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kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

4月度ハイキング・京都 「山科聖天さん 双林院」4月2日(水)

2025年04月21日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
4月度ハイキング・ 毘沙門堂 ②「樹齢150年を超えるしだれ桜」
の続きです。


山科の北部に位置する「毘沙門堂」を出て
隣接する「山科聖天-双林院」さんへ向かいます。



「山科聖天 双林院」は
毘沙門堂を再興した公海によって創建されました。



本尊に大聖歓喜天を祀ることから
「山科聖天(やましなしょうてん)」さんと呼ばれています。



ハイキングにご一緒させて頂いている人達です。



みなさんの後に付いていきます。



階段を上がった左にある「像の置物」

山科聖天の諸堂本尊の御尊像は
インドより渡来のヒンドゥー教の神「ガネーシャ」由縁の仏様で、十一面観世音菩薩と大日如来が力を合わされた大自在天として化身し、頭が象で体が人身という二体の抱擁身の姿で出現され「男女和合」「陰陽和合」の状態を示した密教の仏様です。


聖天堂

階段を上がった右に
「本尊大聖天歓喜天像」が祀られています。



そして「像の置物」の右横に
 正一位太郎須大明神 (歓喜天守護神)
 正一位八ッ房龍神   (歓喜天守護神)
 稲荷大明神     (荼枳尼天)


不動堂 

山門の正面 1883年(皇紀2543)明治16年の建立

中央に比叡山より勧請された不動明王(五大明王)、向かって右に准胝観世音像、左には弁財天女が祀られています。
堂の中で大護摩が焚ける構造で、屋根の最上部は煙突です。



不動堂の右にいきます。


不動の滝

不動堂の右奥の崖下には一本の滝が落ちています。
右に石造りの「お滝不動」がお祀りされています。



新緑と桜の「山科聖天さん」でした。


山科聖天さんの鳥居

聖天さんを出ると、もう~お昼でした。

山科疎水へ戻り、疎水を前にしてお弁当を食べてから
「天智天皇山科陵」へ向かいます。
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4月度ハイキング・ 毘沙門堂 ②「樹齢150年を超えるしだれ桜」

2025年04月15日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
JR山科駅から「さくらの名所 毘沙門堂へ」の続きです。

京都市山科区「毘沙門堂」

毘沙門堂は、大宝三年(703)
文武天皇の勅願により開かれた天台宗の寺院です。



開山当初は京都の出雲路橋付近(現在の御所北側)にあり
「出雲寺」と呼ばれていましたが



御本尊・毘沙門天さんが祀られている事から
後に 「毘沙門堂」と名付けられました。


本殿

毘沙門堂は、門跡寺院の格を持つ寺院の一つで



天台宗では毘沙門堂を含む5つの寺院
妙法院・三千院・青蓮院・曼殊院・毘沙門堂 を総して
「天台宗京都五箇室門跡」とよばれています。



今日はお日柄が良いのか、何組も見かけました。
きれいな花嫁さんです「お幸せに・・・」



本殿左の道を通って「宸殿」へ向かいます。



この壁の向こう側は
花嫁さんが写真を撮られていた所だと思います。


宸殿前

宸殿には、京都市指定文化財の
狩野探幽の養子で駿河台派の始祖・狩野益信の作で、どの角度から見ても鑑賞者が中心になる動く襖絵があります。



そして、宸殿前の樹齢150年を超えるしだれ桜です。




幾つもの支え木に支えられながら



30メートルにおよぶ枝張りです。



勅使門から見ています。

勅使門に続く坂道が人気の写真スポットですが
坂道から勅使門は通れなくなっていました。



勅使門の横に咲いているのは・・・?



花まつり・観桜会が6日にありますが
数日前でも多くの人が来られていました。



毘沙門堂を後にして
「山科聖天 双林院」へ向かいます。
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4月度ハイキング・JR山科駅から「さくらの名所 毘沙門堂へ」

2025年04月14日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
4月13日(日)、雨の中「大阪・関西万博」が開幕しましたが
楽しみにしていたブルーインパルスは「雨の為中止」でした。

JR山科(やましな)駅  4月2日(水)

山科駅へ初めて来たときに人が多いので驚きましたが

京都府1日の利用者数が多い駅ランキングは
1位京都駅   2位.山科駅  3位四条駅 でした。



ハイキングのコースは
JR山科駅→毘沙門堂→山科疎水→天智天皇山科陵→御陵駅

山科 には
JR京都線・湖西線、地下鉄東西線、京阪大津線の4つの路線と
京都橘大学、京都薬科大学、駅周辺には観光スポットがあります。



毘沙門堂へ向かいます。


疎水橋

山科疏水は
琵琶湖から京都へ水を運ぶために整備された水路です。



山科疎水橋付近の両岸には
桜と菜の花が植えられ散策コースになっています。

この道は健康ハイキングで
2018年04月に京都・東山自然緑地「山科疎水(琵琶湖疎水)」を歩いたことがあり、お勧めのコースです。



疎水橋から山の方向に歩いて行くと正面に見えたのは
毘沙門堂境内入り口の小さな石橋「極楽橋」です。

極楽橋は、後西天皇がこの地に来られたとき、橋より上はさながら極楽浄土のような清浄華麗な霊域であると感嘆され、極楽橋の名前を賜ったことに由来しているそうです。
※後西天皇は第111代天皇 橋を渡ると石柱に「毘沙門堂門跡」。



境内の案内図の左下に
花まつり・観桜会:開催日時:4月6日

花祭りは、正式には「灌仏会」と言います。
お釈迦様の生誕を祝う行事で、灌仏会の法要のほか奉納演奏や演舞、参道での縁日などがあるそうです。



写真では見えていませんが
石段の上には朱塗りの「仁王門」があります。



仁王門は、本堂への表門にあたり
左右に阿吽の二天像が安置されています。



仁王門をくぐると、正面に「本堂」が見えました。

宸殿前には、樹齢150年を超えるしだれ桜がありました。
が、長くなりますので次へ続きます。
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4月度ハイキング「距離:13.2㎞ 歩数:19,701歩」4月2日(水)

2025年04月04日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
お弁当を作ってリュックを背負い玄関を開けると
家の前を通る人は傘を差しています。

えっ! ハイキングは中止かも・・・?
と思いましたが、お世話人さんに確認の電話をすると

「雨は止んで来ているので行きます。」の返事。
集合時間が迫り急いで集合場所に向かいました。

ハイキングは15名の参加で
コースは、JR山科駅→毘沙門堂→山科疎水(お弁当)→天智天皇陵→蹴上インクライン→地下鉄 烏丸御池で解散でした。

ハイキング当日の距離と歩数

久しぶりに歩いた満足感と疲れでした。(^^ゞ
そして、お世話人さんに感謝です。(^^♪
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梅の花で「2025年 健康ハイキング・マージャンの新年会」

2025年02月07日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
梅の花 2月3日(月)

梅の花の送迎バスに乗って



チョッと遅い「新年会」に参加してきました。

私が参加しているのは健康ハイキングと、マージャンですが
他の同好会に参加されている全体の「新年会」です。


新年会













お料理は沢山出てきましたが
全部は写真に撮れなかったので👇でご覧ください。



梅の花 お品書き
・嶺岡豆腐
・茶碗蒸し
・湯葉豆腐とたぐり湯葉のお造り
・名物とうふしゅうまい
・豆腐サラダ
・揚げだし胡麻豆腐
・ふく福豆冨 野菜あん
・湯葉揚げ豆腐真丈の天婦羅
・湯葉吸物
・生湯葉のあん掛け御飯
・香の物
・デザート

ゲームなどで楽しい新年会では、健康マージャンでお会いする人達と同じ席になり、今日は麻雀牌ではなくご馳走を前にして頂いてきました。

同じ席に居られてる人がブログを開設されていたのでブログのURLを交換しましたが、gooブログでは無いので「フォロー」は出来ませんでした。
コメント (4)
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1月度ハイキング 「しょうざんリゾート京都 わかどり」

2025年02月02日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
今日は節分なので、西南西の方角を向いて恵方巻を食べました。
そして「1月度ハイキング 鷹峯」は、今日で終わります。


光悦寺を後にして
しょうざんリゾート京都に向かっています。



趣きのある建物ですが、写真右に見える建物が「然林房」です。鷹峯は紅葉の季節が良いと思ってましたが、この辺りには桜の名所「光悦荘」があるところでした。



勾配ある「千束坂」を下って行くと・・・
左に「古道 長坂道」の入口がありました。



古道の、この辺は緩やかな道ですが
勾配のある足元が悪い道の所もありました。



少し歩いていくと
「しょうざんリゾート京都」の前に着きました。



ここは10年程前に来たことがあるので
その時のことを、このブログに残しています。



京料理を「紙屋川別館 湧泉閣」で頂いた時は
写真の正面に見える門を入りましたが
今日は「わかどり」で、昼食を頂きます。(^^♪



こんな可愛いベンチがありました。



わかどりには、お世話人さんが
平日ランチを予約してくれています。



お店までは、広い庭園の中を歩いていきます。



「わかどり」のお店が見えてきました。



「名物だれの鶏唐御膳」美味しかったですよ。



デザートもありました。



紙屋川は
昔、タスキ掛けの職人が紙を漉いたという渓流です。



帰り道で見えたのは
ヨーロッパの邸宅を思わせる木組みの洋館です。



ノベルヴィラガーデンには、森の中に2つの貸切邸宅があり
結婚式などで利用されるそうです。



1月度ハイキングは
源光庵から光悦寺、しょうざんリゾート京都でした。
この後は、金閣寺の前まで歩いて解散しました。

行きたいと思っていた「源光庵・光悦寺」ですが、京都の近くに住んでいても行く機会もなく、今回が初めての鷹峯でした。
お世話さん、参加者の皆さんに感謝です。
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1月度ハイキング 京都・鷹峯「光悦垣と鷲ヶ峰・鷹ヶ峰の眺望 光悦寺」

2025年02月01日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
今日から2月ですが・・・ 1月度ハイキング 
③ 源光庵「悟りの窓・迷いの窓・血天井」のつづきです。


「光悦寺」は、源光庵からすぐ近くの所にがありました。



江戸時代初期に、本阿弥光悦が徳川家康から与えられ、光悦の一族や芸術仲間たちがこの地に移り住んで、芸術村を築きこの地から数々の芸術作品が生まれたのです。



風情のある石畳です。


本堂

お寺が創建されたのは光悦の死後でした。


~~~ 境内には、7つの茶室 ~~~

大虚庵・三巴亭・了寂軒・徳友庵・本阿弥庵・騎牛庵・自得庵

●三巴亭 (さんばてい)

「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭。


●大虚庵 (たいきょあん)光悦垣

本阿弥光悦が晩年過ごしたとされる大虚庵です。



割り竹を粗い目の菱形(ひしがた)に組み



割り竹の束をのせて
頂部がゆるい曲線を描いています。



「光悦垣」の名前は
本阿弥光悦がこのデザインを好んだことが由来だそうです。



左に行く道が見えました。
その先には、本阿弥光悦の墓所があります。



本阿弥光悦は、80歳で亡くなりました。
永禄元年(1558年)京都に生まれ、寛永14年(1637年)


●了寂軒



アセビ



ツツジ科 Ericaceae

名前は分かりません。


●翹秀軒(ぎょうしゅうけん)




本阿弥一族の墓所もありました。


●本阿弥庵




この説明板は、本阿弥庵の前左端にあります。

「翹秀軒・本阿弥庵」からは
眼下に、鷲ヶ峰、鷹ヶ峰、東山などが見下ろせますが
翹秀軒では、所狭しに休憩されていたので撮りませんでした。



説明板の左、東山・船岡山方面



そして左が鷹ヶ峰、小さい山の右に少し見えているのが



この鷲ヶ峰です。



この後は、いま来た道を戻り「光悦寺」を後にします。



円型の悟りの窓、角型の迷いの窓の「源光庵」と
光悦寺への道は「東海自然歩道」でした。

この後は、お昼時間が近くなり
「しょうざんリゾート京都」へ続きます。
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1月度ハイキング 京都・鷹峯③ 源光庵「悟りの窓・迷いの窓・血天井」

2025年01月28日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
② 源光庵「丸い窓のある山門から書院」のつづきです。


書院から見える本殿へ向かいます。



本殿に入る廊下の敷居に
「萬徳殿」の扁額が掲げられています。



そして、本殿の入口から見えたのは
「伏⾒桃⼭城遺構の⾎天井」



本殿に入って右に見えたのは
「悟りの窓」と「迷いの窓」です。


悟りの窓

何事にもとらわれないおおらかな気持ちを
「禅と円通」の心で表しています。


迷いの窓

生きることや病、死ぬことなど日々のさまざまな苦しみの
「人間の生涯」を表しています。

どちらも仏の教えで、枯山水の庭園が見える窓でした。



あれは・・・?
茨木市「総持寺」・伊勢寺・金戎光明寺で見たことがある



少し耳が長いのですが「亀趺(キフ)」だと思います。



血天井 手形跡と



天井いっぱいに見えるのは



本堂の⾎天井は、伏⾒桃⼭城の遺構です。

慶⻑5年7⽉(1600年)徳川家康の忠⾂、⿃居彦右衛⾨元忠⼀党1800⼈が⽯⽥三成の軍 勢と交戦し討死、残る380余⼈が⾃刃したときの恨跡です。



⿃居元忠は「三河武⼠の鑑」と称される武将で
血の付いた床板を供養の為にこちらに移したものです。



ここにも足型跡が・・・

2024年9月度ハイキングで
模擬天守「伏見桃山城」へ行ったことが思い出されます。

京都には、養源院、正伝寺など
いくつかの寺に血天井が移築されていますが

私が血天井を初めて見たのは
2014年11月の「京都 ・大原 宝泉院」でした。



源光庵を後にして「光悦寺(こうえつじ)」にむかいます。
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1月度ハイキング 京都・鷹峯 ② 源光庵「丸い窓のある山門から書院」

2025年01月25日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
京都・鷹峯「源光庵(げんこうあん)」のつづきです。


通り過ぎた総門を見て駐車場に戻ると
他の人たちが山門に向かっていたので追いかけました。


山門

山門の上部分に「白い丸窓」が2つあります。
窓がある山門を見るのは初めてです。



山門の扁額「復古禅林」


右に鐘楼




山門を入ると正面に「本堂」が見えました。

本堂は卍⼭禅師に帰依した⾦沢の富商・中⽥静家居⼠の寄進によって元禄7年に建⽴され、ご本尊として華厳の釈迦牟尼佛、脇⽴に阿難尊者、迦葉尊者をお祀りしています。



本堂の扁額は「大寶荘厳」



本堂の右側に受付があります。
拝観料は大人400円(紅葉の季節 11月は500円)です。


書院の間

本殿の前に、書院から・・・



約3,000年前の屋久杉から作られたという「屋久杉屏風」



山口雪溪は漢画系の絵師です。








枯山水庭園

本堂と書院の北には
釈迦谷山を借景にした「枯山水庭園」



書院の廊下から本堂を見ています。

「悟りの窓・迷いの窓・血天井」の本堂へ行きますが
長くなりますので、次へと続きます。
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1月度ハイキング 京都・鷹峯(たかがみね)「洛北の名刹! 源光庵」

2025年01月24日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
1月度ハイキングに参加してきました。


JR京都駅前・四条大宮駅から
京都市営バス6号系統に乗り「鷹峯源光庵前」で下車して
源光庵に向かっていますが、ここが源光庵では・・・?
と思いながら、皆の後について通り過ぎて行きました。



入ったのは源光庵の駐車場からでした。
駐車場に「伏見桃山城の遺構 血天井」


9月のハイキングで行った「伏見桃山城」に
慶長5年(1600)家康の家臣である鳥居元忠と約300名の武士が、伏見城で切腹した血糊の床板を養源院(京都市東山区)の天井に使われています。

関ヶ原の戦い後、血糊の床板を見た家康が鳥居元忠らの忠義に供養するため、徳川家にゆかりある寺院で血糊の床板を誰にも踏まれることのないようにするため天井板にしたのでした。


源光庵の天井にも使われていたのですね。



駐車場で、みなさんが立ち止まっている間に
参道を通って、先ほど通り過ぎた右に見える「総門」へ



総門を目の前にして見てきました。

源光庵(げんこうあん)は
京都市北区鷹峯にある曹洞宗の寺院。
山号は鷹峰山  本尊は釈迦如来
正式には、鷹峰山寶樹林源光庵です。



正面に掲げられている扁額「源光善照」は
創建時から伝わるものだそうです。



皆のいる駐車場に戻ってきました。
その先に「山門」が見えています。

長くなりますので、私が源光庵で見たかった
「悟りの窓・迷いの窓」から眺める絶景へと続きます。
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