kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・極楽の霊地「真如堂の紅葉と三重塔」 11月18日(水)

2020年11月30日 | 京都
11月30日の満月「フロストムーン」は、半影月食も起こるので見逃せません!
そして驚いたのは、秋篠宮さまが長女・眞子さまが小室圭さんとの結婚を認められたことです。でも 小室さんと秋篠宮ご夫妻との間に信頼関係ができなければ、皇室の行事は進められません。とも・・・


●「會津藩墓地」から真如堂へいきます。

真如堂へ行くのには「會津藩墓地」から近道があります。

でも「會津藩墓地」を出ると、西側と北側の道があったので迷っていると
犬を連れていた人に「この道(北)の先が真如堂で、この方向にあります。」と
指で方向を指して説明して下さり、とてもご親切に教えて頂きました。(^^♪


少し歩いていくと・・・

鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)

真如堂でした。(^^♪

真如堂は、正式には鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)といい、永観2年(984年)に戒算上人が開創した、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺です。

「極楽寺と名乗る寺は多いが、ここが正真正銘の極楽の霊地」という意味を込めて名づけられ、その本堂を表す「真如堂」が通称として定着しました。


目の前に、紅葉が広がっています。


見ごろだと思ってましたが・・・
真如堂まで来て良かったです!

本堂 (重要文化財)

度々の戦火で焼失し、享保2年(1717年)に再建されたのが現在の本堂です。

本堂内部は自由に拝観できる外陣(げじん)があり
お線香をあげさせて頂きました。





三重塔 (京都府指定文化財)

文化14年(1817年)に再建。


多宝塔をまつった本瓦葺で高さは約30メートルあります。


真如堂のシンボル的な建造物です。













総門

元禄8年(1695年)完成。真如堂西側の神楽岡(吉田神社)の神々が夜にお参りに来る際につまずかないように敷居がないとされています。
赤門と呼ばれて親しまれています。

11月1日から12月6日の間は当麻曼荼羅公開特別拝観ですが
11月29日はコンサートの為、庭園のみの拝観でした。
※タイトル名を、京都・極楽の霊地「真如堂の紅葉と三重塔」に変更しました。

半年以上も外出を控えていましたが、この後はもう一度行きたかった
「法然院」へ行って、白砂壇を見たいと思います。(^^ゞ
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京都・金戒光明寺③「紫雲石西雲院と會津藩墓地」

2020年11月29日 | 京都
京都・金戒光明寺②「アフロ大仏 五劫思惟阿弥陀仏」のつづきです。


アフロ大仏さんとお別れして・・・


「會津藩墓地」へ向かいます。(會=会  會に統一します。)

紫雲石 西雲院

會津藩墓地へ向かっていると「紫雲石 西雲院」があります。

會津藩殖難者墓地をあずかる、西雲院開基の「宗厳(そうごん)」は
秀吉が朝鮮に出兵の時に連れ帰った一人でした。
宗厳はのちに出家して、元和2年にこの紫雲石を賜りました。


見難いですが「紫雲石 西雲院」と書いています。

「紫雲石」は
1175年(承安5)法然上人がこの地の石に腰を下ろし、日想観をしていると、紫雲がたなびいて、悟った上人は、この岡に庵を結んだのが金戒光明寺の始まりであり「紫雲石」といわれました。

西雲院の庫裡前には「侠客 會津小鉄」のお墓があります。
會津小鉄は本名「上阪(こうさか)仙吉といい、會津藩松平容保が京都守護職在職中は表の家業は口入れ屋として、裏では新選組の密偵として大活躍しました。


小鉄は、會津藩が鳥羽伏見の戦いで賊軍の汚名を着せられ、戦死者の遺体が鳥羽伏見の路上に放置されていたのを子分二百余名と、迫害も恐れず収容し近くの寺で荼毘に付し回向供養したといわれています。


以後も、小鉄は容保公の恩義に報いんが為に
黒谷會津墓地を西雲院住職とともに死守しました。


そして、清掃・整備の奉仕を続けたという逸話が残っています。

會津藩墓地

6月の第2日曜日には、京都會津会主催で「會津松平家第十四代当主 松平保久(もりひさ)」氏もご列席で、會津藩殉難者追悼法要を勤められているそうです。
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京都・金戒光明寺②「アフロ大仏 五劫思惟阿弥陀仏」

2020年11月28日 | 京都
27日、新型コロナウイルスの新たな感染者が
東京都内で新たに570人、大阪府は383人の感染が確認されました。
 
新型コロナの感染拡大を受けて、菅総理大臣は「GoToトラベル」を利用した札幌市・大阪市を出発する旅行について控えるよう求め、東京や大阪で再び飲食店の営業時間短縮の要請がありました。

●金戎光明寺の高麗門~の続きです。
 金戎光明寺 御影堂

「黒谷 金戒光明寺」は、秋の特別公開中でした。
 拝観期間:2020年11月13日(金)~12月06日(日)まで

特別夜間拝観もあります。
 拝観期間:2020年11月13日(金)~12月6日(日)
 拝観時間:17:30~20:30(最終入場 20:00)


蹴上インクラインから、休憩なしで歩いてきたので
御影堂の斜め前の茶所で、水分を取って一息します・・・


久しぶりの「みたらし団子」は美味しかったです。(^^♪


「アフロ大仏」と「会津藩墓地」へ行くのには、御影堂の前を右へ
突き当りの「新清和殿」を右へ曲がります。(左:清和殿 右:新清和殿)


新清和殿の前を右に曲がると階段があって
下りた先に見えたのは、蓮池と「アフロ大仏」さんの案内板。


案内板をみて「極楽橋」の前までいくと
極楽橋の正面に三重塔が見えます・・・
真如堂の三重塔だと思いましたが違いました。


そして、極楽橋を渡って階段を上がっていきます。

五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆい あみだぶつ)

階段を上がっていくと、突然左に見えたのが「アフロ大仏」さんです。

「アフロ大仏」と呼ばれているのには、通常の阿弥陀仏と違う頭髪(螺髪らほつ)がかぶさるような非常に大きな髪型からです。


会いたかった「アフロ大仏」さんが、いま目の前に・・・(^^♪

「無量寿経」によると、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと五劫の間ただひたすら思惟をこらし四十八願をたて、修行をされ阿弥陀仏となられたとあり、五劫思惟された時のお姿をあらわしたものです。


五劫とは時の長さで一劫が五つということです。

一劫とは「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。

そのような気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表したのが五劫思惟阿弥陀仏で、全国でも16体ほどしかみられないという珍しいお姿です。
落語の「寿限無寿限無、五劫のすり切れ」はここからきています。

金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏は、特にめずらしく石で彫刻された石仏で、江戸時代中頃の制作と思われます。
金戎光明寺 HP:https://www.kurodani.jp/より)
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京都・城構えだった「金戒光明寺」11/18

2020年11月27日 | 京都
南禅寺をでて、金戎光明寺へ向かいます。


南禅寺を出ると動物園があり、その前を通り過ぎます。

金戎光明寺

黒谷金戒光明寺は、新選組発祥の地でもあります。

新選組と會津藩の関係は
幕府が文久二年将軍上洛警備のため浪士組を結成したことに始まります。

高麗門

徳川家康は幕府を盤石なものにする為に特に京都に力を注ぎました。

直轄地として二条城を作り所司代を置き、何かある時には軍隊が配置できるように黒谷と知恩院をそれとわからないように城構えにしました。

黒谷に大軍が一度に入ってこられないように南には小門しかなく
西側には立派な高麗門が城門のように建てられたそうです。


幕末の京都は暗殺や強奪が日常化し、手のつけようのない状態になっていた。文久二年(一八六二)に徳川幕府はついに新しい職制を作り京都の治安維持に当たらせることになりました。これが京都守護職です。


御所まで約2㎞、粟田口(三条大橋東)東海道の発着点までは1.5㎞のくだり、馬で走れば約5分、人でも急げば15分で到着できる要衝の地だったのです。


黒谷には大小五十二の宿坊があり、駐屯の為に大方丈及び宿坊二十五ヶ寺を寄宿のため明け渡したという文書が残されています。


浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り
草庵を結ばれたのが、浄土宗最初の寺院のはじまりです。


階段を上がった左に鐘楼があり


上がってきた階段を振り返ると「山門」が見えます。

ここからは、京都を見渡せることができるので
要衝の地になったのがわかりますね。


正面の御影堂には
宗祖法然上人75歳の御影(座像)を奉安されています。


可愛いお花がいっぱい・・・(^^♪


ここにも


西墓地に通じる道には、大きなイチョウの木がありました。
左の道からも「真如堂」へ行けるそうですが
「アフロ大仏」さんと「会津藩墓地」を通り「真如堂」へ行きます。
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京都・南禅寺 「水路橋から見える紅葉」

2020年11月26日 | 京都


疏水の工事は1885年に始まり、1890年に竣工しました。


南禅寺境内の最奥部分に境内を通過している
琵琶湖疎水の分線「水路橋」です。

そして、京都の撮影スポットでもあり
ドラマでもよく見るところなので
南禅寺にきたら、水道橋は外せない所ですね。(^^ゞ


全長93.17m(幅:4.06m・水路幅:2.42・高さ:9m)
レンガ、花崗岩造り、アーチ型橋脚の風格ある構造物です。


アーチ型橋脚の風格ある構造物の先に見える紅葉は
「最勝院」と「高徳庵」のお庭です。


最勝院と高徳庵へは、数十年前に行ったことがあります。


日本人のみで設計、施工されたものですが
古代ローマの水道橋が思い出されます・・・(^^ゞ


さぁ~それでは「金戎光明寺」へ向かいます。
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京都・9年ぶりの「南禅寺」 11/18

2020年11月25日 | 京都
コロナ感染者の「重症者数」が、急激に増えています・・・(*_*;

南禅寺

何度も来ている南禅寺さんですが


最後に来たのは9年も前でした。


そして、今年は9月中旬まで外出を控えていましたが


ここに来ることが出来て良かったです。


でも人の多いところは・・・


無意識に避けていますね。(^^ゞ


イチョウが鮮やかな黄色になっています。


黄色くなるのは「黄葉(こうよう)」ですね。


黄色い絨毯・・・大好きです。(^^♪
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京都・“鶴亀の庭”で知られる「金地院(こんちいん)」 11/18

2020年11月24日 | 京都
蹴上インクラインを歩いて「ねじりまんぽ」を見ることができたので
次の目的地へ向かいます。


「ねじりまんぽ」を通って来られた人と同じ方向ですが


蜜にならないように・・・少し離れて歩きます。

南禅寺 大寧軒(だいねいけん)

大寧軒は、通常非公開ですが特別公開されていました。

明治時代の茶人、薮内紹智によって作られた池泉回遊式庭園には
琵琶湖疏水を引き込んだ清流には、珍しい「三柱鳥居」があるそうです。

金地院「東照宮の楼門」

大寧軒のすぐ横に見えたのは「東照宮の楼門」です。

徳川家康の遺命により創建されたもので
本殿には家康の遺髪と念持仏が納められているそうです。




小堀遠州の作庭した枯山水庭園“鶴亀の庭”が
国の特別名勝に指定されています。


京都の神社仏閣とは少し違います。


江戸幕府の法律外交を担った、僧・以心崇伝が住したことで知られ
大坂の冬の陣のきっかけとなった、方広寺の鐘銘問題は
金地院崇伝の考えと言われ「黒衣(こくえ)の宰相」と呼ばれました。


金地院も特別拝観されていますが


多くの人が来られているようです。


この中に“鶴亀の庭”があります。


金地院は室町幕府4代将軍、足利義持によって
応永年間に建立された寺院で、建立当初は北山にありましたが


南禅寺270世住職であり、徳川家康の側近でもあった
金地院崇伝が慶長10年(1605)に、現在の場所に再建復興しました。
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京都・蹴上インクラインの重さに耐えていた「ねじりまんぽ」

2020年11月23日 | 京都
22日の、全国で確認された新型コロナウイルスへの感染者は2,168人。
大阪府では、過去最多となる490人の感染が確認されました。(*_*;

ねじりまんぽ

あっ!ねじれは入口から見えています。

まんぽ=古い言葉でトンネルのこと。
「ねじりまんぽ」は、レンガのアーチが螺旋状に積まれたトンネルです。


インクラインを歩いている時に見えていたのは
南禅寺側の「ねじりまんぽ」の上部分でした。


トンネルは、インクラインの重さに耐えるように作られ
正式名は「斜拱渠(しゃきょうきょ)」と言うそうです。


他でも、鉄道線路とその下の道路や川が斜めに交差する場合には
「アーチ部を斜めにねじって」積まれているそうです。


煉瓦がねじれてるのがわかります。
この「ねじれ」が、インクラインの重さに耐えていたのです。


トンネル内に入ると・・・不思議な感じがします。


トンネルを抜けるとトンネル西口(三条通)にありました。

トンネル西口の扁額「勇観奇想(ゆうかんきそう)」

入口上部には「見事な眺めと優れた考え」という意味の
第3代 京都府知事の北垣国道氏が書かれた扁額です。

トンネル東口の扁額「陽気発処(ようきはっするところ)」

「精神を集中して物事を行えば、どんな困難にも打ち勝てる」
という意味が書かれています。


私は「ねじりまんぽ」を見たくて来ましたが
ここは、三条通から南禅寺に抜ける歩行者用の「トンネル」でした。
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京都・長さ600mあまりの傾斜鉄道跡「蹴上インクラインを歩く」

2020年11月22日 | 京都
蹴上インクライン

蹴上と岡崎とでは、こんなに標高差があったため
明治23年(1890)に引かれた琵琶湖疏水は
大津と京都を結ぶ舟運ルートとしても利用されました。


ここは、歩きたいと思っていた所なので実現できました!


敷設された線路沿いの坂道には
約90本のソメイヨシノが辺りを埋め尽くし
春には、桜を楽しみながら散策できます。


アッ!ここは「ねじりまんぽ」の上のようです。


「ねじりまんぽ」にも行きますが
ここは歩きたい所だったので、もう少し歩きます。(^^♪


現在は、当時のレール、台車、舟、滑車が復元保存されています。


QRコードにスマートフォンをかざすと
「舟、山に上がるの奇観」が、VRで体験出来るそうですが
私は、まだガラケーなので・・・(^^ゞ


水の音がするので横を見ると


凄~い勢いで水が流れています。


いま歩いてきた約600mのインクライン・・・


枕木と鉄製のレール4本、そして大粒の砂利と石畳を


後にして「ねじりまんぽ」に通じる道へ戻ることにします。
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京都・舟をレールに乗せて引きあげる「蹴上インクラインへ」

2020年11月21日 | 京都
新型コロナ感染が急速に拡大して過去最大になっています。
「Go To キャンペーン」の運用を見直すようですが、海外からの帰国者を含めて海外からの入国を制限することが、コロナ感染初期の失敗を繰り返さないために必要だと思います。

11月度歴史クラブが20日にあったのですが、予定があって不参加。
でも行きたい所だったので、個人で18日に行ってきました。

JR山科駅



地下鉄東西線に乗って、蹴上駅まで行きます。

蹴上駅(けあげえき)の改札口に向かっています。
近くに「岡崎動物園」と呼ばれている「京都市動物園」があります。

地下鉄東西線「蹴上駅」


駅前

駅を出て左方向に歩いていきます。


電柱に貼っているのは「蹴上インクライン」の道案内です。
日向大神宮の鳥居をくぐって坂道を上がって左にあるようです。

日向大神宮の鳥居

道案内からすぐ近くに
日向大神宮の鳥居がありました。


坂道を上がっていきます。


開けた場所に出ると、左側に見えるのが・・・


蹴上インクラインのようです!


滋賀県から京都へ琵琶湖疏水を運行していた船です。


『インクライン』は
船を運航させるために敷かれた傾斜鉄道の跡地です。

蹴上発電所送水鉄管








田邊朔郎(たなべさくろう) 銅像

田邊朔郎(1861~1944)日本の土木技術者・工学者
琵琶湖疏水や、日本初の水力発電所の設計者、工事主任。

蹴上義経地蔵


説明板


本願寺水道水源地


水源地



それでは、蹴上インクラインを歩いてきます。

「蹴上インクラインを歩く」は、明日へ続きます。
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