く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ムラサキ(紫)> 古くから根が紫色の染料や薬用に

2014年06月20日 | 花の四季

【万葉集にも多くの歌、今は環境省の絶滅危惧種に】

 ムラサキ科の多年草で、かつては日本各地の山地や草原に自生していた。6~8月ごろ、直立した細い茎の先に径5~7cmほどの白い小花を数輪付ける。地味で目立たない花だが、根がシコニンという紫色の色素を含んで染料になることや火傷、解熱などの薬用になることから、古くから大切に扱われてきた。別名に「紫草」「根紫」「若紫」「鴉銜草(あかんそう)など。

 ムラサキは万葉集にも多く詠まれている。「託馬野(つくまの)に生ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染め いまだ着ずして色に出にけり」(笠郎女)。額田大の歌「あかねさす紫野行き標野行き……」の紫野は、ムラサキが当時既に栽培されていたことを示す。その後の「源氏物語」や「新古今和歌集」などの文学作品にもしばしば取り上げられてきた。ムラサキの根で染めたものを「紫根染(しこんぞめ)」という。紫色は推古天皇時代に制定された「冠位十二階」(605年)で最高の位階を表す色に指定されるなど、その希少性もあって高貴な色や権力を象徴する色として扱われてきた。

 ただ原料としては高価で、染めの手間もかかることから、アイ(藍)やスオウ(蘇芳)、アカネ(茜)などで代用されることも多く、本来の紫根で染めたものを「本紫」、代用を「似紫(にせむらさき)」と呼んだ。明治以降には新しく登場した合成染料に押され、さらに自生地も薬用や草木染のための乱獲、ゴルフ場の造成などで急減した。今では環境省のレッドデータブックに近い将来、絶滅の危険性が高い「絶滅危惧ⅠB類」として登録されている。

 東京郊外の武蔵野はかつてムラサキの自生地として有名で、それで染めた色は「江戸紫」といわれた。山田耕筰作詞の「東京市歌」(1926年)でも「紫においし武蔵の野辺に 日本の文化の花咲きみだれ」と歌われた。だが、この武蔵野をはじめ既に絶滅したとみられる地域も多い。ただ、かつて良質のムラサキの産地として知られた東北の南部地方で〝南部紫根染〟が復活するなど、各地で保存の機運も高まっている。宮沢賢治は「紫根紫について」と題する童話を書いた。ムラサキの根を扱う山男から染めの製法を聞き出そうと酒宴に招く。そして、苦心の末に復活させた紫根染が東京大博覧会で2等賞に――。

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