昭和46年から2年間、N市への単身赴任で世話になった下宿のおばあちゃん
若い頃から, 旧T市の豪雪地で、長年、教員の食事の世話を続け、部屋には、教育委員会などからの感謝状が掲げてある。
N市に転居後も2階に7室の部屋を用意、学生や転勤族の食事の世話を続けており、台所には、いつも、お母さんを助けで働く二人の孫娘(高校生と中学生)の姿がある。
時々、おばあちゃんの部屋でお茶を飲みながら、自身が子供の頃、赤子をぶって登校、勉強が嫌になると、赤子の足をつねり泣かせることで、帰宅できた様子など当時の学校生活を語ってくれたのを思い出す。
一度、おにぎりを用意してもらったことがあり、なんと、ご飯茶碗二膳分のおにぎり2個とゆで卵2個を渡され、「若いもんは、これくらいは食べなさい」と言われたものの、当時38歳の爺には無理。
広い屋敷内での野菜作りは、おばあちゃんの仕事、もともと、農家の出身で何でも上手に作る、肥料は、しもごえ(人の糞尿)を有効利用。
家族7人と下宿人7人が利用するトイレ、肥料には事欠かない。
年頃の孫娘からの苦情に気配りしてか、早朝、皆さん寝静まっている時間帯に作業を終わらせるが、時に強烈な香りに、酔いしびれながら目を醒ます。