喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

田舎の夏の海

2012-07-30 | ブログ
 田舎の夏の海



 あまりの暑さに、急きょ海に行くことにした。
ふるさと平礒の海。
1年ぶり。

 大いに楽しんだひと時だった。

                 岬人

 

四国最西端の三崎中学校女子ソフトテニス部合宿

2012-07-27 | ブログ
 最近、パソコンが壊れてしまい、
ブログがなかなか書けない。

 しかも先ほどまで、2日間の合宿をしていた。
四国最西端の三崎中学校。
女子ソフトテニス部恒例の夏合宿。
 国立大洲青少年交流の家で行った。

 今回の数値目標は、練習時間11時間。

 昨日は、いつもお世話になっている坂本先生率いる大洲北中学校。
そして濱本先生率いる大洲南中学校との練習試合。
両チームともたいへんさわやかで前向きなチーム。
朝9時から夕方5時まで、熱い闘いがくり広げられた。

 その後も夕食を食べて7時から9時までの夜の練習。
練習試合をふり返り、サーブの強化練習。

 そして今日の午前中は、サーブとレシーブ、ロブの強化練習。
昼食後1時間弱の勉強時間。
午後2時から5時まで2ゲームマッチの試合形式。

 これら練習時間をすべて合わせると15時間。
子どもたちは、声を切らすこともなく本当によくがんばった。
新たな壁にチャレンジし乗り越えた感じがする。
疲れと言うよりも満足感がにじみ出ていた子どもたちの表情。
 子どもは、夢と可能性のかたまりのような気がした。

「合宿では強くなれない。大切なのはその後の練習。」
とは、尊敬する八幡浜高校陸上部総監督の倉田先生がよく言われている言葉。

 あつい夏。今まさに燃えている。

                      岬人

第64回愛媛県中学校総合体育大会 バレーボール

2012-07-25 | ブログ


 昨日、第64回愛媛県中学校総合体育大会バレーボールの部が始まった。
ふるさと佐田岬の三崎中学校からも男子バレー部が出場。
息子も3年生最後の大会となった。

 私も妻も中学校・高校とバレーに明け暮れた青春時代。
バレーボールのすばらしさは十分わかっていた。
次の人のために、できるだけいいボールをつなぐ。
そして最後のスパイカーは、みんなの思いを受けて全力で決めにいく。
まさに思いやりのスポーツ、絆のスポーツ。

 そんな思いもあり、息子にはバレーボールをすすめた。
球技がそれほど得意ではない息子にとって、辛いことも多かったと思う。
でもそれなりにプレーも身につけ、背番号2、センターをまかされた。
そして最後の大会を迎えた。

 母も孫の最後の試合を見たいということで、いっしょに松山に応援に行った。
会場の新田高校に着くと同時に試合が始まった。
 隣のコートでは、宇和中学校の試合も始まり、
会場は大声援に包まれた。

 1セット目、動きがかたく13対25でとられた。
もともと力はあるチームなので、波にのる1点がほしい。

 2セット目、レシーブがつながり始め、スパイカーもフェイントや
強打をコースに打ち分け、相手のレシーブを翻弄した。
25対11のみごとな試合内容。

 こうなると力は五分五分。
3セット目の出だしをとった方が有利な試合展開ができる。
応援席からも声がかれるくらい大声で叫んだ。
 勝負の出だしは固かった。
レシーブがばらけ、先ほど決まっていたスパイクもねばり強くつなげられた。
少しずつ少しずつ点差がひらいていく。
 流れを変える一本がほしい。
最後は、サーブレシーブがコート外へ大きくはじかれ、ゲームセット。
16対25。



 息子たち3年生の部活動が終わった。
部活動から得る成長は大きい。
これから後、部活動から得たものを活かしていってほしいと願う。


愛媛県中学校総合体育大会 陸上競技

2012-07-22 | ブログ


 今日の松山市は、早くから気温30度を超え、日差しが痛いくらいだった。
そんな中、愛媛県中学校総合体育大会陸上競技が明日まで開催される。

 四国最西端の小さな三崎中学校からは、今日2年生男子1500㍍に玉里君が出場。
彼は、すごい努力家で毎日帰宅してからトレーニングを積んでいる。
小学校のソフトボールから数えるともう何年になる。
そんな姿を知っているので、自分らしい走りをしてほしいと願うばかりだった。

 

 組はちがうが、城川中学校からは、西予市を代表して甥っ子の塩崎良太も出場していた。
1週間前に大けがをして、何とか走れるようになった状態と聞いて、祈るばかり。

 レース展開は似ていた。
大きなストライドでぐいぐい前へ進む。
先頭集団に位置し、混戦状態。
800㍍過ぎたくらいから、集団が縦長に。
ここが最も苦しいところ。

 先頭を走る数名が、後を引き離しにかかる。
懸命にくいつく玉里や塩崎。
でもピッチが思うように上がらない。

 今、どんな思いで走っているのか。
これまで続けてきた努力。
このレースにかける思い。
 そんなことを考えると胸が熱くなる。

 そしてスタンドから大声で名前を叫ぶ。

 未来を切り拓くのは、まさにこんな姿だと思った。
苦しみに耐え、歯を食いしばり。
自分の意地にかけ、挑戦し続ける。

 子どもたちから大きな勇気と元気をもらった。

                 岬人



 

あー、夏休み

2012-07-20 | ブログ
今日7月20日は愛媛県内のほとんどの学校が終業式。
ようやく1学期が終わった。
梅雨が明けてからの蒸し暑さは、たいへんだった。

 三崎中学校では、1学期が111日。
そのうち授業日が、71日。
そう考えると、40日は休みなのだから、けっこう多い気がする。

 明日から始まる夏休みは、44日。
バラ色の夏休みと思いたいところだが、
1週間に5~6日の部活動。
 後半から始まる運動会の応援練習など子どもたちは忙しい。
子どもをもっと家庭や地域で過ごさせておげたらよいと思うのだが。

 教員も、補習授業、部活動指導、研修、出張などこれまた忙しい。
かつてはもっとゆったりとしていたのに。

 そんな様子ではあるが、佐田岬の田舎の夏を楽しみたいと思う。


                          岬人

 四国最西端の三崎中学校と被災地との交流

2012-07-16 | ブログ
ふるさと三崎中学校と被災地宮城県気仙沼市立大谷(おおや)中学校との交流が始まり1年が過ぎた。
私たちにできることは、忘れないこと、祈ること。



 そんな取組は、地域の人たちにも知られ、6月のある日、3名の方から計8千羽の折り鶴が届けられた。
子どもたちは、自分たちの思いが少しずつ広がっていることを感じている。
これらの折り鶴は、メッセージとともに手渡しで届ける予定。
「今、自分に何ができるか。」を問い続けている。
 
 このような思いを1つにする取組が始まった。
伊方町松出身の歌手サスケさんが、三崎中学校と大谷(おおや)中学校との交流を綴(つづ)ってくれた歌
「君の笑顔に会いたくて」。
この歌を6月の伊方町音楽会でぜひ歌いたい、という声があがり、すぐにPTA副会長さんが合唱用に編曲をしてくれた。
「遠く遠く離れた 顔も名前も知らない友」に語りかけるように、
歌詞の意味を考えながら、昼休み・放課後・音楽の時間にたくさん練習した。

 日に日に歌に深みが出ていき、自分たちの思いを伝えるすてきな合唱になったと感じる。
11月の文化祭では、全校で合唱する予定。



 私たちにできることとして、この歌を歌い継いでいき、思いをつなげていきたい。
 7月に入り、全校でビデオメッセージ作りに取り組んでいる。
もっと被災地のことを知りたい、もっと自分たちのことを伝えたい、
という思いから始まった取組。

 どんな内容にするかを練り合ったり、どんなふうに伝えるかの練習をしたりしている。
このビデオメッセージも大谷(おおや)中学校へ届け、顔の見えるつながりへと絆を深めていきたい。

ふるさとのがけ崩れ

2012-07-14 | ブログ
 最近の雨は、尋常ではない。
大好きでよく行く九州では、たいへん痛ましい災害があいついでいる。

 目と鼻の先のふるさと佐田岬でも、がけ崩れが起きている。
写真は、昨年明神で起きたがけ崩れで、がけを固める工事をしているところ。



 そしてその対岸にある平礒への道でも先日がけ崩れが起きた。
落石防止の金網が、崩れた岩や土砂の散乱を最小限に防いでいるが、
まだまだ崩れることも予想される。





 科学技術の発達が、自然災害への警戒心や危機感をにぶらせてしまっているところもある。
先人の知恵に耳を貸したいところだ。

サンフルーツ(新甘夏柑)の実

2012-07-14 | ブログ
 小6になる娘が学校の「総合の時間」の取組として、
柑橘栽培について調べている。
きっとわが家がみかん農家なので、興味が高いのだろう。



 娘は、祖父ちゃんからまかされた自分の木を観察している。
5月に花が咲き、散り、しばらくして碧い実を結んだ。

 柑橘のそんな変化を興味深げに話してくれる。
夏休みには、平礒のみかん農家を回り、聞き取りをする予定とのこと。



 家族や地域の人が働く姿を見られるということはとってもいい。
汗するすばらしさ、苦労や工夫、そして喜びや夢。
そんなことをストレートに伝えられるものが田舎にはある。

                          岬人

娘と天の川を眺める

2012-07-10 | ブログ
 七夕の翌日。
夜空はきれいに晴れわたっていた。

 田舎のため光害のないふるさと平礒は、
星空がとてもきれい。
ベランダからは、星空をひとりじめできる感じがする。

「天の川でも見てみるかい。」
の誘いに小学校6年のひかるがのってきた。
星座を指し示すために、懐中電灯を用意。
そして2人でベランダに出て、星空を見上げる。

「わー。」
天気がよくなかったため久しぶりのきれいな星空に感激の声。
天の川が南北に流れていた。
 川の向かい側どうしで輝く星が、織姫(こと座のベガ)と彦星(わし座のアルタイル)。
七夕物語がよけいに2つの星を輝かせる気がした。

 そしてもう一つ輝く星。
天の川の上を、南へ飛んでいるはくちょう座のデネブ。
これを合わせて夏の大三角形。

 はくちょうの行く手にいるのが、南の空のさそり座。
「あっ、本当、似ている。」
娘が感激する。

 こんな話をしながら30分間ほど楽しんだ。
「今日は、楽しかった。明日、さーちゃんにも教えてあげよ。」

 この言葉どおり、昨夜は2人で夜空を見上げていた。
田舎の夜のとってもすてきな楽しみ方。

                      岬人
 

高知城  土佐藩の身分制度

2012-07-08 | ブログ


 7月5・6日、四国地区人権教育研究大会に参加。
夕方5時前、研修が終わり近くの高知城を散策。
見知らぬ土地を散策するのは楽しい。
特に高知(土佐藩)は、江戸時代の歴史によく登場する。



 坂本龍馬が有名だが、彼は武士の中でも身分の低い武士だった。
江戸時代には、百姓・町人・武士という大きく3つの身分に別れていた。
ただ、それぞれの身分はさらに細かく別れていた。
したがって龍馬は、武士の身分ではあるが、低く、上位の武士には足げにされていた。

 なぜ土佐藩がきびしい身分制度をしいたかというと、
土佐藩主の山内家が1600年にあった関ヶ原の戦いの功績により移転してきたよそ者だから。
 山内家が土佐に来るまでは長宗我部家が土佐を支配していた。
しかし、この長宗我部家は関ヶ原で西軍石田三成に味方したため、戦後改易される。
 改易とは、江戸時代に大名などが屋敷や領地などの資産を没収され地位を剥奪される処罰で、切腹の次に重い罰。

 そして代わりに山内家が土佐に入ってくるが、この山内家を元長宗我部家臣は歓迎しなかった。
元家臣たちは山内家に対し、
「長宗我部盛親(元領主)に領地の一部(土佐半国とも言われる)を与えよ。」
と要求して城にたてこもったり、一揆を起こしたりした。

 山内家としては当然放ってはおけないし、長引けはそれを理由に徳川幕府から改易になりかねないので、
武力による鎮圧を行った。
 しかし反抗した連中を皆殺しにもできないので、
その代わりに厳しい身分制度をつくり、彼らを押さえつける方法を取った。

 山内家の武士を上士。
破れた長宗我部家の武士を下士。
 そしてそれぞれの中もさらに細かく身分が別れていた。
坂本龍馬は、下士の中の中より上の郷士だった。

 ちなみに龍馬が生きた時代の大名は、あの有名な山内豊信(容堂)(NHK大河ドラマ 龍馬伝)。
山内家の初代藩主は、山内一豊。(NHK大河ドラマ 功名が辻)

 そんなことを考えながら、この高知城を上り、
高知城からまちを眺めた。

若松進一さんからの電話

2012-07-07 | ブログ
 たった今、携帯電話が鳴った。
電光掲示には、若松進一さんという文字。

 何事かと思い電話をとる。
「はい、もしもし。お久しぶりです。」
すると若松さんから
「元気でやりよるかな。」

 その後、お互いの最近の動きを伝えあい、
「弟さんもやりよるかな?」
というお気遣いの言葉。
「悩みもありながら、がんばってやりよります。」

「弟さんに、またこっちにも寄りなはいや言うとってや。
人間牧場にでも行って、いろんな話しをやろやな。
自分ひとりで考えよったっていけんで。
人と会って話をせな。」

 そしてお礼を言い、電話を切る。

 つまり、若松さんはこれという用事ではなく、電話をくださったのだ。
おまけに弟のことも気遣い。

 ありがたい。
さりげない心配りがありがたい。
 
 梅雨の晴れ間の、心にしみる電話だった。

 

田村菓子舗と三崎中学生のコラボ商品

2012-07-07 | ブログ


 学校の授業で、総合的な学習の時間というものがある。
各教科の枠を越えた、まさに生きる力を育てるようなもの。
ただし、教科書、マニュアルのないものを授業としてやっていくのがたいへん。
地域との連携や協力がとても大切。
 
 二名津小学校や三崎中学校、三崎高校では、
よく二名津の田村菓子舗さんの協力をいただいている。

 そんな取組の1つがカタチとなってできあがった。
何と三崎中学校の生徒が描いた包装デザインを採用してもらったのだ。

 先日、その商品を三代目よっくんが届けてくれた。






 子どもたちの思いがカタチに変わる。
そのことに大きな夢と可能性を感じることができる。

 地域の子どもを地域で育てる。
そんな雰囲気がふるさと佐田岬にはある。

                      岬人

瀬戸内の夕暮れ

2012-07-03 | ブログ


 今日の昼間は、まるでバケツをひっくりかえしたような大雨が降った。

 午後8時前、仕事を終え家路を急ぐ。
雨は上がり、空は明るさを取りもどしていた。
すべてを洗い流したような景色。

 二名津からひたすら上り坂。
峠の手前のヒラバヤ。
ここからの景色が一番開けている。

 手前に松灯台の灯り。
西の向こうは、九州大分県の別府から国東半島。
夕日が沈み、あたりをオレンジ色に染めている。
何という美しさ。

 車を降りて、しばらく見とれていた。
刻一刻と明るさは変化し、夜の帳が降りてくる。



 峠を回り、平礒へとゆるやかな下り坂。
東方の釜木の空には、かすんだ月が昇っていた。

「月は東に、日は西に。」

 美しき瀬戸内の夕暮れ。

             岬人(はなんちゅう)

 

八幡浜・西宇和総体の秘話

2012-07-03 | 感動
 さまざまなブログの内容のため
さまざまな人がこのブログを読まれているようだ。
 部活動の内容のときには、中学生からのコメントが多い。
紹介するのは、三崎中学校と一番多く練習試合をした八幡浜市立松柏中学校の生徒のコメント。
いつもその前向きさと純粋さに驚かされる。 

『(部活動が終わって)なんかやっと1ヶ月かっていう感じです。
この1ヶ月本当はいけないけど、放課後自習の時間に部活を眺めていました。
「1ヶ月前は、まだあそこでラケットもって走ってたなぁ。」
きっと、それだけ部活が楽しくて充実してたんですよね。

 愛宕中の流星さんのコメントを読ませていただくと
「お疲れ様でした。」
といった後に中島さん・中井さんペアが
「絶対に優勝してください。」
と言われたと書いてありましたね。

 私は1年前の総体のことを思い出しました。
その日は個人戦の2回戦目で私の先輩と中島さん・中井さんペアが対決するコートでブラシをかけていました。
すると、中島さん・中井さんが
「ありがとうございます。」
って言ってくれました。
 今まで、そんなこと言われたことなかったなあ、嬉しいなあと思うと、
自然と「頑張ってくださいね。」ということが出来ました。

 先輩に勝ってほしいという気持ちが100パーセントのつもりだったけど、
その言葉を言われたとき
「この2人のプレーも勉強しなきゃな。もし先輩が負けてしまってもこの2人には頑張ってほしいな。」
自然にそう思えました。

 中島さん・中井さんをはじめ、三崎中学校のみなさんはそんないい方ばかりなんですね。
絶対強くなってください。』


 中島さんも中井さんも、そしてこのコメントをしてくれたペンネーム空風さんも
瞳がキラキラした中学生。

 ふるさと佐田岬には、キラキラがピッタリよくにあう。


                           岬人(はなんちゅう)