2024年11月4日(月) 京都・六道の辻
左の道に位置する「六波羅蜜寺」から・・・六道の辻へ
六道の辻は
六道へ通じる道の分かれる所で、珍皇寺の門前で「松原通の轆轤町(ろくろちょう)」と「新シ町」の間を南に至る丁字路の事で
「六道」は仏語で
衆生が生前に業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界
地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上のことです。
六道 地蔵尊 西福寺の、正式な名前は「桂光山敬信院」です。
お寺の入り口にいらっしゃる布袋様。
境内に入ると、「子育地蔵尊」がおられます。
御本尊は阿弥陀如来だが
沢山のお地蔵さんと不動明王さまも祀られています。
その『六道の辻』にある『西福寺』は、弘法大師空海(774~835)さんが、鳥辺野の無常所の入口にあたる地に「地蔵堂」を建てたことからと伝わります。
空海が自作の地蔵尊を祀った地蔵堂を建てたのが始まりという伝承で、檀林皇后が子供の正親親王の病気平癒を祈願したので子育て地蔵と呼ばれるようになったそうです。
「みなとや幽霊子育飴本舗」
斜め前には「幽霊子育飴」で知られるお店があります。
~幽霊子育飴の伝説~
昔、六道の辻に一件の飴屋がありました。
ある夜のこと、表の戸をたたく音がするので主人が外へ声をかけると、かすかな声で「飴をいただきにまいりました」という返事があった。
主人がさっそく戸を開けると、髪を長く垂らし
肩を落とした一人の女が立っていました。
ご主人が茶碗にもった水飴を渡すと
女は三文をおいて立ち去っていきました。
あくる日、主人が銭箱を見ると
昨晩の女から貰った三文は木の葉三枚に変わっていました。
昨晩の女が再び現れ、やはり水飴を買っていきました。
女が置いていった三文はやはり木の葉の三文でした。
こういう日が五日も六日も続き
ついに主人は寝込んでしまいました。
それを聞きつけた近所の若者たちが
飴屋で女の来るのを待ちあとをつけると
女は京の都の墓場といわれた
鳥辺野へと入り姿を消しました。
その事を寺の和尚に聞かせると
10日程前に若い女を葬ったという。
その墓を確かめに行くと、若い女の死骸の上で
水飴を嘗めながら泣いている赤ん坊がいました。
この赤ん坊は女が死んだあとに生まれたため
女は赤ん坊のために毎夜水飴を買いに行っていたのでした。
その後、赤ん坊は和尚に預けられ高僧になったといわれ
飴屋は「幽霊飴」と呼ばれ大繁盛したのだそうです。
昔話に基づく飴を販売しているお店の飴は「水飴」でしたが
今は琥珀色の固形飴で、原材料は麦芽糖とザラメ糖でした。
亡くなった母の魂が、わが子のために飴を届け、大切な命を
守りぬいたというお話ですが・・・
生まれたばかりの赤ちゃんを遺棄、虐待の記事を見る度に
「幽霊子育飴」のことが思い出されます。
赤ちゃん、子供たちにとっても良い年になって欲しいですね。
左の道に位置する「六波羅蜜寺」から・・・六道の辻へ
六道の辻は
六道へ通じる道の分かれる所で、珍皇寺の門前で「松原通の轆轤町(ろくろちょう)」と「新シ町」の間を南に至る丁字路の事で
「六道」は仏語で
衆生が生前に業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界
地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上のことです。
六道 地蔵尊 西福寺の、正式な名前は「桂光山敬信院」です。
お寺の入り口にいらっしゃる布袋様。
境内に入ると、「子育地蔵尊」がおられます。
御本尊は阿弥陀如来だが
沢山のお地蔵さんと不動明王さまも祀られています。
その『六道の辻』にある『西福寺』は、弘法大師空海(774~835)さんが、鳥辺野の無常所の入口にあたる地に「地蔵堂」を建てたことからと伝わります。
空海が自作の地蔵尊を祀った地蔵堂を建てたのが始まりという伝承で、檀林皇后が子供の正親親王の病気平癒を祈願したので子育て地蔵と呼ばれるようになったそうです。
「みなとや幽霊子育飴本舗」
斜め前には「幽霊子育飴」で知られるお店があります。
~幽霊子育飴の伝説~
昔、六道の辻に一件の飴屋がありました。
ある夜のこと、表の戸をたたく音がするので主人が外へ声をかけると、かすかな声で「飴をいただきにまいりました」という返事があった。
主人がさっそく戸を開けると、髪を長く垂らし
肩を落とした一人の女が立っていました。
ご主人が茶碗にもった水飴を渡すと
女は三文をおいて立ち去っていきました。
あくる日、主人が銭箱を見ると
昨晩の女から貰った三文は木の葉三枚に変わっていました。
昨晩の女が再び現れ、やはり水飴を買っていきました。
女が置いていった三文はやはり木の葉の三文でした。
こういう日が五日も六日も続き
ついに主人は寝込んでしまいました。
それを聞きつけた近所の若者たちが
飴屋で女の来るのを待ちあとをつけると
女は京の都の墓場といわれた
鳥辺野へと入り姿を消しました。
その事を寺の和尚に聞かせると
10日程前に若い女を葬ったという。
その墓を確かめに行くと、若い女の死骸の上で
水飴を嘗めながら泣いている赤ん坊がいました。
この赤ん坊は女が死んだあとに生まれたため
女は赤ん坊のために毎夜水飴を買いに行っていたのでした。
その後、赤ん坊は和尚に預けられ高僧になったといわれ
飴屋は「幽霊飴」と呼ばれ大繁盛したのだそうです。
昔話に基づく飴を販売しているお店の飴は「水飴」でしたが
今は琥珀色の固形飴で、原材料は麦芽糖とザラメ糖でした。
亡くなった母の魂が、わが子のために飴を届け、大切な命を
守りぬいたというお話ですが・・・
生まれたばかりの赤ちゃんを遺棄、虐待の記事を見る度に
「幽霊子育飴」のことが思い出されます。
赤ちゃん、子供たちにとっても良い年になって欲しいですね。