kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

琵琶湖の夏の風物詩「2023 びわ湖大花火大会」

2023年08月10日 | 大阪・滋賀・奈良 他
4年ぶりに開催される「2023 びわ湖大花火大会」

8月8日(火)のニュースを見ていると「びわ湖大花火大会」の
会場付近には、高さ約4mのフェンスが建てられています。

花火を見る人が滞留し事故に繋がるのを防ぐなど、緊急車両などの通路を確保するのが目的のようですが、住民が長く訴えてきたゴミや渋滞、騒音問題には効果的な対策は無く地元の自治団体からは開催に反対する決議文まで提出された中での開催でした。


●初めての「びわ湖大花火大会」  2009年 

びわ湖畔に到着後、若者のグループや家族連れで通路も無くなるほどいっぱいになり、湖上には遊覧船の姿が見えています。

びわ湖水面一帯に打ち上げられた定番の一斉打ち上げは、鮮やかな色彩と賑やかな音がド~ン!と花火の迫力を夜空で魅了して、私達を幻想的な世界へと導いてくれました。

びわ湖を横目にして帰っていると、桟橋から船に乗られる人達の姿がありました。この船に乗って花火を観に来られていたようなので、この船は交通手段の一つのようです。

駅は入場規制中なので、スゴイ人でしたが
電車に乗ると、気抜けするぐらいは余裕で座る事ができました。


●迫力の「びわ湖大花火大会 2013」8月8日(木 )

2度目の「びわ湖大花火大会」は
九州へ引っ越しされた、小〇さんと息子さんに誘って頂いた
「第30回 びわ湖大花火大会 2013」の日帰りツアーでした。

送迎専用バスは、三井寺の駐車場が送迎発着地でした。
開催まで時間があったので、三井寺を少し散歩して会場へ

私の席は、1番前の空いている最高のR席です!
毎年予約されているそうで、とても良い席でした。


花火大会が始まる前の静か~な・・・びわ湖です。


花火が打ち上げられると、観覧席から大きな が。。。


湖上の花火は、湖面も演出しています。


次から次へと、展開していきます。

「四季めぐり」

春~花めぐり 夏~水辺めぐり 秋~紅葉めぐり 冬~自然めぐり
第30回記念花火では、直系500mに広がる大輪の華を咲かせました。


花火が頭上に落ちてきそうです!
花火が大きくて、花火全体がレンズの中に入りません。(^^ゞ


フィナーレは、2尺玉 (20号玉) の豪快な締めくくりですが
私のカメラでは、残念だけど撮れませんでした!
 
良い思い出がいっぱいの「びわ湖大花火大会」に行くのは
これで最後になりそうです。(^^ゞ
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滋賀県・梅の香りに包まれて・・・

2023年02月09日 | 大阪・滋賀・奈良 他
JR長浜 (滋賀県長浜市)  2016年2月

長浜には、歴史・規模ともに「日本一の盆梅展」があります。

盆梅展会場 「慶雲館」

開催期間:2016年1月9日(土)から3月13日(日)


慶雲館は、明治天皇昭憲皇太后のご休憩の場所として
長浜の豪商「浅見又蔵」氏が、私財を投じて建設されました。
命名は同行した「初代 総理大臣」の伊藤博文です。


会場に入って初めて見た「春霞 (はるかすみ)」です。


見頃の鉢が部屋いっぱいに展示されています。


床の間にも・・・


掛軸は「瀬戸内寂聴」さんの書です。


長浜盆梅展の特徴は、木が大きいことと古いことですが
高さ3m近い巨木や樹齢400年を 超える古木もありますした。


こんなに花が付いてますが・・・


根元を見ると、大きな空洞が!


妙照 (みょうしょう)


天井に届きそう・・・


上体を反らす技「レイバック」?


ガラスの街ならではの盆栽も・・・(写真左)

輪違い

一つの枝から色違いの花びらです・・・


福寿草もありました。(*^^*)

2023年の開催はこちら でご覧ください。
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和歌山・世界遺産の「高野山」へ・・・ 2010年7月

2021年07月21日 | 大阪・滋賀・奈良 他
高野山は、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称であり、弘法大師(空海)によって開かれた真言密教の修行道場で、高野山真言宗の総本山です。
紀伊山地と霊場の参詣道が、2004年7月 「世界遺産」 に登録されました。

大阪 南海高野線の 「なんば駅」 のホーム

なんば駅から 「特急こうや」 で、約90分 (急行 約110分)

高野山には、一緒に行こうと何度か声を掛けて貰っていたのですが・・・
今まで行く機会がなくて、2010年7月に初めて高野山へ行きました。

南海高野線「極楽橋駅 (ごくらくばしえき)」

なんば駅から「高野山行き」 に乗ったので
終点は 「高野山」 だと思っていたのですが ・・・

南海高野線「極楽橋駅 (ごくらくばしえき)」 で終点と言われ
みんなと一緒に降りました。? 運転手さんも降りています。???


ホームには 「→ 高野山 (こうやさん)」 と書いてあって
車両止めがあります・・・?


私は 「高野山駅」からケーブルに乗るのだと思っていたのですが・・・
終点の 「高野山駅」 へ行くには、極楽橋接続の 「高野山ケーブル」に
乗り換えるのでした。(^^ゞ

路線距離は0.8Km、単線2両交走式、軌間は1067mm、高低差が330mで
起終点駅の2駅だけです。
ケーブルの窓からは、きれいに咲いたアジサイの花が見えてました。

南海電気鉄道鋼索線 「高野山駅」

ケーブルを降りると、開業当時そのままの「高野山駅」 でした。
私達は、駅前から 「奥之院前」 行きのバスに乗りました。


奥之院前のバス停までには 「金堂」 「大門」 等、見るところがいっぱいありましたが、私たちは終点の 「奥之院前」 で降りて 「奥之院」 へ・・・

高野山 「奥之院」

「奥之院前」のバス停を降りると、奥之院御廟へと通じる参道です。厳かな参道を歩いていると、有名企業の新しいお墓がたくさんあって驚きました。


玉川の清流の流れる御廟橋からは撮影禁止でした。

奥之院御廟は、弘法大師御入廷のあと
お弟子さん達が廟を建てた、大師様信仰の中心聖地です。

その途上の参道左に、弥勒石 (みろくいし) の祠 (ほこら) があり
中には黒い石が置かれていて弥勒石と呼ばれ、兜率天(とそつてん)から蓮の糸に吊られて降りてきた石だと伝えられているそうです。

その石は罪の軽い人には軽く、重い人には重いと言われる「重軽石」の信仰があり、上段へ片手で上げることが出来れば願いが叶うと言われ、挑戦する若者の姿がありました。


参道には、何百年も経た老杉が高くそびえています。

そして、豊臣家墓所、織田信長供養塔の他にも、世界遺産に登録されている寛永20年(1643年)徳川家光の建立、家康と秀忠の霊廟等がありました。

お大師さまへの食事のお供えは、生身供(しょうじんぐ)といわれて
いまも、毎日6時と10時30分の2回行われています。

高野山は広くて短時間の滞在でしたが、最近のテレビ放送で高野山の番組があり普段は入れない所などを見ることができました。
あれから11年経っていますが、憶えているところが沢山ありました。
また行きたいと思ってますが、お導きがあれば行くことができますね。
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奈良・帰り道なのでチョッと寄り道して「興福寺へ」 (^^ゞ 11/21

2020年12月14日 | 大阪・滋賀・奈良 他
16日(水)にかけて、西日本や東海地方でも初雪があり
北陸や東北、山陰などは警報級の大雪になる恐れがあるそうです。
雪だけでなく、寒くなると凍結もあるのでお気を付けくださいね。


浮見堂から春日大社表参道「第一鳥居」前から・・・のつづきです。


奈良駅に向かう道の左側下に、立派な鐘楼が見えます。
ここは・・・? 

興福寺菩提院大御堂 十三鐘(じゅうさんかね)

ここは興福寺に現存する、十三鐘と呼ばれる貴重な「子院」でした。

立派な「鐘楼」は、永享8年(1436年)に鋳造されたもので、昔は正午・日付が変わる際・早朝などに奈良町エリアに鐘の音が響き渡っていたとされており、「十三鐘(じゅうさんかね)」という名前で親しまれていたそうです。


そして右に見えたのは、興福寺の「国宝 五重塔」
チョッと寄り道したくなりました。(^^ゞ

国宝 五重塔

興福寺には何度か来ていますが、美術研究会の人達と2016年7月に元興寺へ行った時に、集合時間まで少し時間があったので行ったのが最後でした。

興福寺の「国宝 五重塔」は、日本で2番目に高い塔です。
天平2年(730)に興福寺の創建者、藤原不比等の娘光明皇后が建立。
その後5回の焼失・再建をへて、応永33年(1426)頃再建されました。

国宝 東金堂(とうこんどう)

五重塔の左にある金堂は西向きのお堂です。

神亀3年(726)聖武天皇が建立されました。 創建当初は床や須弥壇などに緑色のタイルが敷きつめられ、薬師如来の東方瑠璃光浄土の世界が表されていたそうですが、5度の被災・火災などで室町時代応永22年(1415年)に再建されました。

興福寺「中金堂(ちゅうこんどう)」

「興福寺」の境内中央に位置します。

平安時代の永承元年(1046年)に、初代中金堂が焼け落ちて計7回の焼失。

再建された中金堂は、興福寺に関わる歴史資料や唐招提寺金堂の建築様式などを参考に復元されました。
東西の間口は約37m、南北の奥行きは約23m、高さは約20m。

南円堂(なんえんどう)

平安京への遷都後、藤原氏の勢力が一層強まっていく平安時代初期の弘仁4年(813年)に藤原一族の「藤原冬嗣」が父親を弔うために建立したお堂です。

地神を鎮めるために、南円堂の石造りの「基壇」を建設する際に、「和同開珎」「隆平永宝」といったお金を地面に撒きながら建設を進めていたことが、発掘調査で分かったそうです。


興福寺さんの前を通っているので、素通りはできませんでした。
南円堂の横から階段を下りて(左:興福寺 右:猿沢池)
春日山方向を振り返り、奈良の一日(11/21)が終わりました。
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奈良公園・鷺池に浮かぶ「浮見堂」 11/21

2020年12月13日 | 大阪・滋賀・奈良 他
「旧奈良監獄」→「史跡 頭塔」を出た後、浮見堂へ行くことに・・・(^^ゞ


頭塔から浮見堂の近道を教えて貰って向かっていると
町家建築がありました。


町家は、安政3(1856)年に建てられた「指定文化財 青田家住宅」で
青田家は「横田屋」の屋号で代々醤油の製造販売を行ってきた豪商でした。


教えて頂いた右の道へ行くと


公園内で、外国人のご家族が何かを拾っているようです。


少し行くと、右角の家に「UKIMIDO」・・・?


北の道に進むと、鷺池に「浮見堂」が見えました。

「鷺池(さぎいけ)」は、春日山を源流とし奈良町エリアを
暗渠として潜り抜ける「率川」水系の一部です。


浮見堂へは、橋を渡っていきます。


優しい目をした鹿がいます!
鹿の姿を見ると、奈良にいるのだと実感します。


「洞水門(どうすいもん)」と書いてありますが
別名「水琴窟」と呼んでいるものです。


鷺池に浮かぶ浮見堂は、八角堂形式(六角形)で檜皮葺きの立派なお堂ですが、歴史は古いものではなく大正5年(1916年)に建てられたものでした。


浮見堂は見るだけにして
坂道を上がり帰り道に向かいます。


ここは「円窓亭」の近くです。


帰り道の「一の鳥居前」に出てきました。

※滋賀県は「浮御堂」で、奈良県は「浮見堂」でした。
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滋賀県・御上神社の 「夏越大祓式 (なごしおおはらえしき)」

2020年06月30日 | 大阪・滋賀・奈良 他
「あおり運転」の、重大な交通事故につながる極めて悪質・危険な行為に
厳罰化を盛り込んだ改正道交法が30日に施行されました。の記事は・・・こちら

滋賀県・御上神社の「夏越大祓式」

今から10年前に、毎年6月(水無月)30日に行われる
御上神社の「夏越大祓式」に行ったことがあります。

私たちが日常生活のなかで、知らず知らずに犯してしまった罪けがれを人形(ひとがた)に託して身体を清め、心新たに生活を営むべく、大きな力を得る大切な行事が『大祓(おおはらえ)』です。

名越、六月祓(みなづきのはらえ)ともいい、古代宮中で旧暦6月・12月晦日に行われました。それが民間に普及し、特に6月の大祓は盛大に行われました。

【茅の輪のくぐり方】
「水無月(みなつき)の夏越(なご)しの祓(はらえ)する人は ちとせの命のぶというなり」という古歌を唱えつつ、左まわり・右まわり・左まわりと八の宇を書くように三度くぐり抜けます。

【紙人形】
紙人形に、氏名・年齢を記入し、頭から足を撫でて息を三度吹きかけて
ご祈祷して頂きます。

【茅の輪の由来】
『備前風土記』の蘇民将来(そみんしょうらい)の伝承によります。
善行をした蘇民将来(そみんしょうらい)が武塔神(むとうのかみ)(素盞鳴尊すさのおのみこと)から「もしも疫病が流行したら、悪疫除去のしるしとして、茅の輪を腰につけると免れることができる」といわれ、疫病から免れることができたという伝承です。  (御上神社HPより)

夏越大祓式が終わると
6月の和菓子「水無月」が配られ、冷たいお茶と一緒に頂いてきました。

朝から雨の6月30日、今日で上半期が終わります・・・
この雨で、新型コロナウイルスを洗い流して欲しいですね。
明日から下半期がスタートです! 心機一転ですね。(^^ゞ
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奈良県・ここだけの「真っ黒な烏梅(うばい)」

2020年06月29日 | 大阪・滋賀・奈良 他
烏梅 (うばい)

奈良県・月ケ瀬梅林の真っ黒で皺のある「烏梅」を知ったのは数年前です。

昔は400軒以上の「鳥梅農家」が存在していたそうですが、化学染料が普及し衰退する中で、月ケ瀬梅林の700年の伝統を守るのは、日本で一軒だけになりました。

「烏梅」造りの伝統には
●梅実にすすを塗(まぶ)し


●一晩ゆっくりと蒸し焼きにして


●燻製にします。


●2週間ほど天日に干して


●乾燥します。


●歴史上の文献に記された烏梅

万葉仮名で「烏梅」を「うめ」と呼んでいたそうです。

万葉時代に中国から遣唐使が持ち帰った烏梅は
樹木より先に漢方薬として渡来しました。

「烏梅」の「烏」はカラス、強い酸味があり
熱冷まし・下痢止め・咳止め・食物や薬物中毒・回虫駆除・止血
すり傷・切り傷の手当てなどに使われるほかに・・・

京都の老舗染物店などでは、紅花を鮮やかにする成分があるので
紅花染の発色剤として、昔から現在も用いられているそうです。

「烏梅の里 梅古庵」はこちらでご覧ください。
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奈良県・法隆寺「伏蔵(ふくぞう)という地下蔵」

2020年04月05日 | 大阪・滋賀・奈良 他
法隆寺・南門前にある、七不思議の一つ「鯛石」と同じく
境内にも「伏蔵」と呼ばれる七不思議の一つがあります。

それは、法隆寺の中門左手にある「西院伽藍」入口へ向かう道の
大湯屋の表門前(西大門の方向)に、しめ縄で囲まれた場所があります。

伏蔵(ふくぞう)

法隆寺には「伏蔵(ふくぞう)」という地下蔵が境内に3ヶ所あって
聖徳太子の遺言で「建物の破損など大事の時以外は開けてはいけない」と
いう教えがあって、今まで一度も開けたことがないそうです。2016年6月

でも「法隆寺の一大事!という時になったら開けても良い。」とも言われて
いるそうなので、石の蓋で覆われている場所にお宝が眠っているのかも・・・?
「伏蔵」は、法隆寺のあまり知られていない七不思議の一つです。
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日本最初の世界文化遺産「法隆寺 中門の謎」

2020年04月03日 | 大阪・滋賀・奈良 他
●大阪府では4月の新学期から学校を再開させる方針でしたが
 ゴールデンウィークの5月6日まで「休校期間の延長」になりました。

●東京都では、3日新たに89人の感染が確認されたことが分かり、先月31日に
 新型コロナウイルスへの感染が確認されていた6歳未満の男の子が重症です。

●兵庫県西宮市で感染が確認されている20代の女性は、先月3日~18日まで
 スペインやフランスに旅行し、25日には学位記の授与式にも参加していた
 大阪大学の学生でした。

●奈良県内で2日、新型コロナウイルスへの感染が新たに4人確認され
 奈良市は市立の小・中学校に、今月17日まで休校の期間延長を決めました。

●1日あたりの経路不明者数としては、最も多い3月27日の18人で
 経路不明者は3月27日~4月2日の7日間で計76人に上りました。


日は、歴史クラブで ”狛ねずみ”を祀る「大豊神社」と南禅寺界隈を探訪 に
行く予定でしたが中止になり、録画していた「法隆寺」を見ることに・・・

日本最初の世界文化遺産「法隆寺」

日本最初の世界文化遺産「法隆寺(ほうりゅうじ)に行ったのは
美術研究会に参加した、2016年6月26日です。

奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院で、別名は斑鳩寺(いかるがでら)と呼ばれ、世界最古の木造建築物が残る聖徳太子建立のお寺です。

法隆寺門前の松並木


「南大門(なんだいもん)」国宝

法隆寺の玄関にあたるこの門は、永享10年(1438)に再建されたもので、南大門の階段の下に魚の形をした石が地面に埋め込まれた「鯛石」があります。

この鯛石から先のお寺の境内は地面が高くなっていて、大雨が降ってもこの石より境内には水が入らないように守っている石とも言われています。

「中門」国宝

中門は正面に見える筈なのですが、シートが被され修理中(2016年6月)でした。

日本最古(法隆寺創建当初のものではない)だと言われる金剛力士像や、白鳳建築の代表作とされる中央に壁を感じさせる珍しい柱も、残念ながら見ることはできませんでしたが

ビデオで見た修理後の「中門」 (飛鳥時代 国宝)

西院伽藍の本来の入口となる中門は軒が深く覆いかぶさり
正面が四間二戸と入口が二つある形が特徴です。

なぜ入るものを拒むように、中門の中央に柱があるのは不明ですが
古くから法隆寺の謎の一つとされています。

謎に因んで「聖徳太子の怨霊が外に出るのを防ぐためである」と、いう都市伝説もありますが、西院伽藍へは中門は工事中に関わらず参拝客には開放されていないので、中門の左手から入るように用意されています。

「回廊」国宝

中門の左を入ると、中門の左右から五重塔と金堂を囲むような回廊があり
中門の西側の回廊からは・・・

国宝の「金堂」と「五重塔」

聖徳太子と推古天皇によって創建されたと伝わる法隆寺の
国宝「金堂」と「五重塔」が見えました。
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滋賀県立信楽高等学校の生徒が共同でデザインした 「近江大鳥橋 」

2020年03月10日 | 大阪・滋賀・奈良 他
ミホミュージアムから「佐川美術館」へ向かう道に目を引く橋桁がありました。


その橋桁は 「道の駅 こんぜの里 りっとう」 の手前にある
「近江大鳥橋(おうみおおどりばし)」です。 (2012年撮)

2008年2月23日の新名神高速道路亀山JCT-草津田上ICの開通により
供用された波形鋼板ウェブを用いたエクストラドーズド橋です。

近江大鳥橋は、滋賀県内の甲賀市と、大津市、栗東市の3市を
跨る新名神高速道路で、信楽IC~大津JCTにある橋梁です。


建設は2000年~2007年 、デザインを担当したのはアメリカ人女性の
景観デザイナー Tanja Wilcox 氏と、滋賀県立信楽高等学校の生徒
です。

2羽の鶴が背中合わせで天に向かって飛ぶ姿を模した主塔のデザイン
が特徴で、橋長は 555m (下り線) と495m (上り線) の2橋梁です。

逆光だったこともあり、上手に撮れていないので・・・
2羽の鶴が背中合わせで天に向かって飛ぶ姿 には見え難いですが
とてもきれいな橋桁でした。
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