宮内庁は30日、「上皇ご夫妻が6月11~13日の日程で京都市を訪れ、孝明天皇陵と明治天皇陵にそれぞれ退位の報告をすると発表した。」の記事がありました。
その記事はこちらでご覧ください。
上皇さまの退位後、お二人が訪れる「明治天皇 伏見桃山陵」へは
高槻市立しろあと歴史館のボランティア活動をしている人たちと
一緒に行ったことがありましたので、その時の記事を再投稿します。
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「明治天皇 伏見桃山陵(めいじてんのう ふしみのももやまのみささぎ)」
(2011年11月17日投稿)
「乃木大将」などの呼称で呼ばれる、乃木 希典(のぎ まれすけ)をお祀りしている「乃木神社 (のぎじんじゃ)」から、明治天皇 伏見桃山陵に向かいました。
少し登り坂になった道が、ズーッと続いています。
道の右側に石が並べて置いてあるので、近くで見ると高槻城の石垣で見た矢穴があり 『 伏見城石垣に使用されていたと思われる石材 宮内庁 』と書かれていました。
第122代 明治天皇 伏見桃山陵
明治天皇は、明治45年7月30日に、61歳(数え年)で崩御されました。
大正元年9月13日、東京青山(現在の神宮外苑のある場所)において
御大葬が行われ、翌14日京都南郊の伏見桃山陵にお鎮まりになられました。
敷地は豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地で、京都に墓所が営まれたのは
明治天皇の遺言によるものだといわれています。 (宮内庁の管理地)
上円下方式で墳丘に “さざれ石” が葺かれ、東方向に昭憲皇太后の
伏見桃山東陵 (ふしみももやまのひがしのみささぎ) があります。
明治天皇陵の正面からは宇治市が見えています。
※宇治市を眺めていると、ボランティアの方だと思いますが・・・
階段の数などについて、ご親切に下記の説明をして下さいました。
画像下部分に階段が見えますが、これは1890年(明治23年)10月30日に
明治天皇の名で発表された「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」の日にちなみ
23段(明治23年)の階段が、10(10月)あって合計230段あるそうです。
お話を聞かなければ、ただ長い階段だけでしたが・・・
教えて頂いて、意味のある230段の階段だと知りました。
明治天皇陵へ来て、お話を聞くことが出来て良かったです。
『 明治天皇陵 昭憲皇太后陵 桃山陵墓監区事務所 』
私たちは乃木神社から横道を通って入ってきましたが、ここが入口でした。
行ったのは8年前ですが、ブログを見ていると鮮明に思い出されます。
その記事はこちらでご覧ください。
上皇さまの退位後、お二人が訪れる「明治天皇 伏見桃山陵」へは
高槻市立しろあと歴史館のボランティア活動をしている人たちと
一緒に行ったことがありましたので、その時の記事を再投稿します。
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「明治天皇 伏見桃山陵(めいじてんのう ふしみのももやまのみささぎ)」
(2011年11月17日投稿)
「乃木大将」などの呼称で呼ばれる、乃木 希典(のぎ まれすけ)をお祀りしている「乃木神社 (のぎじんじゃ)」から、明治天皇 伏見桃山陵に向かいました。
少し登り坂になった道が、ズーッと続いています。
道の右側に石が並べて置いてあるので、近くで見ると高槻城の石垣で見た矢穴があり 『 伏見城石垣に使用されていたと思われる石材 宮内庁 』と書かれていました。
第122代 明治天皇 伏見桃山陵
明治天皇は、明治45年7月30日に、61歳(数え年)で崩御されました。
大正元年9月13日、東京青山(現在の神宮外苑のある場所)において
御大葬が行われ、翌14日京都南郊の伏見桃山陵にお鎮まりになられました。
敷地は豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地で、京都に墓所が営まれたのは
明治天皇の遺言によるものだといわれています。 (宮内庁の管理地)
上円下方式で墳丘に “さざれ石” が葺かれ、東方向に昭憲皇太后の
伏見桃山東陵 (ふしみももやまのひがしのみささぎ) があります。
明治天皇陵の正面からは宇治市が見えています。
※宇治市を眺めていると、ボランティアの方だと思いますが・・・
階段の数などについて、ご親切に下記の説明をして下さいました。
画像下部分に階段が見えますが、これは1890年(明治23年)10月30日に
明治天皇の名で発表された「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」の日にちなみ
23段(明治23年)の階段が、10(10月)あって合計230段あるそうです。
お話を聞かなければ、ただ長い階段だけでしたが・・・
教えて頂いて、意味のある230段の階段だと知りました。
明治天皇陵へ来て、お話を聞くことが出来て良かったです。
『 明治天皇陵 昭憲皇太后陵 桃山陵墓監区事務所 』
私たちは乃木神社から横道を通って入ってきましたが、ここが入口でした。
行ったのは8年前ですが、ブログを見ていると鮮明に思い出されます。