8月22日(土)8:30~10:00
三崎中学校の環境整備として、PTA親子奉仕活動が行われました。
目的は、
① 学校の環境整備
② 子ども、保護者、教職員、地域の方々が、協働(一緒に活動)活動を通して、
夢のある未来を創っていく。
まさにそのような活動となりました。
感動の場面を紹介します。
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2020(令和2)年8月15日。
大戦後75回目の「終戦の日」。
祖父「金太郎」が亡くなって75年目でもある。
父は、80歳。
長いようで、忘れられない短い年月。
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岬人(はなんちゅう)
コロナ禍、お盆の帰省を自粛する人が多かった。
岡山に住む娘も郷帰りしなかった。
気になっていた盆踊りも他地域と同様、中止。
ところが、先祖を迎えるお盆行事のモウリョウは、帰省者が少なかったが、いつものように行われた。
重要な鉦叩きは、父が任された。
お世話になった梶原道忠さんの供養だ。
皆さんが持っていた笹を集め、海へ流すのも鉦叩きの役割。
息子が手伝った。
こうして、地域の風習は引き継がれていく。
最後は、生目様に自分の歳と同じ石を拾い、お供えする。
こうして今年もふるさとのお盆行事は終わった。
田舎という場所は、文化や風習を残していくことに大きな役割がある。
時代とともに、なくなっていくものもあるが、大切なものだけが残されている。
今は石垣だけとなった我が家の舟倉。
にぎわっていた頃の様子を父から聞いておきたい。
岬人(はなんちゅう)
毎年、お盆の14日に、三崎にある伝宗寺にお参りする。
今年は、父と息子と3人。
そこで、思いがけない再会があった。
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お盆。
亡き先祖を供養する。
先祖の中に一人だけ、太平洋戦争で亡くなった祖父。
戦後75年。
祖父が亡くなったのは、終戦3か月前のこと。
ジョンレノンのイマジンが響いた。
世界のリーダーが世界平和を願い?/ イマジンを歌う
お盆前だというのに暑さが厳しい。
先日、いつものようにポストを開け、郵便物を取り出そうとした。
すると、見覚えのある文字で書かれたハガキが1通。
うれしい人からの暑中見舞いだった。
別れてからもう2年以上になる。
彼の文字は独特で、個性的。
下書きの鉛筆を消した跡があり、丁寧に書いてくれたことがすぐに分かった。
彼のように今、自分は、誰かのことを思い、温かい時間をじっくりと持てているだろうか。
この1通が、忘れかけていたことを思い出させてくれた。
久しぶりにまた会いたくなった。
岬人(はなんちゅう)
8月2日(日)の「スマイル!ピント ジュニアえひめ新聞」に三崎中学校の取組が掲載された。
九軍神にまつわる平和学習の記事。
今年は終戦から75年の節目。
岬の子どもたちは、しっかりと学びを重ねている。
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三崎のメロディーライン沿いに建てられている日中戦争、太平洋戦争の慰霊碑。
集落ごとに名前が刻まれており、総数417名の戦死者。
その中に私の祖父の名前も刻まれている。
それぞれ一人一人に家族があり、日々の営みがあった。
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