ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




我が国では、日本の高度成長時代の繁栄と栄華を象徴していたような大きな会社が大変なことになっており、外を見れば前代未聞の寒波が世界中を襲っている今、今度は、

ハイチという中央アメリカの、世界でも最貧国といわれる国を巨大な地震が襲いました。

お昼頃のAFPのニュースでは、死者数100人か、と報道されていましたが、新しいニュースでは、「300万人が被災」と言われています。

地球の裏側の、あまり馴染みの無い国かも知れません。

でも、それゆえ、

2004年にNHKで放送された「エリックとエリクソン・ハイチ・ストリートチルドレンの10年」という番組のレビューを書いていらっしゃる方のブログ記事をご紹介させていただきます。

 

被害が最小限で済みますように、などというありきたりの言葉を、僕はどこへ向けて言うのか、という気持ちにさせられます。

 

こんな時ですから、少しでも多くの方に、ハイチのニュースに少しでも関心を持っていただけるきっかけになれば、と思い、転載させていただきたいと思います。

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【エリックとエリクソン・ハイチ・ストリートチルドレンの10年】

製作年 :2004年
製作 :ドキュメンタリージャパン
構成 :五十嵐 久美子
カメラマン :山崎 裕
放送 :NHK
再々放送 :2007  5/14  BS-hi
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ハイチはカリブ海にある世界で2番目に貧しいと
云われている国です。この国は黒人が全体の9割を
占めていて、フランスから独立する前の三角貿易
(ラム酒、奴隷、砂糖)の影響で奴隷制度の中心となった
歴史を持っています。
1804年に独立しますが、多額の負債を強いられ、結果
その借財の一部をアメリカが担う反面、近年まで良い様
に支配され続けた不幸な国なのです。
貧困層に深い理解があるアリスティドが大統領を勤めて
いましたが、外国と貿易している上流階層の者達は、自
分達の利権を奪われる事を防ぐため、アリスティドの
退陣を要求するデモを連日行っていました。

以前のブログで、(第3回・世界がもし100人の村だった
ら/フジテレビ)の視聴感想を書きました。
フィリピンのごみ山で働くマニカちゃん(12歳)の事を似
ている境遇から再び想い起させました。

長い間占領された熱帯地方の国は、有効な資源や卓越
した生産・流通能力が無い限り、独立した後も悲劇は続
きます。

ハイチも同じでした。失業率75%で路上で生活している
子供たち(ストリートチルドレン)も10万人を超えます。
上流階層は全人口の1%ほどにも関わらず、有り余る財
を持ち、国の資産の半分を所有していた。一方、貧困層
は年収1万円にも満たない者が全体の2/3も居るのです。

国連軍が大型トラックでゴミを捨てに到着すると、貧しい
者達が群がります。潰れた空き缶に残ったジュースを飲
む子供。

その中の双子の兄弟、エリックとエリクソンの10年間の
記録。
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※この兄弟は早くに母親を亡くし父親に育てられていた
が、食事もろくに与えてもらえず、虐待に耐えかねて9歳
で家を出て路上生活を始める。
二人は、洗車の仕事で小銭を稼ぎ、毎日を暮らしていた。
そこにはライバルの子供達も多く、たくさん稼ぐことは容易
ではない。エリックは言った。『僕はあきらめない』
エリクソンは言った。『僕は何も信じない。誰が指導者に
なっても変わらない。金持ちは貧乏人を放っておきたい
んだ』
 

その後二人は、小さな長屋に住める程度になったのだ
が、さらに数年経つと、『あきらめない』と話していたエリッ
クは銃弾を受けて片脚が不自由になり、重い物を持てな
い体になっていた。
仕事は無く、毎日の食事も1回ありつけるか否かの生活。

『何も信じない』と言っていたエリクソンは、19歳の妻と
の間に赤ん坊が生まれ、空港の近くの狭いボロ小屋に
移り住み、妻と妻の兄2人(失業中)の5人で暮らしていた。
 

屋台の傍に立って皆が食事するのを見ていたエリックに
売り子は冷たく言う 『おまえにやるものはないぞ』
エリックはその場を去り、金物修理の仕事をしている
友人の所へ行って、何か手伝うことがないかじっと見る。
手伝う事は殆ど無く、部品が入ったビニール袋を手渡す
くらい。
夕方、彼はもう一度屋台を訪ねていた。
『皿を洗ったら、残り物をやってもいいぞ』
食器を洗い終えたエリックは残り物のチャーハンのよう
な物をもらい一人黙々と食べる。 この日、最初で最後
の食事。
 

一方、エリクソンは空港近くの路上で相変わらず洗車の
仕事をしてた。溝の水をバケツに汲み、お客の車を水洗
いして手ぬぐいで拭き取る。車内も掃除して2時間で100
円~200円程度。
この地帯はライバルの少年達もたくさんいて大きく稼ぐ
ことは難しい。
 

小屋に帰ったエリクソンは、妻に聞く『今日、何食べた?』
『バナナを煮た物だけよ』答える妻。
『まだ2ドルくらい残っていただろう?』
『兄さんが欲しいって言ったからあげたのよ』
エリクソンは、稼いだお金の大半を妻に、そして義兄
にも小遣いを渡して言った。『そして、俺の財布には明日
のバス代だけだ』
 

エリックとエリクソンの父親は、木工芸の工房で働きなが
ら、新しい妻と妻との間に出来た子供達と暮らしていた。
エリックは父親の工房に毎日のように顔を出した。
『おまえは、本当に鬱陶しい。母親と一緒に死ねば良かっ
たな』そう言われてもエリックは黙っていた。
長屋に帰ってきたエリックは、僅かな食べ物を持っていた。
食事をしながら、そこに住み着いた犬にも分け与える。
 

12歳のエリックが話す映像。
『僕にとってのデモクラシーは、一つの皿の食事を皆で分
けることなんだ。持っている人が持っていない人に分け与
える。皆がそんな気持ちになったらこの国は良くなると思
うんだけどな』
 

22歳のエリックが話す。
『デモの暴動(アリスティド反対派)に加わって石を投げれ
ば、お金を貰える。でも生きる道がそれしかないのなら、
僕は何も要らない』
 

空港の近くにバラックがあるのを政府は対面的な理由で
フェンスを廻らせて締め出しを図る。(フィリピンもサミット
開催地になった時にマニラ空港から市内へと伸びる道に
目隠しをしたことがありましたね。)
エリクソン達は洗車の職を失い、しばらく行きかう人々に
物乞いするが、稼ぎは少ない。
ある日、仲間と協同で安いハンドバッグを仕入れてそれを
数ドルで売る臨時の仕事をした。物乞いよりはマシだった。
エリクソンは、最後の1個を愛する妻にプレゼントしようと
売らなかった。『今日は、売り切れだよ』と言って最後の
1個を大事そうに持って照れ笑いした。帰宅してすぐに
妻にバッグを差し出す。
妻はそれを受け取り、中を見て
『お金が入ってないわ』とつぶやいた。
エリクソンは黙っていたが、やがてわが子を腕に抱き上げ
て愛情いっぱいのキスをした。
 

エリクソンが久しぶりにエリックの長屋に訪ねてきた。
『妻に今日は帰ってくるの?と聞かれたから、金が作れた
ら帰ると言った・・・文無しじゃ帰れないよ』と苦笑いする。
ベッドに寝ているエリックを揺さぶる。
『ははは。エリック、起きろよ。何で知らない夫婦を一緒に
この家に住まわせてるんだ?勝手なことしないでくれよ』
『おまえは、あの辛い路上生活の頃を忘れたのか?あの
生活から抜け出せたから他の奴は知らないってわけに
はいかないだろう?助け合う事を忘れるなよ。この世に
完全なものは神以外ないのだから』
エリクソンは納得したように陽気に歌いだす。
それを聞いて笑うエリック・・・
 

エリクソンが赤ん坊の洗礼儀式に招待をする為に知り
合いや友人の所を回る。ゴッドファーザー(両親以外で、
この子供を一生見守る役目の人)を引き受けてくれる友
人も決まり、最後に二度と顔を見たくないと言っていた
父親の工房を訪れた。

『子供の洗礼をするから、来て欲しい・・・』
『・・・いつだ?』
『今週の土曜日にあそこの教会で』
はっきりと参加するとは言わなかった父親。
 

合同洗礼式の当日、ゴッドファーザーを引き受けると
約束した友人も昔の路上生活仲間も来ない。
その時、エリック兄弟の父親が現れた。
赤ん坊を覗き込む父親は、急遽、代わりにゴッドファー
ザーを引き受けることになった。
 

エリクソンが言う。
『親父は、俺のことを認めてくれた。俺も親父を認めな
いとな』
 

 

~エンディング~
晴れた青空。綺麗な浜辺で22歳のエリックとエリクソン
は腰まで海水に浸かって何度も飛び跳ねて遊んでいる。
木造のボートに上がってうつ伏せに寝そべるエリック。
ボートの先端に腰掛けたエリクソンが言う
『マイアミまで行くぞ!』
『ははは、そうだなマイアミ行きたいな』
ボートの先端にロープが結わえてあり、それを手繰り寄
せてボートをゆっくりと動かすエリクソン。

映像が段々遠くなり、画面いっぱいに青い空と海が映る。

エリックが弟に聞く。『なぁ、どこまで行く気だ?』
『船出しようぜ!エリック』



2006年1月、エリクソンは国連兵によって射殺された。
 
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番組の構成と編集をされた五十嵐久美子さんの言葉。
“ハイチはね、悲しい島ですよ。行ってみられたらいかが
ですか。
悲しい島ですけど、やっぱりすごく楽しい島でもあるんです。
何か生きるエネルギーがあるというような”


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以上、「National Geographic Blog」様より転載させていただきました。

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では。


---追記。---

日本のメディアがどれだけ取り上げるのかはわかりませんが、ネットで「Haiti  Earthquake」などと検索すると、少なくとも、今のテレビよりは情報が得られます。

本当に悲惨な出来事ですが、地震大国日本に住む僕たちにとっては、少しも他人事でないニュースだと思います。

では。



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