだけで音が太くなり、ディレイ音の減衰の感じも、まさに「やっぱ、これだね」という、他に代用は利かない、歴史的銘機だと思います。古い機械ですから、いつかは無くなってしまうかもしれませんからね、ディレイにお悩みの方は、見つけたら、即買いですよ。僕も二台持っています。そして厚見さんファンならば、タイムは、420mm固定ですよ。

 

厚見さんのミニには、このマシンの開発者、ロバート・モーグ博士の直筆のサインが入っています。博士も、この日の奇蹟を見たかったことでしょう・・・。

 

クリアパネルが美しいハモンドの裏側(舞台中央側)には、あのKORG RK-100カスタムと、恭司さんモデルの、あのSGが並んでセットされていました。

 

セットの前、舞台ギリギリには白いNOVATRON(ノヴァトロン=名前は違いますが、事実上メロトロンと同じ機構の楽器)が客席に向けてされていました。これで弾かれた「PAINS OF LOVE」のソロの美しさは、厚見さんとノヴァを上からまっすぐに照らす白い照明も最高で、まさに神掛かっていたように思います。

 

Vタワーの前に貼られた、セットリストです。始めてリストを知ったときは、正直しばらく何も手に付かなくなりました。

・・・嬉しすぎて。そして、想像が膨らみすぎて。

 

さて、いよいよ、

 

2009年12月25日の、厚見さんのセットの全景です。写真正面(舞台奥手側)は上から、サブのJUPITER-8、KORG M-1、一番下がメロトロンです。主が帰ってのを待って、静かにスタンバイしています。暗闇に点滅するインジケーターやLEDの明かりが、本当に美しいのです。

 

そして、

 

光が入ります。

美しすぎて、ため息が出ます。

 

写真ではお伝えしづらいのですが、僕には、

 

こんな風に見えるのです。あまりにも、まぶしいセットでした。

 

 

さて、ブログも一度に10000文字以上は書けないということもありまして、本日はここまでとさせていただきます。

 

そして次回は、

 

いよいよ、

 

厚見さんにご登場頂きたいと思います。

ご期待下さいね

 

最後に、一点、お詫びを。

本日のブログのアップ時、僕の手違いで一番最初に頂いた書き込みが消去されてしまいました(僕は読ませて頂いた後でした。お気遣い、ありがとうございました)。どうもすみません。大変申し訳ありませんです

 

ではー。 



コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )




神器、


いやまあ神器ってこたーないですが(笑)。


これは外せないぜっ、なメニューと言えば


僕はまず、

 

何といっても

 

ミノ。

 

あ、人の方じゃないですよ。

 

コリコリした食感が大好き。


そして、


ユッケジャンクッパ。辛ラーメン入れたいなー。


なんか逆か(笑)。

 

で、


これまた外せないのが、

 

こちらの


燃やしナムル

 

なんです。

 

僕は小学生からの生粋の

 


ナムラーなんです('-'*)。

 


みなさんの焼肉屋さんでのマストアイテムはなんですか?


 

ではー。

---追記。---

 

ちなみに、お肉では、上なんとか・・・では決してなくて、赤いお肉の、大抵お店で一番安いカルビちゃんが好きです。タレの味がたっぷりついたやつが好きなんです。

 

一切れで、ご飯が二杯は行けますー

 

さて、明日、

ちょっと特別企画をします。

 

なんと、昨年12月25日のあの、「アックスの奇蹟」で、僕が撮らせていただいた写真を、どこよりも早く、こちらで公開させていただくことができるのです。

勿論、厚見さんの許可を頂いております。「川村くんのブログなら載せていいからね」と言って頂いたのです。

一万円のチケットが数分で完売してしまったということで、どんなステージだったのか、また、ロック大好きキーボーディストであれば、この日の厚見さんのセットの並びは?使用機材は?と気になることが満載かと思います(僕自身がそうでしたから)。

あの奇蹟のステージの様子を、リハーサル時のものとはいえ、少しでもこちらでお伝えできればと思っております。

どうぞ、お楽しみにです

校正と平行して、がんばります(←むしろ楽しい)。

ではー。



コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )




嵐の前の、一瞬の静けさのような。

とはいえ、せんせーも今日から始まりましたし、色々とあるにはあるのですが。

それでも、今日はまだ、大丈夫

高野豆腐で一杯飲む事も、ギリギリできる。

 

というのもですね、本の発売日が決まったんです。

 

はい、な、なんとですね、

 

来月のバレンタインデー!

 

 

の、4日後の

 

 

2月18日(木)となりました-

 

・・・で、もう一ヶ月ちょっとだというのですが、実は

 

校正はこれからなんですよね(笑)。

 

明日か、明後日くらいから、出来た順に続々と宅配便で第一稿が僕のものに届くのだそうです。のんびりしたものだと感じますが、編集さん曰く、「本作りは、こんな感じです」とのこと

 

僕が書いた文章は勿論、見出しになる言葉やら、演奏の参考に見て頂く短い譜面やイラスト、それに写真などが、編集さんの手を経て、デザイナーさんの手でまとめられたものが届くのです

 

じゃあもうそれでOKじゃないかというと、

 

 

これがそうでもなく

 

デザインを詰めていく段階で、文章の修正するのが、編集者の主な役割。「ここで句読点が来てしまうと読みづらいから」とか「一段は何文字なので」とか、そういった専門的な立場から僕の書いた文章を、本の仕様に合うように調整してくれるんですね。ほら、途中で「注釈」とかがあると、それだけで使える文字数がどんどん変っていったりしますしね。

でも、言葉は微妙なもの

やっぱり僕が改めてそれを読んで、また僕の意図に合うように、僕の言葉として成立するように、ここで再調整しなければならないんですね。あるいは、あれから少し時間も経って頭がクールダウンしてますから、「ほほう。こういうでデザインになるなら、ここは、もっとこういう言葉の方がいいだろう」などとと、新たに、もっとハマりの良い言葉が浮かぶかもしれませんし。

これから各ページを全部、細かく一文字ずつチェックしていくんです。

そして、出来上がったものを、再度編集者に送り返し、再度デザイナーさんに修正してもらうわけです。

 

で、やっと終わり

 

 

 

・・・ではなくて(笑)、

 

 

 

またそれが僕のもとへ戻ってきます

 

 

で、

 

 

ここから、もう一度、さらに「最終校正」をするんだそうです

 

校正スケジュールを見たら、これにも数日の時間が用意されています。

 

(つまり、それだけかかるよ、ってことなんでしょうねぇ・・・

 

そして、それを終えて、ようやく今月の27日に、最終的に入稿となり、またも編集さん、デザイナーさんの手を経て、ようやく編集長さんのOKをもらい、それからいよいよ工場にまわるのだそうです。

 

と、同時に、音の方のチェックもしなくてはなりませんずら。なにせ、400ファイル(笑)、100分超えのCD二枚組みですからね

どこかのタイミングで、「何か小さな間違いでもないかな」と、延々と音を聴きながら、譜面とニラメッコしなくてはなりません。

 

いやあ、

 

 

ふ、

 

 

ふ、

 

 

ふにゃあー(笑)。

 

 

いやいや、がんばりまっする。一杯食べて

 

 

ようし、こうなったら今日のうちに、飲んどけー(笑)

 

 

ではー。



コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )




ミニムーガーズ!


会合中です(^^)(^^)(^^)ノ

 

---追記。---

いやーマニアックな会合でした(笑)。

「ってかさ、今、世界中でこんな話をしてるのってきっと僕たちだけだよね」と、時折厚見さん自らがおっしゃっておりましたが、まったく、確かに。

「あれBの78番なんだよ」「そうそう!」

「ポルタメントの時にディケイを一度切ってそれからEを」「ですよね!」

「ぶった切っって4分割にして組み立ては30分!」「えーっ!」

 

写真で厚見さんの右手と僕の左手が差しているのは、ムーグのアウトプットジャックにささるケーブルですが、このポイントはですね

「アウトをローからとってハイとインプットをループさせてエクスターナル3~5程度混ぜるとフィードバックを起こして少しだけど太くなる」という実験を延々とした後の図、です。

 

・・・ね

 

そう、右は勿論、厚見玲衣さんであります。左は今日は寝起きにお餅を磯辺焼きで4個食べたファンの人。

そして中央は、厚見さんと同じ機材をC-3以外は全部持っているというキーボーディスト&ギタリストで、厚見さんのご友人でもありますTさんです(この日のブログにもご登場願っています)。写真のミニムーグもTさんのものです(フロントパネルにはなんと、。昨年の来日時にわざわざライブ会場にミニムーグを持ち込んでまで貰ったという、エディ・ジョブソン氏のサインが)。

そして、本日の会合が行われたこちらのスタジオは、Tさんが所属しておられるバンド「宇宙征服」さんのプライベートスタジオなのであります。いやあ、すごい。ミュージシャンにとって夢のようなスタジオでした。個人でこんなスタジオを持っている人がいるなんて・・・

撮影はご存知、GDMのギタリスト&ボーカリストのエージさんです。

予想通り、いつまで経っても話は尽きず、場所を移して会合(ファンの集い?)の続きをしました。

デニーズではありませんでしたよ(笑)。今夜はマックで、マックカフェ。こちらでの今のブームは”Mサイズのカフェ・ラテ”なんだそうです。”Sサイズじゃダメだよ。イマイチバランスが悪いんだ”、とのことでしたので、皆でMサイズ(笑)。

いやあ、楽しかったあー。会合(?)は、近日また行われる予定です

ではー。



コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )




アカスリにきております。

最高っス('〇';)v。

またちょいと入ってくるっす。

 

---追記。---

十分に温まってからいらしてください。

と言われますので、「ええ、もちろん」とばかり、

予約するともらえる予約時間の書いてあるプラスティックのカード(ラーメン屋さんの食券みたいなの)を握り締めて、意気揚々とお風呂へ。

 

時間直前にロッカーに戻ってカードを持ってくるようでは、身体も冷えますゆえ、僕くらいのベテランになると、途中でカードを取りにいき(←最初から持って入ると、無くす)、ギリギリまで温まって、そのまま、ぽかぽかの身体でアカスリのお部屋に行くわけです。

 

で、今日も勿論、20分ほど前に一度ロッカーに戻ってカードを取り、タオルに包んで、お風呂で温まりました。サウナにも入りました。さらにもう一度お風呂に入って、いよいよ万全の体制でアカスリに。

 

扉を開けますと、「10時30分にご予約の川村さまですね?」と言われましたので「はい、そうです」、「では、ご予約カードをお預かりします」「はい、どうぞ。(先ほどから用意してましたよ)

 

・・・「え、あのー」。

 

・・・

 

「こちらは?」

 

と訊かれるので、「なんだろう」と思ってそのカードを見ますと、

 

「あっ、それは

 

・・・はい、僕が渡したのは、

 

下駄箱の鍵でした。

 

 

ありゃあ、すみません、と謝って、急いでロッカーに戻り、あわあわと予約カードを探して(コートのポケット?ジーンズのポケット?財布?えっと、えっとー。)、で、結局それなりに冷えた身体でアカスリ部屋に戻ったというわけです。

 

もう、なんと言いますかね(笑)。

 

でも、アカスリはめちゃめちゃ気持ちよかったですし、最終的にはポッカポカで最高に気持ちよかったです。どうもです。

 

ではー。



コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )




今回のツアーでの僕の使用機材たちです

写真右側、お客さんに向かって、いつものカワイMP9000、そしてその上にコルグTRITON Pro(トライトンプロ)。MP9000は基本的にピアノ用ですが、MIDIでヤマハのMOTIF-RACK ES(モチーフラック イーエス)にも繋がっていて、エレピ系の音はモチーフから出しています

TRITONは、オールイン・ワン・シンセの名機の一つで、もう10年以上使っています。TRITONシリーズは、もう一台TRITON Extreme(トライトン エクストリーム)というのも持っていますが(三段積みセットで一番上に置くことが多くて、先日厚見さんに浸かっていただいたもの)、へきるちゃんの現場ではこちらの旧型のトライトンを使っています。ずっと使っているので、へきるちゃんの色々な曲に使う音がこれには沢山入っているからです

写真奥、舞台中央に向かってはコルグCX-3というオルガン、そしてその上には主にソロ用のミニムーグです。オルガンはレズリー147RVに繋がっていまして、いつもセットの半分くらいの曲で使っています。カリッカリに歪ませたハードロック仕様のサウンドで(笑)。

ムーグは、今回はメンバー紹介曲(?)で、新たな音作りに挑戦して使いました。こんなに古い機材で「新たな音つくり」が出来ちゃうってのが、さすがムーグ。奥が深いです。でも、ちょっと他では聴けないサウンドになったのでは、と思って気に入っているんです。メンバーにも「いいねー」って言ってもらえましたし、弾いてて面白かったし、これからもずっと使っていきたい新しい音色が出来ました

 

・・・えー、コックリ、コックリされてませんか(笑)?

 

ではでは、面白くなくて難しい(・・・僕には楽しいのですが(笑))機材の話はこれくらいにして、改めて、今回の楽しい旅を共にしたメンバーさんのご紹介をさせて下さい。

 

その前に、今日はまず、

 

僕(と木村建さん)の機材まわりを担当してくれている敏腕テックのSくんをご紹介。韓国語がネイティブばりにバリバリで、英語や中国語も話しますし、楽器もギターの腕は相当なものですし、ピアノもいけます。本当に凄い才能の持ち主ですよ。もともとへきるちゃんのファンで、彼女と一緒に仕事がしたくてこの業界に入った、という経歴もまた凄いです。今では売れっ子の楽器テックとして、国内外で大活躍。僕に辛ラーメンにチーズを入れるように薦めてくれたのも、彼です。

そして、今日の写真の中で、僕の写真、それから楽器を変えたメンバーさんの写真は、このSくんが僕のカメラで撮影してくれたものです。・・・そう、Sくんは自分でも一眼を持っていてカメラの腕もなかなかのものなんですよ。実に頼りになるテックさんです

 

ではでは、参りましょう。

 

ドラムス、みっちゃんこと、倉内充さん。

本当にパワフルでテクニカルな充さんのドラムを叩いてくれます。へきるちゃんの曲は、ほんとうにドラマー泣かせなものが多いのですが(難しいだけでなく、とにかく、速いので)、充さんは「ちきしょう!絶対にやってやる」って言って、果敢にチャレンジして、ご覧になった方にはお分かりかと思いますが、見事に叩きこなしています。ライブ後にはいつも抜け殻のようになっている充さんは、カッコいいです。優しくて、ピュアで、そして色んな意味で(笑)とっても楽しい人ですよ。

 

大晦日のスペシャル・ライブでは、ベース担当でした。楽屋で楽譜を広げて「やるからには、ちゃんとやらにゃいかん」と、一生懸命練習していました。

 

 

ベース、マリリン(?)こと、堀川真理夫さん。

言わずと知れたスーパーベーシストのマリオさん、略して、スーパーマリオ。マリオさんにはいつも色々なことを教わっています。マリオさんは日本語よりも英語が得意なので、英語(←・・・でも時々、変(笑))、それからアメリカのバークリー音楽大学をとっても優秀な成績で出ておられるので、テクニックは当たり前ですが、音楽理論なども本当に詳しいのです。また、面白いボケも・・・って、これは天然ですから、教わりようがないのですが(笑)。

 

同じく、大晦日のスペシャル・ライブにて。昔、ブログで書きましたが、マリオさんは本当にスーパー・マルチ・ミュージシャン。得にドラムは一番最初の楽器で、14歳でプロになってしまったというね。言ってみればこれも本職なんですよね(笑)。なんでベースになったの?と聞いたら「うーん・・・、一番お金がかからないからネー」と。えっ、そこなんですかっ(笑)。ボケなのか、マジなのか、マリオさんですからねー、ちょっとわかりませんねー(笑)。

 

ギタ-、ジェイクさんこと、斉藤”JAKE”慎吾さん。

ここ最近のへきるちゃんバンドではバンマスを務めて下さっています。 ご存知の方も多いかもしれませんが、ジェイクさんもバークリーを出ておられまして(しかもマリオさんと同時期に留学していて、あちらでもお互いのことは知っていたそうです)、へきるちゃんの現場ではドラえもんギターや、「うなぎくん」とか「斉藤くん」などと楽しいキャラで通っていますが、通訳ができるほど英語はペラペラで、音楽の理論なども完璧。ジャズのビッグバンドのスコアなども書けてしまうという、実に素晴らしい才能の持ち主なんですよ。

 

スペシャル・ライブでは僕のセットを使ってもらって、ピアノを担当。元々、このスペシャル・ライブでもギターのはずだった(リズム隊だけが入れ替わる予定だった)のですが、僕が「ギターやりたいッス」とダダをこねたら「あ、そう?いいよ。じゃ、俺ピアノやるよ」と言ってくださってね。なんとその場で、譜面も一切見ないで一発で弾いちゃったんですよ。しかも、金髪さんは本職だから置いておいたとして、ほかのメンバーでは一番「ちゃんとしていた」、というね。すごいです。ゴイスです。 

 

そして、金髪犬さんこと、木村”Dog”建さん。

木村ケンさんとは、メンバーの中でも一番長くて、今年でかれこれ10年のお付き合いになりました。2000年に行われた、GlobeのKEIKOちゃんのソロツアーが最初の出会いでした。当日、打ち合わせに遅刻してきたんですよね、ケンさん。髪の毛は真っ黒だったんですが、やっぱり髭(鼻の下にもあった)に真っ黒なサングラスで、「あまり目をあわせない方がいいのか」とか思っていましたが(笑)、まさか、こんなにも長いお付き合いになるとはです。本当に沢山の現場でご一緒しました。だから、今回も主に僕とケンさんの二人がメインになるシーンがあったんですが、「ですよねー、そうきますよねー」というのが分って、面白いです。

 

僕が「えー、マリオさんドラムなの?で、充さんがベース?じゃあ僕、ギターやりたい」って足をバタバタして木村建さんの前でダダをこねましたら、「いや、あのよ、変わってやってもいいけどよ、俺、ピアノ弾けねぇからなぁ・・・」ということで、「じゃあジェイクサンにピアノ弾いてもらって、建さんがジェイクさんのギター弾いたら、全員が変わることになりますよ」って、都合のいいことを言ったら「あー、そうか。ま、いいか」と快く。ということで、工作大好きジェイクさんお手製、スーパーフライングV417モデルを引き倒す金髪犬さんです(Tシャツにご注目)。

 

ちなみに・・・、

 

・・・当日の楽屋ではこんなお宝光景も見れましたよ

 

さてさて、そして、僭越ながら僕です。

いやー、昨年も良く食べました。(それ?)

今年も、美味しいものを、沢山ね(・・・そこ?)

えー、来月には、いよいよ例の本も出ますし(これからしばらく、また怒涛の校正、リライト週間に入りますです)、そして、またそれ以外にもきっとまた色々と面白い一年になるのではと思っております。 どうぞ本年も、よろしくお願いいたします

 

スペシャル・ライブのスーパーボーカリスト、YUTAKA・TAIRAKU氏(AB型)と、ダダをこねて勝ち取った念願のギタリストの座を満喫する人。そして、後ろからこの熱いセッションを生暖かい目で見ているのは、へきるちゃんの現場のローディーチーフのK松ちゃん。このK松ちゃん、YUTAKA氏、僕は、全員同じ年です。

いやぁ、楽しかったです。当日のDVDは一生の宝物ですよ

 

こんな素敵で、面白くて、頼もしくて、とにかく楽しい人たちは、決して、ただバラバラに集まっているわけではありません。僕たちが集まっているのは、

 

 

すべては彼女のため。椎名へきるちゃん袖の元に集まった仲間たちなんです。そして、へきるちゃんがいなければ、この仲間との出会いも、この楽しい現場も、あの熱いライブも無かったのです。彼女こそが、流れを作り出した、全ての源なのですよね

 

心から、ありがとうを。

 

そして、また近々皆で集まって、さらに楽しく騒ぎましょう

 

ではー。 



コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )




いやあ、最っ高でした(^^)。

へきるちゃんもメンバーもスタッフさんも、みんな凄かったです。

でもお客さんが一番凄かったんですけれどもー。

とにかく素晴らしい年明けツアーでした。


ちなみに写真のエビ氏は、グッタリしてるイメージなわけではないですよ。

勢い余って自らオニギリにジャンプイントゥー、な感じ。

そして僕らも今からご飯にジャンプイントゥーしてきます。

お腹へったあ└|∵|┐!

ではー。

 

---追記。---

昨夜は餃子を皮切りに、中華系の美味しいものをワイワイと底なしに(笑)、頂きました。本当に美味しかった。美味しかった。美味しかった。美味しかったー

 

・・・うるさいですね(笑)。

 

あの味には、ライブがとっても楽しかった、大成功のうちに無事に終わった、ということもあると思います。

勿論、個人的には反省点がないわけではありません。改めて録音を聞き返しては「うーん」と思う箇所もありました。

でもでも、昨日は「大抵のことが上手くいくよ、いっちゃうよモード」に入っていたと思います。しかも、たぶん、メンバー全員が。不思議なものですが、これって、たまにあるのです。

ライブは生ものです。いつだってどこでだって一生懸命jなのは当たり前ですが、それでもどうしても波が出ます。人間ですからね。特にへきるちゃんのライブは、どのパートにもかなり高い難易度が要求されますので、ものすごい集中力やそれを持続する力が必要なのですが、それをあの体力を消耗する動きの中でキープし続けるというハードルは、決して楽にクリアできるものではありません。

でも、自然にそのハードルを楽に飛べてしまう時があるのです。何にも考えなくても、身体が勝手に動いて、冒険したことは当たり続け、何をやってみても良いほう、良いほうへ行くっていう日が。

これって、メンバー個人個人の持つ波や、バンド全体としての慣れなど、色々と演奏者側にも当然ファクターはあるのですが、プラス、お客さんの空気がその一番のエネルギーの源のような気が、いつもします。

昨日の名古屋、ほんとうに凄かったです。熱かったです。勿論、中日となった大阪も、カウントダウンだった東京も、それぞれ違った意味で「最っ高」でした。

 

短いツアーでしたが、本当に楽しかったです。ライブに参加された皆さん、本当にありがとうございました。お風邪、後から来る(笑)筋肉痛にはご注意をね。遠くから応援してくださった皆さんも、本当にありがとうございました。お気持ち、嬉しいです。

そして、また沢山のお手紙や差し入れを頂きました。大切に、全部持って帰ってまいりましたよ。いつもいつも本当に、ありがとうございます。心から感謝の気持ちで一杯です。

 

しかし昨夜あんなに食べたのに、今朝起きた時点で、もうお腹が「グーグー」鳴っていました。

 

・・・いったい何なんだ、これはっ(笑)。

 

というわけで、今朝の朝ごはんは、名古屋駅ホームのイカ天玉きしめんに致しました。

メンバー皆で並んで食べました。お腹に優しくて、とっても美味しかったです

 

何度も言いますが、本当に最高のツアーでしたが、

 

・・・今回は大阪での泊りが無かったため、インデアンカレーを食べ損なったことが、今でも心残りです

 

 

ああ、今夜あたり夢に見そうです。

 

 

・・・そ、それほどかいっ(笑)。

 

ではー。



コメント ( 18 ) | Trackback ( 0 )




大好きな味噌煮込みうでん(・~・)。

昨夜のうちに「元旦から営業」との情報を確認しまして、今回も行って参りました。

黒豚の一半(←一人前+半分の意)生たまご入りのご飯付き。食べ放題の御新香もついております。

ご飯はお代わり自由となっておりますので、一杯目は普通に、二杯目はうでんの汁で程好く半熟に固まった玉子の黄身を乗せて頂きました。

何故だか「朝からは食べれないなあ」と皆さん言うので、一人で行って参りました。

…おかしいなあ。

昨夜は居酒屋さんで色々食べて、最後に2時過ぎ位にはもつ鍋を食べて、軽くきしめんで締めただけなのに。

あれ?


…食べ過ぎですか(笑)。

 

---追記。---

 

味噌煮込みうでんは、独特の固い麺が素敵なのですが、このちょっと濃い目のスープがまたねー、たまらんのですよ。

ご飯がご飯が、すすむくんー、なのです。最初の一杯なんて、スープひとかけで、いけちゃうますよ

ちなみに、こちらのお店は、ご飯もめちゃめちゃ美味しいです。炊き加減が絶妙なんですよねー

ご飯の好みは人それぞれかと思いますが、僕はどちらかと言いますと、少し固めに炊き上げたご飯が好きなのです。固めラブ

ではー。



コメント ( 16 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »