kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

新高(にいたか)梨

2022年11月28日 | 食楽
「攻撃は最大の防御なり」だと思いますが攻撃しないで・・・
カタールW杯 1次リーグE組 27日の結果は残念でした。
日本0ー1コスタリカ で負け、悲鳴の日本でした。"(-""-)"
気になる スペイン1―1ドイツ は引き分けでした。

次回は
日本時間12月2日(金)午前4時 スペインとの最終戦。
日本はスペインに勝てば突破決定。負けると敗退。
引き分けた場合は、ドイツ-コスタリカ戦の結果次第。

●ドイツとコスタリカが引き分けた場合は
 勝点 スペイン5、日本とコスタリカが4で並び
 得失点差は日本が0、コスタリカがマイナス6で
 日本が2位で突破します。

●ドイツがコスタリカに敗れた場合
 勝点 コスタリカ6、スペイン5、日本4、ドイツ1で
 日本は3位で敗退します。


梨の王様 新高(にいたか)梨

新高は、Yファミリーから以前に貰っていた梨です。

新高は
「幸水や豊水」に次いで生産量の多い赤梨です。平均サイズは450~500gと大きいのが特徴で、大きく育ったものは1kgほどになることもあります。甘味があって酸味は少なめ。肉質はやわらかめで多汁です。

 1927年(昭和2年)に命名された歴史の古い品種で、菊池秋雄氏によって育成されました。命名は両親である、新潟県の梨「天の川」と、高知県の梨「今村秋」の地名を1文字ずつ取って「新高」と名付けられました。

 しかし近年の遺伝子解析により、片方の親が「今村秋」ではなく「長十郎」の調査結果が出たことで注目を浴びました。
もし早く分かっていたら、違う名前になっていたかも・・・。
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京都・白砂壇(びゃくさだん)で知られる「法然院」

2022年11月27日 | 京都

今日は、数日遅れで月命日のお墓参りしてきました。
(写真追加しました。)

蹴上インクライン→ねじりまんぽ→南禅寺→水路閣→くろ谷 金戎光明寺(アフロ大仏)→真如堂のつづきです。

真如堂  11月18日(水)

敷居がない「赤門」から・・・
 

白砂壇で知られる「法然院」へ向かっています。


私は真如堂の楼門から、法然院を目指して歩いていますが
この道からも真如堂へ行けるようです。

哲学の道

法然院は、友人が2013年の4月に初めて案内してくれました。

その時に、哲学の道から横道に入ったのを憶えていたので
哲学の道を目指して歩いてきました。


少し行くと・・・法然院がありました。


法然院は、法然上人が弟子の住連と安楽と共に六時礼讃を唱えて
「念仏三昧の別行」を修められた草庵の旧跡です。


石畳を歩いていきます。


そして見えたのが

茅葺で数奇屋造りの山門

前に来た時も・・・侘び寂びを感じました。

山門から見える「白砂壇」

白い盛り砂でできた白砂壇が縦に2列並んでいます。

水を表す砂壇の間を通ることは
心身を清めて浄域に入ることを意味するそうです。


落ち葉が、白砂壇に舞い落ちています。


盛砂の模様は、季節によって描きかえられます。


4月に来た時は、水と菩提樹の葉でした。


「白砂壇・詫び寂び」の法然院でした。

W杯カタール大会1次リーグE組第2戦が、今夜の午後7時(現地時間午後1時)から日本代表(世界ランキング24位)と、コスタリカ代表(同31位)と対戦します。

早めに食事を済ませ、応援したいと思っています。
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京都・真如堂の紅葉「シンボルの三重塔と敷居が無い赤門」 

2022年11月26日 | 京都
「侠客 會津小鉄が眠る紫雲石西雲院と會津藩墓地」のつづき
會津藩墓地から真如堂へいきます。 

2020年11月18日(水)

「會津藩墓地」を出て、真如堂へ行きますが
真如堂へは裏道を通る近道があります。


でも「會津藩墓地」を出ると、西側と北側の道があって
どちらか迷っていると、犬を連れた男性が「この道(北)の先が真如堂で、この方向にあります。」と指で方向を(写真は北の道)指して説明して下さり、とてもご親切に教えて頂きました。(^^♪


少し歩いていくと、正面にお堂らしき建物が見えています。
後で分かったのですが、真如堂の「本堂」南側でした。

鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)

真如堂です。
正式名は「鈴聲山真正極楽寺」といい、永観2年(984年)に戒算上人が開創した、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺です。

「極楽寺と名乗る寺は多いが、ここが正真正銘の極楽の霊地」という意味を込めて名づけられ、その本堂を表す「真如堂」が通称として定着しました。


目の前に、紅葉が広がっています!


見ごろだと思ってましたが・・・
真如堂まで来て良かったです。(^^♪

本堂 (重要文化財)

度々の戦火で焼失し
享保2年(1717年)に再建されたのが現在の本堂です。

本堂内部は自由に拝観できる外陣(げじん)があり
お線香をあげさせて頂きました。


本堂前の左側です・・・ 


真如堂は若い人にも人気のようですが
私は、この年で初めての真如堂でした。(^^ゞ

三重塔 (京都府指定文化財)

文化14年(1817年)に再建。


真如堂のシンボル的存在です。
多宝塔をまつった本瓦葺で高さは約30メートルあります。


お参りの人々をもてなす気持ちを込めた「花手水」


三重塔は、真如堂のシンボル的な建造物です。


三重塔の横に道があったのでチョッと歩いてきます。


三重塔が右横にあります。


紅葉の小路かな・・・


本堂にかけて紅葉のトンネルで


参道は真っ赤です。

総門

元禄8年(1695年)完成。

真如堂西側の神楽岡(吉田神社)の神々が
夜にお参りに来る際につまずかないように敷居がなく
「赤門」と呼ばれて親しまれています。

不要不急の外出自粛で、半年以上も控えていましたが
この後は「法然院の白砂壇」を見たいと思います。
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京都・金戒光明寺 ③「侠客 會津小鉄が眠る紫雲石西雲院と會津藩墓地」

2022年11月25日 | 京都
京都・金戒光明寺②「アフロ大仏 五劫思惟阿弥陀仏」のつづき

2020年11月18日(水)

会いたかった「アフロ大仏さま」とお別れして・・・


「會津藩墓地」へ向かいます。(會=会  會に統一します。)

紫雲石 西雲院

會津藩墓地へ向かっていると「紫雲石 西雲院」があります。

會津藩殖難者墓地をあずかる、西雲院開基の「宗厳(そうごん)」は、秀吉が朝鮮に出兵の時に連れ帰った一人でした。
宗厳はのちに出家して、元和2年にこの紫雲石を賜りました。


見難いですが「紫雲石 西雲院」と書いています。

「紫雲石」は
1175年(承安5)法然上人がこの地の石に腰を下ろし、日想観をしていると、紫雲がたなびいて、悟った上人は、この岡に庵を結んだのが金戒光明寺の始まりであり「紫雲石」といわれました。

西雲院には、歌にもある「侠客 會津小鉄」のお墓があります。
會津小鉄は本名「上阪(こうさか)仙吉といい、會津藩松平容保が京都守護職在職中は表の家業は口入れ屋として、裏では新選組の密偵として大活躍しました。


小鉄は、會津藩が鳥羽伏見の戦いで賊軍の汚名を着せられ、戦死者の遺体が鳥羽伏見の路上に放置されていたのを子分二百余名と、迫害も恐れず収容し近くの寺で荼毘に付し回向供養したといわれています。


以後も、小鉄は容保公の恩義に報いんが為に
黒谷會津墓地を西雲院住職とともに死守しました。


西雲院には、子分が書いた伝記「会津小鉄伝」が発見され
「近藤勇の首級奪取、会津へ運ばす」との記述がありました。
小鉄が清掃・整備の奉仕を続けたという逸話が残っています。

會津藩墓地

毎年6月の第2日曜日には、京都會津会主催で「會津松平家第十四代当主 松平保久(もりひさ)」氏もご列席で、會津藩殉難者追悼法要を勤められているそうです。
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京都・金戒光明寺 ②「会いたかった アフロ大仏さま」

2022年11月24日 | 京都
FIFAワールドカップ・カタール大会が開催されています。
グループEの日本代表は、初戦23日(水)にハリーファ国際スタジアムで優勝4回を誇るドイツ代表に後半戦でゴールを決めて2-1で逆転しました。
第2戦は、27日(日)にコスタリカ代表と対戦です。


金戎光明寺の高麗門~の続きです。 2020年11月18日(水)

御影堂の斜め前に茶店があります。


蹴上インクラインから、休憩なしで歩いてきたので
茶所で、水分を取って一息しました・・・


久しぶりの「みたらし団子」は美味しかったです。(^^♪


「アフロ大仏」と「会津藩墓地」へ行くのには
御影堂の前を右へ突き当りの「新清和殿」を右へ曲がります。
(左:清和殿 右:新清和殿)


新清和殿の前を右に曲がると階段があって
下りた先に見えたのは、蓮池と「アフロ大仏」さんの案内板。


案内板をみて「極楽橋」の前までいくと
極楽橋の正面に三重塔が見えます・・・

三重塔 重要文化財
文殊塔とも呼ばれ、高さは22m、1633年に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の菩薩を弔うために建立されたと言われています。


極楽橋を渡って階段を上がっていきます。

五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆい あみだぶつ)

階段を上がっていると
突然左に見えたのが「アフロ大仏」さまでした。

「アフロ大仏」と呼ばれているのは
通常の阿弥陀仏と違う頭髪(螺髪らほつ)が、かぶさるような非常に大きな髪型からです。


会いたかった「アフロ大仏」さまが
いま目の前に・・・(^^♪

「無量寿経」によると
阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと五劫の間ただひたすら思惟をこらし四十八願をたて、修行をされ阿弥陀仏となられたとあり、五劫思惟された時のお姿をあらわしたものでした。


五劫とは時の長さで一劫が五つということです。

一劫とは
「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。

そのような気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表したのが五劫思惟阿弥陀仏で、全国でも16体ほどしかみられないという珍しいお姿です。
落語の「寿限無寿限無、五劫のすり切れ」はここからきています。

金戎光明寺 HP:https://www.kurodani.jp/より
 金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏は、特にめずらしく石で彫刻された石仏で、江戸時代中頃の制作と思われます。



「黒谷 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」では

秋の特別公開中です。
 拝観期間:2022年11月12日(土)~12月04日(日)まで

特別夜間拝観もあります。
 拝観期間:2022年11月18日(金)~12月4日(日)
 拝観時間:17:30~20:30(最終入場 20:00)
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京都・分からないように城構えだった「金戒光明寺」

2022年11月23日 | 京都
南禅寺をでて、金戎光明寺へ向かいます。

2020年11月18日(水)

南禅寺を出て左側の細い道を行くと動物園の前に出ました。


京都市動物園の前を通り過ぎて・・・金戎光明寺へ

金戎光明寺

「黒谷金戒光明寺」は、新選組発祥の地でもあります。

新選組と會津藩の関係は、幕府が文久二年将軍上洛警備のために
浪士組を結成したことに始まります。

高麗門

徳川家康は幕府を盤石なものにする為に特に京都に力を注ぎました。

直轄地として二条城を作り所司代を置き、何かある時には軍隊が配置できるように黒谷と知恩院をそれと分からないように城構えにしました。

黒谷に大軍が一度に入ってこられないように南には小門しかなく
西側には立派な高麗門が城門のように建てられたそうです。


幕末の京都は暗殺や強奪が日常化し、手のつけようのない状態になっていました。文久二年(1862)に徳川幕府はついに新しい職制を作り京都の治安維持に当たらせることになりました。これが京都守護職です。


御所まで約2㎞、粟田口(三条大橋東)東海道の発着点までは1.5㎞のくだり、馬で走れば約5分、人でも急げば15分で到着できる要衝の地だったのです。


黒谷には大小五十二の宿坊があり、駐屯の為に大方丈及び宿坊二十五ヶ寺を寄宿のため明け渡したという文書が残されています。


浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り
草庵を結ばれたのが、浄土宗最初の寺院のはじまりです。


階段を上がった左に鐘楼があり


上がってきた階段から振り返ると「山門」が見えます。

ここからは、京都を見渡せることができるので
要衝の地になったのがわかりますね。


正面の御影堂には
宗祖法然上人75歳の御影(座像)を奉安されています。


可愛いお花がいっぱい・・・(^^♪


ここにも


西墓地に通じる道には、大きなイチョウの木がありました。

左の道からも「真如堂」へ行けますが、右の道を行くと楽しみにしていた「アフロ大仏」さんと会えます。(^^♪
そして「会津藩墓地」を通り「真如堂」へ向かいます。
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京都・南禅寺「水路橋の紅葉」

2022年11月22日 | 京都
南禅寺にきたら必ず行くのは、京都の撮影スポットでもあり
ドラマでもよく見る「水道橋」は外せませんね。

2020年11月18日(水)

南禅寺境内の最奥部分を通過しているのが
琵琶湖疎水の分線「水路閣」です。


疏水の工事は1885年に始まり、1890年に竣工しました。


全長93.17m(幅:4.06m・水路幅:2.42・高さ:9m)
レンガ、花崗岩造り、アーチ型橋脚の風格ある構造物です。


アーチ型橋脚の風格ある構造物の先に見える紅葉は
「最勝院」と「高徳庵」のお庭です。


最勝院と高徳庵へは
特別拝観で数十年前に行ったことがあります。


水道橋は日本人のみで設計、施工されたものです。
古代ローマの水道橋が思い出されます・・・(^^ゞ


それでは、アフロ大仏で知られる
会津藩ゆかりの「金戎光明寺」へ向かいます。
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京都・黄色い絨毯が美しい「南禅寺」

2022年11月21日 | 京都
「京都に東照宮の楼門がある 金地院」のつづきです。

南禅寺   2020年11月18日(水)

南禅寺さんは何度も来ていますが
いつ来ても良いところです。

「山門」は、お寺が山に建てられたことから呼ばれていますが
後に、お寺の門が平地にあっても「山門」と呼ばれています。


でも、南禅寺さんのHPでは
「さんもん」の字が 『三門』 になっています。


『三門』 とは
空門・無相門・無願門の三境地を経て、仏国土に至る門。
三解脱門(さんげだつもん)を表すとされていました。


一人で来るのは初めてですが、来て良かったです。


屋外でコロナは気になりませんが
でも人の多いところは・・・


2年前も無意識に避けてますね。(^^ゞ


イチョウが鮮やかな黄色になっています。


黄色くなるのは「黄葉(こうよう)」ですね。


黄色い絨毯・・・大好きです。(^^♪
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京都・東照宮の楼門がある「金地院(こんちいん)」 

2022年11月20日 | 京都
蹴上インクラインを歩いて「ねじりまんぽ」を通り

2020年11月18日(水)

「ねじりまんぽ」を通って来られた人たちと


蜜にならないように、少し離れて歩きます。(^^ゞ

南禅寺 大寧軒(だいねいけん)

道の左側に見えたのは「大寧軒」です。
通常非公開ですが特別公開されていました。

明治時代の茶人、薮内紹智によって作られた池泉回遊式庭園に琵琶湖疏水を引き込んだ清流には、珍しい「三柱鳥居」があるそうですが・・・時間がないので目的地へ向かいます。

金地院(こんちいん)「東照宮の楼門」

大寧軒のすぐ右横に見えたのは「東照宮の楼門」です。

東照宮と言えば、日光だと言われていますが
京都にも「東照宮」がありました。

京都の東照宮は、徳川家康の遺命により創建されたもので
本殿には家康の遺髪と念持仏が納められているそうです。


お寺の中に「宮」があるのです。


小堀遠州の作庭した、枯山水庭園「鶴亀の庭」が
国の特別名勝に指定されています。


京都の神社仏閣とは少し違いますね。


江戸幕府の法律外交を担った「僧・以心崇伝」が住したことで知られ、大坂の冬の陣のきっかけとなった、方広寺の鐘銘問題は金地院崇伝の考えと言われ「黒衣(こくえ)の宰相」と呼ばれました。


金地院も特別拝観されていたので
多くの人が来られています。


私は、次の目的地に向かいますが


この中に「鶴亀の庭」があるそうです・・・。


金地院は室町幕府4代将軍「足利義持」によって
応永年間に建立された寺院で、建立当初は北山にありましたが


南禅寺270世住職であり、徳川家康の側近でもあった「金地院崇伝」が慶長10年(1605)に、現在の場所に再建復興しました。



金地院
〒606-8435 京都府京都市左京区南禅寺福地町86−12
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京都・蹴上インクラインの「ねじりまんぽ」

2022年11月19日 | 京都
「蹴上インクラインを歩く」のつづきです。

ねじりまんぽ

ねじれが入口から見えています。

まんぽ=古い言葉でトンネルのことで「ねじりまんぽ」は
レンガのアーチが螺旋状に積まれたトンネルです。


インクラインを歩いている時に見えていたのは
南禅寺側の「ねじりまんぽ」の上部分でした。


トンネルは、インクラインの重さに耐えるように作られ
正式名は「斜拱渠(しゃきょうきょ)」と言うそうです。


他でも、鉄道線路とその下の道路や川が斜めに交差する場合には
「アーチ部を斜めにねじって」積まれているそうです。


煉瓦がねじれてるのがわかります。
この「ねじれ」が、インクラインの重さに耐えていたのです。


トンネル内に入ると・・・不思議な感じがします。


トンネルを抜けるとトンネル西口(三条通)にありました。

トンネル西口の扁額「勇観奇想(ゆうかんきそう)」

入口上部には「見事な眺めと優れた考え」という意味の
第3代 京都府知事の北垣国道氏が書かれた扁額です。

トンネル東口の扁額「陽気発処(ようきはっするところ)」

「精神を集中して物事を行えば、どんな困難にも打ち勝てる」
という意味が書かれています。


私は「ねじりまんぽ」を見たくて来ましたが
三条通から南禅寺に抜ける歩行者用の「ねじりまんぽ」は
多くの人に利用されているトンネルでした。
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