現役最後の9年間は監督責任のある管理職として、酒酔い事故、サラ金、男女の問題、近隣とのトラブル等々、公務以外での後始末に翻弄され、心労の多い職務だった。
職員100人を超える大規模事務所だったので、年度初めは、毎年3分の一程度の職員の人事異動があり、30人前後の新任職員の名前と顔を速やかに一致させることから始まる。
昭和62年夏の夜、職員が一人で公用車を運転して仲間との懇親会で飲酒、酒酔い運転して戻る途中に道路わきに転落、本人は無事だったが車を大破させた不祥事が起こった。
この事故で爺は、人事当局並びに行政監査委員からの厳しい事情聴取を受け、監督責任を問われて文書による訓戒処分、38年の職歴に消えることのない唯一の汚点がついた。