日本最初の世界文化遺産「法隆寺(ほうりゅうじ)に行ってきました。奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院で、別名は斑鳩寺(いかるがでら)と呼ばれ、世界最古の木造建築物が残る聖徳太子建立のお寺で、日本最初の世界文化遺産です。(6月26日 )
法隆寺門前の松並木
「南大門(なんだいもん)」国宝
法隆寺の玄関にあたるこの門は、永享10年(1438)に再建されたもので、南大門の階段の下に魚の形をした石が地面に埋め込まれた「鯛石」があり、この鯛石から先のお寺の境内は地面が高くなっていて、大雨が降ってもこの石よりも境内には水が入らないように守っている石とも言われています。
「中門」国宝
中門は正面に見える筈なのですが、シートが被され修理中でした。日本最古(法隆寺創建当初のものではない)だと言われる金剛力士像や、白鳳建築の代表作とされる中央に壁を感じさせる珍しい柱も、残念ながら見ることはできませんでした。
西院伽藍へは左手から入るように用意されているので、中門は工事中に関わらず参拝客には開放されていないそうです。
「回廊」国宝
中門の左右から五重塔と金堂を囲むような回廊があり
ここは、中門の左から入った西側の回廊です。
国宝の「金堂」と「五重塔」
五重塔 国宝
木造塔として世界最古のもので、高く見せるように初重から上にいくほど屋根が小さくなっている、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分しかないそうです。
初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに、塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像が安置されています。この塑像に使用された粘土は近くの土で作られたといわれています。
東面は「維摩経」(ゆいまきょう)に登場する、文殊菩薩と維摩居士の問答の場面、北面は釈迦の涅槃、西面は分舎利(インド諸国の王が釈尊の遺骨を分配)の場面、南面は弥勒の浄土を表す。(北面の釈迦の入滅を悲しむ仏弟子の像)
堂内は中の間、東の間、西の間に分かれていて
それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置されています。
二階の卍くずしの高欄(手すり)と、それを支える「人」字形の束(つか)。
「経蔵」 国宝
奈良時代の楼造(二階建)建築。*未公開
「大講堂」(平安時代の移築) 国宝
薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重文)が安置されています。
東側の回廊から見た、金堂と五重塔です。
法隆寺門前の松並木
「南大門(なんだいもん)」国宝
法隆寺の玄関にあたるこの門は、永享10年(1438)に再建されたもので、南大門の階段の下に魚の形をした石が地面に埋め込まれた「鯛石」があり、この鯛石から先のお寺の境内は地面が高くなっていて、大雨が降ってもこの石よりも境内には水が入らないように守っている石とも言われています。
「中門」国宝
中門は正面に見える筈なのですが、シートが被され修理中でした。日本最古(法隆寺創建当初のものではない)だと言われる金剛力士像や、白鳳建築の代表作とされる中央に壁を感じさせる珍しい柱も、残念ながら見ることはできませんでした。
西院伽藍へは左手から入るように用意されているので、中門は工事中に関わらず参拝客には開放されていないそうです。
「回廊」国宝
中門の左右から五重塔と金堂を囲むような回廊があり
ここは、中門の左から入った西側の回廊です。
国宝の「金堂」と「五重塔」
五重塔 国宝
木造塔として世界最古のもので、高く見せるように初重から上にいくほど屋根が小さくなっている、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分しかないそうです。
初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに、塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像が安置されています。この塑像に使用された粘土は近くの土で作られたといわれています。
東面は「維摩経」(ゆいまきょう)に登場する、文殊菩薩と維摩居士の問答の場面、北面は釈迦の涅槃、西面は分舎利(インド諸国の王が釈尊の遺骨を分配)の場面、南面は弥勒の浄土を表す。(北面の釈迦の入滅を悲しむ仏弟子の像)
堂内は中の間、東の間、西の間に分かれていて
それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置されています。
二階の卍くずしの高欄(手すり)と、それを支える「人」字形の束(つか)。
「経蔵」 国宝
奈良時代の楼造(二階建)建築。*未公開
「大講堂」(平安時代の移築) 国宝
薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重文)が安置されています。
東側の回廊から見た、金堂と五重塔です。