【亀岡市の切り絵サークルなどが作成、丹波ゆかりの医学者も紹介】
京都府亀岡市在住の切り絵作家、達富(たつとみ)弘之さんが講師を務める3つの切り絵サークルが共同で、小冊子「神農神と京都丹波の御田祭」を作成した。丹波地域を中心に京都府下に残る御田植祭を切り絵で紹介するとともに、丹波と医学の関わりにも焦点を当てて神農(薬祖神)や丹波ゆかりの医学者も取り上げている。
冊子はA4版32ページ。亀岡市中央公民館と同市東竪町、京都府立ゼミナールハウスの3つの切り絵サークルのメンバー約20人が、各地の御田植祭を訪ねて取材し、その場面をカラーや白黒の切り絵で表現した。最初に京都府下の御田植祭分布図を掲載し、まず5~7月に行われる亀岡市の出雲大神宮や南丹市の摩気神社、美山八幡宮、京丹波町の八坂神社など丹波地域の6つの御田植祭を紹介している。いずれも手作りの温かみがあふれる作品ばかり。(上の作品は㊧と㊥出雲大神宮、㊨八坂神社の御田植祭。下は㊧美山八幡宮、㊥と㊨摩気神社の御田植祭)
続いて京都北部、南部、京都市部の御田植祭。達富さん自身の手による御田植祭の様々な所作の切り絵や京都新聞に長期連載していた地域風物詩の切り絵なども交えながら紹介している。達富さんによると「京都南部の御田植祭は1~2月に集中し、その年の豊作を期す予祝行事の意味合いが強く、明らかに奈良文化圏に属す」という。その他の地域は丹波も含め4~7月が多く、「北部では端午の節句との習合、厄病退散と組み合わせたものが目立つ」。(下の作品は㊧美山八幡宮の御田植祭、㊨丹波医学の祖・丹波康頼の信仰が篤かった亀岡・磐栄稲荷のお火焚き祭)
後半は「丹波亀山の医学」「京都と大阪 2つの神農祭」などに、切り絵や写真、古文書などで6ページを割く。亀岡ゆかりの医学者として有名なのが丹波康頼(912~995)が有名。「医食同源」の提唱者で日本初の医学書『医心方』を著した宮廷医として知られる。ただ、ここではこれまでほとんど知られていなかった近藤相秀=寿伯院桂安(1568~1664)を詳しく取り上げている。桂安は漢方の秘薬「赤丸子」の処方術を修得、後光明天皇の幼少時の大病を治癒し、江戸に赴いて時の将軍の姫君の疱瘡(ほうそう)も治した。それらの功績から「寿伯院」の称号を賜ったという。