kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

桂離宮・参観 「表門→穂垣→笹垣」

2015年11月18日 | 京都・桂離宮 参観
参観終了後は、通用門の(黒御門)から桂川に向かって歩きました。


穂垣

通用門の黒御門から東の「表門」へ、一定間隔に立てた太い竹に
水平に細い竹枝を積み上げた穂垣が連なっています。


大きな木があって写真左側が・・・


表門 (正門)

左右に磨き竹の袖塀に、二本の太い丸木の門柱の間に磨き竹の門扉を
取り付けた簡素なもので、特別な時の他は開けられることがありません。
表門を入ると、初めに案内された「御幸門」があります。


桂川の土手道に沿って、境域をくぎる笹垣(桂垣)が連なっています。
写真右側に少し見えているのが歩道なので、笹垣との間に溝がありました。


笹垣は離宮の東側一帯に自生する竹藪の竹をそのまま利用して
一定の高さで竹を押し曲げて編んだ素朴な生垣です。

桂川が増水したときの事を考えて、書院を高床にしたとか・・・そして
この笹垣は増水したときにゴミなどを受け止める役目をしたようです。


道をはさんだ先には、桂離宮の池に水を引いた桂川があります。


桂離宮の参観は、これで終わります。
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桂離宮・参観 5「月波楼→御越寄→中門→衝立松」

2015年11月17日 | 京都・桂離宮 参観
書院を横目にして、書院と並んで池に面して建つ観月のための茶亭へ


月波楼(げっぱろう)

「楼」とは月見用の建物をいい、月波楼は池に映る月をみるための建物で
軽くむくりをつけた柿葺の寄棟屋根に、切妻の口の間が出張った茶屋敷です。


間取りは正面中央の土間をかこむように、一の間・二の間を配し
中の間に口の間を付設した格好です。


中の間は月波楼のなかで池に臨んで最も見晴らしのよく
池の向こうには「松琴亭」がみえてます。(写真右端)
この部屋から、池に映る月を楽しんでいたのですね。


月波楼の名は、白楽天の西湖詩の句
「月は波心に・・・」より引用したものです。


土間の正面奥の部屋です。


土間の西端、膳組の板間は切り込んで長炉や釣戸棚が設けられ
使い勝手よく配置され、前面が開放されています。

========== 中門から御輿寄前庭へ==========


中門(ちゅうもん)

月波楼の膳組前の近くに階段があって下りていくと
茅葺切妻屋根の簡素な棟門形式の中門がありました。


御興寄(おこしよせ)前庭

中門を通らず左に行くと、深々とした杉苔に覆われた「御輿寄(玄関)」
が広がり、中門から御輿寄まで敷石や畳石が連なっていました。

足下には「田」の字形の石、四枚の方形の「く」の字形の切石が配置され
さらに一枚の切石は御輿寄に延びる畳石へと向かい、こうした敷石の配置は
輿の円滑な進行を意図し、幾何学模様を描いた視覚的にもすぐれた意匠です。


中門を通って黒文字垣に沿って進み・・・お池のある方をみると


衝立松(ついたてまつ)

池の岬の先端に「衝立松」と呼ばれる小ぶりの松がみえました。
衝立松の名は、両側の生垣と共に池の眺めをさえぎる衝立の役目を果たすことに由来しますが、かつてここには「住吉」の松と呼ばれる大松があり、この松と相対するように対岸の松琴亭の傍らには「高砂」の松が立っていたと言われています。


スタート地点でもあったこの場所で、庭園の参観が終わりです。
素晴らしい桂離宮の庭園でした。

明日は、初めてみた桂離宮独特の「穂垣・笹垣」です。
コメント (2)
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桂離宮・参観 4「笑意軒(しょういけん)→書院」

2015年11月16日 | 京都・桂離宮 参観
園林堂から、舟溜まりのある「笑意軒」へ


笑意軒の前面です。

桂離宮のほぼ南端に位置し、梅馬場から左に行くと「笑意軒」の前に出ます。
笑意軒前の池は一隅の入江状になっているので、船着場には二箇所の石段から
下りることができる、舟溜まりとして実用性の高いところです。


雪見燈籠

梅馬場の苑路脇にある「雪見燈籠」は、数多い京都名園の雪見燈籠のなかでも
安定感があって姿もよく逸品とされています。


「笑意軒」の扁額と、写真は五つですが「六つの丸窓」

篇額は智仁親王の御次男で、智忠親王の弟宮の曼殊院門跡良尚法親王の筆。
六つの丸窓は、それぞれに下地の組み合わせを変えるなど凝ったものであり
「四季の窓」と呼ばれていますが、名前の由来は明らかではないそうです。


口の間に続く六畳の二の間は 南側に肘掛窓があります。天井は一つの
つながりで室内を広くみせる配慮と考えられているそうです。


その中敷居下の腰壁には、市松模様の部分に金地にエンジ色のビロード
その他の部分に金箔が斜めに貼り付けられています。

襖の引き手は「櫂 (カイ)」の形になっています。
入り江状の池は舟溜りとして使われたので「櫂」の形が選ばれたようです。


口の間の杉戸の引き手は「矢」の形になっていて
手をかけるところは「矢羽」になっています。


この手水鉢には「浮月(うきつき)」の名前がついています。
手水鉢の水面に映る「月」を楽しんでいたようです。


笑意軒の紅葉した庭先から「園林堂」がみえてます。

松琴亭と同様に茶屋建築の一つで、智忠親王の代に造営されたのですが
笑意軒だけ「軒」が使われているのは、中の間・次の間・口の間・膳組の間
などの母屋の主な部分が、桂の茶屋の中で最も大きいからと言われています。

========== 四つの書院 ==========


書院全景

桂離宮の書院群は、東から古書院(写真右端)、中書院、楽器の間、新御殿が雁行形に連なって並んでいます。この形状は各書院が時を違えて次々に増築された結果、軸をずらし日当たりや風通し、建物からの庭園の眺望に配慮したそうです。


残念ながら書院の中には入れないので、通りすぎるだけでした。(;_・)


古書院の「月見台」

二の間の正面に、広縁から池に突き出すように竹簀子で作られた月見台は
月見はいうまでもなく、苑内の主要な景観が一望できるところでした。


東側からみた、古書院と月見台です。

明日は、「月波楼から中門、衝立松」です。
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桂離宮・参観3「賞花亭(しょうかてい)→園林堂 (おんりんどう)」

2015年11月15日 | 京都・桂離宮 参観
「にじり口」のある松琴亭を出て、茶屋風の賞花亭に向かいます。


賞花亭へ向かう「蛍橋」を渡っています。


水蛍燈籠

蛍橋を渡り飛石伝いに斜面を登ってゆくと 途中に「水蛍燈籠」があります。
水蛍燈籠は、源氏物語に出てくる大堰川畔の明石の上の庭に、木立の奥からかがり火の影がちらちらとして、遣水の蛍にも似通う面白さを述べているのを、石灯籠を以って意図したもので命名は第七代家仁親王と言われています。


賞花亭前の手水鉢です。

小高い場所に位置する「賞花亭」の手水鉢から、左下に書院が見えます。
鉄鉢形の手水鉢は、五輪塔の水輪を転用したものです。


松琴亭と同じようにほぼ北に向かい、消夏のための小亭で南側の竹の連子窓
(れんじまど)を通してみる景色は深山幽邃(しんざんゆうすい)の趣きで
土間を真中にして、コ字形に畳四枚を腰掛けにして、篭と炉がありました。


正面と右側面の前寄一間を吹き放ちにした開放的なつくりで
建物の軒先には、龍田屋の暖簾が掛かっていたそうなので
眼下に書院群、遠くに愛宕山を望んだ峠の茶屋風の風情です。


この写真は、一緒に参観した友人から提供して貰った
現在の「賞花亭」の全景です。


そして、この写真は以前の「賞花亭」の全景です。
以前の壁の色はもうありませんでした。

この亭は、もと今出川本邸にあった龍田屋を智忠親王の時に移されたそうです。

========== 園林堂(おんりんどう)へ ==========


園林堂に向かう道で、書院が目の前にある橋がありましたが
その橋は進入禁止なので横目にして


池沿いに歩いていくと・・・


園林堂

賞花亭の山裾に西面に建つ、本瓦葺宝形造り屋根の持仏です。
正面に唐破風の向拝を有した観音開きで、智忠親王の代に造営されました。

初代智忠親王の尊影と、その師 細川幽斎の尊像が納められていましたが
いまは安置されているものはなく、後水尾上皇宸筆の「園林堂」の扁額と
建物だけが残っています。


園林堂前に橋はありますが進入禁止だったので、「笑意軒」の帰りに
「園林堂」前の渡れなかった橋も一緒に撮りました。

長くなりますが、次は船着き場のある「笑意軒」と「書院」です。
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桂離宮・参観 2「州浜→天の橋立→松琴亭」

2015年11月14日 | 京都・桂離宮 参観
外腰掛を後にして・・・池に沿って歩いていくと


州浜と天の橋立 (写真右上に、古書院が見えてます。)

州浜(すはま)は、黒く扁平な石が敷き詰められ池につきだしています。
先端に灯籠が置かれ岬の灯台に見立てて海を演出しています。

天の橋立は、北岸の出島と二つの低い中島を水面すれすれに架けた石橋で結んだ景で構成されています。智仁親王の奥方、智忠親王の母堂にあたる常照院(じょうしょういん)が宮津藩の京極高知の息女であったことから「天の橋立」を意匠化されたそうです。(写真左側の中央)

======== 石橋を渡って松琴亭(しょうきんてい)へ========


石橋を渡り石段を下りると、流れ手水があります。


松琴亭は、桂離宮で唯一の草庵茶室です。
(松琴の銘は、琴の音に峯の松風通ふらし・・・の句から採られています。)


松琴亭の東側に茶室「詫の囲」の「にじり口」があります。


一の間は、L字形に曲がった十一畳敷きの座敷で室内には
暖をとるための一畳大の石炉が設けられています。(袋棚の下)


襖障子の、青と白の大柄の市松模様が圧巻です。


松琴亭の池側に、このような鐘楼が掛けられていたそうです。


賞花亭(次に行く)から見える「松琴亭」の全景です。
別荘だった頃はお舟に乗って、この景色を楽しまれたのでしょうね。


賞花亭へ渡る「蛍橋」がみえてますが
お舟が通れるようになっているのが分かります。

明日は、賞花亭(しょうかてい)から園林堂(おんりんどう)です。
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桂離宮・参観1 「御幸門から外腰掛け」

2015年11月13日 | 京都・桂離宮 参観

京都迎賓館へ一緒に行った友人達と、桂離宮を参観してきました。
11月12日(木)

京都の西の郊外を流れる桂川の西岸、旧丹波街道に通じる桂川大橋を渡った北西に位置する桂離宮は、後陽成(ごようぜい)天皇の弟君・八条宮(はちじょうのみや)初代 智仁(としひと)親王により、1615年に宮家の別荘として創建されましたが、十二代 淑子内親王が亡くなられるとともに絶え、明治16年(1883年)宮内省所管となり「桂山荘」から「桂離宮」と称されることになりました。


参観者の出入り門を通り、参観がスタートしました。


土橋を渡って御幸門向かいます。
写真の左に見える屋根は「御舟屋(おふなや)」です。


御幸門(みゆきもん)

最初の御幸門は 後水尾上皇の御幸を迎えるために設けられたが
現在の門は第七代家仁親王の時代に作られたそうです。

御幸門は、茅葺切妻屋根(かやぶききりつま)で柱と桁には太い
皮付き丸太(アベマキ)が使われ、門扉は割竹を簀子状に並んでます。
(アベマキはワインの栓に使われることもあるそうです。)

写真右下に見える四角い石は その上に御輿を置いたと言われ
「御輿石(オコシイシ)」と呼ばれていますが定かではありません。


その先に御成門(表門)があります。


御幸道(みゆきみち)は、御幸門から先ほど通った土橋への道です。

この道は青黒い小石をが敷き詰められ、やや中高に反りがつけられたことで
水はけがよくなるようにつくられていました。これは後で分かったのですが
先に見える土橋を渡って左に行けば、後書院の中門への道だったのです。

======= 御幸道の土橋手前を左折して外腰掛へ =======


二重枡形手水鉢 (にじゅうますがたちょうずばち)

外腰掛の手前に背の低い石灯籠と、外枠に対して45度ずらして
方形の水穴があることから呼ばれています。


外腰掛 (そとこしかけ)

外腰掛は松琴亭の待合所として使われたもので蘇鉄山に面して
間口三間の茅葺寄棟造で、内側は二間の腰掛がありました。


外腰掛の前庭として作庭された「蘇鉄山」

蘇鉄山の風景は桂離宮の繊細なお庭としては異質な感じですが
当時は蘇鉄のもつ南国的な雰囲気が珍重されたそうです。

明日は、「天の橋立」「松琴亭」です。
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