喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

岡山シーガルズの岡野弘子さん 15

2010-08-31 | ブログ
 岡山シーガルズの中で、
私の大好きな一人、「岡野弘子さん」

 その実績は、華々しく、
中学校ではアタッカーで、大阪国際滝井高校入学後にセッターに転向。
高校時代は春高バレー優勝を経験。

 高校卒業後、東芝に入社。1999年東芝休部に伴い、
クラブチームとなったシーガルズへ移籍。

 2008年4月、Vリーグ出場試合が251試合となり、
2007年にリーグ40回大会を記念し創設された『Vリーグ特別表彰制度』の表彰基準を達成したため、
長期活躍選手として特別表彰されました。

 2009年4月、全日本女子代表メンバーに登録され、
バレーボール・ワールドグランプリで代表デビュー。

 写真の左 背番号15。
サイン会の様子です。

 岡野さんについては、
伊方でのすてきなお話があります。
 また、紹介させていただきます。

                岬人       
        


夜の未確認浮遊物体

2010-08-30 | ブログ
 夕方から1時間後の未確認浮遊物体。

 この正体は、漁り火です。
イカ釣りのために、明かりを照らし、呼び寄せるのです。

 緑色の明かりが、海中を照らし、
まるでUFOのような。
幻想的な光景が広がります。

 まさに佐田岬の夏の風物詩。

 でもこれは、毎日は見られず、
たまたま目にした人は、本当に幸せです。

 橘さん、よくご存じでしたね。
 Rieさん、残念ながらいつ見られるかわかりません。
すばらしい写真プロの腕前でぜひ撮影していただきたいのですが。

 地元の人でもまだまだ知らないことがいっぱいです。
謎多き、魅力多き、佐田岬。

                      岬人(はなんちゅう)

夕方の未確認浮遊物体

2010-08-30 | ブログ
 未確認浮遊物体の夕方の写真です。

 佐田岬ツーリズムの水本さんが、8月18日に瀬戸アグリトピアから撮影。
真下に広がる宇和海(太平洋)。

 その夕凪の海に、1つそしてまた1つ。

 そして1時間後には!

                  岬人(はなんちゅう)

入道雲

2010-08-28 | ブログ
 三方を海に囲まれた、
とてもめずらしい佐田岬。

 そこからは、さまざまな海をながめることができます。

 写真は、宇和海の真っ青な空に湧きおこる真っ白の入道雲。
まるで魔神のような。
そのコントラストも美しく。
 この写真は、佐田岬ツーリズムの水本さんからいただいたものです。

 幼き頃に記憶された夏の風景とピッタリ。
日本の夏。
暑かったけれど、思い出に残る夏でした。

                      岬人


母校 三崎高校

2010-08-27 | ブログ
 私の母校を紹介しています。

 昨夜、同窓会総会がありました。
話の中心は、
① 創立60周年のこと
② 生徒数が減って分校化が心配されていること

 そのために、このふるさとなつかしく・新しい・正確な情報を
ブログで紹介していきたいと思います。

 まず重要な、1つ。
ちまたでは、「平成24年くらいに分校になる」
というまことしやかな情報が流れているようですが、
これは全くうわさです。
そんな具体的なことはいっさい決まっていません。
 心配されていた方は、どうか安心してください。

 このブログのブックマークに、
三崎高校のホームページをのせました。
どうかのぞいてみてください。

 写真は、最上階からみた校舎の様子です。
ここから見下ろす三崎の街や港の風景は、最高です。

                 岬人

背景の変更

2010-08-27 | ブログ
 みかんをイメージした背景にしていましたが、
気分転換に背景を替えてみようかと思いました。

 5年前に行ったミクロネシア連邦、マーシャル共和国のビーチです。

 国立大洲青年の家勤務の時、
全国から集まった小学5年生から中学2年生までの16人を引率しました。

 マーシャルは、太平洋のど真ん中にあり、
「ビーナスの首飾り」と言われています。
とても美しい珊瑚に囲まれていて、
その島々の形が、丸い首飾りのようだからです。

 あんなうつくしい海を初めて見ました。

 マーシャルについてもふり返っていきたいと思います。

                   岬人

明るい満月

2010-08-26 | ブログ
 昨夜は、満月でした。
実家の平礒へ帰っていたら、東方から
それはそれはきれいな満月が、
釜木の山の稜線を照らします。

 下方に見えるのが、釜木の明かりです。
ちっちゃな、ちっちゃなかわいい地区です。

 それにしても、月明かりって
こんなに明るいのかというくらい、
周りを照らし出します。
 それもこれも、他に明かりがないからなのです。

 月の美しい明るさを感じた夜でした。

                  岬人
 

愛媛県立三崎高等学校 同窓会総会

2010-08-26 | ブログ
 今夜8月26日、三崎高校の同窓会総会が、三崎町民会館にて開かれます。

 今年度が、創立60周年。
さまざまな取組がされているようです。

 私たち、同窓会としてどんなサポートができるか。
 さらに、入学者40名に連続2年満たない場合、
分校化の対象となるらしく、
その大問題に対してどう取り組んでいくか。

 みんなで、知恵を出しあい、
よりよい方向を探っていきたいと思います。

 写真は、三崎高校の中庭です。
上側に見えるのが、夏みかんの木。
 校歌にある花橘にふさわしい環境にしようと、
時の藤原恵校長の要請で外部評価委員だった父が
植えたものです。

                岬人

 

ふるさと、佐田岬 「岬人ぬ宝」

2010-08-25 | ブログ
 「ふるさとをもっと知っていたい。」
ということを歌った「島人ぬ宝」。

 「ふるさと佐田岬をもっと知りたい。」
そんな思いがわきおこります。
  
 旧串中学校と旧二名津中学校が統合された三崎中学校の全校生徒は、
81名。
 このほとんどは、ふるさとを離れていってしまいます。
「働き場所がない。」
「楽しそうなものがない。」
「自分のやりたいことがない。」

 ないことがばかりが、目について
「ないないづくしの田舎」
といった感じでとらえられているようです。

 でも社会は変化し、
さまざまな価値観が生まれ、
今、「あるあるづくしの田舎」
を都会のかなり多くの若者たちが求めていること
もまた事実なのです。

 喜久家をおとずれる
国内外の多くの若者たちも言っています。

 そんな声をもっと伝えていきたい。
「夢は田舎にある」ということを。

                   岬人(はなんちゅう)


僕が生まれた、この岬のこと

2010-08-25 | ブログ
 心に残る歌「島人ぬ宝」より。

『三、僕が生まれた この島の唄を
僕はどれくらい知ってるんだろう

トゥバラーマも デンサー節も
言葉の意味さえわからない

でも誰より 誰よりも知っている
祝いの夜も 祭りの朝も
何処からか聞こえてくるこの唄を

いつの日かこの島を離れてく その日まで
大切な物をもっと深く知っていたい
それが島人ぬ宝』

 何ものにもかえがたい
「歴史」や「伝統」・「文化」。
 これだけは、手に入れようと思っても
手に入れられないのです。

 そんな貴重なものが、田舎にはまだ残されています。
お盆行事の「もう霊」もそうです。

 世界においてもその象徴であるイギリスが
一目おかれるのは、そこが大きいと言われています。
経済的には、大きな力はないのに。

 まさに私たちの日本もそのすべてを持ちあわせているのです。
とりわけ、田舎においては。
 「お金がすべて」
とは、言えない大きな力・魅力。

 田舎のすばらしさを今、ふり返っています。

                 岬人

岬人ぬ宝

2010-08-24 | ブログ
 大好きな「島人ぬ宝」の歌詞です。
私のふるさと佐田岬、伊方町、平礒を思い浮かべながら。

『二、僕が生まれたこの島の海を
僕はどれくらい知ってるんだろう

汚れてくサンゴも 減って行く魚も
どうしたらいいのかわからない

でも誰より 誰よりも知っている
砂にまみれて 波にゆられて
少しづつ変わってゆく この海を

テレビでは映せないラジオでも流せない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝』

 ふるさと佐田岬は、岬(はな)アジ、岬サバ、伊勢エビ、アワビ、サザエ、太刀魚、
テングサ、ヒジキなど
全国的に有名な豊かな海です。

 それでも、幼い頃と比べると、
少しずつ変化しているのが感じられます。

 写真は、ふるさと平礒の私の家の舟倉です。
幼い昔もすでに使われてはいませんでしたが、
伝馬船がありました。
 それを、小学生の頃、よくこいで遊びました。

 海の様子が変わったのでしょうか?
打ち寄せる波が大きくなり、
この船倉は、ついに壊れてしまいました。

 残ったのは、写真のよう石垣と
想い出だけとなりました。
 
 それでも、私はこの海が大好きです。

             岬人(はなんちゅう)

島人ぬ宝

2010-08-23 | ブログ
 高校時代の同級生で、沖縄県石垣島に嫁いでいる旧姓阿部美香さんがいます。
4年に一度の三崎高校同窓会には、毎回出席してくれています。
次は、ロンドンオリンピックの年です。
 たまに、ふるさと佐田岬の様子と
あこがれの石垣島の情報をやりとりしています。

 好きなアーティストにBEGINがいますが、
沖縄県石垣島出身の幼なじみ三人です。
BEGINの歌の中でも特に好きなのが、
「島人ぬ宝」

 この歌詞を見ると、
私のふるさと佐田岬と似たような感じがするのです。
 
『一、僕が生まれたこの島の空を
僕はどれくらい知ってるんだろう

輝く星も 流れる雲も
名前を聞かれてもわからない

でも誰より 誰よりも知っている
悲しい時も 嬉しい時も
何度も見上げていたこの空を

教科書に書いてある事だけじゃわからない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝』

 
 歌詞の島人を岬人(はなんちゅう)に替えて、
読んでみると、胸が熱くなります。

 私自身、30歳過ぎまで
部活動バレーボールに明け暮れ、
ふるさとをじっくりと見つめることもありませんでした。
 さらに昔は、都会と比べて田舎であるふるさとの不便なところ、
ないものばかりに気をとられていました。
 簡単に言うと、ふるさとは嫌いではないけど、
自慢に思える・誇りに思えるものではなかったのです。

 だから、知っているようで、知らないことだらけ。
でも、幼い頃のとびっきりの記憶がたまにあったり。
 
 でも今、ふるさと佐田岬への想いが大きくちがってきました。
その想いを、こうしてブログに積み重ねています。

                   岬人(はなんちゅう)



『大切な人に贈りたい24の物語』  名前で呼ぶ

2010-08-23 | ブログ
 私の愛読書『大切な人に贈りたい24の物語』から紹介します。

「名前で呼ぶ」
 
 『先日、友人と集まったときに
「自分の奥さんを何と呼んでいるか?」
という話題になりました。

 子どもがいる友人が多かったので、
「お母さん」とか「ママ」といった呼び方が多かったです。

 私の場合は奥さんを名前で呼んでいます。
実は以前はママと呼んでいたのですが、心理学を勉強したときに
「女性が名前で呼ばれなくなると男性化する」
という話を先生から聞いて呼び方を変えました。

 先生の話では、
女性は男性から自分の名前を呼ばれたときに女性を意識するので
「お母さん」とか「ママ」と呼んでも女性を意識しないそうです。

 子どもの前ならいいのですが
二人きりのときに「お母さん」と呼んだとしたら
顔では笑っていても、心の中では
「いつから私はあなたのお母さんになったの…」
と怒っているかもしれません。

 父親の役割を母親がしてしまうと
奥さんの男性化がさらに進んでしまいます。
 家族で出かけようとしているときに
時間がないのに子ども達が急いでくれません。
お母さんが子どもに「急ぎなさい」と厳しく怒っています。

 こんな状況のときにはどうしたら良いのでしょうか?

「せっかく家族で出かけるのだから、そんなに怒るなよ」
と言うのは最悪です。
奥さんはさらに機嫌が悪くなってしまいます。
「あなたが言わないから私が言っているのよ」
と言い返されるでしょう。

 こんなときにはお父さんがお母さんよりも厳しく子どもを叱ればいいのです。
 するとお母さんは、
「そんなに、怒らないでよ。せっかく出かけるのだから楽しく行きましょう」
と本来女性が持っている優しさを発揮することができます。

 最近、厳しいお母さん、優しいお父さんが増えているような気がします。
お父さんの皆さん、強い男を目指してお互い頑張りましょう。』

 いかがですか?
要するに、女性が本来のやさしさを出せるように、
関わればいいようです。
 もちろん、女性についても男性に対して
同じようなことがいえるでしょう。