昭和36年、教育行政の場での話だが、ちょうどこの時期は民間景気の華やかなりし時代で、教職の希望者が少なく、優秀な教員確保に苦労していた時期であったかと思う。
教職と行政職が同居する職場、和気あいあいの静かな雰囲気だった半面、内心では目に見えない何か噛み合わないものを感じていた者も少なからず、一度だけ不満が表面化した事もあったが。
出向してくる教職は教育現場の幹部候補、2年~3年後には中心校の幹部へと転出していくキャリア組だけに、年次別、出身校別等で、バランス良く選ばれた有能な方ばかり。
教職の中で、爺が唯一尊敬したE先生(当時50歳代)、教員人事担当のE先生のお手伝い役だった当時28歳の爺に、いつも同じ目線で自然体で話す人柄が好きで、着任して最初に言った感想が、「学校は画鋲が沢山落ちている所、役所はクリップが沢山落ちている所」だと、今は、どちらも落ちていないであろう。