kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

ブラタモリ「大阪・梅田〜カオスな梅田はどう生まれた?〜」

2023年06月09日 | ブラタモリ
「ブラタモリ」ご覧になってますか! 
先週は「種子島~種子島は地球のチカラを感じる島」でしたね。

今週は「大阪・梅田〜カオスな梅田はどう生まれた?〜」

6月10日(土)NHK 7:30PM~8:15PM の放送は
「ブラタモリ#237」で、訪れたのは大阪・梅田です。

タモリさんがブラブラ歩いて、迷路脱出大作戦!
 「カオスな梅田はどう生まれた?」を探る
 駅が7つも密集!梅田駅?
 JR大阪駅は凸凹カオス!?
 地盤沈下の原因を探るため地下20mの工事現場
 ご神体が語る梅田の真実などに「歯」神社

大阪で生まれて育った私ですが・・・
大阪駅を中心に複雑に広がり続けているので
たまに行くと浦島太郎気分になっています。

大阪に来られた事がある方や、ブラタモリにご興味のある方は
ぜひご覧になってください。(^^♪
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埼玉・長瀞渓谷「緑の大理石 蛇紋岩(じゃもんがん)」 完

2021年05月15日 | ブラタモリ
政府は、北海道、岡山、広島の3道県を対象に、今月16日から31日までの期間、緊急事態宣言を出すことを決定しました。「まん延防止等重点措置」は、群馬、石川、熊本の3県にも適用し、期間は今月16日から来月13日まで。

「緊急事態宣言」  9都道府県
東京、大阪、兵庫、京都、愛知、福岡、北海道、岡山、広島。

「まん延防止等重点措置」 10県
埼玉、千葉、神奈川、愛媛、岐阜、三重、沖縄、群馬、石川、熊本。


東京のビル群は「武甲山の花崗岩から・・・」のつつづきです。
そしてブラタモリ「埼玉・長瀞渓谷」の記録は、今日で終わります。


荒川橋梁の橋桁は、渋沢栄一氏で知られる「深谷のレンガ」です。

秩父鉄道(当時は前身である上武鉄道)は、明治44年(1911年)の時点では荒川左岸から向かうコースが計画されていましたが、鉄道に難しい難所があり荒川右岸へ渡るコースに変更され、向こう岸に渡すために出来たのが「荒川橋梁」でした。

「蛇紋岩(じゃもんがん)」

鉄道に立ちはだかったのは
緑の大理石と言われている「蛇紋岩」でした。

風化した蛇紋岩は、鉄道を通していると崩れるので
蛇紋岩がある所は鉄道に適していないのです。


地球深くにあるマントルを構成する
カンラン岩が水と反応してできる岩石です。


滑らかで濃い緑色で光沢があり
ヘビの皮に似ている、きれいな模様をしています。

名前の由来は
岩肌が蛇の皮のように見えることから名づけられました。


蛇紋岩は、国会議事堂の正面玄関に使われていました。

白い石:茨城県「茨城白」
緑の石:埼玉県「貴蛇紋」 白い脈の入ったものは蛇灰岩(じゃかいがん)。
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埼玉県 ・東京のビル群は「武甲山の花崗岩から・・・」

2021年05月14日 | ブラタモリ
⑤「長瀞にはレトロなSLが良く似合ます (^^♪」のつづきです。
なぜ海から離れた山奥にサンゴから出来た石灰岩と、活火山の無い埼玉県に玄武岩があるのか・・・タモリさんたちは、武甲山のふもとへ向かいます。

武甲山(ぶこうさん・ぶこうざん)

武甲山は、秩父市と横瀬町の境界に位置する山です。

秩父盆地の南側にあり、標高は1,304メートル。
日本二百名山の一つに数えられています。

武甲山のむき出しになった岩肌

高さ65mもある自然の崖は、もともとサンゴ礁でした。


それは海の真ん中で出来た「火山体」からでした。


海底火山が起こったのは
2億3000万年前の陸から5000km以上も離れた「海底火山」でした。



海底火山がおさまると、頂上付近にサンゴ礁が・・・
年月を重ねていくとサンゴは「石灰岩」へと変わっていきます。


そして、プレートと一緒に大陸へ移動しました。


火山が大陸にぶつかると
砕けて、その一部が陸地の中にのめりこみます。


陸地に潜り込んだ火山がプレートに押し上げられ


上の方は風化浸食作用があり
周りが浸食されると岩体が現れて、こんな形になったのです。


プレートで押し上げられたサンゴとマグマ
秩父では何億年をかけて、火山の無い所に移動してきた二重構造です。
いまタモリさん達がいるところは、石灰岩と玄武岩の境目でした。

ハワイ島が日本に近づいていると聞いたことがありますが
このような事が起こるからだったのです。理解できました!


東京のビル群・・・は


すべて、ここの石灰岩(元サンゴ)が


コンクリートになって、東京の近代建築が実現しているのです。

渋沢栄一氏は、セメントを生み出す石灰岩の価値にいち早く注目して、レンガの時代はもうすぐ終わり、セメントの時代だと思い鉄道の資金繰りをしたのでした。

名前の由来
武甲山は、日本武尊「 ヤマトタケル」が東国遠征の際に自らの甲(カブト)を当山石室に奉納した事がその名が由来とされ後に蔵王権現社が祭られ当社が成立したと伝えられています 。


石灰岩の採掘が進み、武甲山の山容は変わりましたが
いまも昔も変わることない秩父盆地のシンボルです。
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埼玉・長瀞渓谷⑤「長瀞にはレトロなSLが良く似合います (^^♪」

2021年05月12日 | ブラタモリ
新型コロナウイルスの感染者が爆発的に増え続ける大阪府。累計死亡者が1700人を超えました。 今、入院もできず自宅やホテルで苦しむ重症者が多くなり、5月上旬の7日間の大阪府の死者数は人口100万人あたり22.6人になっています。
その数はインドの同16.5人を上回っているそうです・・・。((+_+))


今日は④「地球の窓と呼ばれる 岩畳」のつづきです。

長瀞から見えるレトロなSLが走る景色

長瀞の和舟に乗って見えているのはSLです。


SLに出会うと嬉しいですね~
私も、手を振りたくなります。(^^ゞ


次は、このSLのある熊谷へ向かいます。


「パレオエクスプレス」は1988年より
熊谷〜 三峰口間で運行しているそうです。


363=C58形のなかで363番目に作られた機関車は
1944年02月に製造された「C58型 363号機」です。


「女子(ジョシ)! 男子(ダンシ)! 女子(ジョシ)! 男子(ダンシ)!」
タモリさんの鉄板ネタが飛び出しご機嫌です・・・(^^ゞ


あっ! タモリさんがSLの運転室へ・・・
汽笛を鳴らして出発進行の合図をしました。


体験出来てご満悦のタモリさんです。


上武鉄道の開業当時は資金難で、資金繰りをしたのは「渋沢栄一氏」でした。
※ 上武鉄道は大正5(1916)年に、現在の秩父鉄道株式会社に改称
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埼玉の景勝地・長瀞渓谷④「地球の窓と呼ばれる 岩畳」

2021年05月11日 | ブラタモリ
大阪・茨木市のことですが、10日の新型コロナウイルスワクチンの集団接種の窓口予約を中止する発表がありました。
市では徹夜で並ぼうとする高齢者の健康面を考慮したといってますが、前日昼から並ぶ人に整理券を先に配布していたので、10日に訪れた市民は納得できずに抗議。 市長が早朝に呼び出され、警察官も駆け付ける騒ぎになったそうです。


今日は③「片岩が生んだ絶景の 長瀞ラインくだり」のつづきです。

ここは名勝で多くの人が訪れるそうです。

埼玉に行きたいですが、私の所からは遠いので
ブラタモリで楽しませて頂いてます。(^^ゞ


この薄い層のような構造を「片理(へんり)」と言います。

片理
変成岩において、針状や柱状、板状の鉱物が、特定の方向に配列する構造をいいます。薄い平らな面が積み重なった構造で層状に沿って剥がれやすい。


岩畳に向かっていると・・・


階段のようになっています。

岩畳

岩畳は、このような節理の層になっています。

節理(せつり)
マグマ等が冷却固結する際や地殻変動の際に生じ
圧力がなくなり岩が膨張して、碁盤目状の割れ目が縦方向に出来ます。
(割れ目の両側にずれが見られる場合は断層になる。)


岩畳が出来るのは・・・


川が流れると、片理に沿って剥がれていきます。


そして長瀞と


岩畳が出来るのです。


海底を構成していた玄武岩質火山噴出物や
その上に積もった泥や砂などが、 地球深くに潜り込みます。


大陸の重みとプレートの動きの強い圧力に
地下の熱が加わり押しつぶされ変化が起きます。


岩畳は天然記念物で、天然物の上を歩けるところでした。

地球の窓と言われるのは
7000年前に起こった岩石が地表に出て覗けることから「地球の窓」。

剥がれやすい片理と節理で、岩畳の景色が生まれたのですが
地下20kmで起こったことが、なぜ地上に出てきたのかは・・・
日本の地質学の最大の謎だそうです。 が、そこが知りたいです。
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埼玉の景勝地・長瀞渓谷③「片岩が生んだ絶景の 長瀞ラインくだり」

2021年05月10日 | ブラタモリ
長瀞渓谷②「虎の毛皮のような紋様の 虎岩」のつづきです。
今日は天下の名勝 長瀞の渓谷美を、昔ながらの和舟で川下りします。

長瀞(ながとろ)ラインくだり

奥秩父山地を源流とし
秩父盆地を通り最後は東京湾に注ぐ荒川です。

秩父鉄道の荒川橋梁(きょうりょう)」

写真スポットにもなっている
大正3年に完成した秩父鉄道の路線の中で最も長い橋で
花崗岩とレンガ積みによって作られています。


荒川左岸が蛇紋岩の軟弱地盤だったため
荒川橋梁をかけて、荒川右岸に渡り秩父方面へと接続し
一部補強していますが、当時のままで現役です。


巨岩が増えてきました。


嬉しそうな顔のタモリさんです。


緩やかな流れ(瀞)が長く続くことから「長瀞」と呼ばれてきました。


ですが、ここからは荒川の急流「小滝の瀬」に入っていきます!


岩と岩の狭い間をスリリングに・・・


タモリさんは「片岩だ!」と、大はしゃぎです。


岩の上に人の姿が・・・
ここから畳岩が近いようです。


ここで舟をおりて「地球の窓」といわれる岩畳へ向かいます。

「畳のように見える岩」何となく想像できますが
タモリさんがいると、色んなお話が聞けそうなので楽しみですね。
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埼玉の景勝地・長瀞渓谷②「虎の毛皮のような紋様の 虎岩」

2021年05月09日 | ブラタモリ
埼玉の景勝地・長瀞渓谷「紅簾石片岩と大きなポットホール 」のつづきです。
外出は控えていますが、タモリさんとご一緒している気分で楽しんでいます。


虎岩(とらいわ)

紅簾石片岩の大きなポットホールを見た後「虎岩」へ向かいました。
虎岩は、どこから見ても虎には見えませんが・・・


岩の表面が、虎の毛皮のような「しま模様」になっています。

名前の由来は
岩の形からではなく、虎の毛皮のようだからつけられたのでした。

結晶片岩(スティルプノメレン片岩)
表面の紋様が虎の毛皮のようになっているのは、幅15mほどの結晶片岩(スティルプノメレン片岩)で、茶褐色の鉱物・スチルプノメレンや白色の石英、方解石、エメラルド色の長石、からなる模様は、地中深くでできた褶曲(しゅうきょく)でした。

褶曲(しゅうきょく)

褶曲とは、水平な地層が地殻変動による強い圧力で波をうったように曲がることで、スティルプノメレンという鉱物が入った「スティルプノメレン片岩」のことでした。

『粋なもやう〈模様〉の博多帯』 宮沢賢治

宮沢賢治は盛岡高等農林学校の実習で、1916年(大正5年)に長瀞を訪れた際、虎岩を次のように歌っています。

スティルプノメレン片岩を、博多帯に例えて・・・
『粋なもやうの博多帯』 荒川ぎしの片岩のいろ

※ 埼玉の鉱物はスティルプノメレン・埼玉の石は片岩でした。
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埼玉の景勝地・長瀞渓谷 「紅簾石片岩と大きなポットホール 」

2021年05月08日 | ブラタモリ
いま大阪は「緊急事態宣言」で外出は控えていますが、2017年8月19日の再放送「ブラタモリ 埼玉SP 長瀞」を見ていると行きたくなる所でした。

長瀞渓谷(ながとろ けいこく)

埼玉県荒川上流部の渓谷は「長瀞ラインくだり」で知られる、日本地学の発祥の地です。 全長約6kmの岩畳など岩石の間を、緩やかな流れ(瀞)が長く続くことから「長瀞」と呼ばれてきました。
1924年(大正13年)12月9日、国の名勝及び天然記念物に指定。

荒川橋梁

大正3年に完成した秩父鉄道の路線の中で最も長い橋で、花崗岩とレンガ積みによって作られています。 荒川左岸が蛇紋岩の軟弱地盤だったため荒川橋梁をかけて、荒川右岸に渡り秩父方面へと接続し一部補強して現在も使われています。

紅簾石片岩(こうれんせきへんがん)

荒川を横切る親鼻橋の上流右岸の大きな岩は
産出の稀な紅簾石片岩の露頭です。


片岩:地下深くでつくられた岩で、層のような構造が特徴です。


ピンク色なのは、マンガンを多く含んでいるためでした。

紅簾石片岩のポットホール

荒川橋梁(きょうりょう)が見える、紅簾石片岩の上に上がると


直径約2m40cm・深さ約1m40cm の大きなポットホールがみえます。

ポットホールは
荒川の急流が屈曲部で渦をつくり、岩石の河床の凹部に閉じ込められた礫や小石が河床をすり鉢状に削り取ったものです。

長瀞は、日本地質学の父ナウマンをはじめ多くの地質 学者が巡検したところで「岩畳・虎岩」の他に「サンゴからできた 武甲山」のことも知りましたが、長くなりますので後日に更新します。

そして埼玉県北部地域には、近代日本経済の父・渋沢栄一氏が残した
足跡が多く残されていました。
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ブラタモリで見た法隆寺「中門は、パルテノン宮殿にもある エンタシスの形状」

2020年04月16日 | ブラタモリ
ブラタモリを見ていると、法隆寺には行って見てきた筈なのに
知らないことがいっぱいで、タモリさんの博識には尊敬しています・・・(^^ゞ

中門

2016年6月に行った時は、中門にシートが被され修理中でしたが
シートが取られ中門がよく見えます。


修理中の時は「中門の左手」から西院伽藍に入りましたが
あの時と同じ入口なので、現在も入り口として使われていないようです。


ブラタモリで、昨日はもう一つの法隆寺「1400年の若草伽藍」を知りましたが


今日は、西院伽藍の中から「中門の桧柱」を見ます。


パルテノン宮殿の柱は
エンタシスと呼ばれ、上に行くほど細くなる形状が特徴です。


パルテノン宮殿の柱と、 法隆寺の中門の桧柱には・・・


美観だけでなく、柱は下から3分の1に力がかかるための合理的な設計があり
飛鳥時代創建の法隆寺の柱に、エンタシスがなされていたのには驚きですが
中門の柱は、上部だけでなく下部も細くなっています。


そして、後世の人は「埋め木」で補修をしながら
法隆寺の柱を守ってきました。


タモリさんと、浅野アナウンサーが柱に手をあて
1300年前の桧柱の感触を感じています。


法隆寺には、私の知らないことが沢山ありました。(^^ゞ

※2016年の法隆寺もありますが、ブラタモリで知った事だけ取り上げています。
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ブラタモリで見た二つの法隆寺「聖徳太子がつくった1400年の若草伽藍!」

2020年04月15日 | ブラタモリ
下書きのタイトル名で投稿のため、タイトル名を変更しました。
ブラタモリで見た法隆寺に「聖徳太子が初めてつくった法隆寺がありました!」
→ブラタモリで見た二つの法隆寺「聖徳太子がつくった1400年の若草伽藍!」


2018年4月から林田理沙アナウンサー(5代目)でしたが
今月から、浅野里香(あさの りか)アナウンサー(6代目)になりました。


法隆寺と言えば創建された「聖徳太子」ですが

仏法興隆

聖徳太子は、仏教で国を治めるために「仏」の起点としたのが法隆寺でした。来年の2021年は、聖徳太子没後1400年の節目を迎えます。


中門の手前を右に曲がって、東大門の前に来ました。


右に見える門に入るようですが


普段は門が閉じられ、中に入れない所です。


中にはいると、先に大きな石が見えます。


その大きな石は「塔心礎」でした。


青色の範囲が塔で、右に金堂が建っていた規模だと考えられ


当時を再現すると、こんな感じだと想像されます。

聖徳太子が最初に建てたと思われる法隆寺は
創建から63年後の670年に悲劇がありました。


2004年の発掘操作から分かった悲劇とは・・・
発掘された中に激しく焼けている瓦などから
大規模な火災から消滅したと、明らかになりました。

最初の法隆寺の瓦・壁画の破片の一部から赤い色や白い色があることから
創建の法隆寺にも、金堂に絵が描いてあったことが分かりました。

若草伽藍(法隆寺の創建当時のものとされる伽藍。)

日本書紀に天智天皇9年(670)法隆寺焼失の記事があり、昭和14年(1939)現在の西院伽藍南東部から四天王寺式配置の伽藍跡が発掘されました。


法隆寺境内の地図から、聖徳太子の建てた法隆寺の位置が分かります。


法隆寺1400年の歴史は、聖徳大使の建てた法隆寺と
再建された1300年の法隆寺は、現存する世界最古の木造建築でした。

法隆寺には行きましたが、今朝からブラタモリ「法隆寺」を見ていて
まだ知らなかったことがいっぱいありましたので、明日へと続きます。(^^ゞ
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