kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

「第46回 みなとこうべ海上花火大会」 2016年8月6日土曜日

2021年07月17日 | 回想日記
花火繋がりで「第46回 みなとこうべ海上花火大会」です。

Yファミリーから、嬉しいお誘いがあったので
「みなとこうべ海上花火大会」に行ってきました。


神戸港の倉庫が立ち並んだ間を通り過ぎ・・・


指定席に着いたときには、たくさんの人が来られていました。


海から近い席だったので
花火が打ち上げられる三隻の船がよく見えます。


来年開港150年を向かえる世界の港とつながる神戸港
オープニングは港をテーマに入港を風景を彩る祝砲と歓迎放水で
迎えてくれるそうです。


山(北側)の方も暗くなってきました。


そして、花火が打ち上げられました!


今日は、Aちゃんたちと花火を楽しみます。


神戸の花火を見るのは、今回で2度目ですが・・・

シーン1の「I love Waterfront」から、シーン6の「I love Kobe Port」の
プログラムがあって、海上からの打ち上げ数は10,000発です。


でも、帰りの混雑を危惧して「スペシャルフィナーレ」を前にして
帰ることにしましたが・・・


後ろから大きな音と共に大空で打ち上げられる花火に
見送ってもらいました。(^^ゞ
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琵琶湖の夏の風物詩「びわ湖大花火大会 2009 2013」

2021年07月16日 | 回想日記
「びわ湖大花火大会 2009年」

初めての びわ湖大花火大会 です。
びわ湖畔に到着後、若者のグループや家族連れで通路も無くなるほどいっぱいになり、湖上には遊覧船の姿が見えています。

びわ湖水面一帯に打ち上げられた定番の一斉打ち上げは、鮮やかな色彩と賑やかな音がド~ン!と花火の迫力を夜空で魅了して、私達を幻想的な世界へと導いてくれました。

びわ湖を横目にして帰っていると、桟橋から船に乗られる人達の姿がありました。この船に乗って花火を観に来られていたようなので、この船は交通手段の一つのようです。

駅は入場規制中なので、スゴイ人でしたが
電車に乗ると、気抜けするぐらいは余裕で座る事ができました。


さじき席から観る迫力の「びわ湖大花火大会 2013」8月8日(木 )

三井寺を出るころは、心配していた夕立も あがり夕焼け空でした。

2度目の「びわ湖大花火大会」は
九州へ引っ越しされた、小〇さんと息子さんに誘って頂いた
「第30回 びわ湖大花火大会 2013」の日帰りツアーでした。

私の席は、1番前の空いている最高のR席のさじき席です!
早くに予約されていたそうで、私は7月から楽しみにしていました。


花火大会が始まる前の静か~な・・・びわ湖です。


花火が打ち上げられると、観覧席から大きな が。。。


湖上の花火は、湖面も演出しています。


次から次へと、展開していきます。

「四季めぐり」

 春~花めぐり 夏~水辺めぐり 秋~紅葉めぐり 冬~自然めぐり
第30回記念花火では、直系500mに広がる大輪の華を咲かせました。


花火が頭上に落ちてきそうです!
花火が大きくて、花火全体がレンズの中に入りません。(^^ゞ


フィナーレは、2尺玉 (20号玉) の豪快な締めくくりですが
私のカメラでは、残念だけど撮れませんでした! 

※2021年のびわ湖花火大会は、10月29日(金曜)に
  開催を予定されていましたが、今年も中止になりました。
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滋賀県・三井寺②「一切経堂 と “るろうに剣心のロケ地” 」2013年

2021年07月15日 | 回想日記
オリンピック開催式は、天皇陛下がご臨席、皇后陛下は見送られます。
東京では14日に、1149人の新感染者が確認されています。


井寺の仁王門から、釈迦堂→金堂→閼伽井屋→ 霊鐘堂(弁慶の霊鍾の引き摺り鐘と、大鍋の汁鍋)を出て「一切経蔵の八角輪蔵」へ・・・

一切経蔵・回転式の八角輪蔵 (重要文化財) 2013年8月8日

一切経蔵は室町初期の建築で、もとは山口県・国清寺の経蔵でした。

慶長七年(1602)に、戦国大名・毛利輝元によって移築、寄進されたもので、内部には一切経を納める八角輪蔵があり、天井から円空仏七体が発見。


回転式の巨大な八角輪蔵には、高麗版一切経が納められています。
※ 仏教の経典を集成したものを総称して「一切経」と呼んでいます。

映画『るろうに剣心』のロケ地

一切経堂を出て三重塔に向かっていると、こんな説明板がありました。

映画 『るろうに剣心』 この場所で撮影されました。
平成23年0月27日・28日、ここ一切経蔵前て映画 「るろうに剣心」 の撮影が行われました。主演の佐藤健さん、武井咲さん、吉川晃司さんが訪れ剣心が刃衛と初めて出会い薫を刃衛の魔の手から危機一髪で救いだすシーンを撮影。ワイヤーを使った豪快なアクションと三井寺の風景を、是非、映画館で
ご確認下さい。



説明版の写真には、一切経堂と橋が・・・


橋から振り返ると、一切経堂(重要文化財) が見えています。
映画では、この橋の右下から撮っていました。

2021年4月23日に公開された『るろうに剣心 最終章 The Final』の
数々ある名シーンは、滋賀のロケ地からでした!

園城寺塔婆 三重塔   重要文化財
 
室町時代初期 明徳三年 1392年建立  本瓦葺 高さ24.7m

この三重塔は、もと大和国(奈良県)の比曽寺(ひそでら、現在の世尊寺)にあった東塔を慶長六年(1601年)に移したもので、大和地方における中世の風格をもっており、鎌倉時代和様の様式を伝える南北朝時代頃の建築とされています。

塔は、三間三重の塔婆の形式で、本瓦葺の屋根をもち、各重の落ちも大きく 初重目に縁(えん)をつけています。 また、二重目、三重目に菱格子(ひしごうし)を用いているのは珍しいものです。 明治三十九年四月に国の重要文化財になっています。    大津市教育委員会  昭和六十二年三月
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滋賀県大津市・三井寺①「弁慶の 引き摺り鐘」 2013年8月

2021年07月14日 | 回想日記
今朝も「MLBオールスターゲーム2021」の大谷投手を見ましたよ!
「レッドカーペットショー」に参加した時の、濃紺スーツに純白Tシャツ姿も素敵でしたね~(^^♪

試合はア・リーグが5―2で勝って8連勝
ア・リーグの大谷投手は「1番DH」で出場し、特別ルールで1回裏の先発マウンドで三者凡退に押さえ、二刀流の勝ち投手になりました。


画『るろうに剣心』の文字を見る度に、思い出すのが三井寺です。
滋賀県・三井寺は、映画『るろうに剣心』クランクインの地であり
作品の「はじまりの地」として、重要な役割を担っているロケ地でした。

三井寺さんの近くまでは、何度も行っているのですが
この日は三井寺さんの駐車場が、びわ湖花火大会のツアーバスの駐車場になっていたので、花火大会開催前に行ってきました。


「長等山園城寺(三井寺)」 2013年8月8日
天台寺門宗の総本山で、古くから日本四箇大寺の一つです。

天武天皇より「園城 (おんじょう)」 の勅学を賜り、「長等山園城寺」 と称したのが始まりです。 私たちが 「三井寺 (みいでら)」 と呼んでいるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に使われた霊泉があり、「御井(みい)」 の寺と呼ばれていたものを、後に智証大師 (ちしょうだいし) が、当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。

仁王門  (重要文化財)

宝徳四年 (1452) に建立で、浄城への表門として慶長六年(1601)に
徳川家康により甲賀の常楽寺より移築、寄進されました。

釈迦堂  (重要文化財)

室町初期の建築で、中世寺院の食堂 (じきどう) の様式を伝えるもので、釈迦堂杮葺きの屋根がとても美しくて優雅です。
本尊に清涼寺式釈迦如来像をお祀りしています。

国宝の金堂と、三井寺の名前の由来になった閼伽井屋

金堂(国宝)は当時の総本堂です。
本尊の弥勅仏は天智天皇が信仰されていた霊像で
秘仏として静かに祀られています。

現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって慶長四年 (1599) に再建されたもので、三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。
桃山時代を代表する名建築で、本尊弥勒菩薩も安置されています。

閼伽井屋 (重要文化財)は
金堂西側奥に金堂と接して、慶長五年(1600)に建立されました。
内部には井泉が湧き (水の音が聞こえていました。)、天智天皇・天武天皇・持統天皇の産湯に使われたことが、三井寺の名前の由来です。
正面上部にある龍は、左甚五郎作の龍の彫刻として有名です。
※ 閼伽井(あかい)とは、仏前に供える功徳の水をくみ取るための井。

弁慶の「霊鍾の引き摺り鐘と、大鍋の汁鍋」

奥:弁慶の 「引き摺り鐘」
手前:弁慶の 「汁鍋」

●弁慶の「引き摺り鐘」   重要文化財
重量:600貫 (約2250㎏) 総高:199、1cm 口径:123、2cm

当寺初代の梵鐘で、奈良時代(8世紀)の作とされています。
承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に
琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。

山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると、『いの~・いの~』 (関西弁で “帰る~”の意味) と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」 と怒って鐘を谷底へ投げ捨て、鐘にはその時のものと思われる引き摺った痕やヒビが残っています。

この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象があり良くないことがあるときには、鐘が汗をかき撞いても鳴らなかったそうですが、でも良いことがあるときには自然に鳴るといわれています。

「園城寺古記」という戦国時代の記録には、文禄元年(1592)七月に鐘が鳴らなくなり寺に何か悪いことが起るのではないかと恐れた僧侶たちは様々な祈祷をおこなったところ、八月になってようやく音が出るようになったそうです。

建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ自ら鳴り響き、これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれるなど、まさに霊鐘というにふさわしい様々な不思議な事件をいまに伝えています。

●弁慶の「汁鍋」  (鎌倉時代)
重量:120貫 (約450㎏) 外口径:166、5cm  口径:123、2cm
深さ:93、0cm  口厚:11、5cm

江戸時代のガイドブック 「近江名所図会会」 にも「弁慶の汁鍋」としてされ、寺伝によると武蔵坊弁慶が所持していた大鍋で、三井寺の大鐘を奪い取った時に残していったものと伝えられています。

また、僧兵たちが用いたことから 「千僧の鍋」 とも言われ、鋳鉄製の大器で三段に鋳継ぎされ、上段には釜戸にかけるための上縁がついていました。

※ 霊鐘堂に、弁慶の「引き摺り鐘」と「汁鍋」は一緒に奉安されています。
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ポアールの「フルーツソルベ」

2021年07月11日 | 回想日記
『ザワつく!金曜日』

2021年6月25日のテレビ朝日放送『ザワつく!金曜日』を見ていると
「極上のフルーツソルベ」がスタジオに登場!

果物をまるごと使った贅沢な一品に、ザワつくトリオのちさ子さん、一茂さん、良純さんの3人も美味すぎると大興奮です!


果汁をまるごと使ったアイスクリームは、母の所に行くといつも連れて行ってくれたお店「ポアール」にあったことを思いだして見ていました。

お店を出る時には、母がりんご・オレンジ・レモンなどの果汁をまるごと冷凍にした(果物の形を残してある)アイスクリームをお土産に持たせてくれました。

そんなことを思い出して見ていると「極上のフルーツソルベ」は
母との思い出がある「ポアールのフルーツソルベ」でした。(驚)


2010年8月4日に行った時の「ポアール 帝塚山本店」

1階はショーウインドーが並んだ店内で
2階は飲食できるようになっています。

この時も店内が改装され、母と一緒によく行っていた懐かしいお店とは違ってました。が、いまは建物全体がかわっています。

ポアールのホームページはこちら フルーツソルベお取り寄せはこちら
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京都御苑・仙洞御所参観 ⑤「お冷し→柿本社→又新亭」完

2021年07月07日 | 回想日記
天皇陛下がお住まいの赤坂御所(東京都港区)で、6日午後に新型コロナウイルスのワクチン接種を受けられたと、宮内庁から発表がありました。


仙洞御所参観④「南池を一望する醒花亭」のつづきです。
お冷し  2016年4月11日 月曜日 

お冷しは、冬に池から切り出した天然水を保存し夏に備えた氷室です。

奥行:7m余り、幅:4m弱、深さ:約4mほどの大きさで
二段に掘り下げて周囲を石垣で補強しています。

柿本社(かきのもとやしろ)

桜の馬場を北に進むと、西側に簡素な社祠が南向きに建っていてます。
万葉の歌人・柿本人麿呂(かきのもとのひとまろ)が祀られていました。

又新亭(ゆうしんてい

南池を右手に見ながら北に進むと、茶亭「又新亭」があります。

又新亭は1887年(明治18年)に近衛家から献上された茶亭です。
もとはここに、霊元上皇が宝永六年(1709)に修学院離宮上の御茶屋から移築され、冬の景で仙洞十景に選ばれた茶室「止々斎(ししさい)」が建っていました。


写真下部分の左に、小さな石が置かれているのが見えます。
この石は、四つ目垣で囲むことで結界を設けているそうです。

外腰掛

外腰掛は、結界の左を上がったところにあります。

外腰掛は、片庇(かたびさし)の柿葺の屋根に袖壁をつけ
写真右の袖壁には竹格子のはまった下地窓、左側は吹き抜きです。

下地窓のある方が上座で、正客用の踏石が置かれているのに対し
吹き抜きの袖壁に接する下座は竹張りの腰掛けとされています。

又新亭の中門

又新亭の中門は萱門(かやもん)、利休杉といわれる構えで柱間いっぱいに開閉する扉で、お茶事用の小さな中潜のついた凝ったつくりです。
庭はこの門を境にして内側を内路地、外側を外路地に見立てています。


急な傾斜の茅葺屋根をかけた入母屋造りの茶室は、近衛忠煕と親交の篤かった「裏千家・十一世玄々斎精中」が江戸末期に創建したものといわれ、現在の裏千家にある茶室・又隱(ゆういん)によく似ているそうです。


ここは大宮御所から潜り門(写真右側)を抜けて、最初に北池を望んだ場所の右手にあった建物が、この四つ目垣に囲まれた「又新亭」でした。


ここで、仙洞御所の庭園(北池・南池)をほぼ一周したことになります。
大宮御所への潜り門をくぐって「仙洞御所 参観」を終わります。
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京都御苑・仙洞御所参観④「南池を一望する醒花亭」2016年4月

2021年07月06日 | 回想日記
仙洞御所参観③「南池・藤棚のある八つ橋と一升石の洲浜」のつづき
藤棚の八つ橋から中島を後にして・・・2016年4月11日 月曜日


中島を振り返ると小舟がありました・・・


洲浜(一升石)の先に茶亭「醒花亭(せいかてい)」が見えます。


南池の最南端から、藤棚の八つ橋・中島・土橋が一望できます。

醒花亭(せいかてい)

庭園の最も南にある数寄屋造りの「醒花亭」です。

北面に面した南池を一望できるように位置し 、柿葺(こけらぶき)の屋根が美しい正面の玄関には廂(ひさし)を付けだし、腰高障子が入っています。


醒花亭東側の書院

醒花亭の「醒花」は、李白の詩から採られたもので鴨居の上に拓本の額として掲げられています。額の字は中国の明の時代の「郭 子章(かく ししょう)」の筆。


正面右半分に、玄関の土間をがついてます。


手水鉢と灯籠


灯籠から見る「醒花亭」

内部 は襖で仕切られ、天井は1つで繋がっています。


桜の馬場と呼ばれる「醒花亭の桜」

洲浜に沿って直線に広がる「桜の馬場」と呼ばれる広い道で、延享四年(1747)に桜町上皇が歌人の冷泉為村に選ばせた仙洞十景の一つに挙げられています。


醒花亭の西側に井戸があります。


醒花亭は、ここまです。

仙洞御所参観⑤ 「お冷し→柿本社→又新亭」へ続きます。
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京都御苑・仙洞御所参観③「南池・藤棚のある八つ橋と一升石の洲浜」

2021年07月05日 | 回想日記
エンゼルスの大谷翔平選手の活躍を、毎朝のテレビ放送で楽しんでいますが
今朝、松井秀喜選手が記録した日本人の1シーズン最多本塁打の31号に、大谷選手が並びエンゼルスは逆転サヨナラ勝ちで4連勝の活躍でした。

そして、大谷選手の打順で「申告敬遠」がありました。
初めて見た「申告敬遠」は、2018年から敬遠(故意四球)の際に申告すれば、投球しなくてもいい野球のルール規定に採用されているそうです。


京都御苑・仙洞御所参観②「大宮御所から北池へ」のつづき・・・
北池の紅葉橋を渡ると南池です。 2016年4月11日 月曜日

八つ橋

仙洞御所 一番人気の藤棚が美しい「八つ橋」

洲浜

州浜には「一升石」が敷き詰められています。

一升石は、小田原藩主が領内の海岸の石を集めて献上されれたもので
直系約10センチほどの、平たくてきれいな円形・小判形をしています。


石一つにつき、米一升を与えて集めさせた石でした。

姫路城の石垣を集めるのは大変だったと書いたこともあります。
大きさ・色・形の石を揃えた石を、これだけ集めるのは(約11万個以上)
大変だったと想像はできますが、それほど必要な石だったのですね。


八つ橋が現在のような石橋に作り替えられ、藤棚がしつらえたのは
明治二十八年(1895)の頃です。


藤棚の高さが、入口と出口(写真左)で違っています。
入口が「下り藤」で、一段低くなっている出口が「上り藤」です。


これは「上り藤」ですが、私には「下り藤」との違いが分かりません。
花が咲いたら分かるのでしょうか?


八つ橋を渡った中島に見える石灯篭は、水戸家から献上されました。

藤の季節に行きたいと思っても、なかなか行けないですね。(^^ゞ
京都御苑・仙洞御所参観④「南池・南池を一望する醒花亭」へ続きます。
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京都御苑・仙洞御所参観②「大宮御所から仙洞御所の北池」2016年4月

2021年07月04日 | 回想日記

数日つづいた雨で、昨日の湿度は超不快な84%で体感温度30度 (*_*)
でも寝るまでに湿度調整していたので、朝までぐっすり眠れました。


京都御苑・仙洞御所 参観 ①「大宮御所」のつづき・・・
仙洞御所へ  2016年4月11日 月曜日 

大宮御所から、仙洞御所の庭園へと続く潜り門をくぐると・・・

仙洞御所の北池

目の前に北池が広がっています。

北池はもともと大宮御所の庭園だったが、延享(えんきょう)四年(1747)に大宮御所の北池と仙洞御所の南池が堀割で結ばれ、池と庭園が一つになったそうです。

阿古瀬淵(あこせがぶち)に架かる石橋「六枚橋」

六枚橋は、長さ1m90cm・幅約1mの切石6枚を3枚ずつ二列に並べて、つなぎ目部分に短い橋脚を建て、やや反りをもたせてあります。

阿古瀬淵(あこせがぶち)

名前の由来は、平安時代の歌人の紀貫之の邸宅がこの近くにあったとされることから、貫之の童名「阿古久曾(あこくそ)」などと色々ありますが、女御所の造営前から伝わる名称のようです。


お手入れの届いたお庭・・・
もう少し立ち止まっていたい気分です。


あっ! 池の向こうに見える白壁の左に見えるのは
北池へ入る時の潜り門で、初めて北池を見た所です。

北池 八つ橋

中島から八つ橋を通って東岸へ渡ります。

橋は、長さ約5m、幅・厚さとも50cm余りもある切石を二本ずつ稲妻型に並べてあり、太い石の橋脚二本で支えたどっしりとしたつくりです。

池に架かる他の橋とは趣が違い、もとは欄干のついた土橋が架かっていたが、大正三年(1914)に三条白川橋の石材を用いて架け替えたものです。


紅葉橋から南池の藤棚のある八つ橋が見えてます。

仙洞御所で一番人気の藤棚ですが
この日は藤の季節にはまだ少し早いです。

紅葉橋

藤棚の下から見える「中島への紅葉橋」

紅葉橋は、大正三年に現在のような土橋に架け替えられました。
春は新緑の楓、秋は深紅に紅葉した楓が土橋を彩ります。


そして、雄滝(おたき)も見えています。

落差約2メートル30センチの小さな滝で、最上流には山神社が祀られ、滝口のすぐ南の池畔に三畳敷きほどの平らな円形の草紙洗いの石があるのですが、コースではなかったので遠くから雄滝を見るだけでした。

仙洞御所参観③「南池・藤棚のある八つ橋と一升石の洲浜」へ続きます。
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京都御苑・仙洞御所 参観 ①「大宮御所」 2016年4月11日

2021年07月03日 | 回想日記
自衛隊が東京と大阪で運営する新型コロナウイルスワクチンの大規模接種センターを、当初の設置期限である8月下旬で本格運用を終える方向です。

松山英樹プロが新型コロナウイルスの検査で陽性と判定され、米国男子「ロケットモーゲージ・クラシック」 大会2日目のスタート前に棄権しました。


仙洞(せんとう)御所 参観  2016年4月11日 月曜日

2015年に、京都迎賓館・桂離宮を参観してきた友人たちと一緒に
「仙洞御所 参観」してきました。 (^^♪


仙洞御所は、京都御所の東南の白い築地堀に囲まれた
広さ約9万1600平方メートルの敷地に仙洞御所と大宮御所があります。

大宮御所表門

如意岳の大文字を借景に建つ「大宮御所表門」です。

仙洞御所参観は、この大宮御所表門が参観者出入口になっています。
脇門をもつ重厚な棟門形式で、入口では警察の方が待機されています。


表門を入ると、玉砂利の敷き詰められた広場の先に「向唐破風屋根」が
美しい「大宮御所常御殿(つねごてん)の車寄せ」が見えました。

現存する大宮御所は、嘉永七年(1854)に焼失した後、慶応三年(1867)に英照皇太后(孝明天皇皇后)の御所として、新たに造営されたもので、約100m四方の敷地に常御殿・車寄・御文庫・庭園があります。


唐破風(からはふ)屋根の背後に、銅板の切妻屋根が二重に雁行し
優美な曲線を描いた「大宮御所」は、東福門院として造営されました。


大政奉還に伴って、明治五年(1872)に皇太后が東京に移られ、大宮御所は女院御所としての役割を終えましたが、大正時代に内部を洋風に改装され現在も天皇皇后両陛下や皇太子同妃殿下が来られた際に使用されています。

大宮御所御常御殿の南庭

車寄の道を塀沿いに進むと小門があり、常御殿の南庭に出ます。
常御殿には「松竹梅の庭」と呼ばれる南庭があり
庭に降りる階段の左右に、白梅・紅梅が植えられていました。


南庭中央の少し奥まったところに、大きな松の木が植えられ


築地塀寄りに「呉竹」の植え込みがありました。
内庭には遺水(やりみず)を引き、繊細さが感じられるお庭です。


内庭の東側から南に向かって築地塀が長く伸びていたところに
仙洞御所の庭園へと続く潜り門があり、北池へ向かいます。
※築地塀=場所を区画するための土塀で、塀の上に屋根がついている。

京都御苑・仙洞御所 参観 ②「仙洞御所の北池」へ続きます。
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