く~にゃん雑記帳

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<紀州東照宮・和歌祭> 黄金色に輝く神輿が白装束の男衆に担がれて

2017年05月15日 | 祭り

【景勝和歌の浦に長い渡御行列、面被・相撲取・舞姫・武者・雑賀踊…】

 紀州東照宮(和歌山市和歌浦西)の大祭「和歌祭」が14日行われた。紀州藩初代徳川頼宣によって父家康を祀るために紀州東照宮が造営された直後の1622年に始まったといわれる伝統的な祭り。神輿(みこし)が急な石段を下る「神輿おろし」が最大の見もので、この後、渡御行列が「絶景の宝庫」として日本遺産に認定されたばかりの和歌の浦一帯を練り歩いた。

 「神輿おろし」が始まったのは午前11時半。神職の列に続いて神輿が朱色の楼門に現れ、急勾配の石段(108段)を下り始めた。担ぐのは白装束の男衆約100人。太鼓の音と「チョーサー」「チョーサー」の掛け声が境内に響き渡る。神輿は石段の上から白い綱2本で結ばれていた。石段の途中途中で左右に大きく揺さぶられる神輿。その屋根が光を反射しまぶしいばかりの黄金色に輝いた。まさに神々しい光景だ。神輿が石段下までたどり着くと、参道脇を埋め尽くす大勢の観客から一斉に大きな拍手が沸き起こった。

  

 この後、正午に渡御行列が東照宮会館前を出発した。先頭は行列奉行や神旗、鉾旗。これに雅楽を奏する伶人や神輿、相撲取、団扇(うちわ)太鼓、餅搗踊(もちつきおどり)、舞姫、雑賀踊、鎧武者、唐船などが続いた。行列は和歌浦漁港そばの特別観覧席前、片男波海水浴場の御旅所、あしべ通りを経て東照宮に戻る約4キロのコース。途中の5カ所に歌や踊りなどを披露する〝演舞ポイント〟が設けられた。

   

 

 行列の中で最も注目を集めたのは面被(めんかぶり)。歌舞伎風の化粧で頭上にお面。高下駄に陣羽織という異様ないでたちで「百面」とも呼ばれる。小さな子を見つけると、鳴り物をガラガラ鳴らしながら「ワァー」と驚かせる。幼児はみんな火が付いたように泣き叫び母親にしがみついた。三重県伊賀市の「上野天神祭」で以前見た鬼行列のときと同じような光景が沿道のあちこちで繰り広げられた。この和歌祭でも大泣きするほど健康に育つといわれているそうだ。幼児を泣かせていた男性の一人は地元テレビ局(?)のインタビューに、面被役を始めてもう40年になると話していた。

 

  

 渡御行列が練り歩いた和歌の浦は古くから和歌にも詠まれた景勝地。「若の浦に潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして鶴鳴き渡る」。万葉歌人の山部赤人はこう詠んだ。聖武天皇は724年初めて行幸したとき、和歌の浦の景観を絶賛し景観保全のために番人を置いたという。万葉の「若の浦」が「和歌の浦」になったのは平安時代になってからといわれる。

 

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