kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

「世界で一番美しい海岸 アマルフィ 」の、知らなかったこと・・・

2021年09月25日 | イタリア
8月15日(日)MBS毎日放送「世界遺産 世界で一番美しい海岸 アマルフィ」を見ながら、アマルフィに行った時を思い出していると

アマルフィの知らなかったことが・・・
これは残して置きたいと思いましたが、それには私の見てきたアマルフィをもう一度思い出したいと思い18日から再投稿しました。

今日は、そのアマルフィの知らなかったことを残します。

アマルフィ海岸といえば、世界一美しい海岸ですが
最初に人が住みついたのは山の中でした。


アマルフィ海岸で最も古い街と言われるスカーラでは
人々はヤギやヒツジを飼ったり、段々畑を作って作物を作っていました。

段々畑で栽培されているのは、アマルフィ海岸一の特産物のレモン。
収穫されたレモンは、ロープに吊るされた運搬機で運んでいました。

村々を行き来するために、山の中の小さな道を人々は行き交い
山の尾根に道ができました。

その道は「神々の道」と呼ばれ
今は、人気のトレッキングルートになっていました。


神々の道には、神話の英雄のオデッセウスが危機に陥った時
神々がこの道を通って救いに来たという伝説があります。


人々は、カンネト川を街の発展に役立て
川が海に注ぐ場所にできたのがアマルフィでした。
川の後に道が出来ていたので細い道ばかりだったのです。

渓流沿いに、昔の製鉄所跡があります。
街中にある造船所は、中世のヨーロッパで最大の規模を誇りました。
当時、主に造られたのはガレー船。

その時代、アラブ世界から紙作りがもたらされ・・・
アマルフィの紙は、バチカンの文書にも使われたといわれています。

アマルフィ海岸は、およそ2000年前から人気のリゾートでした。
古代ローマのエリートは、豪華な別荘をアマルフィ海岸に建てました。
そしてポジターノでも、ローマ時代の別荘が2004年に発掘されています。

あの美しいアマルフィ海岸の「アマルフィ 」に
初めて住みついたのは海岸ではなく、山の中だったのには驚きました!
機会があったら「神々の道」を歩いてみたいですね。
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世界遺産・イタリア③「アマルフィ ドゥオーモ(Duomo di Amalfi)」

2021年09月20日 | イタリア

これはアマルフィのマンホールの蓋です。

日本のマンホールは
カラフルで土地の景観が描かれていてアートのようですが、アマルフィのマンホールは、岩山に囲まれた街の石畳の中にありました。


階段を上がって「アマルフィ ドゥオーモ(Duomo di Amalfi)」へ


いま、私はあの大聖堂の階段を一番上まで上がって振り返ったところです。

何度も出てくるドゥオーモ前広場の方向を見ています。
(下に少し見えているのがドゥオーモ広場)

このドゥオーモ前広場を左に行くとマリーナ門があって、バスから降りた海岸沿いに出ます。右に行くと昼食をしたお店等があって、前回ご紹介した迷路のような道に通じています。


現在もミサが行われているドゥオーモの聖堂は
18世紀にバロック様式に改築されました。


漁師・街の守護神「聖アンドレア」が眠っている地下聖堂です。


十二使徒の一人であった聖アンドレアが漁師だったことから


漁師の守護神「聖アンドレア」と言われたり


街の守護神「アンドレア」だと言われているそうです。

※長い階段を上っていくと、左手に「天国の回廊」がありますので
 ドゥオーモの前にご覧下さい。・・・を見逃して(>_<)

私は入場料の5ユーロを支払って入っていたのですが
先にドゥオーモに行ったので、天国の回廊は残念ながら見ていません。

当時は上流階級市民の墓地として建設された、白い柱廊と庭の緑がまさに
「天国」といえる神秘的な「天国の回廊」だそうです。(*_*)


英雄ヘラクレスが愛する妖精の名前 「アマルフィ」
アマルフィは、ギリシア神話の英雄ヘラクレスが、愛する妖精の死を悲しんで、世界でもっとも美しい場所に亡がらを埋めて、その妖精の名を永遠に残すために、「アマルフィ ( Amalfi)」と名付けたといわれる伝説のあるところです。


アマルフィの東端に・・・きれいな砂浜の海岸がありました。

「フラヴィオ・ジョイア」の像

アマルフィの海岸に立っている像「フラヴィオ・ジョイア」は
東方から伝わってきた羅針盤を完成させたといわれている12世紀の中世イタリアの四大海洋国家の躍進に貢献しました。

地中海を航海する際に羅針盤を使ったのは
アマルフィが最初だったと言われています。


「アマルフィ 女神の報酬」で紹介されてから
一躍有名になったアマルフィはヴェネツィア、ジェノバ、ピサと並んで4大海運共和国の1つとして繁栄していたのですが、地震や津波で、街の広範囲が海底に沈んでしまったので街が小さくなったそうです。


アマルフィを出てソレントに向かうバスの窓から見えたのは
何だと思います???
えっ~もしかして・・・と思って撮りましたが


撮った写真を拡大すると、男性が海に入っていくところでした!

この時は、まだまだ寒い3月の初めです・・・
海に入って大丈夫だったのかなぁ~ブルブル
何処でも、こんな人がいるんですね~
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世界遺産・イタリア②「世界で一番美しい海岸 アマルフィ」

2021年09月19日 | イタリア

ポジターノ「エメラルドの洞窟」を出て、アマルフィに向かいます。
2010年3月 昨日のつづき・・・

アマルフィ(Amalfi)

アマルフィに着くと
「マリーナ門 (Porta della Marina)」は工事中でした。

「マリーナ門」の左横に見えるタイル画は
中世のイタリアから中東付近の貿易地図が描かれています。 

アマルフィは、中世、ローマ帝国の時代に
イタリアで最も早く貿易海洋都市として栄えた場所でした。


アマルフィ ドゥオーモ(Duomo di Amalfi)

マリーナ門をくぐってドゥオーモ広場に出ると・・・
急な階段の上から街を見下ろすように建っているドゥオーモが見えました。
(ドゥオーモはイタリア語で、イタリアでの街を代表する大聖堂の事。)


10世紀に建てられたアマルフィのドゥオーモは
街の守護神「アンドレア」に捧げられたものでした。

ドゥオーモの地下には
守護神「聖アンドレア」と、同聖人が眠っています。

私が数えた訳ではありませんが・・・
大聖堂正面の階段は57段あるそうです。(^^ゞ


このファサード(建築物の正面デザイン)は
19世紀の再建の時に装飾されました。

夕暮れ時になると光輝くことから
“黄金のドゥオーモ”とも呼ばれているそうです。

夕方にはソレントに帰っていたので・・・
夕暮れの光り輝くところは見ることが出来ませんでしたが
明るい時間でも、こんなに光輝くファサードでした。


ドゥオーモの左横に立つ鐘楼は
ミドリと黄のタイルで美しく飾られている13世紀のものです。


大聖堂の正面にあるドゥオーモ広場には
噴水があって聖アンドレアの像がありました。


アマルフィ ( Amalfi) の街

ドゥオーモ広場から、この道を通って街に入っていきましたが


どこも狭い道と、同じような階段が多く
一回通っただけでは憶えられない、迷路のような道ばかりです。


左に見えるこの細い道を通ってくると白い壁が見えます。

ガイドさんから教会だと説明があったので分かりましたが
入り口を見て「信仰の深い家」と思うのは、私だけでしょうか?


ガイドさんが数ヶ所で 「ここは、映画に撮られたところです。」と
どの場所も、このように狭い道だったことは憶えていますが
いまどの道だったのか分かりません。 この狭い道を通り抜けると・・・


ここも、狭い道でした。(^^ゞ
この建物の後ろからも岩肌が見えています。
そして、下校途中のかわいい姿が・・・。


ここは、アマルフィ でお昼をしたお店です。


イタリア料理はみなさんのお口に合うようで
私だけではなくてみなさんも完食されてました。

お昼もワインを頂く事が多いのですが・・・
今日は暖かいので、ビールが美味しかったです。


お店を出ると、お母さんがかわいい子供を抱っこされて
階段から上がって来られたので、思わずカメラを向けると
お母さんの素敵な笑顔が・・・ありがとう~(^^♪

「世界遺産 世界で一番美しい海岸 アマルフィ」を見て
アマルフィの知らなかったことは、歩いていて感じていたことでした。?
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世界遺産・イタリア「世界で一番美しい海岸 アマルフィ」

2021年09月18日 | イタリア
8月15日(日)MBS毎日放送「世界遺産 世界で一番美しい海岸 アマルフィ」を見ながら、アマルフィに行った時を思い出していました。

すると、アマルフィの知らなかったことが・・・
これは残して置きたいと思いましたが、それには私の見てきたアマルフィをもう一度思い出したいと思います。(^^ゞ






世界遺産  【アマルフィ海岸観光】
2010年3月

イタリアの自然美アマルフィ海岸をドライブ!!
絶景スポットポジターノの丘、映画で話題の
アマルフィの街を訪れました。

ナポリ湾に面したソレントから半島を横切ると
全長30km以上の断崖絶壁の海岸線が伸びています。

温暖な気候と美しい風景で多くの人々に愛される
イタリア屈指の人気リゾート地です。



ソレント→ポジターノ (アマルフィ海岸)

地 図

ポジターノからアマルフィ、ヴィエトリ・スル・マーレまでの一帯をアマルフィ海岸といい、世界一美しい海岸と言われ、1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


ソレントから小さなバスに乗り換えて、切り立った断崖を抜けるように右や左にくねっていくと、ポジターノの手前に展望台のような場所があり、バスから降りると露天のお店がありました。

オレンジ等の果物や香辛料が売られていて
軒先には色鮮やかな唐辛子がつり下げられていました。


絵ハガキにしたいような「ポジターノ (POSITANO)」です。


今イタリアで最も人気のあるアマルフィ海岸線にあるポジターノは「アマルフィの宝石」と呼ばれ、切り立った崖で囲まれた空間に立ち並ぶ美しい家並みが、高級リゾート地として注目されています。


ポジターノ「エメラルドの洞窟 (Grotta dello Smeraldo)」

エレベータで下に降りると、エメラルドの洞窟の入り口に続く道があり、左の洞窟を入って行くと、また下に降りる階段があり降りて行きます・・・


ご覧下さい!
右下の方にエメラルドグリーンのきれいな海面が見えています。この小船に乗って、右奥の灯かりが見える所を船漕ぎの人が案内してくれました。


きれいなエメラルドグリーンが・・・見えるでしょうか?

エメラルドの洞窟には、海底に「うまぶねのキリスト像」が沈められていると説明があったので、みんなで覗いて見たのですがハッキリと見えませんでした。(^^ゞ


え~っ!「青の洞窟」?

撮った写真の中に、こんな写真が2~3枚ありました。
ポジターノで 「 エメラルドの洞窟」 と 「青の洞窟」が
撮れていたので得した気分です。 (^^♪


※ 海面の色がきれいなエメラルド色や青色に輝くのは、太陽光線が海底に反射して海中を通過して届くと、海水のエメラルドグリーンや青い色を照らし出すそうです。
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イタリアはええとこでした (^_-)-☆  Arrivederci!

2010年07月15日 | イタリア
『すべての道はローマに通ず』 ・・・今日でイタリアの記事は終了します。


これは、ローマからフィレンツェに向かっているバスの中から撮りました。
青い空と、果てしなく広い緑の中に白い風車が回ってました。


バスの中から見たぶどう園の一つです。
イタリアのワイン・・・美味しかったなぁ~ (^^♪


ローマの街に、私も溶け込んでいたかなぁ・・・?


ここはローマにある三越百貨店の地下にある石の彫刻 「真実の口」 です。

「真実の口」は、ローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)
の、下水溝のマンホールの蓋であった海神トリトーネの顔が刻まれている石の彫刻ですが
沖縄の宜野座村にも「真実の口」があるのはご存知ですか?

それは2000年7月に開催された九州・沖縄サミットで、宜野座村はイタリア共和国の
ジュリアーノ・アマート首相を招聘した時に、友好・交流の証として設置されたそうです。


フィウミチーノ空港(Aeroporto di Fiumicino)
別称は(ローマ)レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港(伊: Aeroporto internazionale Leonardo da Vinci)
ルネッサンス期の芸術家で発明家でもある 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」 から命名されたそうです。

イタリア最大の国際空港の一つで、ローマ市内まで南西へ約35キロです。私達は用意されていた
バスでナポリに向いましたが、テルミニ駅まで直通鉄道「レオナルド・エクスプレス」で約45分です。
そして2010年03月07日に、このローマから空路にて関西国際空港の帰路の途へ・・・。


最後の10ユーロ紙幣です。
小銭はまだ少し残っていますが、最後の紙幣も使ってきました。(^^ゞ

今までのイタリアの旅をご覧頂く時は  ←をクリックして下さい。
このブログで、私と一緒にイタリアの旅をして下さった方に、ありがとう! Grazie!

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : カンナ          花言葉 : 尊敬
コロンブスのアメリカ大陸発見によって、最初にヨーロッパにもたらされたといわれる花の
一つです。日本には、江戸時代に渡ってきたといわれています。
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ローマの高級ショッピング街に 「KIKO」 のお店 !

2010年07月13日 | イタリア

スペイン広場の前にある通りは、エルメス・シャネル・フェラガモ・プラダ・グッチ等の
高級ショッピング街があって、街を歩いているだけでも目の保養になりますね。 (^^♪


友人と一緒に、コンドッティ通り辺りにあると聞いていたお店を探して貰っていると
突然 「KIKO」 の文字が飛び込んできました!何度も見ましたが、それは「KIKO」 でした!

何のお店なのかなぁ~?と、気になってお店を覗いてみると 


ご覧下さい! 
KIKO KIKO KIKO KIKO KIKO と、KIKOの名前がずらっ~と並んでます。

そこは化粧品のお店で、お洒落な女性達が、口紅、アイシャドーなどを買いに来られていました。
私のお店ではないのですが・・・嬉しくなりますね。 (^^♪


これは、 KIKO のお店を見つけた記念に買ってきたアイシャドーです。(嬉)
ロ-マの旅で、忘れられない思い出がまた一つできました・・・Grazie!

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : ニチニチソウ         花言葉 : 甘い思い出
マダガスカル原産で夏の暑さに非常に強く、一夏中、次々と花を咲かせ続けます。
日ごとに新しく花をつけるのでニチニチソウと呼ばれています。
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ローマ・テルミニ駅 (Stazione di Roma Termini)

2010年07月12日 | イタリア

テルミニ駅は、イタリア・ローマの玄関口である中央駅で、国際列車も出発しています。


テルミニ駅の名前の由来は
古代ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスのテルメ(Terme 公共浴場)の
遺跡に近いことから、浴場近くの土地の名前が付けられたそうです。


テルミニ駅の地下にある、Drug storeとスーパー CONADです。
気軽に入れるお店なので、観光客も利用されることが多いそうです。


地下鉄の自動発券機です。


ここは、1955年2月10日に開通したB線のホームです。
1980年にA線が開通して、A線との乗換駅にもなっています。

ローマでは、地下工事に取り掛かれば必ず何らかの遺跡が発見されるので
新しい路線の工事が行われているそうですが大変なようです。


すごい落書きで驚きましたが、車内は落書きなどもなくて清潔な感じでした。

イタリアに行かれた方から、テルミニ駅辺りはスリが多いので気をつけるように
と言われてましたが、誰もスリの被害に遭うことも無く楽しい1日でした。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : パッションフラワー         花言葉 : 聖なる愛
花の形が時計の文字盤に見えるので日本では「時計草」と呼ばれています。
トケイソウ属には多くの仲間があり、パッションフルーツと呼ばれる
果物用種類など鉢物としても出回ってます。
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古代ローマの中心地 「フォロ・ロマーノ」

2010年07月10日 | イタリア

コロッセオ(木の陰になっている)を後にして、コンスタンティヌスの凱旋門の前の道を
少し歩くと、古代ローマの中心地だった 「フォロ・ロマーノ」 の入り口がありました。


パラティーノの丘に上がっています。
ここからは、コロッセオだけではなく、政治の中心、元老院のあった場所カエサルやキケロなどの
ローマ政治の中心地であり、古代ローマの英雄がすごしたフォロ・ロマーノを一望できました。


代表的な古代建築の、マクセンティウスのバシリカ  (302年〜325年頃に完成)

マクセンティウスによって起工され、コンスタンティヌス1世によって完成したバシリカです。
キリスト教化以前に建設された最後の大バシリカで、北側の側廊部分だけが残っています。

※ バシリカは長堂式ともいわれ、建築の平面形式のひとつで、ローマ教皇の発行した
教皇小書簡により、一般の教会堂より上位にあることを認められた教会堂のことだそうです。


中央の白い建物はヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂です。
その手前の左の大きな建物が市庁舎で、その下部構造が公文書館(タブラリウム)です。

写真右下の3本の柱だけが残っているものが、カストルとポルックス神殿です。
その右に建つ建物は、共和制時代から帝政前期にかけて、ローマの政治的中枢だった
国会議事堂の「クリア・ユリア」 です。


アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿

両側に数々の遺跡が並ぶ「聖なる道」に、アントニヌス・ピウス帝が
皇后ファウスティナを偲び141年に建造させ、その後妻とともに祀られました。

「アントニヌスとファウスティナの神殿」は、入口の列柱と階段だけが残っているだけで
後ろに見える建物は、その後に付け足された「サン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会」です。


皇帝マクセンティウスが、死んだ息子ウァレリウス・ロムルスに捧げたと伝わる神殿です。
しかし、彼がミルヴィオ橋の戦いで戦死したため未完成となり、その後は教会になっています。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : マツバボタン         花言葉 : 可憐
葉が多肉で細く、花がボタンに似ているのでこの名がつきました。夏の暑さや乾燥に強く
赤、桃、黄、白、橙などの花を咲かせます。花の寿命は短いですが、次々に咲きます。
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古代ローマの象徴  「コロッセオ  (Colosseo) 」 ②

2010年07月09日 | イタリア

地下6メートルの迷路のような空間には、剣闘士やライオンやヒョウ
などの猛獣を収容していた地下が丸見えになってます。

コロッセオは命の取り合いだけでなく、ローマ皇帝は市民に娯楽を与える
ことで、治世の安定を図ろうとして、初めは競技場にローマ水道より引いた
水を張り動物を放ち、神話の世界や海戦の様子を再現して、多彩なイベント
を主催した施設だったそうです。


通路では聞きなれない言葉が飛び交っていましたが、日本の方とも出合う
ことがあって 「どこから来られたのですか?」 「写真撮ってくれますか?」
と、言葉を交わす場面もあり就職が決まった大学生の方が卒業旅行で来ら
れてました。 (一番楽しい時ですね~)


通路に、当時の様子を表現しているレリーフがありました。


人々に身分制度を意識させて帝国の秩序を保つために、コロッセオの
観客席は身分によって、一階席は元老院と議員、二階席は騎士、その上が
一般市民、最上階は市民権を持たない人にと、分けられていました。
これも・・・皇帝の巧みな統治術だったそうです。


この後は、初めにご紹介したコンスタンティヌスの凱旋門の前を通って
奥の方に見える、古代ローマの中心地だった 「フォロ・ロマーノ」 に
向かいま~す。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : ストケシア         花言葉 : 追想
原産地は北アメリカ南部です。先が枝分かれした特徴的な花びらで
初夏から咲き始めます。日本には大正初期に導入されて普及しました。
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古代ローマの象徴  「コロッセオ  (Colosseo) 」

2010年07月08日 | イタリア
イタリアの旅9日目 3月7日(日)

コロッセオは、ローマ帝政期に造られた円形闘技場で
ネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の庭園にあった人工池の跡地に建設されました。
地 図


今日はツアー仲間と一緒に、自由時間を利用して慣れない地下鉄に乗って
地下鉄B線の「コロッセオ (Colosseo)」 駅から徒歩1分の、コロッセオを見学してきました。


駅を降りてコロッセオに向かう道で見えたのは古い凱旋門でした。
その凱旋門は、フランスのパリに建設されたエトワール凱旋門のモデルにもなっている
コンスタンティヌスの凱旋門(Arco di Costantino)でした。

コロッセオに向かう道にある 「コンスタンティヌス凱旋門」 は、コロッセオとパラティーノの
丘の間にあって、西の副帝であったコンスタンティヌスが正帝マクセンティウス帝に勝利して
西ローマの唯一の皇帝となった記念として建てられたものでした。


コロッセオ(イタリア語でColosseo)の正式な名称は 「フラウィウス闘技場」 です。

フラウィウス朝の皇帝が建設者であることから、「フラウィウス闘技場」なのですが
ネロ帝の巨大な像が傍らに立っていたために「コロッセウム」や、英語で競技場を指す
コロシアム(colosseum)が語源となって呼ばれるようになったといわれています。


イタリアでは 「FESTA DELLA DONNA (フェスタ・デラ・ドンナ=女性の日)」があって
この日は、その前日だったので入場の時に女性だけのサービスがありました。(嬉)


コロッセオ内部の地下部分が見えてます。
長径188m短径156mの楕円形で、高さは48m、45,000人を収容できたそうです。


アッ! ここに大きな十字架が、競技場に向かって立てられています。
この競技場では、仲の良い剣闘士達や動物とも闘ってたくさんの命を落としていますが
十字架を立てて、相手を殺さないと生きていけない闘いをさせていたのですね。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : クロユリ         花言葉 : 恋の魔術
「高嶺の花」という言葉にぴったりの美しい花です。ユリ科フリチラリア属の球根性多年草です。
夏の蒸し暑さを嫌います・・・5~6月に黒紫色の花を横向きにつけます。
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