
田能の神宮寺と同様で、ここを本拠として中畑村宮座の仏事、神事が行われていました。
鳥居左下側に、水をたたえた池(弁才天の龍神池なのでしょうか?)がありました。


左写真には、当社では毎年二月に祈年祭、十月に秋祭、十二月には新嘗祭(にいなめさい)
などが行われ、今も伝統の儀式に基づく神事が守り伝えられている・・・と書かれています。
赤銅をまいた鳥居と拝殿が、山村らしい静かなたたずまいをみせていますね。


約1万平方メートルの境内には、本堂のほか、愛宕山地蔵・山王権現・三宝荒神・十五童子が
そして「氏神弁財天宮」も、ここに鎮座していた「村の氏神様」でした。
しかし、明治三年に中畑村が亀岡藩に提出した社寺調書によると・・・
「弁財天」は「伊勢内宮の女神豊受姫命」に、「弁明神社」が「大神宮社」となって
明治四十四年の大神宮社改築の頃には、境内は今の姿になっていたそうです。