kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京料理・美濃吉の松茸ご飯が入った「嵯峨野弁当」

2017年09月27日 | 食楽

美濃吉のお弁当「嵯峨野」

時々、美濃吉のお弁当を買って一人で楽しんでいます。(^_^;)))


秋のご馳走が味わえるお弁当を見つけたので、早速買ってきました!

まつたけご飯(国産米)に、煮物(里芋、人参、こんにゃく、茄子、その他)、胡麻豆腐、出し巻玉子、わらび餅、焼かます、なます、さつま芋甘煮、さつま揚げ、栗甘露煮、海老旨煮、合鴨燻製、酢蓮根、付合わせ・・・など

「嵯峨野」は秋の味覚を味わえるお弁当でした。
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隠れキリシタンの里で見た 「厨子入象牙彫キリスト磔刑像と銅版画」

2017年09月26日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか
2010年12月に投稿した記事にアクセス数が多かったので見てみると
それは「隠れキリシタンの里」に行った時に見た貴重なものです。(再投稿)

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隠れキリシタンの里は、1549年(天文18) に宣教師フランシスコ・ザビエル
によって、日本にキリスト教が伝えられました。

キリスト教は織田信長には庇護されていたのですが、豊臣秀吉や徳川家康は
キリスト教が当時の封建制に会わないので、禁教を次第に厳しくしました。

島原の乱の後ついに鎖国となり、キリシタンたちは迫害され棄教を迫られました。禁教は1873年(明治6) まで続き、キリスト教は人里離れた山地などで秘密裏に信仰されることになった、これを 「隠れキリシタン」 といわれています。


右:「逗子入象牙彫 (ずしいりぞうげぼり) キリスト磔刑像(だっけいぞう)」
左:「ロザリオと十字架」

これは茨木市の山間部にある「隠れキリシタンの里」の一つで、下音羽 (しもおとわ) 地区の、大神家で見せて頂いた普段は見ることができない貴重なものです。


キリスト像の、喉元や手首と足首に血痕の跡が・・・

※ 大神家の家の前に、茨木市教育委員会から下記の説明版がありました。
逗子は黒漆塗りのもの (高さ38.6cm 間口18.2cm 奥行外側7cm
内側6cm) で、観音開きにした扉は銀の金具でとりつけてある逸品である。 

逗子には 「ユダヤの王ナザレのゼヌス」 略字 INRI の四文字を刻んだ板のついた黒檀の十字架に象牙彫キリスト像(総長13.3cm)をはりつけた物が納めてある。

十字架のとりつけてある台はコルゴダ山を思わせる半円形の黒檀製のものでした。キリスト像は、喉元や手首、足首に血痕があらわされており写実的な優秀な作品である。大正11年、大神家の納屋から発見され、昭和8年10月31日に 「重要美術品等保存ニ関スル法律」 により認定を受けており、大阪府下でも類品のない貴重なものである。



これが、茨木市教育委員会の説明版に書かれていた 「銅版画」 です。

この時は、観光協会主催の観光ウォークということもあって
大神家のご好意から、特別に目の前で拝見させて頂くことが出来ました。(^^♪
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大阪・帝塚山本店「福壽堂秀信の宗右衛門」

2017年09月24日 | 食楽

母のお気に入りだった「福壽堂秀信」の帝塚山本店

1948(昭和23年)に、大阪宗右衛門町で和菓子の 「福壽堂」 で商いを創め
名誉総裁賞、内閣総理大臣賞など、数々の最高位賞を受賞されています。


この「宗右衛門」は、丹波大納言粒餡をしっとりとした
村雨で1本1本丁寧に手巻をした蒸菓子です。

屋号の「秀信」が気になったので見てみると
天皇皇后両陛下への菓子献上並びに宮内庁御用命も度々に及び、昭和33年には宮内庁京都事務所の石川忠所長(当時)より、「秀信」の名を菓匠名として頂く運びとなり、これを機に「福壽堂秀信」を屋号といたしております。

秀でるの「秀」に、信頼の「信」、最高の屋号ですね。(^_^;)))
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大阪は秋の空・・・

2017年09月23日 | 大阪

「天高く馬肥ゆる秋」の言葉がありますが・・・
大阪駅の前で見たのは、青く澄んだ秋空でした。(^з^)-☆

夏の空は、太平洋高気圧の影響で空気中に水蒸気を多く含んでいるので
太陽の光を乱反射するために、空が白っぽくかすんで見えますが・・・

秋の空は、移動性高気圧の影響で空気がほどよく乾燥して水蒸気も少なく
乱反射もおこりにくいので、夏よりも透明度が増し空が青く見えるそうです。
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京都・仙太郎の「青じそ入り ぼた餅」

2017年09月22日 | 食楽

私は「おはぎ」と呼んでいますが、仙太郎さんでは「ぼた餅」とかいています。


八分づきのもち米を使った、青じそ入りの大きなぼた餅です。

仙太郎さんが、ぼた餅と呼ぶのには・・・
もともと「ボタ」とは米の卑称。出荷できない、売り物になりにくい欠けたお米の事を 「ボタ米」と称し、それでつくった餅を「ぼた餅」と呼んだ様である。 もとは農耕の間食用としてつくられたものであったが、いつしかそれを春秋、 昼夜を二分するお彼岸の時に、ご先祖様にお供えする風習となった。

本来、ボタ米で作ったから「ぼた餅」と呼んでいたものが春には、その姿が牡丹の花の様だというので「牡丹餅」。秋には、小豆のつぶが萩の花の咲き乱れている様だと言って「萩の餅」「お萩」と呼んだ。現今では、春も秋も「お萩」というのが一般的であるが、私共では年中「ぼた餅」と呼んでいる。1コ120gと大振りなのが牡丹という名に相応しいと思って・・・。


仙太郎さんの最中を頂いてから、ず~っとファンです。美味しいね (^з^)-☆
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わが家の秋分

2017年09月21日 | 思い出・覚え書

母の祥月命日は、9月22日のお彼岸です。


毎年、祥月命日にはご住職さんに来て貰っているのですが
今年はお墓のあるお寺の本堂と墓前で、お経をあげて貰いました。


墓前のお供えは、亡くなる前に食欲のない母が食べたいと言ったので
店頭にまだ並ばない8月末に、何時間も探した柿・・・です。

明日が祥月命日ですが、明日は雨模様なので1日早い祥月命日です。
Y一家も来てくれました。ありがとう~
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京都・千本鳥居で知られる夜の「伏見稲荷大社」

2017年09月19日 | 京都
今までに何度も行こうと思っていた、千本鳥居で知られる「伏見稲荷大社」に
暗くなる時間だと分かっていたが、鳥居の前だけでもと思い行ってきました。
2014年11月の、勇気ある私を?見て頂きたくて再投稿します。(^_^;)))


JR京都駅からJR奈良線の普通電車で二つ目の「いなり駅」で降りると
すぐ目の前に、暗くなった「伏見稲荷大社」の鳥居が見えました。


天正17年(1589年)豊臣秀吉が造営された楼門です。

稲荷山は「東山三十六峰」の、最南端に位置する霊峰(海抜233m)で
古くから三ケ峰と呼ばれてきたように、三つの峰が西から東へと段々に
高く連なっています。


ここが人気の「千本鳥居」の入り口です。

暗い時間なので不安だったのですが、どうしても行きたいと思っていると
私の他にも数人の姿があり、その中には女性もおられたので安心です。


同じ鳥居の入口を、フラッシュを使って撮りました。
さぁ~千本鳥居の下を歩いてきます。


鳥居の下を歩いていくと、鳥居の道が二つに別れていました。
ここがテレビなどで、何度も見ているところです。(^_^;)))

二つの道を撮るのに、ここが一番撮りたい場所なのですが
思うような写真は撮れませんでした。


ここは右側通行ですが、左の方から人の姿が見えたので左側の鳥居へ・・・
チョッとビビっていますが、とても神秘的で別世界にいるような気分です。


行けるところまで行って引き返そうと思っているのですが
私の前後には人の姿がなくなり、住み着いているような数匹の猫が見えます。


あっ!男女二人の姿が見えました。(ホッ! でも私は二人の邪魔者です。)
境内案内板があったので見ると、ここは「三ノ辻」 のようです。


ここで折り返そうと思いましたが、どうしても帰る気にもならず
この人たちの後ろに付いてお邪魔してきました。ゴメンね (^_^;)))


でも「四つ辻」まで行って案内板を見ると、「一ノ峰」まで行くのには
時間的にも無理だと思い、お二人にお礼を言って引き返すことにしました。


十石橋

本殿までもう少しですが、振り返るとこんなに暗かったのですね~
迷わないで帰って来られたのでホッとしています。


今度は明るい時間に「一ノ峰」まで行きたいと思ってから、節分祭奉射祭、そして頂上の 一ノ峰 まで歩きました。ホームページは こちら をクリックしてご覧ください。


境内マップ (画像をクリックすると大きい画像が表示されます)

山麓のご本社に近い峰から順に三ノ峰・二ノ峰・一ノ峰と称し、三ノ峰と二ノ峰の中程に間の峰、そして三ノ峰の北方に荒神ヶ峰がつらなっています。
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滋賀県野洲市・昭和天皇即位の時に選ばれた「悠紀斎田」

2017年09月18日 | 大阪・滋賀・奈良 他
今日は「悠記斎田 御田植歌」の額にあった悠紀斎田のことです・・・


三上神社から国道8号線を渡ったところに「悠紀斎田記念碑」があります。

立派な「悠紀斎田記念碑」ですが、「悠紀斎田」ってご存知ですか?
私・・・? 私は聞いた事も無かったので調べてみました。(^^ゞ



● 悠紀斎田 (ゆきさいでん)
皇位の継承があったときに、大嘗祭(天皇即位の儀式)の際に供される
神餅、神酒のお米をつくる田のことであります。
 
● 大嘗祭 (だいじょうさい)
天皇が即位した後で最初に挙行する大規模な新嘗(にいなめ)祭のことです。
(新嘗祭とは、天皇が新穀を神にすすめ親しく食する祭儀)


大きい画像でもチョッと見難いですが
画像をクリックすると、別枠の大きい画像でご覧になれます。

昭和3年(1928)の昭和天皇の即位の折には三上村(現・野洲町三上)の
御上神社近くの斎田が採用された。 御上神社では毎年6月25日に当時の
衣装そのままに御田植え祭が行われる。  (お田植祭り より)

「昭和の悠紀斎田」をもっとお知りになりたい方は
昭和3年当時の様子が掲載されている お田植祭り をクリックしてご覧下さい。


悠紀斎田には、稲刈りで刈った稲がお供えされていました。
奥に見えるのが三上山です。(びわ湖東岸からも見える三角の山です。)

収穫の秋には、稲刈りと試食会があり希望者は参加させて頂けるそうです。

試食された方が
「土器で炊いた赤米と黒米はよく噛みしめると甘みがあって美味しいでした。」

また、フランス料理のシェフは
「これは肉料理と合いそうだ」と感心されていたそうです。
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滋賀県野洲市・お田植祭で歌われる「悠紀斎田 御田植歌」

2017年09月17日 | 大阪・滋賀・奈良 他

この額は、御上神社のお部屋にありました。(再投稿です。)

見ると「悠記斎田(ゆきさいでん)御田植歌」 と書かれています。

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悠紀斎田 御田植歌 
 作詞者 巌谷小波(いわや さざなみ)氏

一つ 日の本瑞穂の国は 穂に穂栄えて千代八千代
二つ 再び得がたい誉 御世の始めの御田植
三つ 三上の御影の神は 代々に御国を守る神
四つ 夜を日にいそしむ人は 神も守らでおくものか
五つ 五日にやそよ風吹いて 十日十日にや雨が降れ
六つ 百足の巻いたは山よ 御田にや雀も虫もでぬ
七つ 名高い近江の国は 昔からなる悠紀の国
八つ 野洲川国やすかれと 清くそそぐよ悠紀の水
九つ 九重の雲井の空も はれて賑わふ田植歌
十で とうとう御田植終わりや はやも早苗に千代の色


悠紀斎田御田植歌 の作詞者 「巌谷小波(いわや さざなみ)」氏は
滋賀県水口町出身の方で「花咲爺」「桃太郎」「舌切雀」「かちかち山」
「猿蟹合戦」などを書かれた児童文学者です。
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滋賀県野洲市・高貴な方が乗られた「鳳輦神輿 (ほうれんみこし)」

2017年09月16日 | 大阪・滋賀・奈良 他
昨日の、御上神社「国宝指定書」で思い出したのは・・・


この、御上神社の国指定の重要文化財「拝殿」に置かれていた神輿です。

いつもは別の建物に保存され、ガラス越しに少しだけ見えていただけですが
この三台の古い神輿は、とても立派な鳳輦神輿 (ほうれんみこし)でした。


その別の場所に保存されている建物の前に
三台の古い神輿は鳳輦神輿(ほうれんみこし)と称して、高貴の方が乗られる構造になって中を広く作られております。 五百余年前 宝徳二年の銘があります。
と、書かれていました。

宝徳二年(1450年)、どんな高貴な方が乗られたのでしょうね 。。。
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