喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

令和3年豪雪⑤ ~1月10日 少しずつ雪どけ~

2021-01-11 | 自然環境

 1月10日、7日午後から降り始めた雪は、記録的な大雪となった。

 そしてようやく4日目の10日、陽が照り始め、雪どけが徐々に進んでいる。

写真は、夕方、西に傾く太陽。

凍結していた水道も破裂することなく、水が出始めた。

 窓からの景色も少しづつ変化し、みかんの樹や実が見えてきた。

 

 

 大雪の峠は越えたようだ。

 多くの方から、雪害の心配をする連絡が届いた。

ありがたい。そして温かい。

 

 外にも出られないので、今回の大雪の記録を残しておこうとブログを書いている。

記録と記憶。

生涯、この年のことは忘れないだろう。

 

      岬人(はなんちゅう)

 

 


三崎地域の昭和42年・52年豪雪と干害

2021-01-11 | 自然環境

 1月9日午後、時折太陽が顔をのぞかせるものの、雪は降り止まず。

 両親から昭和42年や昭和52年の豪雪の話を聞いた。

そのとき、新たな事実も知ることができた。

父曰く、「豪雪と干害は、一緒に起こった。」

昭和42年・52年の豪雪の年は、夏場は雨が降らない干害にみまわれたようだ。

伊方では、柑橘への潅水のため、水をめぐって傷害事件まで起こったことを聞いたという。

また、昼間は農作業をし、潅水は夜に行われるので、疲労のため健康を損なったり、事故を起こす人もいた。

 

 父母は、当時を振り返り、「あの年は、本当、大変やった。」

と、まるで人ごとのようにサラッと言った。

たくましい。

「土と共に生きる」「土を愛する」とは、このような姿勢を言うのだろう。

 

 両親の話を聞いて、インターネットで検索してみた。

「四国災害アーカイブス」という各市町が編纂した市町誌をまとめた、すばらしいサイトを見つけた。

〈昭和42年(1967)〉

〇6月~9月:干ばつ。被害状況は不明。 (旧瀬戸町)

〇7月20日~9月12日:総降水量は5.2ミリの大干ばつで、伊方八幡神社及び九町八幡神社で大雨乞いが行われた。(旧伊方町)

〇12月30日:大雪。伊方中学校観測所の最深積雪25cm、30日の最低気温-2℃。(旧伊方町)

〇大雪により、三崎町で雪害。(旧三崎町)

〈昭和52年(1977)〉

〇7月20日~8月14日:干ばつにより、果樹の落果、葉巻き、枝枯れが多かった。(旧伊方町)

〇2月18日:寒気のなだれ込みにより、三崎町で-6℃を記録した。(旧三崎町)

〇2月17日~19日:大雪、低温。伊方中学校観測所の最深積雪18cm、最低気温17日に-5.4℃。(旧伊方町)

 

 まさに父母が語った話と一致する。

あれから54年または44年がたつ。

 それ以降、雪害については、地球規模での暖冬ということもあり壊滅的な被害はなかったという。

まさに今回、災害は忘れたころにやってきた。

 

 それを踏まえて父は、自然災害に対するいくつかのことを農業経営のポイントとしてあげた。

①柑橘の木全体を網で覆うことが、鳥害・雪害には効果的であり、費用対効果がある。

➁現在は清見タンゴールが主な品種だが、適地適作を考えた、越冬しなくてもよい新たな品種を探る。

 

 農業経営の第一線を退いた父母だが、考え方は常に先を見据えている。

歴史や先人・お年寄りから学ぶことは多い。

 

                岬人(はなんちゅう)


昭和42年・52年豪雪と父母の苦労

2021-01-10 | 自然環境

 1月9日午後、時折太陽が顔をのぞかせるものの、雪は降り止まず。

 両親から昭和42年や昭和52年の豪雪の話を聞いた。

父曰く、「自然相手でどうしようもないことはあるが、何とかなることもある。」。

最悪の事態で最善を尽くす、ということ。

 

 どういうことかというと、大雪が降り続き、それでも何とかしたいという思いで、甘夏の収穫に出かけたということ。

膝にとどきそうな積雪の中、二人でみかん畑に入って行った。

下枝の甘夏だけでも収穫し、摘み取ったものは、そのまま雪の中に置いたらしい。

収穫袋やコンテナは、なかなか使えず、雪の中に置いたほうが寒さをしのげると考えたようだ。

やがて雪が溶け、拾って回った。

 

 両親の何とかしたいという思いと、雪が降る中での収穫を想像したとき、改めて尊敬と感謝の念がわきおこる。

こんな話を聞けてよかった。

子どもたちに語り継いでいきたい。

家やふるさとは、このような物語があって引き継がれてきたのだから。

 

   

       岬人(はなんちゅう)


令和3年豪雪④ ~1月9日 42豪雪の話~

2021-01-10 | 自然環境

 大雪の様子を写真に撮っていた。

深く積もった雪の中、杖を付きながら歩くあばちゃん(77歳)がいた。

後ろ姿からヨシエおばちゃんと分かり、声をかけると、こちらを振り返った。

 私: すごい雪やなー

 おばちゃん: がいな雪やなー。 平礒へ嫁に来て、こんな雪、見たことないなー。みかんが心配やなー。

 私: 本当そうやな。 滑らんように気を付けてな。

 おばちゃん: はーい! ありがとう。

 

 ヨシエおばちゃんが言っていたみかんへの雪害。

母屋の両親から話を聞いてみた。

私: こんな大雪は今まであったかな。

父: こんな大雪は2度あった。

   昭和42年と10年後の昭和52年やった。全国的には昭和38年の「サンパチ豪雪」がすごかったけど、

   このへんは、それよりも昭和42年がすごかった。何日も雪が降り続いた。

私: みかんはどうなったん?

父: 全滅よ。あの頃は橙やったが、糖分が低いけん寒さに弱い。

   雪にやられて、苦くなり、商品にはならんなった。

   雪が溶けて、収穫し、全部、ヤマンダキに捨てた。その年は収入ゼロやった。

昭和42年。これは、私が生まれるちょうど1年前の大惨事。

 

 2回目の昭和53年のときはのことは、強烈な出来事として鮮明に覚えている。

同じようにトラックいっぱいに積んだ甘夏を、父母はヤマンダキから次々に捨てていた。

その1つを剥いて食べて、とても苦かったことをはっきりと覚えている。

 その時には、はっきり分からなかったことがある。

1年かけ汗を流し育てた甘夏を、涙ながらに捨てる両親の心境。

自然を相手にする農家にとって、自然はどうすることもできない。

それでも、生きるため、引き継ぐために、あきらめず工夫や努力をしながら立ち上がっていく。

 そんな話を聞きながら父母の顔を見ると、熱いものがこみ上げてくる。

尊敬と感謝。

語り継いでいきたい話だ。

                       岬人(はなんちゅう)

 


令和3年豪雪③ ~1月9日~

2021-01-10 | 自然環境

 本日9日から3連休。

7日午後から降り始めた雪は、3日目。

長靴を履いて、この記録的な大雪を写真に収めに外に出た。

        【柑橘に覆いかぶさった雪で、雪害が心配される】

 

                  【山々も銀世界】

 

                      【深く積もった小道の雪】

 

                  【道路には轍が1本だけ】

 

 時折、太陽が顔をのぞかしたが、また曇り、雪がちらつくという繰り返し。

そして驚くことが!

遠く釜木方面から静寂を破り、エンジン音が鳴り響いてきた。

それは何と!

               【除雪 ブルドーザー】

 

 釜木から除雪のために、藤川建設のブルドーザーが走ってきたのだ。

平礒に除雪ブルドーザーが走ったのは初めて。

 運転手さんが、「ここはすごい雪ですね。」と驚いていた。

 このことを母屋の両親に伝えに行き、そこでまた歴史的な新たな驚きがあった。

 

            岬人(はなんちゅう)

 

 

 

 


令和3年豪雪② ~1月8日~

2021-01-10 | 自然環境

 1月8日、夜が明けるにつれ、大雪の状況が明らかになっていった。

今回の大雪は、八幡浜市、伊方地域では降っておらず、瀬戸地域から西の三崎地域にかけて大雪になっている。

その両地域では、8日が3学期始めだったが、臨時休校となった。

日中もずっと雪が降っており、国道の坂道では登れなくなった車が立ち往生。

脇道でも冬用タイヤでありながら、後ろから車を押すなどの救出があった。

                          【三崎中学校】

 

            【吹き溜まりができ、階段がなくなった三崎総合支所】

 

                【雪に埋もれないよう、わだちを走る】

 

 夕方5時前、仕事を終え帰路に就く。

急な登り道の多い、二名津経由を避け、釜木経由のルートを。

釜木を抜け、平礒に近づくにつれ、さらに雪が深くなっていった。

 いつもの倍以上の時間がかかり、ようやく我が家に到着。

近年まれに見る大雪。

しかもまだ雪がやむ気配がない。

                        【柑橘に覆いかぶさる雪】 

 

                【置いていた車に積もった雪】

 

 水道管が凍り水が出ない蛇口があったり、深く積もった雪で道路が通れなかったり、収穫前の柑橘の雪害など、

様々なところで、心配がふくらんでいった。

      

              岬人(はなんちゅう)

 

 


令和3年豪雪の始まり① 1月7日のふるさと平礒

2021-01-09 | 自然環境

 令和3年が明け曇り空が続いていた。

それでも、家族との団らん、初詣、仕事始めなど穏やかな日が過ぎていった。

 ところが7日の天気予報あたりから寒波が押し寄せるとの情報。

似たような情報は今までもあったが、ふるさとの平礒は大雪に見舞われることもなかった。

 今回もそんな気持ちでいたが、7日夜半、雪がちらつき始めた。

念のために、外にある水道が凍結して破裂することを心配して、蛇口を少し開き水が流れるようにした。

 また、8日の仕事に備え早めに11頃に就寝。

 

 8日朝5時に起床。

気になってカーテンを開けてビックリ。

かなりの積雪があり、吹雪。

急いで支度し、6時前に職場に到着。

 これが、数十年ぶりにふるさとを襲った大雪の始まりだった。

 

            【8日夕方5時 平礒から釜木湾、フクロイセを見下ろす】

          

                       岬人(はなんちゅう) 


年神様を迎えるための大掃除

2020-12-30 | 田舎暮らし

 年の瀬12月29日。
恒例行事の大掃除。
 正月は、年神様をお迎えするための行事。
そのために家中をきれいに掃除する。

 家の中は、妻や帰省している子どもたちにまかせ、
外周りを掃き清める。
それが私の役割の一つ。

【ビフォー】

 

【アフター】

 

 掃き清められた道は、集落の景観を生み出す。
 これは、今は亡き祖母がとても大切にしていたこと。
その考えを自然と受け継いでいる。

 玄関前のこの道は、かつて集落と浜をつなぐ重要な道だった。
今はほとんど人通りがないが、昔を想像しながら掃き清める。
石垣が続く30mほどの長さ。
これもまた景観をつくる。

 

 小さな小さなふるさとだが、人の手が加わるとあたたかく、生き生きとしてくる。

 正月、我が家にもふるさとにも、福をもたらす年神様が訪れますように。


         岬人(はなんちゅう)


幸せの黄色い甘夏は、ふるさとの色

2020-12-30 | 佐田岬の風景

 年の瀬の12月29日。

正月まで天気が崩れるという予報。

今日は最高の大掃除日和。

 

 家の傍に実る甘夏(サンフルーツ)。

 

 

幸せの黄色は、ふるさとの色。

 

        岬人(はなんちゅう)


25回目の結婚記念日 ~沖縄Orionビールで乾杯~

2020-12-23 | 日々の暮らし

 12月23日(水)、25回目の結婚記念日。

いわゆる銀婚式。

 昨年までは、天皇誕生日だった。

 少しだけいつもと違った夜の時間を過ごした。

帰宅途中、食べ物や飲み物を調達するため三崎ローソンに立ち寄る。

飲み物コーナーで目に留まったのが、沖縄のOrionビール。

 

 手にした途端、25年前に結婚式を終え、年末から年始にかけて新婚旅行に行ったことが思い出された。

行先は、沖縄。本島よりも石垣島、竹富島、西表島、波照間島といった離島を巡った。

そのときに、よく飲んだのがOrionビール。

 

 昨夜は、妻とそのときの話や子どもが生まれたときの話などで盛り上がった。

思い返せば、あっという間の25年間。

でもこの時間は、日々の積み重なり。

 これまでの25年間、そしてこれからの25年間。

楽しく、生き生きと暮らしていきたい。

 

               岬人(はなんちゅう)

 


三崎保育所・小学校・中学校による、初の合同火災対応訓練

2020-11-28 | 地域づくり

 冬将軍の足音も少しずつ近づき、それとともに火事の多い季節となります。

 近所に火事があったらどうするか?

もちろん、当然、自分ができる手助けをするのが田舎の流儀。

 

 三崎保育所・小学校・中学校による、初の合同火災対応訓練が行われました。

 想定として、三崎保育所給食室から出火。火の回りが早く、初期消火にあたるも消火器での消火は困難。

その間に園児は、保育士の誘導で屋外に脱出。

 

 保育所の火災に気付いた三崎小学校・中学校が、ホースによる消火活動と園児を迎えに行き、避難誘導を支援しました。

【職員による消火活動】

 

中学生は、園児の手を取り、避難誘導】 

 

 また、はしご車による救助活動を説明を受けながら、見学しました。

【高さ30mまで伸びたはしごに、みんなビックリ】

 

【校舎3階で救助】

 

 

 

 無事救助され、大きな歓声と拍手がわき起こりました。

 

 火災や震災時において、隣接する三崎保育所・小学校・中学校は、互いに緊密な関係性を構築し、連携をを進め、

地域一体型の救護システム運用を目指していきます。

 

 12月17日(木)に行われる愛媛県内一斉の「シェイクアウトえひめ」では、三崎高校も加わり、

さらに地域一体となった地震・津波防災訓練を予定しています。

 合言葉は、「自助」、「共助」、「近助(近所)」です。

 

       岬人(はなんちゅう)


愛媛の紅葉を求めて ~岩屋寺~

2020-11-16 | 感動

 11月16日、愛媛の紅葉を求めて車を走らせた。

 古岩屋の紅葉を堪能した次は、数年前に両親の希望で訪れた岩屋寺へ。

 岩屋寺は、真言宗豊山派(奈良長谷寺が総本山)に属する標高700mの山岳霊場。

 弘仁6年(815)、弘法大師が霊地を探してこの地に入山したところ、法華仙人と称する土佐の女性に出会います。

大師の修法に深く帰依した仙人は、全山を献上し往生を遂げました。

大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本堂に安置し、石像は岩窟に秘仏として封じ込め、山全体をご本尊の不動明王としたのです。

大師は「山高き 谷の朝霧海に似て 松ふく風を波にたとえむ」と詠じ、寺号を海岸山岩屋寺と名づけました。

 鎌倉時代中期に一遍上人が参籠・修行したことは、『一遍聖絵』(国宝・神奈川清浄光寺藏)にも描かれており、

古くから霊場として人々の信仰を集める寺域は、国の名勝、県立自然公園に指定されています。

 

 そそり立つ巨岩の絶壁に点在する岩窟(岩屋)には、いにしえより、多くの僧が籠もり修行を行っていたといいます。

本堂そばの岩屋(法華仙人堂跡)には、はしごで上ることができ、巨岩と巨樹に囲まれた境内を一望できます。

もちろん、登ってみた。

 

 昔からの修行の場である本堂下の深さ10数メートルの穴禅定と言う洞窟には、地蔵尊、不動明王、弘法大師の石像をおまつりしています。

お水まつり(先祖供養)のお地蔵さん、願かけの「かなえるお不動さん」として、多くの参詣者の信仰を集めています。

足元が見えないこのうす暗い穴にも入ってみた。

 

 

 

 足が不自由な父もあの岩窟(岩屋)に登ったことを思い出す。

よく登ったものだ。

 また来たい岩屋寺。

 

      岬人(はなんちゅう)


愛媛の紅葉を求めて 古岩屋

2020-11-16 | 感動

 紅葉の季節も終わりに近づいている。

愛媛のきれいな紅葉を求めて、車を走らせた。

昨年も来て、とても感動した場所を1年ぶりに再び訪れた。

古岩屋。

 奇岩がそびえ立ち、紅葉によく映える。

 中国人のグループも、すごく気に入っていたようだ。
美しいものは、万国共通。

 

 また来年来たい場所、古岩屋。

               岬人(はなんちゅう)


国際ボランティアを未来へつなげたい ~NPO法人NICE 国際ワークキャンプ~

2020-09-29 | 喜久家ボランティア

 

 未来に向けて応援したい人たちがいる。
ふるさと平礒は、NPO法人NICEとのつながりによって大きく変わってきた。
ワークキャンプという方法で国内外から若者ボランティアが集まり、活動してくれている。


 NPO法人NICEと共に、若者ボランティアたちと共に歩んだ時間。
その時間が、明るい未来を築いてくれた。
 これからも持続可能な未来を創っていきたい。

 写真左は、中央アジアのキルギスの青年、ベクザット。

 ※ これまでの取組は、クリック ↓

https://syncable.biz/campaign/1189/reports/1725?fbclid=IwAR3UDuQi2otVkRuaqJZsM2yYpXKlYGtm_lH34gKoovaMgeZv_CG-1nyYhIg#menu

 


二名津わが家亭 ~地域の人たちが力を合わせ、古民家を再生~

2020-09-20 | 地域づくり
 9月20日、令和2年度地域教育実践南予ブロック集会は、新たな取組にチャレンジし、多くの実りを得た。
そして夜は、遠くから参加した人たちで宿泊。
懇親会を持った。

 宿泊所の場所は、伊方町二名津にある「二名津わが家亭」。
代表の増田さんが、この日に併せ、地域のみなさんと力を合わせ、ゲストハウスとしてオープンさせてくれた。
つまり私たちが宿泊第1号。
 それまでのリフォーム活動の様子は、逐一Facebookでチェックし、その様子に感動していた。

 そしていよいよ足を踏み入れ、その変わりぶりように感動。

 2階の座敷。ここに布団を敷いてお休みする。


 タイル張りの洗面所。外には、日本庭園が広がる。


 遊び心満載のくつろぎの間。昭和の雰囲気ぷんぷん。
懐かしのレコードの音がたまらない。


 タイルをあしらった風呂。
天井のデザインがおしゃれ。

 2階の廊下。格子や一枚ガラスの窓が何とも良い風情。


 生き返り、暗闇を照らす照明。


 素泊まり3,000円。
初めての客、帰省した人たち、同窓会、仲良しグループ等、様々な人を温かく受け入れてくれる。


二名津わが家亭とは?

(活動の目的)
人口が減っていく​二名津地域において、ふるさとを愛する気持ちが深まるようなイベントや事業を行ってふるさとを元気にし、笑顔や夢を広げることを目的とします。
これを達成するために、イベント事業と施設貸出事業、その他目的を達成するための事業を行います。

 ※ クリック  
ホーム | 特定非営利活動法人 二名津わが家亭

人口が減っていく二名津地域において、イベントや事業を行ってふるさとを元気にし、笑顔や夢を広げます。

特定非営利活動法人 二名津わが家亭

 

 

 地域から夕食を調達し、持ち込み、こんなすてきな場所での懇親会が始まった。
話が弾む弾む。
 代表の増田さん、とよちゃん、八重さん、よっくんもお呼びし、話はつきなかった。


 また集いたい場所。
また集いたい仲間ができた。


         岬人(はなんちゅう)